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(私は中途半端だから、余計に彼を傷つけた、彼を苦しめたんだ)
彼が憎むはずのセレスメリアになりきれなかった。
彼の生きる理由になりきれなかった。
結果は大切な人を追い詰めて、振り回してしまった。
(分かってる。何回も決意を固めたのに、それがいつも簡単に粉々になった)
セレスは強く唇を食いしばる。
(それは、そうだよね。だって、覚悟が足りていないんだもの。皆のためにと言いながらも、結局それは全部逃避を正当化するためのものだから)
そして、それは人を苦しめていることに繋がる。
全ては、弱い自分のせいだ。
(確かに、私は自分が可愛いだけの弱い人間だ)
この瞬間、ようやくセレスは自分自身の弱さに自覚し、同時にそれを本当の意味で受け入れられた。
だったらその次は――。
「ライネ様」
セレスの声にライネリオは視線をペンダントから外した。
彼の顔色はあまりにも白くて、セレスを切なくさせる。
「ごめんなさい」
おそらく、自分がこれから取った行動は彼の選択を蔑ろにするものとなる。
そう思いながら、セレスは強く拳を握る。
「何、そのペンダント?」
セレスの声色の変化にライネリオは目を開いた。
同時に、セレスは、否、セレスメリアは優雅にベッドから立ち上がり、ライネリオを見下ろす。
「わたくし、あんなペンダントなんて知らないわ」
「君は、何を――」
セレスメリアは人差し指で彼の口を封じた。
何回も瞬きしているライネリオを見て、彼女は笑みを浮かべた。
薄いガラスに覆われた、痛みが伴う覚悟。
その透明なガラスは最後の足止めになった。
悪女になれなかった、わけではなかった。
人を傷つければ、自分も同じくらいに傷ついてしまう。
だから、その痛みからひたすら逃げてしまった。
それを正当化するために、セレスは「セレス」であることに縋りつく。
ただ、それだけだった。
とても単純で、明確な理由だったのだ。
そして、中途半端な行いの結果は、これなんだ。
同時に、彼女も閃いた。
おそらく、地球の裏側まで転がっても、セレスはセレスのままなのだ。
だって、彼女はちっぽけで、弱い人間なんだ。
だが。
(だったら、私が強くなればいいんだ)
できなければ、できるようにすればいいんだ。
それでもできなければ、できるところまで全力でやればいい。
母がそう教えてくれた。
母はそういう強い女性なんだ。
今までの悲劇に溺れたせいで、その精神を忘れてしまった。
だが、自分の弱さが産んだ苦しみをこんなに近く目の当たりにした衝撃で、セレスはそれを思い出した。
(なんで、今まで忘れたのかな。いつもいつも、自分を責めるばかりで、それに満足して、結局何もしなかったじゃない)
自覚してしまえば、もう目を逸らすことは許されない。
世界中の誰もが許しても、セレス自身はそれを許せないし、許さない。
「ねえ、怒りん坊さん」
手を伸ばせば、ライネリオは素直にそれを受け入れた。
いや、拒む暇がないというべきだろう。
「貴方に、生きる理由を与えてあげる。だから、わたくしに感謝してもいいわよ」
「やめろ。セレス、やめてくれっ」
ライネリオはセレスの手を退かそうとしたが、彼の手はあまりにも弱弱しい。
彼を救いたい、なんてセレスにはそんな傲慢な感情は抱けるはずがない。
それでも、せめて、せめて彼が他の生きる理由を見つけるまでの繋ぎになれたら、と。
今までの償いとして、純粋に彼に生きて欲しいという気持からも。
「セレスメリア」を演じるために、別に「セレス」を殺す必要はない。
であれば、「セレス」のままで「セレスメリア」を演じればいいだけのことだ。
過去の試みとの違いは紙一重かもしれないが、セレスにとってこれはとても大事なことだ。
(それに、嘘を吐き続ければ、いつかその嘘が本当になると人は言う。だったら、演技続ければ、いつかこれも本当になるかもしれない)
これは長くて、鋭い棘だらけの道だ。
だが、今、この瞬間、セレスは確かに選んだ。
「わたくしは、皆が嫌うわたくしになるわ。そして――」
言葉をそこに切り、セレスはライネリオの顔に一瞥する。
彼は未だに瞳を震わせながら、彼女を見つめている。
その目に一瞬決意が揺らいだが、王女は止めを刺す意志を固める。
「貴方が殺したいわたくしになる」
その言葉に、ライネリオの表情が完全に崩れた。
だって、その宣言は彼が思う答えの裏打ちにしかならなかったからだ。
一方、セレスは微笑む。
だが、その微笑みは悪女のものではなかった。
だって、彼女の笑みはあまりにも慈愛に満ちているからだ。
「だから、こんな顔をしても無駄よ。わたくし、迷子を相手にする趣味なんてこれっぽちもないわ」
セレスは月明りを反射している紫色の瞳を隠すためにライネリオの頭を優しく抱きしめる。
そして、何回も何回も優しく、彼の頭を撫でた。
しばらくの間、ライネリオは動かなかった。
それでもセレスは手を止めなかった。
どんな想いを込めたのか、セレス自身も上手に言葉にできない。
今の彼女にできることはこれくらいしかないと思い、情を注ぎ続ける。
それに応答したかのように、ライネリオはようやく動いた。
セレスの背中に震えている腕を回し、強く、彼女を強く抱きしめる。
「なら、貴女も約束してください。もう二度と、あんな真似をしないでください」
「まあ、心配性な人ね」
その答えにならない言葉に、彼の力が僅かだけ強まった。
「貴女を殺すのは、私ですから」
物騒な言葉と裏腹に、声は小さく、掠れている。
セレスは肩を震わせるライネリオに気付かないふりをし、内心小さなため息を吐いた。
(私はやっぱり、我が儘な人間だな)
だって、ほら。
結局、セレスの選択がこうして彼を苦しませている。
彼女自身は「生」ではなく、「死」を選んだ癖に、彼に生きて欲しいと願った。
果たして、あの日から生きる意味を失くしたライネリオにとって「生」は最善であるかどうか、彼以外は知らないのに。
(分かっている。分かっているけど、このままじゃ駄目だ)
そう思いながら、セレスは彼の抱擁を答える。
彼がこの頼りげなく回された腕に縛られないように、と祈りながら。
「うん、殺させてあげる」
彼女の答えに、ライネリオが更に力を込める。
締め付けられる痛みは、セレスの傲慢さの証。
これは、基準を二つも持っている自身の我が儘であると自覚している。
だが、不安定なライネリオを見て、セレスはそう思わずにいられなかった。
やるせない気持ちで、セレスは夜空を見上げた。
そこには彼女が求める黄色く輝いている星がどこにも見当たらない。
その代わりに、丸く、淡く、優しく夜を照らす月が佇んでいる。
あの月から、二人のやり取りはどう移るのだろうか。
歪なものだろうか。
尊いものだろうか。
それでも、セレスはそう願わずにいられなかった。
(精霊様、こんな強情で嘘つきな私はやっぱり、地獄に落ちるのかな……でも、もし許されるのなら、どうか、どうか、私にやり遂げるまでの力と時間をください)
その願いは静かに、夜の中に溶け込んだ。




