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 セレスメリアは、母譲りの青い瞳の視線を本から離した。

 その先には、大きく開けられた扉とそこからぞろぞろと入った男性たちが立っている。

 赤毛の男性の手には、月と太陽の印で封印された巻物がある。


 それを見て、セレスメリアは悟った。

 動揺している侍女たちを余所に、感情一つも見せない、いや、無言の怒りを孕む男たちにセレスメリアは小さく首を傾げる。


「あら、皆様方? 何故ここに?」

「セレスメリア王女、貴殿の罪状を述べる」


 彼女の問いがなかったかのように、男は告げた。


「まず、六年前に起きたテルン男爵一家の虐殺の首謀者として貴殿を告発する。次に、貴殿に振り回され、命を落としたご令息が二名。その上、先王であり父であるジェラルド・カシュリアンの権威を使い、民から過剰な税を課せさせ、そこから得た血税で宝石や宮殿の建築などに浪費した。未来有望な方々を殺した上に国の経済を圧迫させ、その存続を脅かした」


 聞き覚えのない罪状がずらりと並べられている。

 そう思いながら、セレスメリアはまだまだ続く告発に耳を傾ける。


「以上、関係者の証言により、貴殿の罪が明らかになった。よって、王命により、貴殿を『塔』に幽閉する」


 最後の言葉を耳にした瞬間、セレスメリアを囲む侍女たちの顔が青から白に変わった。

 それなのに。


「まあ」


 セレスメリアは膝の上に置かれた本を静かに閉じ、ゆっくりと立ち上がる。静謐で優雅な佇まいは、全員の視線を釘付けにする。


 その中で唯一時間が流れているのは、告発されたセレスメリアだけだ。


「それが陛下の意向であれば、快く従うわ」


 正午を知らせる鐘の音が鳴り響く。

 その音の中に、王女は唇に微笑を浮かべながら、是と答えた。

 まるで茶会の誘いを承諾したような軽やかな是である。


 期待外れの反応に男たちは動揺した。


 『塔』に幽閉される。その意味を、王族であるセレスメリアも理解しているはずなのに。


 部屋の空気は混沌と化した。

 震える人もいれば、絶望する人もいる。

 見惚れたことに悪態をつき、警戒に満ちた目で睨む人もいる。


 だが、セレスメリアだけだ。当の本人である彼女だけは、ただただ静かに微笑んでいる。




* : * : *




 セレスメリアはカシュエラ国の唯一の王女である。その事実を、彼女自身が十三歳になるまで知らずに生きてきた。


 カシュエラの最北にある小さな村。

 セレスメリアはそこで病弱な母と二人で大変でありながらも愛されて育てられてた。

 村人は最初こそ余所者を警戒したが、次第に母の持前の明るさと身重な彼女に心を開いた。


 そんな、慎ましく静かな日常はセレスメリアが七歳を迎えた年に容赦なく幕を閉じる。

 村が、隣国の盗賊によって滅ぼされた。

 そして襲撃の最中、娘を守るために、母の命は儚く散った。


 セレスメリアは一人ぼっちになった。

 身寄りのない彼女を引き取ったのは、隣の領主の夫妻だった。

 ありがたいことに、彼らは優しい人ばかりだ。

 セレスメリアに侍女見習いという居場所と知識与えた。

 悲劇を目の当たりにしたせいで心を閉ざしたセレスメリアに寄り添い、心の傷を癒やしてくれた。


 暖かい環境の中にいられたのは、運命の時を迎えるまでだった。

 偶然、視察のために訪れた国王であるジェラルドと出会った。

 母と瓜二つなセレスメリアから母の名前を問い、彼は泣き崩れた。

 そこで、彼女はジェラルドに引き取られ、本来の身分を取り戻した。


 今までの生活と引き換えに。


 王女になるのはとても簡単なものだ。

 セレスメリアのように、身分の低い母から生まれたとしても、王族である父に認知されていれば、皆は王女である。

 だが、王女として生きるのはまた違う話だ。

 今まで不便でありながらも自由な生活を送ったセレスメリアにとって、それは非常に窮屈な制約だ。作法や教養、行動制限などなど。

 平民と貴族の違いがセレスメリアを苦しめている。


 だが、セレスメリアは全部耐え抜いた。

 全部耐え抜いて、全部完璧にこなした。

 何故なら、上手く出来なかった時に、父であるジェラルドは嘆いてしまうから。

 嘆き、セレスメリアを母と比較する。


 彼女はこんな風に謝らないのに。

 彼女の笑顔はもっと晴れやかなのに。

 彼女の言葉使いはもっと優しかったのに。


 「何故、貴女はそれができないんだ」と。

 いつも、その言葉で締めくくられた嘆きがセレスメリアに降り注ぐ。

 大好きな母が嫌いになりそうなほどに。


 母が好きでいたい。

 僅かしかいない、彼女とキラキラとしている想い出を守りたい。

 その一心でセレスメリアは頑張った。


 「できなければできるようになればいい」。

 母の教えを心の中に抱き、セレスメリアがひたむきに努力する。


 回数を重ねれば、自然と王族としての教養を身に着けるセレスメリア。

 それに比例して、ジェラルドからの褒め言葉の数も増える。

 同時に、溺愛の度合いも増すばかりだ。

 だが、結局彼の口から母の名前が消えなかった。

 咎める時にしても、褒める時にしても。それを目の当たりにしたセレスメリアは確信した。


(やっぱり、この人が求めているのは、お母さんなんだ)


 母の身代わりになり、父の寂しさを慰めるためだけの存在。

 その気付きに、いつも父の機嫌を伺うセレスメリアの呼吸が更に絞められた。


 そんな彼女にとって、唯一の息抜きはジェラルドと一緒に城下町を視察する時だけだった。

 セレスメリアが成人し日に、誕生日の贈り物としてジェラルドから貰った権利ものである。

 自由な身動きが取れないことは代わりはないが、きらびやかな宮殿の奥や夜会よりもセレスメリアに合っている。

 この時だけ、セレスメリアは深く呼吸できる。

 これは最初で最後の機会だと思い、彼女は心に従った。

 最初は賑やかな所しか入ってはいけなかったが、小さな切っ掛けで、孤児院や病院などに足を運んだ。


 昔の自分と似た境遇の子供たちや、病魔に侵される人達。

 そこで、セレスメリアは目にするようになった。


 幼い頃から助け合う精神の中で育てられたセレスメリア。

 彼らを見て、彼女の心に「力になりたい」という気持ちが湧いたのが、自然な流れだ。

 自分にやれることが少ないと言えど、出来る限り慈善活動に力を入れた。

 その許可を、過保護なジェラルドに頼み込んだ。


 これが、セレスメリアの唯一、ジェラルドにせがんだ我が儘だった。


 いつの間にか、王都エトリアの城下町で時々見かけられるセレスメリアは当たり前の光景と化した。

 彼女の微笑みで心の安寧を得た病人も多くいる。

 王女だからこそできることを見つけたセレスメリアは、少しだけ、己を許せるようになった。


 その頃から、セレスメリアは都民たちに「エトリアの聖女」と呼ばれ、愛されている王女として知られている。

 そんな生活はセレスメリアが二十歳になるまで続いた。

 一週間前、王であるジェラルドが殺された日までに。

 その実行者はジェラルドの寝室と隣接する王妃の間から忍び込み、彼の息の根を止めた。


 急な死に対して、貴族たちが異様な程に静かだった。

 そこで、第一継承権を持つ王弟ハロルドが即位した。

 前王の一人娘であるセレスメリアは危うい立場になり、華やかな宮殿から厳重な城に移送され、今に至る。


 親しい間柄の侍女たちを全員残し、無口な衛兵たちに囲まれながら、セレスメリアは塔を目指す。

 歩けば、待ちに待った結論を知った瞬間に得た高揚感が過ぎ去った。

 同時に、小さな不安が顔を覗かせる。


(これで、いいよね)


 これが正しい、と。

 こうであるべき、と。


 セレスメリアは口を噛みながら、自分自身の選択を一歩を踏むごとに正当化する。


 突然、衛兵たちの鎧が音を立てた。

 反射的に顔を上げると、男たちの隙間から何人かの女性が立っている。

 その女性達の中心にいる黒いドレスを纏う女性に、セレスメリアは息を呑んだ。


「ギズラー夫人、何故ここに?」


 ギズラー辺境伯の妻。

 この国の防衛の一角である貴族の妻。

 セレスメリアにとって、絶対忘れられない、忘れてはいけない人の一人である。


「先ほど夫と一緒に陛下と謁見したばかりだわ。帰る途中だけど、少し、足が別の所に向かっただけさ」


 そう言いながら、ギズラー夫人は小さく咳をする。


「そう、ですか。では、案内は必要でしょうか?」

「いいえ、必要ないわ」


 彼女は黒い扇子で唇を隠し、セレスメリアを冷たく見つめる。だが、すぐ目元を細めた。


「御機嫌よう、セレスメリア殿下。これからどこに向かっているのでしょうか?」


 その問いは普段よりも大袈裟な口調で発せられた。

 ギズラー夫人はこの通路はどこに繋がっているのかは分かっている。

 それでも、それをセレスメリアに問うた。

 彼女は明らかに、嘲笑うために来たのだ。


 口まで心臓の鼓動が伝わり、後ずさりしたくなる。

 その衝動を堪えるために、セレスメリアは手を強く握りしめる。


「誰?」


 できるだけ無邪気に、できるだけ自然に。

 セレスメリアは小さく首を傾げる。

 失礼な返答に、ギズラー夫人は目を開く揺らした。


「この、悪魔」


 妙に静かな廊下の中に短く、か細く呟かれた言葉は反響する。

 その言葉はいとも簡単にセレスメリアの良心を刺激する。

 セレスメリアは頑張って罪悪感に、緊迫感に気付かないふりを徹して、夫人から視線を逸らさない。


「悪魔は悪魔らしく、地獄に戻りなさい」


 それを言い残し、ギズラー夫人は侍女たちと共に足音を響かせながらセレスメリアの前から去った。

 しばらくすると、無音が訪れる。

 普段冷静なギズラー夫人の態度に面を食らった衛兵たち。

 その中心に、セレスメリアはポツンと立ち、視線を左下に落とす。


「変な人」


 セレスメリアはできるだけ不思議そうに呟いた。


(落ちるんじゃなくて、戻りなさい、か。確かに私の行き先は地獄しかないよね)


 今まで、自分が犯した罪を振り返ると、絶対天国には行けない。

 そんなことは、セレスメリア自身が誰よりも自覚している。


 そして、誰よりも望んでいる結末でもある。




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