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第6回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
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ドラゴンクイーン殺人事件

 聖龍王国宰相の朝は早い。

 今日も日の出の前に目を覚まし、屋敷のバルコニーに立つ。六月の爽やかな空気を吸い込み、宮廷に向かって平伏し、平和な一日の始まりに感謝する祈りを宮廷に座す龍神に捧げた。


「王妃様が殺されました!」

 朝食の席にドタバタと駆け込んできた宮廷からの伝令のせいで宰相の優雅なモーニングルーティーンは二手目でぶち壊された。

 宰相はコーヒーカップを片手に三度聞き返して間違いないことを確認して失神し、身体にぶちまけられたコーヒーの熱さで即座に目覚めた後も一度聞き返し、悪い夢ではなかったことを認識してとりあえず淹れ直したコーヒーを飲んだ。

 そして身支度もそこそこに大慌てで宮廷に駆け込んだ。


 玉座の間。質実剛健で装飾の少ない二つの玉座のうち、片方は空席である。背の高い方に座る王はいつも通りの無表情を浮かべている。

 やはり誤報では、王妃は少々お加減が悪いだけでは、と期待する宰相に、王は傍の台に置かれた白い布で覆われた何かを指差した。

「今朝、龍神の間で発見された。昨夜は新月だから王妃は昨夜一人籠って夜通し祈祷をしていた。目撃者はいないらしい。そら、見てみろ」

 宰相はごくりと生唾を飲んで布をめくり、悲痛な叫びを漏らした。

 完璧な美貌を誇った王妃の頭は、無残にも体と泣き別れている。

「おいたわしや……。一体誰がこのような兇行を。必ずや卑劣な下手人を挙げて、報いを受けさせましょう。まずは捜査本部を設置して宮廷中の人間を片っ端から……」

「お前の目は節穴か。もう一度よく王妃の身体を確認しろ」

 宰相は怖々と王妃の亡骸に眼を戻す。事の悲惨さに気を取られ、肝心な見落としをしていたことに気が付いた。

「なんと、首飾りが!」

 鮮やかに断ち切られた王妃の切断面には、それぞれ青白い光沢を放つ装飾品の残骸が嵌っている。王妃の証である龍神の首飾りだ。

 宰相は衛兵に叫んだ。

「騎士団長と将軍を連行せよ!」


 聖龍王国には双璧とうたわれる武人が二人いる。

 ひとりは精強無比の王国軍を率いて数多の戦場を駆け、大陸を併呑した大将軍。

 ひとりは王の身辺を警護する選りすぐりの騎士たちで構成された近衛騎士団を率いる騎士団長。

 いずれも龍神と誓約(ゲッシュ)を交わし、その力を十倍に高めている。素手では岩を粉々に砕き、剣を持てば分厚い鎧ごと容易く敵を切り捨てる剛勇無双の戦士である。

 真っ二つに断ち切られた龍神の首飾りは、護国の神、龍神の鱗を繋ぎ合わせて作られた神宝。その鱗は鋼を遥かに上回る硬度を持つ神秘の産物である。

 抜きん出た戦闘力を有する将軍と騎士団長の二人を除いて龍神の首飾りを断ち切れるものなど大陸全土に誰もいない。


「もうネタは上がっているぞ。さあしゃきしゃき吐けい、この不忠者めが」

 玉座の間に連行された容疑者二人は黙して語らない。王に跪拝したまま、がなり立てる宰相を完全に無視している。

 ちなみに宰相はこの二人が大嫌いだった。

 将軍は下賤の身の分際で不相応な地位についているのがまず許せない。壮年で渋いビジュアルのお陰で貴族のご婦人や令嬢たちからきゃいのきゃいのと黄色い声を浴びているのも気に食わない。

 騎士団長は騎士団長で、気に入らない若造である。絵に描いたような慇懃無礼で、常に冷静にこちらを見下していることが言外に伝わってくる。

 不大手を振ってこの二人を責め立てることに、宰相は極めて不謹慎ながらも若干の快楽を感じていた。


 黙りこくっていた王は玉座の上から声を上げた。

「身を清めて龍神の御前に立ち、剣をもってその身の潔白を証明しろ。今晩貴様らのうち一人は死なねばならぬ。さあ失せろ」

 宰相は驚愕して王を仰ぎ見、続いて二人の容疑者を見た。

 将軍は堂々と、騎士団長は優雅に立ち上がり、王に一礼すると踵を返して玉座の間を去った。


 宰相は王に食ってかかった。

「どういうおつもりですか、決闘裁判など!」

「真相は知れよう」

「いやしかし……」

「分からぬか宰相。いいか、真相は知れる。誰が勝ち、誰が死ぬのか。お前もよくよく考えてみよ」

 相変わらず無表情な王はどこか楽しげに言った。


 民に愛された王妃の突然の死は、宮廷を大いに悲しませたはずだった。しかし容疑者二人がまさかの人物であること、そして今晩決闘裁判が行われるという怒涛の展開にいまいち頭と心が追いつかず、どこか浮ついた空気が宮廷内に漂っていた。

「やはり騎士団長でしょう。五年前に前任の騎士団長を鮮やかに降したのを覚えていないのですか?あの手並み、さすがは百年に一人と言われる天才ですよ」

「いやいや、お前さんのような若造じゃ知らんだろうが、やはり王国最強は将軍だよ。かつての蛮族征伐も巨人の襲来も全てあの方が先陣を切って蹴散らしたのだ」

宰相が宮廷を歩けばそこここからこのような囁きが聞こえてくる。

 王妃殺害の犯人より、騎士団長と将軍の最強議論にすっかり関心が向いてしまっている。どちらかが確実に王妃を殺害しているというのにだ。

「しかし、あのお二方はいずれも異常な強さをお持ちだ。龍神様のご加護というが、一体どのような…」


 蒙昧どもめ、と宰相は執務室で独りごちた。

 誓約(ゲッシュ)とは、龍王国に秘して伝わる龍神と人が交わす契約である。

 王の立ち合いの元、龍神の御前にて宣誓し、龍神に受け入れられれば破格の恩恵を得ることが出来る。しかし生半可な条件では誓約は成立しない上に、誓約が破られれば巨大なペナルティを負うことになる。

 王国の戦力の要とも言える二人の誓約内容は秘中の秘で、王を除いてはごく一部の要人だけが知っている。

 全軍の指揮権を持つ将軍は、王に一切の反逆をしない限りにおいて恩寵を得る。

 王族の剣であり盾でもある騎士団長は、王家の誰一人として殺害されない限りにおいて恩寵を得る。

 恩寵としてその力は十倍となるが、契約が破られれば即座に効力は消え失せ、そのうえ代償として力は二分の一におとしめられる。と、そこまで考えを巡らせたところで宰相は合点がいった。

「なるほど、そういうことか」

 下手人は誓約破りの代償により容易く蹂躙されるだろう。そうでなくとも分かることがある。

「さすがは陛下。なんと無駄がないことよ」

 長くお仕えしているが、あの方の底知れなさはまったく変わらない。民から厳しく徴収する事もなく、大陸の覇者となっても質素で過不足の無い善政を敷いてはいる。それは王が何に関しても無関心だからだ。まさか王妃が亡くなったというのに、市内の衛生施設改善の嘆願を受けでもしたように淡々と受け止めているのはさすがの宰相も驚いたが。

 王を前にすると宰相は自分がとてつもなく馬鹿になったような気がするのだ。それならいっそのこと道化を演じてみようとしてしまうことがある。ついくだらないジョークを飛ばしたり、誰と誰が不倫しているだのという宮廷内のゴシップニュースを自分勝手に脚色してべらべらとしゃべっては、後から激しく後悔してベッドの中でジタバタと暴れまわるのだ。



 日が落ちて、糸のような月が吹き抜けの天井からだだっ広い龍神の間を照らした。

 この場に参列を許された宰相や王子を始めとした数人の要人たちは息を潜めて成り行きを見守っている。

 部屋の中心には将軍と騎士団長が並び立つ。いずれの鎧も鏡のように磨き上げられている。二人は抜き身の剣の切っ先を下に、胸の前に捧げ持って目を伏せている。

 二人を背にした王は、龍神の間の奥に吊られた巨大な御簾に向かって朗々と祝詞を唱えあげている。

 その奥には丘ほどの大きさの影が鎮座しており身じろぎもしない。王と数少ない神官以外は誰も見たことも無い、しかしそこに確かにいる護国の龍神である。

 祝詞を終え、王は二人に向き直るとそのまま二人の間を通り、十歩ほど離れたところで足を止めた。再度二人に向き直り、決闘の開始を宣言した。

「その身の潔白を証明せよ。いざ、存分に殺し合え」


 宰相は固唾を飲んで目を見開いた。

 騎士団長が殺したのか、将軍が殺したのか。結論は二つに一つだ。

 ならば決闘の行方も二つしかない。

 ひとつは将軍が圧倒的な力の差で下手人の騎士団長に勝利する。どう足掻いても王妃が死んでいる以上、騎士団長の誓約は破られているはずだ。そしてもうひとつ。圧倒できないのならば王妃を殺したのは将軍だ。勝負の行方はどうあれ、真相は明らかになるだろう。


 しかし蓋を開けてみれば決闘の行方は思いもよらぬものとなった。

 そしてその結末が浮かび上がらせた真相に、宰相は驚愕し、次いで歯の根も合わぬほど怯えたのだった。



 一人の女を護る。それだけが数十年抱き続けた男の願いだった。辺境の小領主の娘だったその人と森番の子の自分は、幼い頃からの遊び友達で、たとえ身分が違っても、確かに心は通じ合っていた。しかしその人はある時不意に王都へと召し上げられてしまった。

 騎士団に入ればあの人の近くにいることが出来る。しかし騎士になるには身分が許さず、それならば軍人になってあの人がいるこの国を護ろう。その思いでがむしゃらに戦うこと数十年。いつの間にか夥しいほどの武功を積み上げ、分不相応な地位にまで上り詰めていた。

 将軍ともなれば既に参内も許されている。その人を見ることができて、見つめ返され微笑まれる。これだけが彼の生きる理由だった。


 六月の新月の晩、将軍は自邸の寝室で瞑想をしていた。今夜は夜通し眠るまいと、同じく長い夜を過ごしているだろう人に想いを馳せていた。

ふと、部屋の隅に微かな気配を感じて目を開いた。

「出てきなさい」

 みるみるうちに将軍の前に、男とも女とも言えない人型が像を結んだ。王の子飼いの隠密だ。

 それは無言で封蝋で留められた羊皮紙を将軍に捧げ渡した。

「密勅か」

 将軍は封を破りその内容を一目で読み取ると驚愕に震えた。そこにはただ一言


 王妃を討て


 とだけあり、捺された玉璽が王の言葉と保証していた。

 将軍は勅を暖炉に投げ込んだ。彼はこんなものの存在を認めない。

 将軍は吐き捨てた。

「私はこれが陛下のご意志とは認めない。そしてたとえ真実陛下のご意志であったとしても、これだけには従えませぬ」

 言葉に出した瞬間、虚脱感が全身を襲った。

風船から空気が抜けるように、数十年にわたって彼を超人と成さしめた龍神の加護が身体から離れていくのを感じた。否応なしに実感する。

 私は王に反逆した。そして確かに王はあの人の死を望んでおられるのだ。

 ならばこうしていることはできない。

「お待ちを、将軍閣下」

 将軍の意図を感じた隠密が制止する。

「そこを退け。私にはやることがあるのだ。龍神の加護が解け、代償を負ったとしても隠密風情に止められる私ではないぞ」

「陛下は貴方が従わないことなどご承知の上です。お気の毒ですが、もう手遅れなのです」

 将軍は肩を落として座り込んだ。



 翌朝、顔を青ざめさせた衛兵に自邸から連行され、将軍は王の前に跪拝した。隣には同じようにもう一人の容疑者とされた騎士団長が並ぶ。宰相がまくしたてることで遺体の状態は把握された。自分でないなら騎士団長なのだろう。騎士団長の誓約(ゲッシュ)は知っている。ならば彼も同じように加護を失ったはずだ。

 決闘裁判を言い渡され、この上は汚名だけでも晴らそうと、萎えた心を震い立たせ立ち上がる。

 ちらりと騎士団長を見て、その立ち姿に驚愕した。常人なら分かるはずも無いが、無双の達人である将軍には手を合わせるまでもなく伝わってくる。見る影もなく衰えた自分と違い、騎士団長の心身に充実した力は、昨日までとなんら変わりは無い。

 将軍の視線に気が付いた騎士団長は、嘲るように小さく笑い返した。


 帰宅を許された将軍は、自邸に戻ると心配そうに出迎えた使用人たちを宥め、その足で庭へと周り、装束を解いた。井戸から桶で水を汲み上げると次々と頭にぶち撒けた。

 六月とはいえ井戸水は痛いほど冷たい。

 ありがたい、と将軍は思った。昨夜から頭に詰まった悲憤や雑念が洗い流されていく心地よさを感じた。

 屋敷に戻り使用人から着替えを受け取った。使用人はひとしきり将軍の潔白を信じていることを主張すると、最後に悲しげに顔を歪めた。

「お可哀想な王妃様。苦しまれたでしょうか」

「聞くところによれば、下手人は仕損じることなく事を遂げていたそうだ。まさか苦しまれることも…」

 使用人は途中で言葉を止めた将軍を不安そうな表情で見た。

「いや、なんでもない。私は部屋に戻って鎧を磨いて夜を待つ。食事は要らない」



 とうとうその時が訪れた。

 決闘の場となった龍神の間で、王の言葉とともに、幕が切って落とされた。

「謎は解けましたか?」

 抜き身の剣を構えた騎士団長は、若く端正な顔に冷笑を浮かべて将軍に問いかけた。

 将軍は一拍おいて問いを重ねた。このやり取りは王にだけは届いているはずだが、最早それを気にする必要は無い。

「首を断ったのは陛下のご指示か?」

「さすがは将軍。貴方以外の能無しでは到底たどり着けないと踏んでいました」

「首なら戦場で数え切れないほど刎ねてきた」

 使用人に問われて思い至った。首を断たれたとしても絶命までには数秒間の時差がある。身体から離れた首は地面に落ちても物言いたげに口を開くものだ。

 そして龍神の首飾りは王妃の証。それが破壊されれば王籍は剥奪され、王妃は元の地方貴族の女に戻る。数秒後に死んだところで騎士団長の誓約は破れない。反逆者である自分は首尾よく処理されるというわけだ。

「せめて先手を譲れ」

「ええ、もちろん。五手まで許します」


 言葉通りに先手を取ったのは将軍だった。低く身体を落とし、脇に構えた剣で脛を薙ぐ。 加護を失ってなお、並の騎士を遥かに上回る速度で振るわれた一撃を、しかし騎士団長は最小限に後退することで紙一重で躱す。間髪入れずに続く猛攻を弾きいなし躱してはふざけた調子で口笛を吹いた。

「さすがは大将軍。加護を失ってもこれほどとは。私の選りすぐりの騎士ですら貴方の足元にも及ばない。ですが」

 将軍は軽口を無視して攻撃の手を緩めない。上段から渾身の一撃を振るった。

「仮に貴方の誓約が破られていなかったとして」

 騎士団長は将軍の全力の一撃を片手で受け切り鍔迫り合う。両者の身体が接近し、息遣いを荒げる将軍に対して、余裕の騎士団長は耳元でお喋りを続けた。

「結果がわからない将軍では無いはずだ。貴方の剣は戦場の剣。泥に塗れ敵に囲まれた戦場であれば十中八九は貴方の勝ちだが、向かい合っての決闘なら十中の十、私は誰にも負けはしない」

 鍔迫り合いを軽やかにいなし、膝蹴りが将軍の腹に炸裂した。膝蹴りは鎧に罅を刻み、鞠のように将軍を弾き飛ばした。

 一撃で全てをひっくり返す理不尽さ。それが最高の武人に与えられた誓約の恩恵だ。戦場で将軍と相対した敵兵はよほど不条理な思いを胸に散ったのだろう。

 地面に仰向けになって吹き抜けの空を見上げた将軍は場違いな笑いを顔に浮かべてつぶやいた。

「その通りだ、騎士団長。私の剣は戦場の剣。地の利を活かし、奇策を弄するのが我が本領である」

 ぎこちない動作で身体を起こし、剣を杖にしてどうにか立ち上がる。

 余裕綽々で待つ騎士団長は、ぶつぶつと何事かを呟き続ける将軍に眉を顰めた。しおらしく辞世の句でも詠んでいるのか、いや、耳をすませばそれはまるでかつて自らも唱えた龍神への言葉のようで。

 騎士団長の背筋がひやりと凍った。


「龍神に畏み申す。今この瞬間我が身に恩寵を賜らんことを」

 嫌がらせのように、そこだけがやけにはっきりと発音された結びの言葉を聞いて騎士団長は戦慄する。

 将軍の言葉が頭にこだました。

 地の利を活かし奇策を弄する。

 この場は龍神の御前、決闘の立会人は王その人だ。

 契約の条件は既に整っている。

 ここに掟破りの誓約(ゲッシュ)の結び直しが成立した。


 土壇場の奇策で起死回生を果たした将軍は爛々と目を輝かせた。気力充溢、片手で大剣を小枝のように軽々と振るい、騎士団長に切っ先を突きつけた。

「戦場だの決闘だのと抜かしていたな、騎士団長。そもそも前提を間違えている。この身は常在戦場。俺のいる場所こそが戦場なのだ」


 音を置き去りにするような速さで将軍が踏み込んだ。先ほどとの速度の差に、騎士団長の反応が鈍り、上からの打ち込みを寸でのところで受ける。先刻はやすやすと片手で受け止められたはずが、全霊で迎え撃ってなお全身の骨が軋み、踵を抜けた力の余波は石畳の床に深い割れ目を刻んだ。

 再度の鍔迫り合い。しかし両者の表情は逆転している。

「これが狙いだったか」

「最初からな」

 騎士団長の誓約が破られていないことを悟った瞬間、勝利への条件が二つ浮かんだ。王子を殺すか誓約を結ぶか。もちろんあの人の忘れ形見を殺すことなど論外だ。

 であれば肝心なのは契約を成立させるまでの間。先手を奪い、腹を蹴らせて距離を取る。侮りを誘って時間を稼ぐ。歴戦の(つわもの)たる将軍は、その一挙手一投足に虚実を混ぜる。格上に本領を発揮させない抜刀封じは戦の極意だ。

「古狸め、何を餌にして誓約を結んだ」

 生半可なことでは龍神は恩寵を与えない。王家に反逆した過去を持つ将軍が、何の大義をもって龍神と誓約を結ぶというのか。

「龍神は大義などという人間風情の虚飾に関心などお持ちでは無い。ただ供物を捧げる人間の誠に応えるだけだ。お前を倒せれば死んでもいいという私の真心が通じただけのことだ」

 将軍は命を差し出して束の間の力を手にしたのだ。

「いかれている。私を殺したところであんたは死ぬんだぞ」

「あの方がいない世界に未練は無いよ」

 あまりと言えばあまりな暴論に、騎士団長は常の冷静な仮面を脱ぎ捨てて怒りに吼えた。

「ふざけるな、年増のロマンスに俺を巻き込むんじゃねえ!」

 絶叫と共に力を取り戻した騎士団長が攻勢に立つ。

 一瞬のうちに放たれた数閃の斬撃が将軍を襲う。弾き、躱したはずが頬、手の甲に傷を刻んでいく。そのどれもがわずかにずれていたら確実に急所を穿っていただろう。将軍の揺さぶりに冷静さを失ってすら、仰ぎ見るほどの技倆に将軍は感嘆した。技では到底自分の及ぶ境地にはいない。百年に一人の天才という看板は伊達では無い。

 しかしそれでも

「楽な戦だ」

 被斬を気にせず将軍は踏み込んで大上段に振りかぶる。

 がら空きになった急所目掛けてすかさず騎士団長の神速の突きが放たれた。絶死の刺突は鎧を貫く勢いそのままに心臓を串刺しにして背中に抜けた。

「生き残る必要が無いのだから」

 同時に将軍は大剣を振り下ろし、騎士団長を唐竹割りに叩き切った。


 誓約が満たされ、将軍は身体から命が抜け出るのを感じる。いや、誓約はどうあれ致命傷か。

 王妃が上下に分かれたなら、下手人は左右に分かれるのか。などと、騎士団長を見下ろしてつまらない皮肉を思い付く。

 文字通りぽっかりと穴の空いた胸に、勝利を得たことによる一抹の充実感と騎士団長への憐憫、そしてもういない女への思慕を浮かべ、将軍は地を踏みしめたまま絶命した。



 凄惨な死闘が終わった。

 二人の遺体も片付けられ、すでに場は清められている。

 宰相はその場に動かぬ王の傍らに立っていた。

 他の列席者たちは青い顔をして退出し、ここには王と宰相の二人、そして依然として岩山のように動かない龍神がいるのみだ。

「どうだ宰相。真相は見えたか」

 わけがわからない。

 当初の想定では加護を維持した将軍が弱体化した騎士団長を討つ。あるいは両者共に弱体化する、という二つのパターンだった。それしか無いはずだった。

 しかし結果は弱体化した将軍が加護を維持した騎士団長と闘うという有り得べからざる第三パターン。あまつさえ将軍は力を取り戻した上で騎士団長と相打つなど、誰が予想できようか。

 頭の中では思考が行き場をなくして堂々巡りに陥っている。

「将軍は王妃様を殺した。しかし騎士団長は何らかの方法で加護を維持した」

「五十点だな」

 ふと漏らしてしまった宰相の呟きを思いがけず王が拾った。

 どうやら王は全てをご存知らしい。その瞬間、考えたくも無いような厭わしい可能性が宰相の頭に浮かんだ。

「将軍は王妃様を殺さなかった。殺したのは騎士団長だが何らかの方法で加護を維持した」

「六十点。いや、そのからくりが分からぬのは不問として、そうだな。八十点にしておこう」

「将軍は王妃様を殺さなかった。しかし王への反逆を犯したために誓約が破られた」

「九十点」

 ああ、まさか、聞きたくは無い。

「……まさか陛下は将軍に密勅を下されたと?」

「百点だ」

 決定的な回答を、王は朗らかに口にした。

 宰相はそんな王が恐ろしくておぞましくて、逃げ出したい気持ちを抑えて最後の問いをした。

「一体なぜそのような……」

 王はにっこりと笑って答えた。

「お前がたまにする道化を演じたお喋りだがな。余は案外楽しく聞いていたよ」


おしまい

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