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第6回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
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ミステリ、或いは嘘の素描

「髙原」


 自分を呼ぶ声に顔を上げると、髙原へ向かって、角脇が片手を挙げている。


 土曜の昼過ぎ、大学の食堂は人もまばらだった。テラスに面した大きな掃き出し窓から明るい陽が差し込み、テラコッタ調のタイルに僅かに残った雨に、きらきらと光が散っている。梅雨を目前に、昨日の日中は全国的に晴れたが、夜からは都区内一帯に季節の訪れを予感するような雨が降りだした。しかしそれも今日の昼前には晴れ上がって、梅雨の合間に薫るような風が抜けていく。


 その風にのって時折控えめに聞こえる笑い声は、テラス席に座るサークル帰りらしい女子学生3人組のものだった。ほかは室内で席を空けるようにして点々と座る学生数人が遅い昼食取っているばかりで、食堂はしんとしている。


 髙原は、課題を終わらせるために、朝から研究室に詰めていた。食堂のテーブルには定食と、その横に講義をまとめたノートと専門書を広げ、箸を遅々と進めながらそれを眺めている。このところは土日も大学研究室にいることが多い。今は、構内の端にある食堂で遅い昼食を取っているところだった。


「奇遇だな」


 髙原のほうに歩いてくる角脇の、背の高く、均整が取れた体躯、健康的に陽に焼けた姿を見上げる。どちらかと言えば室内で過ごすことを好む人間が身近に多い髙原にとって、角脇のような友人は珍しい。角脇は普段の白いくたびれたTシャツにジーンズではなく、今日は見慣れない黒いスーツにネクタイを締めていた。


「……藤野はいないのか」


 角脇があたりを見回しながら訊ねる。


「藤野なら、近くにいるけど。……藤野と角脇って知り合いだっけ?」


「……いや、名前しか知らん。同じ教授に師事しててさ、メールでは何度か。髙原とよく一緒にいるって山内に聞いて、それで来たんだけど。……昔からの知り合いなんだろ?」


「まあ、生まれた時からだな。今日は角脇は。就活?」


 髙原が訊ねると、なるほど幼馴染みってやつか、と妙に頷きながら、角脇は髙原の前の席に座り、そして一拍遅れて違う違うと手を振った。水滴の残ったビニール傘を隣の椅子の背にかける。


「葬式だよ、葬式。父方の爺さんが死んで、それで」


 それは、と髙原が悔みの言葉を言おうとすると、角脇は重ねて手を振った。いいよ、と溜息を吐きながらジャケットを脱ぐと、よく見ると弔辞用らしい黒いネクタイも緩め、それを鞄に無造作に丸めて仕舞う。


「会ったの小学生以来だしな。94歳。長生きしたよ」


「角脇の父親って地元何処?」


「長崎」


「遠いな」


「遠いだろ。小学生の頃とかは、夏休みに遊びに行くのが楽しみだったけど、でかくなると足が向かなくなるよなあ。飛行機高いしさ。それでも爺さんのあのほっそい小さくなった姿を見たら、年に1回くらい顔見せに行っておくべきだったかと思ったよ」


 そうして、俺も何か食おう、と立ち上がる。食堂の受付に向かう角脇の後ろ姿を見送って、髙原は、長崎か、と思いながら、講義をまとめたノートと専門書に再び目を落とし、自分も食べかけの焼き魚を口に運び始めた。


 髙原は数学科の研究室に所属している。この春に4年になった。周囲は就活を終えているか終えようとしているか、その中で院に進む予定である髙原は、一様にインターンだ、面接だと浮足立つ中に取り残されたように研究を続けている。元々友人も多くなかった。角脇は建築学科の4年だったが、学部を跨いで行われる教養課程の講義がきっかけで話すようになり、趣味も交友関係も全く異なるのにも関わらず、不思議と付き合いが続いている。どちらかと言えば人付き合いに消極的な髙原にとって、進んで人に関わろうとする角脇は貴重な存在だった。


 髙原と同じ、食堂で一番安い定食ののったトレーを持ち、席に戻ってきた角脇が、座りながら髙原の手もとを覗いた。


「それ、何の勉強」


「フラクタル幾何」


「ふらくたるきか」


 なるほど分からん、と呟きながら、角脇は大きを立てて手を合わせ、勢いよく定食をかっ込んだ。対する髙原はちょうど食事を終え、箸を置くと、時間の経ってぬるくなったお茶をすする。


 暫く互いに無言になった。


「あ、猫」


 と、ふいに角脇が声を上げた。


「猫?」


 角脇の顔の向く先を見ると、食堂のテラス席で先ほどから談笑している女子学生たちが一匹の黒猫を撫でて笑い声を立てていた。くろ、と呼ぶ声が聞こえる。猫は撫でられるに任せ、気持ちよさそうに目を細めて、喉を鳴らしているようだった。


「あの猫、大学の色んなところにいるよな。うちではダ・ヴィンチって呼んでる」


「“猫科の一番小さな動物、つまり猫は最高傑作である”」


「よく分かったなあ」


「中々洒落た名前をつけてる」


「だろ。ちなみに、生物学研究室ではチョボ六と呼んでるらしい」


 そう言って立ち上がろうとする角脇を、いいよ疲れてるだろ、ととどめると、髙原は立ち上がり、空になった角脇と自分のコップを手に取ってお茶を入れに向かう。席に戻ってくると、片方を角脇に渡し、また専門書に視線を戻した。壁にかけられた時計が鳴る。猫はテラスを離れたらしく、女子学生たちはいつの間にかいなくなっていた。髙原は本とノートを閉じた。


「……角脇、何か話したいことがあるんだったら、はっきり言ったら」


 角脇は髙原の顔を見返す。


「お前、嘘を吐いているだろ」


「……何で」


「理由はいろいろあるけど。一つ目。長崎から羽田までは、飛行機でも最低2時間はかかる。羽田から大学までは約1時間半で計3時間半、角脇が食堂に着いたのは14時近くだから、もし葬式帰りにここに寄ったのなら、長崎を発ったのは10時過ぎの計算になるけど、火葬するにしても半日は必要だろ。だから、長崎の葬式帰りなのはおかしい。昨日が葬式で、スーツ以外に服装を持たずに葬式に向かって、そのスーツをまた着て帰ってきた、仮にそうだとしても、わざわざネクタイを締め直すか?現に今は外しているだろ」


「……」


「二つ目、角脇はビニール傘を持ってる。機内に傘持ち込みは出来ない。昨日の日中は全国的に晴れだったし、夜の雨も昼前にはあがっていた。だから、本来、飛行機でこっちに向かっている角脇が傘を使うタイミングはないんだよ。だから、葬式は仮に事実だとしても、長崎で参列した、というのは嘘」


 髙原の言葉に、角脇は感心した調子で言う。「……なるほどな」


「あとは、葬式帰りにわざわざ、会ったこともない藤野との約束で、大学の食堂に寄るのも違和感がある、というのは単純な直観の話だけど。角脇の家だったら、自分の家に帰るほうが早いだろうし。それに、先程からやけに水を飲んでる。水を多く飲むのは、不安感を強く持っている時に現れることが多い。誰相手だろうと緊張せずよく喋る角脇には珍しいよ」


「よく喋る、に険を感じるけど」


 角脇は困ったように笑い、そして大きく息を吐いた。


「嘘ついて悪かった。喪服は演劇部の山内に借りた」


「長崎の94歳の祖父は」


「ぴんぴん生きてる」


「よくわからない嘘を何で吐いたんだ」


「まあ」


角脇は言った。


「俺はお前の洞察力と推理力を試したということになる」


「もったいぶって、なんなんだよ」


「つまり」


そう言って、角脇は鞄からノートとボールペンを取り出した。そして身を乗り出す。


「教授に、藤野の分のコンペのエントリー頼まれてたのに忘れて山内と呑み行っちゃったんだよ。しかも〆切過ぎてから気付いてさ。教授から藤野にそれで連絡がいったらしくて、俺は今めちゃくちゃ藤野から攻められている。そして呼び出しを受けている」


「つまり、言い訳に葬式の嘘をついてしのぐと」


「そういうこと。いや、まじ、会ったこともないのにすごい剣幕のメールなんだよ。お前の洞察力と推理力で、今の俺の嘘を完璧な嘘にしてくれ。そして俺を助けてくれ。頼む」


「素直に謝ったほうがいいと思うけど」


「そこを知り合いの、幼馴染みたるお前に頼んでるんだろ」


そこから、山内から藤野は高身長マッチョと聞いた、流石の俺も太刀打ちできるか分からない、などと言い訳をとうとうと宣う角脇の話を聞いてから、髙原は言った。


「………ということらしいけど、藤野」


東矢はそう言って、角脇の後ろに立ち、黒猫を頬に抱き寄せている双子の妹に訊ねる。


「どうする」


「まず言いたいのは、嘘なら、もっとうまく誤魔化すべきだね、お兄ちゃんみたいに」


 そう言って、髙原藤野は「にゃー」と鳴き真似をした。






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