6月のライオン
「・・・ンにしようか、やっぱり・・・んかな」
自室で考え事をしていると、コンコン、とドアをノックする音がした。
「お兄ちゃん、入るよー」
返事をする前に妹の楓が入ってくる。余所行きの服装をしているところを見ると外から帰ってきたばかりなのかもしれない。
「楓。いつも言ってるだろう。部屋に入るのはノックの後、返事があってからだな・・・」
「はいはい。ノックしたよ」
何回目だっけ、このくだり。
楓は何か雑誌のようなものを手に持っていて、こちらにゆっくり差し出してくる。
「はい。これ読んでみて」
無意識に受け取ってしまったけど、何の雑誌だろうか。回すように持ち替えて、背表紙を見る。
「これは、えーっと、『月刊ミステリサロン』の、6月号?」
背表紙に書いてある文字列を読んでみただけなんだけど、これはミステリ雑誌なのかな?
「ぜひぜひ読んで欲しいミステリがあるの。ぜったい面白いから。どうせ、この前貸した『ミステリと言うにゃかれ』も読み終わってないでしょ」
「うっっ。あれはね・・・。そのうち読むよ」
そういえば、読むのを忘れていた。楓も、「そのうち」を信じている顔じゃないなあ。ミステリのどこが面白いか、いまいちよくわかってないんだよね。
楓が雑誌を奪い取る。パラパラとめくって、真ん中くらいのページを開いたまま、向きを変えて差し出してくる。目的のページが見つかったらしい。
「この話を読んで」
「はいはい。わかりましたよ」
もう諦めて読むしかないやつかな。タイトルは『6月のライオン』。なんか聞いたことあるような、ないような。
「このコーナーでは、24人の作家さんが毎月2人ずつ、誰が書いたかを明かさずに執筆してるの。誰が書いたか当てるゲームみたいなものね。読者は、作風とか作中のヒントから誰が書いたかを当てるというわけ」
「へー、そういうゲームみたいな企画もあるんだね。でも、ミステリに関しては、作家はもちろん、作風も全然知らないから、わからないよたぶん」
正論と言えばそうだけど、読む前から決めつけるのも良くないか。
「私が読んだ感じでは、この作品について言うと、作風は知らなくても大丈夫かな」
そうはいうものの、ミステリ自体そんなに読んだことないから想像できないな。
「例えばだけど、著者は〇〇です、のような結末だったり。離島で連続殺人事件が起きて、生存者が1人で、その人が著者だったり。殺人事件の第一発見者が著者だったり。そういう話だったら、俺にもわかるかもしれないな」
「なに生温いこと言ってんのよ。デセールみたいに甘くないわよ。そんなのゲームにもならないじゃない」
「ぐぬぬ」
やっぱりそんなに簡単じゃないか。それに一瞬わからなかったけど、デセールってデザートのことね。こういうときだけかっこつけて。
「しょうがないから、もう少しやる気が出るように、ミステリについて聞きたいことがあれば教えてあげる」
自分はミステリについて詳しいぞ、なんでも聞いて、という顔だ。
「じゃぁ、ミステリってそもそもどんなもの?」
「そこからっ?・・・いいけど」
少しの間があった。どう説明するか考えているみたいだ。
「ミステリっていうと、いわゆる探偵小説を思い浮かべる人が多いかもしれない。推理小説とも言うわね」
そうそう。まさにそんなイメージ。
「マンガとかでも人気のジャンルで、例えば、『金田壱中年の事件簿』とか、『迷探偵コンナン』はお兄ちゃんでも知ってるわよね。探偵が行ったところでなぜか殺人事件が起きて、探偵が推理をして、犯人を追い詰めていって解決する」
それくらいならテレビやマンガで見たことある。小説に限定しないという意味で、「推理小説」よりは「ミステリ」の方がジャンルとしては良いのかも。
「あまりに有名になりすぎて、ミステリって言うと、殺人事件が必ず起こるものと思うのかもしれない」
えっ?ということは、定義は違うのか。たしかに、最近もテレビドラマで、誘拐事件を題材にしたミステリがあるっていうのを聞いたことがある。
「それは狭義っていうか、狭い意味の話。広義では、なにか不思議なことが起こって、いくつかのヒントをもとに真相にたどりつくのがミステリ。それ以上でもそれ以下でもない」
なるほど。世間のイメージともともとのジャンルは違ってきているというわけね。
「殺人事件も探偵もミステリに絶対に必要っていうわけではなくて、お決まりの設定を説明しなくても通じるからよく出てくるってことかな。もちろん、誰も傷ついたりしないミステリだって問題ない、けどいろいろ説明する必要が出てくる」
確かに、紙面や時間が限られていると、共通の設定があるとありがたい。それこそ、探偵ってなんで推理するんだ?という話からやるといくら時間があっても足りない。
「そこまでミステリの決まりごとがないのなら、最近よく聞くようになった、ライトノベルとかとはどう違うの?」
僕がライトノベルについて聞いたことが意外だったらしい。思い出してみると、楓はライトノベルみたいな本をリビングでよく読んでいる気がする。なんかやたらとタイトルが長いというイメージしかないけど。
「面白いことを言うわね。定義ということで言えば、ライトノベルは何を書いても構わないくらいにユルい。ライトノベル作家もミステリっぽいものを書くこともあるし、ミステリ作家がライトノベルのレーベルでミステリを出すこともある」
ミステリは少しわかったけど、ライトノベルが逆によくわからなくなってきたぞ。これくらいにしておこうかな。あ、説明が続くのか。
「ライトノベルは、ちょっと特殊で、タイトルに設定の一部がわかるように書いているものが多い。だからあんなにタイトルが長いの。読者は設定が気に入ったら読むし、気に入らなかったら読まない。そういうものなの」
設定の一部か。そう考えると、タイトルが長いのもちょっとわかる気がする。名は体を表すとも言うけどそれは言い過ぎか。
「本の売れ方の問題もあるかな。詳しい説明は省くけど、本格ミステリのようにジャンルとして確立しているものもあって、固定客というかジャンルファンみたいな人達もいて、それなりに部数は売れるんだけど、作品の内容を見る目も厳しい」
本格ミステリはなんとなく聞いたことあるな。たしか、ルールが厳しいとか。
「そういうものには、長年の積み重ねで、暗黙のルールみたいなものがいっぱいあって、ルールを外れたりすると、叩かれたりする。ルールを守れば売れるというわけでもなくて。そういうルールの縛りが厳しいものにはアンチみたいな人もいて、その人たちには面白くてもなかなか売れない」
本を売るってほんとに難しいんだな。ライトノベルの方がなんでもありだから、敷居は低そうだけど、読む前からある程度内容がわかるとしたら、大当たりもなさそう。意外な結末とかの方が興味を引くし。ミステリの場合は、ミステリっていうだけである程度は売れるかもしれないけど、賞とかで話題にならないと、固定ファン以上に売るのは難しい。
「話を戻すけど、ミステリで、殺人事件がよく扱われるのにはいくつか理由があるの。被害者は死んでしまうので、犯人のことを話すことはできない。殺された被害者が起き上がって、犯人は〇〇だ。って言ったら推理も何もないわね。そういう意味では、殺人事件なら、被害者の証言で、犯人がすぐに確定するというのは避けやすい」
確かに、強盗事件みたいなものだったら、犯人の服装とか、体格とか、顔ですら被害者が見ている可能性だってあるし。
「説明は省くけど、いわゆるクローズドサークルものだと、外部から人は入ってこないし、第二、第三の事件って進んでいくと、生存者自体が減っていって、容疑者の数も減っていく。探偵が犯人を絞り込むのに都合の良い設定が揃っているということ」
なるほどね。推理するにはヒントが必要だけど、自然にヒントを出すって難しいもんな。1つ目の事件だけ起きてなにも起きなかったら、さすがの名探偵でもそれだけでは解決できないというのはわかる気がする。
「なるほどね。ミステリについてはなんとなくわかったよ。ちなみにこれ、タイトルに"6月の"ってついてるけどこれはどういうこと?」
さっきの話を聞いて、タイトルも大事だったりするのかなと思って聞いてみた。
「意味があるかどうかはお楽しみってことで。いちおうこの企画は、〇月のミステリ、というテーマで書くことになってる。今月号は6月のミステリだね」
意表を突かれたという顔だな。タイトルは意識しなくてもいいということかな。
「ふーん。6月っていうのはなんでもいいの?タイトルに入ってたり、6月に事件が起きたり、登場人物の名前が六月と関係するとか?」
「どういう解釈でもいいことになっているわね。著者が6月だと言い張ればなんでも。水無月でもいいし。6月の事件でも。タイトルが6月でも」
「いちおう聞いておくけど、読んで欲しい作品のタイトルは、6月のライオン?これはタイトルに入れたパターンなのかな。というか、3月のラ〇オンのパクリ?」
少し驚いている顔をしてるけど、ほんとにタイトルのことは頭になかったのかもしれないな。
「ちょっと。パクリって言わないで。タイトルからすでにミステリは始まっているの。なにかの仕掛けになっている可能性もある。意味のないジョークかもしれないけど」
「・・・ジョークね。ここは楓の案を取って、笑いを取ろうとしたということにしておこうかな。今から読んでみるね」
今から読むというのがうれしいのか、さっきよりはちょっと顔が明るくなった気がする。もしかして僕をなにかはめようとしている?
「お兄ちゃんの推理を聞かせてね」
よっぽどミステリが好きなのか。自分の好きなものが他の人に認められるだけでもうれしいのはわかるけどね。たまにはミステリを読むのもありなのかもしれない。
楓が部屋を出ていったのを確認して、雑誌を手に取ってみる。
さっきの扉のページをめくってみると、意外にも、目に入ってきたのは1枚の写真だった。
文字ばっかりじゃないんだ。ミステリ小説なのかなとも思ったけど、そういう縛りもないのかな。見た感じは街中の写真のようだけど。
飲食系のビルかな。1階はうどん屋のチェーン店で、大須うどん。通称OSU。
2階より上は、いわゆる夜の店。看板に書いてあるのは、ボーイズBARアンビシャス、スナック音子、女装喫茶まーメイド?、とある。
なんかいろいろ突っ込みたい名前だな。もしかして、二丁目かな。これから何がわかるんだ?
ヒント1 性別
なるほど。写真の中に性別の情報が隠されてると。なんだ、構えてしまったけど、簡単じゃないか。女という漢字が使われているお店があったぞ。著者は女性ということかな。
ページをめくると、次のヒントが書いてあった。
ヒント2 誕生日は6月
・・・えっ?これだけ?
ストレートなのか変化球なのかわからないな。全部謎解きになってるのかと思ったら違うのか。著者の誕生日ということだろうか。あとで著者名でググってみよう。
SNSとかを見れば、年齢はともかく、誕生日くらいは公開している作家も少なくないだろう。最近のつぶやきとかを確認すれば誕生日のことをほのめかしているものがあるかもしれない。
さあ次だ。次。今度はイラストか。ライオンと熊の絵が描かれている。なんでこの組み合わせ?
もしかして、タイトルのライオンはこれのことかな。ワードを回収しているだけとも言えないこともないけど。
なんか長めの文章が書いてある。
ある動物園に2匹のライオンと2匹の熊がいました。ライオンは、れお(父、オス)と、ししお(子、オス)。熊は、べあ(母、メス)と、くまこ(子、メス)。
飼育員が食糧庫にいってみると、餌に出す予定だった、肉の塊がなくなっていました。4匹の檻から食糧庫につながるドアは全部開いていて、誰かが食べてしまったのは明白です。
犯人には食事抜きの罰を与えようと、熊語とライオン語の話せる飼育員に取り調べをしてもらったところ以下のことがわかりましたが、犯人はわからないままでした。
①肉を食べた主犯と共犯が1匹ずついる。
②2匹の犯行を目撃したもの(目撃者)が1匹いる。
③目撃者と主犯は同種ではない。
④共犯と目撃者は同種。
⑤最年長と目撃者は同種ではない。
⑥最年長はれお。
ヒント3 犯人の名前は〇〇〇〇
これも謎解きか。ライオンと熊を同じ檻で飼うのはどうなんだ。それはいいとして、情報①と②から、4匹は、主犯、共犯、目撃者、無関係にわけられるのか。
情報③から主犯がライオンなら目撃者は熊、主犯が熊なら目撃者はライオン。情報④はまだ使えないな。情報⑤は最年長がわからないからまだわからない。
情報⑥かられおが最年長。これは⑥、⑤、④の順で考えればわかるんじゃないか。⑤から、熊に目撃者がいる。④から熊が共犯。③からライオンが主犯。
あとは親か子かどっちだ。あれ、情報が足りないぞ。そんなはずはないけど、出題ミスか?
あとで考え直すことにするか。保留して次にいこう。
ヒント4 ラーメンよりはうどんが好き。
え、また?なんでこの組み合わせなんだろう。でも、少しだけわかるな。僕も昼にどっちを食べようか迷っていたら、楓が部屋に入ってきたんだった。うどんですよねー。
これだけのヒントだとなにもわからないな。どうしようか。
コンコン。楓がまた部屋に入ってくる。30分も経ってないはずだけど。
「短いからもう読めたでしょ。10ページもないし」
「うん、よくわからなかったけどいちおう読んだ」
なんかうれしそうなのが悔しいな。わかってましたっていう顔をしてる。
「お兄ちゃんから推理をどうぞ」
なんか試されているみたいで嫌だな。結局わからないし。
「ヒント1については、"女"という漢字が使われている看板があったので著者は女性、であってる?」
「・・・ぶぶー。お兄ちゃん、ひっかかったね」
どういうことだ?男っていう文字はどこにもないし、あってると思ったんだけど・・・。
「どこの写真かわかった?」
「たぶん二丁目だろ、これ」
「そうそう。もっと文字を表面的に捉えないで、考えてみて」
「う、うどん、オーエスユー、OSU。オス?・・・ということは・・・もしかして・・・。ボーイズバーっていうのは、働いているのは男性、だよな。音子はもしかして・・・おとこって読むのか。女装喫茶も働いている人は・・・男性か」
「漢字だけで反応するのはちょっと甘かったね。男性が正解だと思う」
あー、わかったと思ったのに、引っ掛け問題だったか。さすがに簡単過ぎるとは思ったんだ。二丁目もあやしかったのに。
「ヒント2はそのままだろう。ググってみたけど、ほとんど見つからなかった」
「うーん。そうね。調べてわからなければヒントにはならないね。人によってはピンとくることもあるヒントね。わかる人にだけわかるみたいな」
「ヒント3は、出題ミスなのかわからないけど犯人が特定できなかった」
「なるほどね。これもちょっと高度だったかな。ヒントをよくみてよ」
ヒントをもう1回見てもやっぱり変わらない。何を言ってるのかな。
「よーく見て。〇〇〇〇って4文字ってことだよ」
あ、〇の数が文字数ってことか。
「4文字の名前が、そもそもないんだけど」
「4匹に共通点があるじゃない。4匹とも名前はひらがなだけでしょ。だから私の予想ではね。ひらがな」
「えー、それって犯人捜しと関係ないじゃん」
「やりすぎとは思うけど、こういうのもありかな」
「ヒント4もなんのひねりもなし?」
「だと思う。関東は関西に比べるとうどん屋が少ないってよく言う人がいてね。たぶんその人」
まとめると
男性
誕生日は6月
名前はひらがな
ラーメンよりはうどん。関西に10年くらい住んでいた。
「最後に1つだけ言ってもいい?」
「良いけど、何?」
「ミステリ感ほとんどないじゃん。テーマは6月のミステリでしょ?」
「そう言われてもね、ミステリ書くとか無理なんだよ。暗号もので考えてたんだけど全然ダメで、1日で書き直したの。作者のヒントは出しておいたから許して」
「何の話?」
「いや、気にしないで」