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第6回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
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ムク

 その日はもう日が落ちた頃にやっと宿に着いた。古いがさっぱりとした清潔な宿だった。温泉もあるというので荷物を置いてすぐにでも湯に浸かりたかったが、これから話を聞けるというのですぐに話し手の家に行かなければならなかった。それは私にも好都合だった。早く聴取をすまして、明日は家に帰れる。家にはまだ生後1ヶ月の娘が待っているのだ。

 宿から歩いて10分ほどだったろうか、話し手の宇敷さん宅はどっしりとした構えの農家だった。納屋には農機具があり、もう飼っていないのか鶏のいない鶏小屋があった。


 おまんもうわさ聞いてこんなとこまでわざわざ来たのか。まぁ恥ずかしい話だっけが、何十年前のことだ、聞きたいって言ってくれるんならしゃべろっかね。

 はぁ、おれの子がな、8つのころだ。もともとしゃべらねぇ子だったすけ、変だなとも思わなかったけも、まったくしゃべらなくなった。手のかからねぇ子だし、黙って絵かいてりゃ、ほっとける子だったっけ、おれもおとっさも気にしてなかったな。ちっと変だなぁそ思ったのは、うーうー唸るようんなったことだな。しかめっ面んときも笑ってるときも、うーうーおんおん。こりゃまるでわんころだっつって気味わりかったな。

 なに、小さいときは物の名前でも何でもしゃべってた。なんかじーっと見てるなそ思ったら、カゼサンガオドッテタノなんてかわいらしいことも言ったりする子だったな。この子は見えないものでも見えるんかって思ったこともあったな。それがだんだんしゃべらなくなって、うーおん唸りだしたからなぁ。悪いもんでも憑いたんかそ思ったけも、おとっさもおれも口にはしなかったな。

 そんで納屋のな、垣根の隙間にな、いろんな物が…始めは櫛だったか、あるようになった。はぁ今でも覚えてるね。その次は傘だ。それから駄菓子が一個ずつ。ああこれは盗んできたんだそ決めて叱った。親に叱られても何も言わなかったな。どうしようか思ったけも駄菓子は近くに、からまつやがあったすけ、そこに返しに行った。からまつさんのおばあちゃんは受け取らなかったな。ぜったいめいちゃんじゃねぇすけ受け取れねぇって。そのかわりっつうわけでもねぇけろも、めいにこづかいやってからまつやさんとこ行ってこいって渡したな。うーってうれしそうに言ってまいんち行ってた。十円、二十円の菓子買っては、帳面に貼り付けてたな。

 ああそういえば、からまつさんには犬がいた。ずいぶんかわいがってた。からまつのばあさんが死んでからだな、うちでも犬をもらってやってかわいがってた。おれたちにも学校でもしゃべるようになった。人様の物、盗んだのもあれきりだ。あれから勉強してな、動物の医者になったよ。まぁ今んなりゃ、わんころみてえになったのがよかったのかも知れねえなぁ。めいには訊いたことねえな。こんな話しかできないしけ、悪かったな。


 ちょうど夕ご飯時で、そういう時間を遠慮すると言うことも知らない世間知らずだった、話を聞き終わったときは腹も減り、芋の煮っころがしだの、山菜だのをお茶うけだと言われながら、食べさせてもらった。それで宿の夕食も食べたんだから若かった。

あの話は論文にはうまく組み込めなくて、お蔵入りになった。なのに、無性に気になる話だった。あれから私は研究職をあきらめ小学校の教員になった。あの子のような問題行動を緘黙と言うことも知った。あのおばあさんは子ども思いのようだったし、お会いしたご主人はめいちゃんと同じく無口だったが優しい人だった。一時期にせよ、どうして犬のような振る舞いをするようになったのか。

そんな話を気の置けない同僚と飲みの席で話した。彼が推理小説好きということを知っていたのでもしやと思って話したということもあったかもしれない。

興味深いなぁと言ったあとしばらく黙り込み、やおらコップのビールを飲み干すと、手紙を書いてみないかと言う。そしてこう訊いてくれ、櫛や傘が置いてあったのは6月か7月の梅雨時ではなかったか。からまつやの犬は比較的大きな犬ではなかったか、めいちゃんはくせっ毛ではないか。何でそんなことをと訊くと、まぁ訊いてみてくれよ、とにやにやする。なんだか分からないがあのおばあさんやめいちゃん、と言ってもわたしより年上だが、お元気かな、数十年ぶりに奇異に思われるかも知れないが、出してみようと筆を執った。

ほどなくして返事が届いた。住所は同じだがおばあさんの名前ではなく名字は違うがめいさんのお名前だった。

母はまだ元気だが目が悪くて代わりに呼んで返事も書いていること、母が大学生に協力してそんな話をしていたことを知らなくて驚いていること、若い男の子に話を聞いてもらってとても楽しかったと母が懐かしがっていること、自分はよく覚えていないがたしか6月のことだったこと、それから半年ぐらいからまつやさんに通っていたが、だんだん友だちと遊ぶほうが楽しくなって一人では行かなくなり、おばあさんとも話さなくなったこと、自分は今でもくせっ毛であること、犬はムクと言って中型犬だったこと、ムクのおかげで自分は獣医になったこと、子どもには動物とのふれあいがとても大事です、受け持ちのお子さんにもぜひ動物との交流をさせてあげてください、お力になれますよ、と丁寧な返事をもらった。不思議なのは何でこんな変な質問をするのかと疑問に思っていないことだった。


ちょうど6月、子どもだちが新しいクラスに慣れ、運動会も終わって一息がついた6月なかば、宇敷のおばあさん、めいさんにお礼を書くためにも、同僚を飲みに誘った。めいさんの手紙をかいつまんで報告した。お前の質問はあれはいったい何だったんだと訊くと、犬だよと言う。めいちゃんのことか、異常な行動は犬のせいか。違う違う、ムクだよ。俺が関心あったのは櫛と傘さ。ムクがめいちゃんにプレゼントしたのさ。そら、おれもくせっ毛だろう、この時期になるとこうなる。だから櫛はからまつやのおばあさんが梅雨時で跳ね返っためいちゃんのくせっ毛の髪をといてあげてたのをムクは見てたんだ。傘は突然の雨かなんかで傘をかそうというのを振り切って帰って行ったかなんかしたからだろう、子どもは雨なんか平気で濡れて帰るからね。じゃめいさんがお前の質問を不思議がらないようなのはどうしてだ。ムクのしわざだって知ってたからさ。それでお前が数十年たって気づいたんだって察したんだろう。気づいたのは俺じゃないけどな…そうか…どうやって返事したもんかな。犬はソウルメイトだって飼い主が言うらしいんだ、ムクもからまつやさん思いの、子ども好きのいい犬だったんだ。そう書けばいいじゃないか。そうだな、もう一杯いこうか、今日はおごるよ。

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