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第6回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
2/26

水無月の決闘

     1


 六月十三日(月)。ただでさえ月曜日は気が重いというのに、年季の入った校舎の中から雨が降る薄暗いグラウンドを見るというのはとても憂鬱なことだ。もし、このバイトをしていなかったら、高校一年の六月をこれまでの人生で最悪な時期のひとつと認定していただろう。

 放課後、私はさっさと学校を出ると駅前のお洒落なオフィスビルへと向かった。

 エレベーターで三階まで上がると、フロアの一角へ真っ直ぐに進む。そこが私のバイト先なのだ。

『秋津探偵事務所』

 銀色のプレートにはそう書かれている。その下には内線電話が置いてあるだけの不愛想な受付を横目にオフィスの奥に入る。

 防音がしっかりしているであろう少し厚めのドアを開けると、ソファーや机、本棚が探偵ドラマのロケでも使えるくらい整然と配置されている。入口から見て右手にもドアがあり、そこは給湯室や更衣室、シャワー室に繋がっている。反対側のドアを開けば書庫へと繋がる。

「さて、お仕事、お仕事」

 私は鞄をソファーの上に置くと、資料が散乱している広いテーブルの前に座る。先生は古風なところがあって、捜査資料はデータでもらっても、全て印刷して、読書でもするかのように淡々と読みながら事件を整理する。

(先生はどんな依頼を請けたんだろう)

 私は資料を整理しながらその内容を盗み読んだ。

『事件の連絡があったのは六月十日(金)の十三時二十分。S県郊外の別荘で男性が亡くなったという。警察が現場へ赴いて調べたところ、亡くなったのは客人である四谷よつや 康史氏(二十七)。死因はヒ素を使った毒殺ということが検死解剖の結果から分かった。警察は殺人事件として捜査本部を同日夜に設置し、捜査を開始する』

 なかなかハードな事件である。私は別荘にいた人々の資料を読む。

『一ノいちのせ たかし

 二屋ふたや 卓也たくや

 三宮さんのみや けい

 五日市いつかいち ひびき

 いずれも被害者とは幼馴染で、別荘にいたのは定期的に三宮が企画するお疲れパーティーのためだという』

 全員、幼馴染……か。

「あら、小野ちゃん、今日も早いわね」

 声をかけられて、私ははっとして声がした方向を見る。そこにはこの事務所の事務や依頼受付業務などを一手に受けるスーパーウーマンの桐野 綾香女史が立っていた。

「まあ、学校にいても暇ですし、外は雨ですから」

 私が言うと、桐野は向かいのソファーに座って、資料に埋もれた自分のノートパソコンをさっと見つけ出すと、何気ない仕草で開いた。着物姿を意識させない素早い動きに一瞬見惚れる。

「そうね。こういう日は不思議と依頼も少ないのよね。メールで依頼するから天気なんて関係ないというのに」

 桐野はそう言うと、窓の外を見た。

 視線が外れたのを合図に私は捜査を再開する。

『四谷が亡くなっていたのは談話室。昨夜は四谷が遅くまで飲んでいたことと、以前も同じようなことがあったので、その様子を気に掛けるものはいなかったという。昼になってさすがに妙だということで別荘のオーナーでもある一ノ瀬が調べたところ、亡くなっていることが分かり、通報したそうだ』

 変な話、誰でも彼を殺せるわけか。自殺の線もあるけど。

 私はまず、ありそうもない自殺の線を消すために四谷康史のプロファイルを読む。

『四谷 康史。都内の大手出版社で編集の仕事をしている。ヒットさせた作家もおり、将来有望との評価が出ていた。身長は百七十七センチで、筋肉質。パーティーには有休を利用し、参加していた』

 これは自殺はなさそうだな。仕事はできる、身体も鍛えている。大手出版社ともなれば給与も高い。死ぬような理由がない。

 プロファイルには捜査資料も添付されていた。

『スマホにあったメモ。題名、水無月の決闘。いつもいつも集まって、酒を飲んだりするだけではつまらないと思っていたから、あいつからの提案はスリリングだった。本気かどうか何度か確認したが、本気らしい。面白い、気にくわないと思っていたこともある。殺してしまおう。どう殺すかは思案のしどころだな』

 息を呑んだ。そして、もう一度読む。何を書いているんだ、この男は。殺す? 四谷は殺されたんじゃないのか?

 私が思わず資料を机の上に置くと、入口のドアが開いた。

「ただいま、雨が強くなってきたね」

 優し気な口調とともにコツコツと威厳のある足音が私の横を抜ける。音に誘われるように顔を向けると、そこには先生がいた。雨に濡れたコートを脱いで、桐野に渡している。桐野は優雅にそのコートをタオルで拭いて、更衣室へ持って行った。

「もう来ていたのかい、小野クン」

 先生はそう言いながら、奥の肘掛け椅子に足を組んで座った。

「はい、やることがなくて」

「それで、捜査資料を読んでいたわけか。奇遇だね、それはさっき解決させた事件だよ」

「えっ?」

 事件の資料に当惑していた私の頭はまるでハンマーで殴られたかのように大きく揺さぶられた。

 そんな私の表情が滑稽だったのか、先生は口元をわずかに緩めると立ち上がる。

「ちょっと、シャワーを浴びるとするよ。今朝はシャワーも浴びずに警察署へ行ったからね。身体がべとべとして気持ちが悪い」

 先生はそう言って部屋を出ていった。

 解決させた? なんで、どうやって。

 私は資料を読み進める。

 

     2


 警察も四谷を不審に思い、彼の部屋を徹底的に調べたようだ。

『これはゲームだ。今回集まった五人のうち二人が殺しあう。ルールは簡単、相手を殺した方の勝ちだ。巻き添えで関係ないものが死んだら、次の機会に仕切り直しとする。殺す方法は問わない。なんでも使っていい。ただし、一人でやること。まあ、負ければ不正をしたかどうかは分からないが、一人で勝てないことを認めてしまうんだからプライドが許さんだろう。命を賭して戦うのだからゲーム名は『水無月の決闘』としようか』

 四谷の部屋から見つかった紙だという。指紋は四谷のみ。

 新刊の企画書……にしては指紋が四谷だけというのは妙な話だ。そして、あまりに今回の事件に酷似している。四谷のスマホの内容もある。決闘をしていた? 誰と?

 現場には他にも紙があったという。

『毒殺』

『絞殺』

『君が絞殺すると聞いて驚いてしまったが、普通に考えれば当然だよね。君の体格はナンバーズ一だ。そして、今回の犯行のために身体も鍛えなおしたそうじゃないか。激務の出版社勤務でよく時間を作った。会った時は驚いたね、以前よりも身体を引き締めていたから。予想通りゲームにのってくれて嬉しかったよ』

 二枚目と三枚目はそれぞれ殺す方法。そして、四枚目は相手からの紙だろうか。やり取りをしている? 別荘にいたのは一日だけだろう。ここまで濃密にやり取りできるものか?

 私は犯人特定のためにまずは主である一ノ瀬の資料を読む。

『一ノ瀬 孝。やや長身で太り気味の体格。資産家の家の長男で、資産運用で不労所得が充実している。働いていないわけではなく、資産を利用してボランティアや慈善団体を運営し、積極的に社会貢献をしている。取り調べも協力的。事件前後の動きを確認すると、別荘を開けるために早めに向かったが、待ち合わせの六時間も早く(午前六時頃)四谷が到着していて驚いたと話している』

 殺し合いのやり取りは別荘に着く前から始まっていたのではないだろうか、と私は考えた。そうでなければ別荘の主より早く着くなんてどう考えても異常だ。

『四谷の部屋で見つけた紙を見せるととても驚いており、なにかの冗談ではないか、と何度も尋ねていた。見せる前に当日のイベントの様子をどこか楽しそうに語っていたからギャップが激しかった』

 私は次に犯行がしやすいと思われる三宮の資料を読む。毒殺をするのは女性が多いというし。

『三宮 景。背は女性としては普通程度で痩せ気味の体格。職業はフリーター。定期的に会を主宰しているという。事件当日は待ち合わせの五分前に到着し、ちょうど車の中で時間をつぶしていた二屋に声をかけて一緒に別荘に入ったという。寝る時以外は荷物を置くくらいしか部屋に入らず、談話室やリビングなどで誰かと話していたり、パソコンで動画を見ていたという。なぜ、部屋に行かなかったという質問については

「久しぶりに会ったし、私が主催者なんだから部屋にこもったらいけない、と思って」

 と答えている』

『四谷の部屋にあった紙を見せると激怒した様子でどういうつもりか尋ねてきたと取り調べにあたった刑事は報告している』

 他の参加者によると彼女が部屋に戻ったのは一、二度だが、すぐに戻ってきていたという。

 次に二屋のことを調べる。

『二屋 卓也。中背で痩せ気味の体格。会社員。営業ということもあり、取り調べは淡々と進んだ。答えを予め用意していたのは仕事柄かもしれない。到着は三番手で待ち合わせの一時間前。あまりに早いと一ノ瀬の迷惑かもしれないと車の中でスマホゲームをしていたという。せっかくとった有給ということもあり、到着して昼食を食べると三、四時間は部屋で寝ていたという。夕食前の卓球大会からずっと参加していて、遅い時間まで起きて、一ノ瀬、四谷と一緒に酒を飲み、一ノ瀬の後に部屋へ戻り、寝たという』

『四谷の部屋から出た紙については読んだ後でため息をついたという。何も言わないので『ナンバーズ』について尋ねると、

「俺らの名字、数字がついているだろう。それでガキの時に景がつけたんだ。だから、それを書いた奴は俺らの中の誰かで間違いないだろう」

 そう答えたという。事件当日の変わったことについては。

「それを読ませた後で言ったら、なんでも怪しくなるだろ。だから言わない。どう受け取るかはどうでもいいが、内容によっては弁護士と連絡させてくれ」ときっぱり言ったため、その日の取り調べはそこまでにした』

 二屋は他の二人に比べて冷静だ。だから怪しい。幼馴染が死んでここまで冷静なのか、なにか覚悟していたみたいだ。

 次は五日市だ。

『五日市 響。ライター。華奢な体格。別荘へ到着したのは最後。待ち合わせ時間を十五分も過ぎてからで、そのせいで昼食会も遅れたという。昼食を食べると、すぐに部屋に戻ったという一ノ瀬からの証言があったため、確認すると

「急な依頼があったからですよ。みんなのいる前だと集中できないんです、僕」と言った。それは事実のようで、これまでの集まりでも五日市がみんなの前でパソコンを広げて仕事をしていたことはないという。遅れた理由についても単純に時間にだらしないだけ』

『四谷の部屋から出た書類を見せたが、だんまりとしていた。なにか言うことはないかと尋ねると「いや、なにも……」とおどおどしながら言っただけ。怪しいには怪しいが、当日は到着して部屋にこもって仕事をしていた以外、夕食前の卓球大会の一時間前には談話室に行って、三宮と動画を楽しんでいたという。その後は少し早めに三宮と部屋で寝たという』

 ん、部屋って一人一部屋じゃなかったのか?

 私はそう思って、資料を探す。その質問については一ノ瀬が答えている。

『一人一部屋ですが、なにかあったようで景と響は同じ部屋で寝ましたよ。どちらの部屋かは分かりません。掃除をしていないので』

 四人の中で怪しい順番をつけるとすれば、二屋、五日市、三宮、一ノ瀬だろうか。しかし、まだわからない。四谷のスマホのデータは他に何かなかっただろうか。

『よくある殺人事件ものというのは不意を打って殺すから殺害方法は発覚しにくいかどうかを重視する。しかし、今回の場合は相手が自分を殺そうとしていることを知っているから実施可能性が重視されるわけか。しかし、そうなると、これはあいつにとって分が悪いよな。俺の選択肢とあいつの選択肢は数が違う』

『殺し方は撲殺と絞殺で迷ったが、絞殺を狙っていくとする。殴殺や撲殺に切り替わるが、その状況になれば俺の勝ちのようなものだから大目に見てもらうとするか』

 それぞれスマホの中にあったメモだ。なんだか慣れているというか殺人事件について、あれこれ考えられるんだな。私はミステリーを読んで慣れているから考察するけど……。

 ミステリー。四谷は出版社の編集だったな。彼のもう少し詳しい情報が知りたくて、スマホで調べる。

 あっ、これだ。えっ、あの『白鳥しらとり 黒堂こくどう』の担当編集者だったの。

 白鳥 黒堂。ミステリー界の新星として二年前にデビューした作家で、今年の三月に引退するまでに五作品を発表し、三作品は映像化、二作品はミステリー大賞を受賞した。

 確か、引退した理由はSNSの炎上騒ぎだったかな。実際の殺人事件で探偵気取りの推理をつぶやいたせいで散々叩かれていたな。

 自業自得もあったけど、あっさり引退したのでネットでも学校でも大騒ぎだった。

 炎上した若手作家の担当編集。実はそこまで順風満帆でもなかったのかもしれない。

 そして、他の参加者の動き。もう少し読んでみよう。

 その時、ドアが開いて、先生が入ってきた。水色のワイシャツに紺色のスラックス姿。痩身長躯の先生にはよく似合う。

「どうだい、小野クン。なかなか変わった事件だろう」

 言いながら、先生は肘掛け椅子に座る。

「正直、訳が分からないですよ。決闘ゲームを仕掛けて殺しあった。幼馴染同士がですよ。利害関係はないか調べてみるところですが」

 私が言っている途中で先生は口元をわずかに緩める。

「利害関係、か。いい切り口だ。だが、彼らの職業になんの利害関係があるのだろうね。資産家、営業マン、フリーター、編集者、ライター。女性を取り合っているという線はどうかな?」

「あるんですか、このメンバーの中で……いや、ないですね。先生のその言い方はありませんよ」

 私は先生が笑いをこらえているのを見ると、すぐに修正した。

「小野クン。動機で見るのも大切だが、お互いに殺しあった、ということについてもう少し考えてみたまえ。四谷を殺した者は毒殺と予告した。そして、四谷は絞殺と予告した」

「予告? あの紙は予告状だったんですか?」

「おや、まだ見落としている捜査書類がいくつかあるみたいだね。四谷のスマホには決闘ルールの詳細が書かれたメールが届いていたんだよ。あいにくとそのメールアドレスはほとんど使い捨てで誰のものかは分からなかったが」

 読めていない資料が多い。こうしてはいられない。

 私はもう一度、捜査資料の海に潜る。


   3


 あれからいくつか読んだ資料の情報も含めて事件を整理しよう。九日(木)に四谷、一ノ瀬、二屋、三宮、五日市の順に別荘へ到着する。全員揃ったところで昼食をとった後は二屋と五日市は部屋へ、三宮と四谷は一度部屋に行ったが、すぐに談話室に戻ってきた。一ノ瀬はずっと談話室にいたという。

 夕方頃に二屋も部屋から出ると、外が雨ということもあり、別荘内の娯楽室で卓球トーナメントが開催された。その後に夕食をとり、談話室で酒を飲み始めると三宮と五日市は同じ部屋に、残る三人は遅くまで酒を飲んで、一ノ瀬と二屋は部屋に戻る。翌日、昼になっても起きない四谷を不審に思った一ノ瀬が調べると、亡くなっていることが分かったという。死因はヒ素による毒殺。

 四谷のスマホには殺人ゲームを連想させる文章、部屋には殺害方法を予告する書類もあった。一つは『毒殺』もう一つは『絞殺』とあった。四谷は毒殺された、ということは四谷は相手を絞殺しようとした。

 そういえば、四谷のスマホには決闘相手からと思われるメールもあった。『ルールはナンバーズの定期パーティーの期間内に相手を殺す。お互い死なないか、関係ない人間が死んでしまった場合は次の回に持ち越しとする。方法は問わないが、一人ですること。

 自室に決闘ゲームであることが分かる紙を置くこと。関係者に決闘ゲームが行われたことを教えるためである。

 殺す方法を紙に記載して渡すこと。殺害方法の予告である。

 成功した場合は勝利を死者に捧げる言葉を書いて、別荘内に置くこと。勝利宣言である』

 私の疑問は三つある。一つは四谷は『毒殺』と予告されていてなぜ酒を飲んだのだろうか。二つ目は四谷がなぜ『絞殺』を予告したのか。そして、どうして四谷は決闘をしたのか。

「ある程度、見えてきたかい?」

 先生は読んでいる本を閉じて、机の上に置くと話しかけてきた。

「先生。先生はちなみにいつから捜査したんですか?」

「依頼のメールが来たのは十一日。事件の翌日だ。警察も地道な捜査をしていたのだが、部屋で例の書類を見つけてね。しかも、メディアに書類の存在が知られて、騒がれてしまった。そこで書類の内容も含めた推理が必要となり僕に依頼をしてきたわけだ」

「では、やはり、四谷も絞殺を」

「ああ、読んでいると思うが、彼の部屋には釣り糸もあった。恐らく、密室で殺し、外から施錠した後、釣り糸を利用して鍵を部屋の中へ送る疑似的な密室殺人を計画していたのだろう」

 先生はそう言うと、口元を緩める。

「ところで、四谷が絞殺を選んだと思う?」

 それは疑問でもある。仮説を話してみようか。

「体格、だと思います」

「ほう」

「四谷は長身で筋肉質な男性です。他の参加者に対して力負けをすることはないでしょう」

「ご名答、僕も同感だ」

「しかし、なぜでしょうか。確実に殺すのなら、可能なら銃、入手が難しいならそれこそ毒殺の方が簡単だと思うんですよ」

 私の話に先生は小さく頷いた。

「確かにね。では、四谷についてもう一度考えてみよう。彼はただの筋肉男ではない。出版社に勤める仕事を効果的に進める賢い男だ。成功する可能性の高い殺人方法を選ぶ」

「絞殺が一番成功確率が高いと考えた、ということですか」

 私が驚いて言うと、先生はまた口元を緩める。

 この事件を解くカギはどうやって殺したか、よりも『被害者はどうして絞殺しようと考えたか』にあるのかもしれない。

「……四谷が毒殺を警戒していなかったのは?」

 私は疑問を先生にぶつけた。

「していたさ。しかし、途中からそれがうまくいかなくなったとしたら。常用していた精神安定剤が飲めなくなったとしたら」

「それで、不安になった精神を安定させるために酒を飲んだ、と。いや、でもそれは仮定ですよ。そもそも安定剤を忘れていたら鳥に戻るはずです。それに精神安定剤を使っていたという証拠は?」

「大ヒット作家が炎上騒ぎで引退。彼の落胆と周りの目は辛いものがあったのだろうと予想できる。薬の使用は同僚から聞いて分かったよ」

 私は四谷のの資料を読む。

「? え、でも、持ち物に精神安定剤はありますよ」

「では、どうして飲めなかったか。毒殺を警戒していたのに」

 毒殺を警戒していたのに、精神を安定させるための薬を飲まなかった理由……資料によると薬はウエストポーチに入れたままだっ

たという。そのポーチはずっと四谷が付けていた。

 だんだんと事件の全容が読めてきた。あとは事情聴取でもできればさらに詰められそうだけど、事件は解決しているし……。

「そういえば、先生は捜査中、どなたと話したんですか?」

 いつの間にか部屋に戻ってきた桐野が言った。

「容疑者には全て会ったよ。二屋さんとは興味深い話ができたよ」

「何を聞いたんですか?」

「当日のこと。三宮によれば卓球大会の決勝で一ノ瀬と対戦した四谷が熱中してウエストポーチを外してしまったそうだ。そのウエストポーチは試合後に二屋が渡している。だから、僕は彼に四谷はどんな様子だったかと尋ねた」

「なんて言ったんですか?」

「ホッとしたのも一瞬で、なぜか青ざめて、それから様子がおかしくなったという」

 先生はそこまで言うと、私を見た。

「さて、小野クン。推理を聞こうか」


     4


「……まず、一ノ瀬さんは違います」

 私の言葉に先生は少しも反応しなかった。

「なぜ?」

 ただ無機質に言った。

「彼の体格に対して宣言したうえで絞殺することを考えませんよ。不意打ちしにくい以上、力勝負になると手間取ってしまう。そして、部屋に行っていないんですよ。これでは殺害予告を仕掛けることも部屋で確認することもできない」

「先に二人は着いていた。そこで交換したというのは?」

「それならウエストポーチなり、ポケットに入れるのが自然です。わざわざ部屋まで行って隠すのは面倒だ」

 私が言うと、先生は拍手した。

「そう。それに絞殺狙いなら到着時にもう殺している。宣言の紙を渡してすぐに実行すればいい」

 先生が言った後で私は頷く。

「三宮さんも違います」

「彼女は部屋に入るチャンスがあると思うが」

「会の企画者、ムードメーカーだから他の三人に注目されやすい。その状態で毒を盛れるでしょうか」

「しかし、女性相手だ。絞殺できる可能性はあるだろう」

「いえ、彼女は注目されやすいからそれは選べなかった。絞殺するには一人になるタイミングが多い相手となると思います」

 今度は先生が小さく頷いた。

「そう、彼女はこの会の主人であり、幼馴染たちを大切にしていた。五日市と一緒に寝たのも彼女のことを心配してのことだった」

「……やはり、夕食前後になにかあったんですね」

 先生が物憂げな表情を見せたところで私は言った。

「そこが引っ掛かっていたんですよ。なにがあったのか、先生はそれを確認するために容疑者たちと話したんでしょう?」

 私が言うと、先生は小さく首を振った。

「言えば、ほとんど答えだよ」

「やはり……」

 私は言葉に詰まった。すると、桐野が首を傾げる。

「どういうこと?」

「……私の推理だと、五日市は襲われたんでしょう、四谷に」

 私が言うと、桐野は返答に困っているようだった。先生は視線を床に向けながら息を吐いた。

「なぜ、四谷が襲ったと?」

「五日市 響を殺す方法として絞殺が一番合理的だからです。彼女は華奢な女性ですし、どうやら話し好きというわけでもない。一人になるチャンスはあった。いや、作ってさえいた。四谷は編集者としてのコネを使って、彼女に急な依頼を出し、原稿を書かせた。当初の構想では、仕事には真面目な五日市が部屋に入り、仕事をしているところで殺し、釣り糸を使った疑似密室トリックを仕立てる予定だった」

「しかし、上手くいかなかった」

「タイミングを逃したんでしょうね。それか二屋さんと五日市さんの部屋が隣接していたか」

「部屋は決まっていなかったからね。下手に大きな音を出すとまずかった。そこでチャンスを待つことにしたが、毒殺を宣言されたうえで薬の入ったウエストポーチを身体から放してしまった」

「試合に熱中していたせいもあって混入されていてもおかしくなかった。精神安定剤が使えなくなった四谷は勝負を焦り、たまたま一人になった五日市を襲った。それを三宮か二屋に見られた」

「見て、声をかけたのは二屋だったという。四谷が作家の引退で情緒不安定になっていることは二屋たちも知っていたから、それぞれ男性組、女性組で場を収めることにしたそうだ」

 先生はそう言った後で顔を上げる。

「どうやって、五日市は四谷を殺したと思う?」

「談話室で寝ているのを確認すると、手の届く範囲にヒ素入りの飲み物を置いた。酒を飲んで水分を欲しているであろう四谷が起きて、寝ぼけながら飲むだろうという見込みだったのでしょう」

「グラスは洗っていたが、彼女の鞄からヒ素が見つかったよ。慌てて入れたんだろうな、袋からこぼれてしまったようだ」

「それがなければ証拠はなかったのに」

「いや、他にも毒物は用意していたよ。車の中に上手く隠していた。怪しまれなければ見過ごされていたかもしれないがね」

 先生は天井を見上げた。私は残る疑問をぶつける。

「なぜ、四谷は五日市を?」

 私の質問に先生はすぐに答えなかった。 

「……引退した作家に似ていた、そうだ。彼女を忘れるために殺そうと、五日市からの挑戦状を受けた、と彼の自宅の計画書に書いてあった」

「五日市は?」

 先生はやはり即答しなかった。

「幼馴染たちに劣等感があったそうだよ。それを払しょくするためだ、と五日市は言っていたよ」

「それだけ? じゃあ、幼馴染なら誰でも良かったんですか?」

「いや、四谷は以前、五日市のことを『この文章では伸びても三流作家がせいぜい』とからかったことがあるらしい。それもあって相手として選んだのだろう」

 先生はそう言うと、立ち上がって、窓の前に立つ。私も立ち上がり、先生の横へ行く。窓から見える駅前には傘をさした人々の群れが見えた。

「悲しい事件だよ。誰かを殺さなければ前進できないなんてね。悲しすぎる。人とは本来そういうものではないと思いたい」

 先生はそう言うと、肘掛け椅子に戻った。私はもうしばらく雨が降り続く駅前の風景を見ていた。


                       おわり

 

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