ホワイダニットの茶番劇
登場人物紹介
横田佳奈……春名大学(略称:春大)ミステリー研究会会長。文学部国文学科三回生。
井上義男……春大ミステリー研究会副会長。文学部英文学科三回生。
中瀬正彦……春大ミステリー研究会会員。文学部史学科三回生。
浮原裕子……春大ミステリー研究会会員。文学部日本文学科三回生。
佐藤伸一……春大ミステリー研究会会員。文学部国文学科二回生。
三好恵美……春大ミステリー研究会会員。文学部心理学科二回生。
氷川清子……春大ミステリー研究会会員。文学部心理学科二回生。
「さあ、ゲームを始めましょうか」
そう言うと横田先輩は、トレードマークの長い黒髪を無造作に括り、どかりと椅子に腰を下ろした。
「私があなた達に提示する謎はひとつだけ。――誰が彼女を殺したのか?」
机の上に1枚の紙を広げる。そこには1人の女性がうつ伏せに倒れていた。少し離れた場所には見慣れた長机。その上に小ぶりのリュックが置いてある。彼女の手元から少し離れた場所には、ビニールに入った傘が倒れていた。
「さあ、この謎があなた達に解けるかしら?」
集まった一同の顔を見回して、我らがミステリー研究会の会長は不敵な笑みを浮かべた。
「……そんなこと言われたって、なあ……」
躊躇いがちに口を開いたのは井上先輩だ。困ったような苦笑いで眼鏡を押し上げ、倒れた女性の姿を睨みつける。
「結局、俺たちは事件について何もわからなかったじゃないか。全員にアリバイはなく、全員にチャンスがある」
「そう、あなた達全員にね」
その言葉に井上先輩は眉間に皺を寄せた。苦虫を嚙み潰したような顔というのはこういう顔を言うんだな、と僕はのんきにそんなことを思っていた。
「……そんな状況で、謎を解くも何も、どこからどう推理しろって言うんだ?横田」
「それを考えるのはあなた達の役目でしょ。井上、あんたには春大ミス研としてのプライドってもんがないの?」
「プライド?」
横田先輩の辛辣な言葉尻を掬うようにして嘲笑がとぶ。顔ごとそちらを見遣った先輩のポニーテールが大きく揺れた。
「何よ、裕子」
視線の先にいるのは浮原先輩だ。冷ややかな目で横田先輩を見ている。
「プライドねえ。あるわよ。あるけど、それは春大のなかで一番ミステリ小説を楽しんでいるのは私たちだっていうプライド。こんな茶番に付き合わされるのはごめんだわ」
「茶番?」
二人の間に飛び交う火花が見えるようだ。青くなった僕はどうにか口を開こうと思ったが、1歩遅かった。
「まあまあ、落ち着きなって佳奈も祐子も」
そう仲裁に入ったのは中瀬先輩だ。
「起こってしまったことは仕方がない。ここはひとつ、佳奈にのってもいいと思うよ、俺は」
「ちょっと……」
「決まりね」
ニヤリと笑った横田先輩が、中瀬先輩を見る。
「じゃあ、情報の整理からもう一度行きましょうか。正彦」
「はいはい」
「殺されたのは氷川清子。俺たち春大ミス研所属の二回生だ。彼女が殺されたのは、ええと――」
「五号館の自習室よ。いつも私たちが集まるこの小会議室の一つ下の階ね。誰でも自由に出入りできる」
横田先輩の補足に、「ああ、西洋ミステリ史特集の展示をやった部屋か」と井上先輩がぼそりとつぶやいた。僕の入学前の話だから直接見たわけではないが、大盛況だったらしい。らしいというのは、その話をしているのはいつも井上先輩一人だからで、横田先輩と浮原先輩は学祭で行ったというその展示のことを絶対に口にしない。
「じゃあ、部屋自体は特に変わったところはないね。借りるのに許可が必要なわけでもなければ、入るのに鍵が必要というわけでもない」
「そうね。佐藤くんも三好さんも良く利用してるんじゃない?」
急に話を振られてドキリとしたのは僕だけらしい。隣の三好さんはこともなげにうなずいて、「私はあんまり好きじゃないです」と言った。
「好きじゃない?」
「狭いんです、部屋が。だって一つの部屋をパーテーションで区切って二つにしてるでしょう?三号館の自習室の方が広いので、私は好きです」
その言葉に驚いた顔をしたのは井上先輩だ。
「そうなのか。三号館は講義の教室が近いからか、建物が古いからなのかわからんがやかましくて、俺はどうも落ち着かないが」
「ある程度雑音があった方が集中できるので」
すました顔でそういう三好さんをすごいなあと眺めていたら、自分にも流れ弾が飛んできた。
「佐藤くんはよく五号館に入り浸ってるわね」
浮原先輩の指摘に、再度ドキリと心臓が音を立てる。
「そ、そうですね。僕も井上先輩と近いというか、人が多いところが苦手なので」
「そう言いながら大教室にいつまでも居残ってるのが佐藤君だよね」
「そ、それはまた別だよ」
三好さんの言葉は痛いところを突いてくる。それは教室から出るときに誰かの目に留まるのが嫌だからなのだが、この感覚はいつも誰にも理解されない。僕は目立たないただの一般人でいたいのに。
「はいはい、そこまでそこまで。すっかり脱線したじゃないか、佳奈のせいで」
「私?」
明るく笑って話を遮った中瀬先輩の余計な一言に、横田先輩の目が吊り上がる。僕ならとてもじゃないが委縮してしまうだろう眼光に全く動じることなく、そこの見えない笑顔で中瀬先輩は話をつづけた。
「じゃ、話を事件の概要に戻すよ。五号館二階の部屋で氷川清子は何者かに殺害された状態で発見された。部屋のドアにも窓にも鍵はかかっておらず、誰でも出入りできる状態だった。容疑者として挙がってきたのは彼女と同じミス研の会員たち――つまり俺たち、ってことだな。発見当日、俺たちはミス研の集まりがあって五号館に集まる予定だった。いつも使ってる三階の部屋だな。氷川清子は時間になっても現れず、不審に思って全員で捜索したところ死体で発見された。第一発見者は――」
「私よ」
中瀬先輩の視線を受けて、堂々と横田先輩が宣言する。
「ふふ、一回やってみたかったのよね、第一発見者ってやつ」
いや一回も何もない。殺人事件の第一発見者なんて生涯一度でもごめんだ。
「彼女は部屋の隅で殺されていた。部屋の真ん中の長机が、ちょうどドアから彼女の体を隠していたから、部屋の外から見たら、彼女の体は見えなかったと思うけど。彼女は頭から血を流しているのが一目見て分かった。すぐに救急車を呼んだけど、もう亡くなっていた」
つらつらと死体発見時の状況を語る横田先輩に、僕は思わず感嘆の眼差しを送った。常々思うが、その記憶力はどこから来るのか。僕にも少し分けて欲しいなと思う。そうしたら、もう少し定期試験を楽に乗り越えられるのだが。そんなことを思っている間にも、横田先輩の説明は続く。
「机の上には彼女の鞄が置いてあって、床にはビニールに包まれた傘が倒れていた。それから、凶器は部屋の隅に転がされていたレバー」
「レバーって何ですか?」
三好さんがハイ、と手を挙げて質問する。横田先輩は、机に置いた紙を手元に引き寄せると、見えるか見えないか正直微妙な黒い物体を指さした。
「これよ。さっき、あなたも自分で言っていたけど、五号館の自習室は、一つの部屋をパーテーションで区切って二つの部屋にしている。だけど、授業によっては、このパーテーションを取り払って一つの部屋として使うこともあるの。その時に、パーテーションのロックを外すために使うレバーよ。見たことない?」
説明を受けても、三好さんは首を傾げたままだ。僕は迷ったが、助け舟を出すことにした。
「あの、たぶん共通科目の講義で、三好さんと一緒に受けている講義だと使ったことないです。僕も専門科目の合同授業で一回しか使ったことなくて」
「心理学科の専門科目だと、そもそも五号館はあまり使わないですね」
その言葉に、横田先輩はふうん、とつまらなさそうに答えた。
「まあいいわ。このレバー、五号館ならだいたいどこの自習室にも置いてあるから。……で、話を続けると。彼女の取っていた講義は、今日は午前の一コマだけ、しかもそれも臨時休講でなくなっていた。彼女が大学に来たのは、ミス研の活動があるからでしょうね。だから、容疑者として私たちミス研会員の名前が上がったの」
そこで、横田先輩は一度言葉を切る。
「これは由々しき事態よ」
ゆっくりと、全員の顔を見回して、先輩は真剣な顔で続けた。
「私たちは、仲間を殺したという濡れ衣を着せられかけている。ーー真犯人のひとりを除いて、だけど」
「真犯人なんて……」
本当にいるのか、そう続けようとしたに違いない井上先輩をびしっと指さして黙らせる横田先輩。ここでは会長命令は絶対なのである。
「私たちは、自分たちの手で濡れ衣をはらさなければ。ミス研の名にかけて、プライドにかけて」
「だからそんなものないって」
あきれたように言うのは浮原先輩だ。
「だいたい、こんなの謎も何もないじゃない。密室もない、アリバイもない、暗号もない。これじゃミステリーじゃなくただの死体よ。たとえ小説の中に出てきたって、名探偵の食指も動かないってものでしょ」
「本当にそう?」
挑戦的な瞳で、横田先輩が浮原先輩を見る。
「本当に、あなたたちが想像を働かせる余地はないのかしら?」
浮原先輩は答えない。張り詰めた沈黙が場を埋めた。
「……動機を、と言いたいんだな?」
仕方なくといった風情で口を開いたのは、井上先輩だった。普段は横田先輩の後ろで影の薄く感じる井上先輩だが、さすがは副部長、とでも言えばいいのか。いざという時(ってどんな時だよとは思うけど)の横田先輩の取り扱いは一番手馴れている。井上先輩の言葉に、横田先輩は満足げにうなずいた。
「そう。その通りよ」
「……でも、氷川清子はそんなに問題のある人物だったようには思えない……と思うんだけど、どうかな?」
「そうね。確かに、たとえば活動に参加しないとか、講義に出ないとか、誰かと殴り合いのケンカをするようなタイプじゃなかった。でも、人間、大なり小なり何かしらをもっているものよ。もしかしたら、彼女を殺しうる動機になるものが隠れていたのかもしれない」
横田先輩の言葉に、釈然としない様子で中瀬先輩がうなずく。
「……まあ、考えるだけだしな。何か心当たりのある人は?」
その言葉に、空気が動きを止めた。誰一人の声も、体も、それを動かすことはなく沈黙している。
長く感じたその沈黙を破ったのは、三好さんだった。
「あの、殺される動機……なのかはわからないんですけど。彼女、ちょっと短気なところがあったというか……」
三好さんは氷川清子と同じ心理学科の二回生だ。ミス研だけでなく、講義で一緒になる時間も多いし、ミス研の外での振る舞いを見ることも必然的に多くなる。
「グループワークとかで、ちょっとしたことで言い合いになっちゃったりとか。それで結構、その……」
「ケンカになったり、……いじめになったりした?」
言いにくそうにしていた三好さんに、中瀬先輩が優しく助け舟を出す。
「いじめ、と明確に言えるものじゃなかったですけど、派閥……みたいになってて。その風当たりが強かった子っていうのが実は……井上先輩の彼女さんで……」
思わぬところから出てきた名前に、全員の視線が井上先輩に集まった。予想外だったのか、井上先輩本人もぎょっと目を剝いている。
「ちょ、ちょっと待て!彼女……!?」
ちらりと横田先輩を見かけて、井上先輩がはっとしたように下を向く。その方が上下に一度動いて、顔が上がった。重いため息が落ちる。
「はあ、そうか……三好さんは知っていたのか」
井上先輩は落ち着きなく眼鏡をいじりながら言葉を続ける。
「そうだな、確かにそういう話を聞いたことはあったよ。まあ、一方的にいじめられるというよりは、お互いにいがみ合っているといった印象だったが。言っておくが、それで俺の彼女がどうかなったとか、そういうのは一切ないし、むしろ氷川清子にどうやり返してやろうかと俺にいつまでも愚痴を言っているような奴だからな」
「へえ。そんな彼女がいたなんて、ちょっと意外」
明らかに揶揄いを含んだ声音で、浮原先輩が井上先輩を見る。じろりと睨み返して、井上先輩は声を荒らげる。
「とにかく!そういうことだから、これで俺が氷川清子を殺すなんてことはありえないよ。……むしろ、俺は正彦あたりが怪しいと思うんだけど」
急に話を振られた中瀬先輩が、面白そうに井上先輩を見る。
「へえ、俺が?」
「お前、たびたび氷川清子と言い合いになっていただろう。ミス研の企画予算の使い道が個人的すぎるだとか、もう少し節約できるはずだとか。お前から会計を引き継いだばかりのころの彼女は大変そうだったぞ。前年度が杜撰すぎるから後々に響くんだと、しょっちゅう零していたじゃないか。また、今度の学祭の予算やら何やらで揉めたんじゃないのか」
その言葉に表情を消した中瀬先輩は、井上先輩と横田先輩を見ると、大げさに溜息を落として肩をすくめた。
「それこそ言いがかりと、くだらない想像だろう。確かに、引継ぎ直後は色々とあったけど、最近はそうでもなかったよ」
「本当に?」
平然とそう言ってのけた中瀬先輩に疑いのまなざしを向けたのは浮原先輩だ。
「本当だって。何せ、彼女は俺より有能でさ。とっとと自分のやり方を確立して、やりやすいようにやってたよ。前年度の穴はちゃんと埋めておきますからとまで言われちゃったけど、本当にその通りやってくれるんだもんな」
「氷川さんは、そういうところはすごくしっかりしてましたから」
中瀬先輩の言葉に、三好さんも同意する。そうか、彼女はそういう人間か、と僕は頭の中の数少ない彼女の印象をアップデートした。となると、僕の知っている『これ』はどういうことだろう。
「……それより、俺は佐藤が気になるんだけど」
「は、え?」
急に自分に降ってきた話に、僕は素っ頓狂な声を上げた。
「なんか今日、静かじゃない?何か隠してるとか」
唐突な振りに、思わずフリーズする。しかしそれも一瞬のことで、これは好機だ、と僕はひらめいた。
「……いや、ちょっと気になることがあって」
自然に、自然に。そう自分に言い聞かせながら、頭の中で必死に言葉を組み立てる。
「僕、少し前に噂を聞いたんですけど。……氷川清子は、上級生の男子を狙ってる、って。それでこの間、それらしき場面を偶然見かけちゃったんですが……その相手の人に、どうも見おぼえがあるなって」
そこで一度言葉を切って、さりげなく浮原先輩に視線を移す。それが真正面から見返される寸前で目をそらして、少しだけ小さな声を絞り出す。
「……僕の記憶が正しければ、あの人、浮原先輩の彼氏さんなんじゃ……ないかと……」
凍り付いた浮原先輩の視線の圧力に、僕の言葉は尻すぼみになった。当の先輩はといえば、にっこりと怖いくらいの笑みを浮かべて、事も無げに言い切った。
「あれ、もう彼氏じゃないから」
その一言に凍り付いたのは僕だけではなかった、と思う。思いたい。それに、と浮原先輩はその笑みのまま、鋭い瞳を三好さんへ向ける。
「三好さんこそ、氷川清子に対しては穏やかじゃなかったんじゃないの?」
「わ、私ですか?」
先輩の人睨みに、三好さんは動揺を隠せないようだ。それに気をよくしたのか、浮原先輩はさらに笑顔を深めて三好さんに詰め寄る。
「うらやましかったでしょ、彼女のこと。『憧れの横田先輩』のお気に入りですものねえ?」
僕の隣で、三好さんが体をこわばらせる。何かを言おうとしたのか口を開こうとしては閉じ、彼女はうつむいた。
「同じ二回生なのに、佳奈が目を書けるのは氷川清子だけ。嫉妬してたんでしょう、彼女に」
「そ、それは……仕方ないというか。彼女の方がミス研に貢献していたという点では、当然のことです」
「そう?感情なんて、そう簡単に思い通りになるもの?」
ようやく口を開いた三好さんの言葉は、浮原先輩にあっさりかわされる。さてこれはいよいよ収拾がつかなくなってきたぞと、横田先輩をちらりと見た。僕の視線を受けてか、部屋の時計を見上げた横田先輩は突然立ち上がった。
「さあ、ヒントは出そろったかしら?」
そういうと、その場の全員を順番に見渡す。
「何故、彼女は殺されたのか――その結論は、出た?」
「――横田先輩」
呼び止めると、先輩は不思議そうに僕の方を見た。舞台のスポットライトのせいか、頬が少し紅潮しているように見える。
「なあに?どこか、ダメなところでもあった?」
笑ってそう言う先輩に、聞こうと思っていた言葉が舌先で止まる。
「……いえ……あの、本番、無事終わって良かったですね。真相は観客に託す、一発本番ミステリー即興会話劇、なんて聞いた時にはどうなることかと思いましたが」
「そうね。もう、何年かぶりの大盛況かも。まあ、色々と課題は残ったけど、あなたも出演者としてよくやったわ。架空の『氷川清子さん』には悪いけど、やっぱり人が死ぬくらいのインパクトがないと集客できないのかもねえ。これで来年、新入生が入ってくれるとなおいいんだけど」
くるくると表情を変える先輩に、凍り付いていた言葉が少しだけ、溶けた。
「――でもやっぱり、卑怯じゃないですか?犯人を演じる人間が、他者からそれを指摘されないとそうとわからない、なんて」
その言葉に、笑顔の三日月を描いていた先輩が笑みを消す。僕から移った氷点下が、先輩の言葉を包む。
「……真相は、わかった?」
やっと溶けだしたそれだけの言葉が、先輩の動揺を知らせる。
「と、思います」
「さっき、小さいカードみたいなので、ヒントをひとつずつ教えてもらいましたよね」
即興劇を始める前に、横田先輩から受けた説明は三つ。
一つ、犠牲者は氷川清子という架空のミス研会員。容疑者となったミス研メンバー全員にアリバイはなく、トリックもなく、動機がある。
二つ、氷川清子とほかのメンバーについて、一つずつ事件を解くヒント足りえる事実を知っていることとする。誰の、どんなヒントを知っているかは、カードをランダムに配って決める。そこから自由に背景を想像して、演じること。
三つ、この事件の犯人はこの中にいる。それを推理しながら演じ、観客に犯人を提示すること。
自分の手元に配られたカード、そして、最後に片付けたときに見た全員のカードの内容。
井上先輩は、『中瀬正彦』『金銭トラブル』。
中瀬先輩は、『佐藤伸一』『隠し事』。
浮原先輩は、『三好恵美』『嫉妬』。
三好さんは、『井上義男』『いじめ』。
そして僕は、『浮原裕子』『三角関係』。
これだけから謎を解くことはほとんど不可能、のように思える。しかし、舞台上にはもう一つ、横田先輩が用意した小道具があった。
氷川清子の死体の絵だ。
「横田先輩が提示した事件現場の絵、おかしな点は傘です。机から不自然に離れている。ただ倒れただけではこうならない。……傘は、黄色のバラの花が描かれたものです。黄色いバラ。……花言葉は、『友情』、それから『嫉妬』。……『嫉妬』のカードを引いたのは浮原先輩、そしてそのカードに従って、浮原先輩は三好さんから氷川清子に向けられた嫉妬を指摘した。これは、浮原先輩から『あなたが犯人だ』という三好さんへのメッセージでなくてはならず、三好さんもまた、『嫉妬』のキーワードに従って自分が犯人であると自覚して振る舞いを変えなければならない。……違いますか?」
僕の言葉に、横田先輩は小さく拍手をした。
「正解!さすがね、佐藤くん。……あとはもうちょっと、舞台の上でもそれっぽい振る舞いをしてくれたら百点だったんだけど」
いたずらっぽく笑った先輩に、肩の力がどっと抜ける。安堵のあまり溜息が出た。
「いや、無茶言わないでくださいよ……あの舞台の上、めちゃくちゃ緊張したんですからね。氷川清子の設定すらほとんど知らないのに、その中でここまで推理しながら話せなんて無理ですよ。僕だって、片付けの時にカード眺めててやっと気づいたんですから」
「結局、観客投票では井上が一番多かったって?」
先輩の横に並んで、こっそりとその顔色を伺いながら、校舎へと歩く。
「そうらしいです。まあ、序盤であれだけ動揺してましたからね……」
横田先輩はアハハと声を上げて笑った。
「アレは傑作だったわね!いつの間にか彼女持ちの設定にされてたの、本当に三好さんのお手柄だわ」
「おかげでその後もトンデモ設定が大活躍してましたしね……。」
「それでいいのよ」
満足気にうんうんと頷く横田先輩。
「だって、あの舞台上にいたのは私たち自身じゃなくて、舞台のためのキャラクターたちだもの。面白ければよし!」
「そんなものですか……」
横田先輩の感覚にはついていけない、と思うのはこんな時だ。即興劇についても、ほとんど一人で全部取り仕切ってアレなのだからすごい。
「まあ、佐藤くんが意外と頼りになることもわかったし、ミス研は安泰ね」
予想外の言葉に、僕はぎょっとした。慌てて横田先輩の前に回り込む。
「待ってください、僕は別に横田先輩みたいにミス研の中心人物になりたいわけじゃなくてですねーー」
「いいじゃない、やってみれば」
反論しようとした僕の言葉は、途中で失速した。
わざとらしく笑って見せた横田先輩が、何故か寂しそうに見えて。
横田先輩は、そのまま無言で歩き始める。返す言葉を持たないまま、僕もその後を慌てて追った。