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第6回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
17/26

ミステリ部へようこそ

H大学ミステリ部部員紹介


たき 秀介しゅうすけ 工学部2年生

古谷ふるや 大地だいち 経済学部2年生

西宮にしみや 香織かおり 理学部1年生

清野きよの 美沙希みさき 文学部3年生

加瀬かせ みつる 文学部3年生・ミステリ部部長


 ミステリが好きと言えど、実際に謎解きをする機会なんてない。

 瀧秀介も、その瞬間まではそう思っていた。

「そういうことか…」

「ん、どした?」

 秀介の口から漏れた言葉を、隣に座る古谷大地が耳聡くひろう。

「まさか謎解きでも始めちゃう感じ?」

 大地が口の端を吊り上げるように笑う。

「そのまさか、だ」

 秀介が余裕の笑みを返してやると、大地は面食らった様子を見せた。

「…ほんとかよ。いいけどさくっと頼むぜ。これから下宿に戻って荷物受け取らないといけないんだ」

「まあまあ、面白いじゃない。秀介くんの推理がどんなものか聞いてみようよ」

 斜向かいに座る一つ上の先輩、清野美沙希がフォローする。謎解きと聞いて、その目は好奇心に満ちている。

「先輩がそういうなら…。ほら秀介、早く進めちゃってくれよ」

 やむなしという態度で大地は椅子に深く座り直す。

 秀介は同じテーブルを囲む残り一人、正面に座る新入部員の西宮香織を見る。

 視線に気づいた香織は無言で小さく頷く。あまり感情が表に出るタイプではないが、いつもに増して内面は読み取れない。

 場所は昼下がりの大学食堂。絶海の孤島でも雪に降り込められた館でもないが、そこまでの舞台は高望みだろう。

 秀介は唇を湿らせ、小説で読み慣れた口上を述べる。

「それでは、皆さん。加瀬先輩を見舞った悲劇の真相を今から解き明かしたいと思います」


  ◇◇◇


 時は前日へと遡る。

 6月某日。秀介は大地の暮らすアパートにやってきていた。

 ドアチャイムを押すとチープな電子音が軽やかに鳴った。家主を待つ間に傘を畳む。すぼんだ傘の先から水滴が落ち、コンクリートの床に染みをつくっていく。周囲には強い雨の匂いが満ちていた。

「反応ないですね」

 秀介の隣に立つ香織が微かに不安を滲ませた声でつぶやく。

「おかしいな。前々から企画していたし、いないはずはないんだけれど」

 ミステリ部には決まった活動がない。不定期に予定の合う部員が集まってミステリ談義に花を咲かせるゆるい団体だ。入部要件はミステリが好きであることだけ。

 今年は新たな部員として香織が入ったため、部員全員集まっての歓迎会が大地の部屋で催されることとなった。全員と言っても秀介と香織含めて5人だけなのだが。

 どうしようかと二人が顔を見合わせていると、アパートの入口から足音が聞こえてきた。

「あら、早いね」

「あ、清野先輩」

 現れたのは秀介の一つ上の先輩である美沙希だ。

「2人とも今来たとこ?」

「いや、大地がなかなか出てこないんですよ」

 秀介は腕時計で時刻を確認する。あと10分ほどで集合時間の17時。

「ゲスト2人を待たせるなんて、ひどい話ね」

 秀介は香織より学年がひとつ上だが、入部したのは昨年の夏だった。そのため今日は初の歓迎会として香織とともに歓迎してもらえることになっていた。

「大地、どうしたんだろうな…」

 秀介が再度チャイムを押そうと手を伸ばしたところで、ドアが大きく開かれる。

「すまん、ちょっとバタバタしてた」

「何やってたんだよ」

「悪い悪い。あ、香織ちゃんも一緒だったんだ」

 大地は秀介の肩越しに香織へと声をかける。

「お招きいただきありがとうございます」

「そんな気をつかわなくていいよ。さ、入って」

「大地くん、私もいるよー」

「あ、先輩。すみません、みんな待たせちゃって」

 大地は恐縮した様子で招き入れる。秀介たちは左手にキッチンが据えられた短い廊下を進み、リビングスペースへと向かう。

 招かれた部屋の中心にはローテーブル、壁際には本棚が置かれている。並ぶ作品はもちろんミステリばかり。

「はい、香織ちゃん、これ使って」

 大地がラウンド型のクッションを香織に渡す。

「ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」

「そんな大した集まりじゃないんだから、気楽にやりましょ」

 美沙希が笑顔で卓を囲む。秀介も大地の下宿に来るたび使い慣れた座布団を引き寄せ、空いたスペースに座る。

「まずは、温かいものでも飲みません?」

 大地は腰を落ち着かせることなく皆を見回す。

「じゃ、僕はいつものやつで」

「ほい、カプチーノな」

「私はカフェイン駄目だからホットミルクにしようかな」

 大地は少し宙を見て考える。

「あー、了解っす。香織ちゃんはどうする?」

「私は…」

 戸惑っている香織に秀介は助け舟を出す。

「大地はコーヒー好きで、わざわざ豆を通販で取り寄せていたり、エスプレッソマシンを持っていたりするんだよ。こだわりがなさそうに見えて」

「一言余計だよ。もし、コーヒー苦手じゃなければ、秀介と同じカプチーノはどう?」

「ありがとうございます。いただきます」

 僅かに香織の顔が綻ぶ。

「うし! じゃ、準備してきます」

 大地は嬉々として部屋を出てキッチンへと向かった。

 賑やかさが減ると、雨音が一段と大きく感じられる。美沙希が窓の外を見やる。

「それにしてもよく降るね。もう1週間以上雨じゃない?」

「今日は曇りで持ち堪えるかと思いましたけど、結局しっかり降っていますね」

 昼過ぎから降り始めた雨は、勢いを増して本降りになっていた。

「雨に降り込められるなんて、ミステリにありがちな設定よね。まあ、こんなマンションの一室じゃ、世間と隔離されることもないけれど」

「足跡トリックもアスファルトでは成立しないですしね」

 自然とミステリの話題に結びついていく。ぬかるんだ地面に残る足跡は、雨が降った際によく見られるトリックだ。

「本格ミステリは現実社会では難しいですね」

 香織も残念そうに言う。

「そうねー。日常の謎は身近でも起こりそうだけれどね」

いつも通りミステリ談義に花を咲かせていると、キッチンから大地が両手に大きな機械を抱えて現れた。

「うわ、なにそれ」

「こいつがエスプレッソマシンです。せっかくなんで、ここで作っちゃいます」

 大地は皆が囲むローテーブルの中心にエスプレッソマシンを置く。コーヒー豆を投入しボタンを押すと、モーター音が鳴り、豆が砕かれ始める。数十秒待つと艶のある濃褐色黒の液体がカップへと抽出された。部屋の中に芳醇な香りが漂う。

「私はよくわかんないけど、やっぱこの機械だと美味しいの?」

 コーヒーが飲めない美沙希が興味深そうに問いかける。

「普通のコーヒーメーカーと違って、圧力をかけて抽出するんで全くの別物っすよ。今つくったのがエスプレッソです」

 大地はステンレスのジャグにキッチンから持ってきたパックの牛乳を注ぐ。

「で、こっちでスチームミルクをつくっていきます」

 先ほどエスプレッソが出てきた抽出口の脇についたノズルをミルクの入ったステンレスのジャグへと挿し入れる。ノブを回すとチリチリという音がして、牛乳の中に蒸気が吹き込まれる。

 大地の手捌きは無駄がなく、あっという間に牛乳の表面にきめ細やかな泡が生まれる。秀介も前に一度やらせてもらったことがあるが、ブクブクと大きな泡が立つばかりで悲惨なものだった。

「こんなふわふわにできるんだね。すごい」

 美沙希が感嘆する。

「温めすぎない60度くらいでやるのがコツなんです。牛乳の甘みも残りますしね」

 香織も目を丸くして大地の手元を覗き込んでいる。大地がわざわざマシンを持ってきた甲斐もあると言うものだ。

「これで、できたスチームミルクを注ぎ入れれば…。カプチーノいっちょ上がり」

 大地がカップを香織の前に置くと、ミルクの泡が緩やかに揺れた。

「すごい、本当にお店みたいです」

「ありがとう。それじゃ残りもやっちゃいます」

 感動した様子の香織に満足げな大地。再びカップをマシンにセットするとキッチンへと消えた。抽出が終わるまでの時間でマグカップを持って返ってくる。

「ホットミルクです」

 美沙希の前に静かにマグカップを置く。続けて、抽出されたエスプレッソにスチームミルクを注ぎ、2杯目のカプチーノをあっという間に作り上げた。さらに小ぶりのカップをセットし、大地の分のエスプレッソを抽出する。手際の良さはカフェのバリスタそのものである。

「それじゃ。どうぞ、お飲みください」

 皆の飲み物が揃うまで待っていた香織が静かにカプチーノを口に含む。美味しい、と小さく声が漏れた。

秀介も渡されたカプチーノを啜る。悔しいがいつもながらに美味い。

「あ、これ…」

 向かいで美沙希が声を上げた。

「清野先輩、どうかしました?」

 異変に気づいた秀介が声をかける。大地が困った表情を浮かべる。

「…すみません。ちょっと今日それしかできなくて」

「そっか、何でもないから気にしないで」

 美沙希は場の微妙な空気を変えるように慌てた様子で話を切り出す。

「そうだ、ミステリの話をしないとね。香織ちゃんはどういうミステリが好きなの?」

「私は特にこだわりなく、ミステリならなんでも。海外の作品も好きです」

「じゃあ、私より断然読んでるかも。海外だと『そして、誰もいなくなった』とか、有名な作品を抑えているくらいだもの」

「クリスティいいですよね。ポアロなら『オリエント急行殺人事件』が特に好きです」

 初めは先ほどの美沙希と大地の微妙なやりとりを気にしている様子の香織だったが、ミステリの話題に生き生きとした表情で身を乗り出す。

「うんうん、私も好き。秀介くんは海外ミステリあまり読んでないんだっけ?」

「…すみません、勉強します」

 話を振られた秀介も、話に上がった作品名くらいは知っている。ただ、秀介がミステリにどっぷりハマるようになったのは大学に入ってからだった。大地と同学年だが、入部が半年遅れたのもそういった背景がある。

「そういえば、加瀬先輩遅くないですか?」

 話題に乗り切れない秀介は尋ねる。時刻は17時半を回ろうとしていた。

「もう来ると思うんだけどね。今日の歓迎会をとても楽しみにしていたし」

「あ、さっき俺のスマホにメッセージきてました。買い出ししてきてくれるそうです」

 そんな話をしていると、ちょうどドアチャイムが鳴った。

 大地が出迎えに席を立ち、加瀬充を伴って戻ってきた。同学年の美沙希が鷹揚に手を挙げる。

「おつー。やっと部長の登場ね」

「ごめん。昼を食べる時間も貰えないほどバイトでこき使われちゃって。大地、これはどこに置いとこう。言われた通り買ってきたよ」

「わざわざすみません。キッチンにもらいます。先輩、なんか飲みます? なんだったらもうお酒にしちゃっても良いですけど」

「いや、空きっ腹だし、酔いを抑えるために牛乳飲んどくよ。冷蔵庫からもらっちゃっていいか?」

「どーぞ、どーぞ」

 充は手に下げていたスーパーの袋を大地に渡し、自らもキッチンへと向かう。秀介と同じく大地の下宿を何度も訪れている充は、自分の部屋のように動き回っている。

 牛乳パックとガラスコップを持って充が戻ってくる。パックの中身をグラスへ注ぎ切り、一息で飲み干す。

「これでミステリ部の部員全員集合ね」

「ほんと、こんな小さい部に新しいメンバーが入ってくれるとはありがたいよ」

 一番上の学年の美沙希と充がしみじみと語らう。

「これからよろしくお願いします」

 香織がペコリと頭を下げた。


 部長の充を加えて、変わらずミステリに関する話題でしばし盛り上がった。香織は話に上がった作品をほとんど読んでいるようで、

「これはミステリ部も安泰だな」

 と、読書量が一番多い充が言うほどであった。秀介は事あるごとに、これも読め、あれも読めと言われるばかりだったのだが。

 話がひと段落したところで、時刻は18時を回っていた。大地が徐に立ち上がる。

「そろそろ腹減りません? 軽く食べ物準備しちゃいましょうか」

「賛成!」

 美沙希が元気よく声をあげる。

「秀介、ちょっと手伝ってくれ」

「オッケー」

「あ、私も手伝います」

 香織もテーブルにあったカップを回収しつつ立ち上がる。

「じゃ、秀介はそこのエスプレッソマシンをキッチンのシンク下に片付けてくれ」

 秀介は言われた通りテーブルに置かれたエスプレッソマシンを持ってキッチンへ向かう。大地がシンク下の戸棚を開けると、ちょうどマシンが収まるサイズにスペースが空いていた。

「で、中にある土鍋を頼む」

 隣にはフライパンと金属製のボウル、奥に新聞紙に包まれた塊が置かれていた。

「この奥のやつでいいんだよな?」

「そうそれ。ちょっとでかいけど、鍋それしかないから」

 大地は充が買ってきたスーパーの袋をゴソゴソしながら応える。秀介は新聞紙を剥ぎ、土鍋を取り出してコンロへ置く。

「私も何か準備します」

 手持ち無沙汰に後ろに控える香織が言う。

「じゃ、香織ちゃんは、冷蔵庫から先輩が買ってきてくれた惣菜を持って行ってくれるかな」

「お皿に出したり、温めたりはしますか?」

 パックを手に持った香織が冷蔵庫の上に置かれた電子レンジを見る。

「あ、惣菜はそのまま出せばいいものだけだから大丈夫。あと、この皿におつまみ出しといてもらえると助かる」

 大地は棚から大きい平皿を香織に渡す。

「あの、他にもなんでも言ってください」

「いいのいいの、秀介がいるから。ゲストはゆっくりしてて」

「僕もゲストだろ」

「お前は働け」

 そんなやりとりを経て、香織がリビングスペースへ消えていく。

 大地は鍋に水を入れ火にかける。沸騰したところで5人分の袋麺をまとめて開けて、粉末スープを放り込む。

「後はパパッとやっちゃうから、酒を持っていっといてくれ」

「わかった」

 冷蔵庫の中に入れられていた6本パックのビールをぶら下げてキッチンを後にする。

 リビングルームに戻ると、ローテーブルの上は既に万全の態勢だった。スーパーで買ってきた枝豆、ポテトサラダ、ナムルの盛り合わせが並んでいる。柿の種やさきイカ、ポテトチップは先程の大皿に既に盛られていた。

「お。酒が来た!」

 俄に盛り上がった場に、秀介は缶ビールを配給する。

「大地、早く来いよー」

 待ちきれない様子で充がキッチンに向けて声をかける。

「ほい。お待たせです」

 大地が先ほどの土鍋を抱えて入ってくる。どんとテーブルの中央に置かれた鍋から、醤油と胡麻油の良い香りが湯気と共に溢れ出した。

「具材が刻みネギと胡麻だけですみませんが」

「十分、十分。そいや、袋の中に箸と皿入ってなかったか?」

「あ、忘れてました」

「いいよ、取ってくる」

 充がキッチンに消える。すぐに戻ってきた充の手で箸と深手の紙皿が皆に手渡された。

「これで揃ったな」

 缶ビールのプルトップが開く音が重なる。

「部長、やっちゃって」

 美沙希のかけ声に充は缶を掲げる。

「それでは、ミステリ部の益々の発展を願って」

「乾杯!」


  ◇◇◇


 翌日。

 昼食を終えた秀介、大地、香織の3人は学生食堂のテーブルを囲んでいた。

「昨日はありがとうございました」

「本当に楽しかったなぁ。うちでいいならまた集まろうよ」

 アルコールが入ったことで、さらに盛り上がりを見せたミステリ談義。秀介としても、これまでの活動の中でも、随一のイベントだったのは間違いなかった。

「ところで大地。加瀬先輩は大丈夫だった?」

「そう、それなんだけどさ」

 会話を続けようとした大地の視線が、秀介の後方へ移る。

「お、みんなお揃いね」

 秀介の背後から美沙希の軽快な声がした。そのまま空いていた席に座る。

「昨日の続きでもする?」

「あの、清野先輩。加瀬先輩は」

 秀介の問いかけに美沙希が渋い顔をする。

「あー、なんか体調が悪いらしくてさ。今日は講義も休み」

「飲みすぎない程度の量しか、酒準備しなかったんすけどね…」

 昨夜、軽くつまみながら飲んでいたのだが、20時を回ったあたりで充の口数が減り始めたのだった。

その後トイレに消えた充はなかなか戻ってこなかった。残された面々が不安を覚え始めたころ、ふらりと帰ってきて、

「悪いけれど、先に帰る」

 と、一言残して去ってしまったのだった。

 充が帰ったのちも残された4人は話を続けたが、それまでの盛り上がりは戻らず、自然と解散の流れとなった。

「せっかくの歓迎会だったのに、水を刺しちゃってごめんね。タメとして注意しとく」

「いえ、それより加瀬先輩は大丈夫なんでしょうか」

「朝にこのメッセージ来たっきり。また連絡してみるよ」

 美沙希はスマホをテーブルに置く。画面には充からぐったりした様子のキャラクターのスタンプが送られていた。

「なんか、ヤバそうすけど…」

「んー、お酒に弱いとは言え、そんな翌日に残るほどの量じゃなかったよね」

 美沙希が首を捻る。

 秀介も改めて昨日の会を思い返す。断片的な場面や言葉が呼び起こされる。

 コーヒーの香り。ミステリ談義。降り続く雨。6月。

 刹那、脳に電流が走るような感覚が生じた。

「そういうことか…」

「ん、どした?」

 秀介の口から漏れた言葉を、隣に座る大地が耳聡くひろう。

「まさか謎解きでも始めちゃう感じ?」

 大地が口の端を吊り上げるように笑う。

「そのまさか、だ」

 秀介が余裕の笑みを返してやると、大地は面食らった様子を見せた。

「…ほんとかよ。いいけどさくっと頼むぜ。これから下宿に戻って荷物受け取らないといけないんだ」

「まあまあ、面白いじゃない。秀介くんの推理がどんなものか聞いてみようよ」

 斜向かいに座る一つ上の先輩、清野美沙希がフォローする。謎解きと聞いて、その目は好奇心に満ちている。

「先輩がそういうなら…。ほら秀介、早く進めちゃってくれよ」

 やむなしという態度で、大地は椅子に深く座り直す。

 秀介は同じ席を囲む残り一人、正面に座る後輩の香織に目を向ける。

 視線に気づいた香織は無言で小さく頷く。あまり感情を表に出すタイプではないが、いつもに増して内面は読み取れない。

「それでは、皆さん。今から加瀬先輩を見舞った悲劇の真相を解き明かしたいと思います」

 秀介は一息入れる。3人の視線が静かに先を促している。

「まずは改めて昨日の食事を振り返って、体調不良の原因を探りたいと思います。大地、加瀬先輩が昨日飲んだお酒の量はわかる?」

「缶ビール2缶だな。最後にゴミをまとめたから間違いない」

「うん、僕もそうだったと記憶している。これまで何度か加瀬先輩と飲んだけれど、缶ビール2缶で気分が悪くなるほどではなかったと思います」

「それは私も同感」

 美沙希が頷く。

「では、他に昨日食べたものはどうだったでしょうか」

 秀介はテーブルを囲む面々を見渡す。

「えーと、大地くんがラーメンを土鍋でつくってくれたよね」

「私は枝豆とポテトサラダ、あとナムルの盛り合わせを冷蔵庫から出して並べました」

「あと加瀬先輩に乾き物買ってきてもらったんだよ。柿の種とさきイカとポテチ」

 3人はそれぞれ見交わしながら昨日のテーブルに並んだものを挙げていく。

 美沙希が小さく息を呑む。

「もしかして、それらに毒が仕掛けられていたとか、そんな話?」

「いやいや、先輩。それは流石にミステリの読みすぎですって」

 即座に大地が反論する。

「僕もそれはないと思っています。さっき挙げてくれたものは一通り僕も皆も食べていたので、加瀬先輩一人だけが体調を崩しているのは不自然です。加えてラーメン、枝豆、ポテトサラダ、ナムル盛り合わせは同じ鍋や容器から皆が取っていましたし、皿や箸は使い捨てで当日先輩が買ってきてくれたものでした」

「柿の種とかも大皿に出してみんな適当に食べていたしね」

「はい、加瀬先輩が食べるものを特定して毒を仕掛けるのは難しいでしょう」

 秀介は話を進める。

「加えてビールは缶から直接飲んでいたので、そちらの可能性もないと思います」

「となると、飲み会が始まってからではなく、その前ってことか」

 大地が推理に加わる。

「そう、部屋に到着した時に飲んだものを思い出してほしい。僕と西宮さんはカプチーノ、大地はエスプレッソ、清野先輩はホットミルク。後から来た加瀬先輩は冷蔵庫から取り出した牛乳を飲んでいた」

「でも、結局、皆コーヒーか牛乳を飲んでいるじゃない。どっちかに毒が入っていたら、他の誰かも体調を崩しているはずでしょ」

「先輩、だからそれはミステリの読みすぎ…」

「いや、あながち毒というのも間違いじゃないんだ」

 秀介は大地の言葉を遮り、食堂の窓から空を見る。今日も変わらずの雨模様。

 これまで静かに聞いていた香織が秀介の視線を追って気づく。

「なるほど。食中毒、ですか」

 秀介はその言葉に大きく頷く。

「その通り。大地はエスプレッソだから牛乳は飲んでいない。清野先輩はホットミルク。僕と西宮さんはカプチーノだった。加瀬先輩だけが牛乳を加熱せず飲んでいたことtになる」

「そうか。カプチーノで使うのは蒸気で熱したスチームミルクだもんな。秀介、よく覚えていたな」

「あの日は大地が皆の前でつくってくれたしね。と言うわけで、加瀬先輩の体調不良は食中毒。6月に入って雨続きの天候によって牛乳が悪くなっていたからでした」

 得意げな顔で締めくくった秀介は、反応を伺おうと三人を見回す。

 大地はうんうんと頷いている。一方、香織は顎に指を当てたままテーブルを見つめたまま考え込んでいる。

「なるほどね。香織ちゃんはどう? 何か考え込んでいるようだけど」

 美沙希が声をかけるも微動だにしない香織。秀介が場を繋ごうと口を開きかけたときだった。

「本当にそれが真相なのでしょうか…」

 香織の口からこぼれ落ちた呟き。美沙希が静かな眼差しで香織を見つめる。

「それは、どういうこと?」

 香織は未だ考え込んだ表情のまま応える。

「私も加瀬先輩の体調不良に関して考えていました。けれども、その過程で気になる点がいくつかでてきたんです」

「それは是非とも香織ちゃんの推理も聞きたいな」

 美沙希が興味深そうに言う。思いがけない展開に流されるがままの秀介と大地。

 探偵を変え、再び謎の解明が始まる。

「それでは、昨日の歓迎会で起こった真相を解き明かしたいと思います」

「さっきの食中毒ではない、ということ?」

 先ほど推理を披露した秀介が、早速口を挟む。

「はじめは私も瀧先輩の話を聞きながら、牛乳による食中毒かと思いました。まだ自分の考えが正しいかわからないのですが…」

 そこで香織は大地を見る。

「古谷先輩、もう一度カプチーノで使ったフォームミルクの作り方を教えていただけますか」

「作り方といっても、昨日見せた通り牛乳に蒸気を吹き込んで温めるだけだよ」

「事前に何か準備するわけではないのですね」

「そう、ステンレスの容器に牛乳を入れて、手のひらで温度を確かめながら温めすぎないように少しずつ蒸気を吹き込む。もちろん上手く泡をつくるコツとかはあるけど」

「それでは、手のひらで持てる温度、しかも数分の加熱で牛乳は殺菌されるものでしょうか」

 大地はギクリとした後、ゆったりと頷く。

「うーん。それは確かにちょっと怪しいかもな…」

「食中毒による体調不良の可能性に関して、他にも気になる点があります」

 香織は隣の美沙希を見る。

「清野先輩はホットミルクでしたよね」

「ええ、そうね」

「ただ一口目を飲んだ際、不自然にカップを見つめていました。それに対して、古谷先輩は『今日それしかできなくて』と返していました」

「単純に量が少なかったんじゃないかな? 思ったよりも牛乳がなくて」

 秀介が黙ったままの美沙希と大地を伺いながら言う。

「いえ、その可能性は否定されます。何故ならそのあとで来た加瀬先輩が牛乳をパックから注いで飲んでいるからです」

 香織は少し躊躇いを見せ、一つ息を吸って続ける。

「清瀬先輩、実はあれはホットミルクではなく、冷たい牛乳だったのではないですか?」

 思わず大地から声にならない呻きが漏れる。一方の美沙希は涼しげな顔でただ聞いている。

「古谷先輩」

 美沙希から情報を引き出すのは困難とみた香織は、険しい表情の大地に視線を向ける。

「これから下宿に荷物が届くと言われていましたが、それはもしかして電子レンジですか?」

 突然の問いかけに大地は目を見開く。

「どうして、それが…」

「牛乳を温めるのに最も手軽なのは電子レンジです。電子レンジが壊れていたなら、清瀬先輩の飲んだのは、やはり冷たい牛乳だと思われます」

「でも、ホットミルクは鍋で温めてつくったのかもよ」

 すっかり聞き役に変わってしまった秀介は思いついたことを述べる。

「それも可能性としては低いです。なぜならあの後ラーメンをつくる際、瀧先輩が新聞紙で包まれた土鍋をシンク下から取り出していました。その時、鍋はあの部屋にそれだけだと古谷先輩が言っています。土鍋で牛乳を沸かし、洗って片付ける時間はなかったと思います」

 瞬く間に切り返した香織は言い澱むことなく続ける。

「電子レンジが使えなかったと考えたのには他にも理由があります。古谷先輩が加瀬先輩に頼んで買ってきてもらった食べ物です」

「インスタントの袋麺、枝豆とポテトサラダにナムル盛り合わせ。あとは柿の種やさきイカなどの乾き物ね」

 秀介の推理で挙げた内容を、美沙希が改めて共有する。

「そう、それらは全て、電子レンジの加熱が不要なものばかりです。実際、私は冷蔵庫からそのままテーブルへと運ぶよう古谷先輩にお願いされました」

「確かに温かい食べ物は土鍋でつくったラーメンだけだった。大地、本当にあの時レンジは壊れていたのか?」

 秀介の言葉に大地は諦めた様子で口を開く。

「そう、香織ちゃんの言った通り、秀介たちが来る直前に壊れてしまって。せっかくの歓迎会だったのに…」

「でも、たかが電子レンジだろ。壊れてしまったのは残念だけれど」

「うん、まあ、そうなんだけどな」

 歯の奥にものが詰まったような語り口の大地。香織は大地の様子を気にしながら続ける。

「では、本来の謎へと戻ります。加瀬先輩は何故、体調不良となったのか。

瀧先輩の牛乳での食中毒説は、清瀬先輩が同じく冷たい牛乳を飲んでいたことで否定されました。ただ、」

 香織は眉根を寄せる。

「これまでの先輩がたの行動は、加瀬先輩だけが冷たい牛乳を飲み、食中毒になったと誤認させるように動いていたと思えてならないのです」

 香織の言葉を聞いて大地が美沙希に目配せをする。

「冷たい牛乳をホットミルクとして飲んでいるよう私たちに見せかけていたように、清野先輩と古谷先輩の間には何か共通の認識があったんですよね?」

「清瀬先輩、どういうことなんです? 先輩も冷たい牛乳を飲んでいたんだったら、どうして加瀬先輩だけ体調不良になったんですか?」

 香織と秀介の二人から詰め寄られる美沙希。

「…そろそろ種明かしをしてもいいんじゃないか」

 突如、美沙希の手元のスマホから声がした。

「え、加瀬先輩の声?」

 秀介が戸惑っていると、美沙希はパンと音を立てて手を合わせる。

「ごめん、実はさっきから充と会話がつながっていたの。充、あとは頼んだ」

 最後はスマホへ顔を近づけ、通話先にいる充へと呼びかける美沙希。

「二人ともお疲れさま。見事な解決編だったね」

 充の声がスマホのスピーカーから流れる。

「ミステリ部の新入り歓迎イベント、楽しんでもらえたかな」

「え、イベントって一体」

 固まった秀介と香織に美沙希が補足する。

「毎年、新たにミステリ部に入ってきてくれた部員に対して、一つ上の先輩が謎を仕掛けるの。今年は大地くんプレゼンツで、香織ちゃんと去年の夏から入ってくれた秀介くんへ」

「てことは、全部わかった上で謎解きを聞いていたんですか」

 目を瞬かせて秀介が訊ねる。

「そうそう。演技するの大変だったよー」

「俺もスマホ越しにばっちり聞いていた。秀介のミステリお約束の口上よかったぞ」

 充のニンマリとした顔が浮かぶようだ。秀介は恥ずかしさに穴に入りたくなる。

「では、加瀬先輩の体調不良というのは…」

 香織がおずおずと聞く。

「全く問題なく元気。昨日は決められたシナリオがあったとは言え、先に帰ってすまなかった」

 そこでスマホの向こうの充の口調が変わる。

「ただ、大地の食中毒のトリックは面白かったけれど、香織ちゃんにも言われていたスチームミルクのくだりは下調べがちょっと甘かったな」

「ミステリを読むのと、実際に考えるのでは全然難易度が違いました…」

「あと、電子レンジ壊れるのタイミング悪すぎよー。 突然冷たい牛乳出されてびっくりしたけど、トリックに関わるから言えないし」

「本当すみません! みんなが来る直前まで復活しないか色々やってたんですけど、どうにもダメで…。その場で言うこともできないし、テンパっちゃいました」

 やいやいと充と美沙希に言われて大地が項垂れる。

「大地、僕はよかったと思うから、気にするな」

 見事に大地のトリックを看破したものの、トリックの穴に気づかなかった秀介は複雑な気持ちである。

「それにしても、香織ちゃんの謎解き素敵だったよ。今から来年香織ちゃんが仕掛けてくれるトリックが楽しみ」

「私もつくるのは、かなり不安です」

 先ほどまで謎解きの様子とは打って変わって声が小さくなる香織。

「でも、来年までに新しく人が入ってきてくれないとダメですよね」

 少し元気を取り戻した大地が会話に加わる。

「それなら、今回の事件、というか歓迎イベントを小説仕立てにして配布するのはどうでしょう? ミステリの面白さを知ってもらうために」

「お、秀介くん、それいいじゃない! でも、配布するとなると来年はバレた状態で謎を仕掛けないといけないのね」

「僕も来年はつくる側ですよね。前もって仕掛けるのがわかっていても解けない壮大なトリックを考えますよ」

「秀介の考えるトリックは、俺と同じく穴ができるだろうから、香織ちゃんに任せとけって」

 期待に目を光らせる秀介に大地が冗談めかして言い、場は笑いに包まれた。

以上、拙い文章とトリックであったが、ミステリの面白さの一端に触れてもらえたら幸いである。

来年のミステリ部の新歓トリックは一体どのようなものになるのか。

是非、入部して謎を解いてみていただきたい。

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