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第6回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
13/26

蛍火

 先程までの幻想的な情景を、私は思い出していた。月がなく、雨上がりで風もさほど吹いていないというホタルを鑑賞するのには最高のコンディションだった。時期も6月中旬で、最盛期。川辺に無数の光が浮遊して点滅し、この世のものではないような風景を作り出していた。ホタルを直に、しかもこんなに沢山見たのは生まれて初めてだった。私は言葉を失っていた。

「高森さん、どうしたんですか。まさかもう酔ったなんて言わないで下さいよ」

「ホタルを思い出していたんです。凄いですね」

「初めて見る方は大概そう言いますよ。僕ら地元の人間でも、何回見ても感動します」

「やっぱり、そうですか」

返答している間に、吉田氏は私のグラスにビールを注いだ。

「すみません」

私は課長の補佐役、もっと言えば課長の荷物持ちなのにお酌をしてもらいすっかり恐縮してしまった。

ホタル保存会会長の吉田氏はこの町の古くからの名士一族で多くの田畑を代々受け継いでいるという。課長とホタル見学をしている時に色々と説明をしてくれたのが彼だったが、ホタルに夢中になり私はほとんど話を聞いていなかった。

ホタル見学が終わった後、町の施設で懇親会が行われていた。県地域振興課の課長の元へは次々と町役場の人達や世話役が入れ替わり立ち替わり現れて挨拶を交わしていた。一課員に過ぎない私は壁際で、あらためてあの光景を思い出していた。そんな時、吉田氏が話しかけてきた。


この町の水無月川は、昔からホタルで有名な川で戦後しばらくまでは多くのホタルが生息していたが、大企業の工場が次々と建設され、水質悪化と共にその姿を消したという。それがここ数年でホタルの生息数が急激に増えSNS等で話題になった。町としては、観光の目玉として活用しようと考え、県からも協力を得ようと今回の視察に繋がった。最初は課長と一緒に出張なんて気が重かったが、今は見学ができてよかったと思っている。町の特産品と結び付けて、大きなイベントをやりたいと思い始めていた。

「どうですか。町おこしになりますか」と吉田氏が聞いてきた。

「そうですね。ホタルと他の特産物や体験型イベントを組み合わせて何かやりたいですね」

この町の農村部はとうに過疎化が進んでいたが、近年、海外への工場移転が相次ぎ工業地域でも急激に人口が減り活気が無くなっていた。県下の他地域でも事情は似たり寄ったりで、頭の痛い問題の一つだった。

「ホタルに夢中になっていて説明を聞き逃してしまったのですが、どうやって復活させたのですか」

私は気になっていたことを質問した。

「水神様のおかげかもしれないですね」

「水神様?」

「この土地に古くからある土着信仰です。まぁ、冗談はさておき、ある男とその幼い娘が一つのきっかけだったのは間違いありません。ですが、この話をするのはとても心苦しいのです・・・・・・」

「何か、差し障りがあると」

「いえ。そういう訳ではないのですが、いずれ分かる事なのでお話します」

と言って吉田氏は話し始めた。


数年前、ある一家がこの町に引っ越してきました。父親と小さい娘さんの2人家族です。母親は子供を産んですぐに亡くなったそうです。その娘さんには生まれつき肺の病気があり、だんだん症状が悪化して、都市部での生活は難しくなってしまった。医者から転地療養を勧められたそうです。父親は地方に親戚もおらず困り果てて、それで母親の遠縁にあたる僕を最終的に頼ったのです。話を聞いて不憫に思い世話をしましたよ。娘さんも本当にかわいい子でよく自家で預かったりしました。来たばかりの頃は顔色も悪くてすぐに息が切れてしまう有様だったのです。それがここでの生活が合ったのか、次第に症状も改善されて短い距離を走れるくらいに良くなったのです。その矢先でした・・・・・・

ある夕方、父親から家に電話があったのです。なんでも娘が甘い水をホタルにあげると言ってきかない。どこかいい場所を知らないかと言うのです。僕には思い当たる節がありました。あの子に昔はこの町の川に、沢山のホタルがいたことを話していました。あの子はホタルを見たがっていました。そして一緒に童謡を歌ったりしたのです。

僕は水無月川のことを父親に教えました。その日の夜、川辺近くで娘さんが急に走り出したそうで、川に落ちて亡くなりました。父親は憔悴しきって、自分を責めて心のバランスを崩してしまい入院することになりました。随分経ってから、退院した父親が私の元に訪ねて来ました。彼は、どちらかというとがっしりとした体型をしていましたが、見る影もなく痩せて別人に見えました。そして言いました。あの子のためにホタルを見せてやりたいと。僕は、彼と一緒にホタルの養殖をしました。彼は何かに取り憑かれたように一生懸命、世話をしていましたよ。ようやく育ったホタルを6月のある日、僕と彼は娘さんが転落した所で放流しました。ああこれでやっと一区切りつけることができるかもしれないと思いました。光が舞い散る川面を見つめているうちに、彼の顔がみるみるうちに険しくなって行きました。そして突然、踵を返して河原からいなくなってしまいました。僕は声を掛けることすらできませんでした。

翌日の早朝、彼が川の堤をふらふらと歩いているのを町の者が見かけて、話かけたがどうにも様子がおかしい。ホタルがとか殺すとか言っている。手には液体の入った瓶を持っている。彼の病気のことはみんな知っていましたから、保護者のようになっていた僕のところにすぐに連絡がきました。僕が彼の元に行くと、瓶を取り上げようする町民と揉めていました。彼は錯乱していて怪我人が出ると思い警察と救急車を呼びました。そのまま入院して、今も帰って来られません。これからも難しいでしょう。


「そんな不幸な事故があったんですか」私は光ある川に黒い染みが広がるような思いがした。

「瓶の中身は何だったんですか」

「農薬です」

「農薬?彼はどうするつもりだったのでしょう」

「川に流すようでした。もちろん瓶の中身は後から分かったのですが、彼の言動で劇薬とは推測できました」

「なぜ、毒物を川に流そうとしたんですか」

「彼は娘さんを殺した犯人を見つけたんだと思います」

「犯人?事故死ではなかったんですか」

「ここからは僕の推測でしかありません。もう彼の口から真実を聞くことはできないでしょうから。彼には自分がもっとしっかり娘を見ていれば、と後悔と自責の念が絶えず心にあったと思います。時には押し潰れそうになってしまうこともあったでしょう。長い入院生活で彼なりの償いとして娘が見たかったホタルを育てることで、心の拠り所を見つけたのだと思います。あの日、薄暮の中、娘さんが走り出しても彼は直ぐには追いかけなかった。娘が走れることにうれしくなって、その後ろ姿をほんの少し見つめていた。娘が草むらを分け行った後を追いかけたところで、何かが水に落ちる音を聞き慌てて岸まで来ると急流に飲まれていく娘の姿が見えた。その時、視界のどこかにうっすらと光るものが見えていた。それが何であるかは分からず、というより気にするどころではなかったでしょう。私との放流の日。川辺に乱舞する光を見て、忘れていたあの日の光が何であるかが分かった。そしてこう思った」

―娘はホタルを追いかけて川に落ちたのではないか、と。

「そこから一気に彼の心は壊れていった。娘の償いの対象が犯人だったなんて耐えられなかったことでしょう」


「そんな・・・・・・」私は絶句した。

「ただ、何度も言いますがあくまでも推測でしかないです。事実はわかりません。それから、僕が町に積極的に働きかけて養殖に力入れ、川の水質もかなり改善されてきたこともあって徐々にホタルの数は増えていきました」

私はぬるくなったビールを一息に飲み干した。いつの間にか吉田氏は冷えたビールを手にしており、また私のコップに注いだ。私は注ぎ返そうと、瓶を持とうとしたが「車で来ているので」と言って断られた。それから、課長に呼ばれて町の振興係の人と具体的なプランを話したが、どこかおざなりな対応になってしまい、お互い空虚な会話になってしまった。あんな話を聞いた後だけに、積極的になれない気持ちになるのはしょうがないと思った。しばらくすると、酔ったのか少し眠気が差してきた。酒は強い方だが疲れているのかもしれない。最後に課長の挨拶があって会はお開きになったが、二次会の話が出ているようで私も誘われたが断った。課長は出席するようで、私はタクシーを呼んでホテルまで一人で帰ろうと思っていると、吉田氏が送りますと言ってきた。なんとなく、一緒に居たくない気持ちになっていたので断ろうと思ったが、家の近くですからと言い、車を出してきたのでそのまま乗車した。

車は水無月川の堤の上を走っていた。ホタルのいた同じ川とは思えない程黒く禍々しく見えた。

「この川は暴れ川で、昔からよく氾濫したんですよ」吉田氏が唐突に話し出した。

「僕の家は、水神様を奉る神官の役割を代々担ってきました。水神様は豊穣の神であり男神でもあったので川を治め、土地を栄えさせるために度々女を贄として川に流しました。実際、流した後は決まって川は落ち着き、豊作が続いたそうですよ。土地に繁栄をもたらした」

私はその話を聞いて唐突に想像してしまった。吉田氏が女の子の近くでホタルを放す姿を。そういえば、娘さんが水を流す場所を父親に教えたのも吉田氏だったし、わざと流れの速い危険な場所を教えたかもしれない。川に転落する場面も、まるで見てきたかのように細かく語っていた。

ホタルを贖罪として考えたのは父親だけでなく、吉田氏もそう思ったのではないか。だから養殖するよう強く町に進言したのではないか。

いくらなんでも突飛すぎる。酔いのせいで埒もないことを考えてしまった。

「大昔の話ですよね」私はそうであってほしいと思いながら聞いた。

「そうですね、記録に残っているのは明治の初め頃迄ですけどね」

私はそれ以上、聞くことが出来なかった。怖かったのだ。

車は堤の上を走り続けている。

まぶたが重くなってきた。ホテルまでこんなに遠かっただろうか。

「大丈夫ですか」吉田氏の声が遠くに聞こえる。

意識が途絶える刹那に童謡の一節が微かに聞こえた気がした。


ホタル来い、こっちの水は甘いぞ

もしかして、甘い水に誘われたのはホタルではなく、女の私だったのだろうか・・・・・・


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