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9 続けるべきだと思います

 ジョシュア様が向かったのは中庭からは目と鼻の先である王宮の二階、会議室が並ぶフロアだった。

 あたりに人影は見当たらない。

 会議室を使用するには許可が必要だけれど、空き部屋で少し話をするくらいは大丈夫なのだろうか。

 いや、確か普段は鍵がかけられているはず。あ、鍵を管理しているのは秘書官室だ。


 私があれこれ考えていると、一つの会議室の前でジョシュア様が足を止めた。やはりその扉は施錠されている。

 でも彼が懐から鍵を取り出すようなことはなく、また歩き出した。


 会議室の先で廊下を折れると、正面に大きな扉が見えた。

 そこが目的地かと思ったが、ジョシュア様はその扉の手前でまた足を止め、右手側の壁のほうに体を向けた。

 そうして壁に描かれている花模様を眺めていたかと思いきや、その一角をおもむろに手で押した。

 何の変哲もない壁に見えていたところが、ギイと音を立てて動いた。

 え、隠し扉?


 呆然としつつ、ジョシュア様に続いてそこを潜ると、中は小部屋だった。

 ジョシュア様はすぐに扉を閉めた。こちらから見ると、いたって普通の扉。


 部屋に置かれているのは小さな机と数脚の椅子のみだが、それらも壁や天井の装飾も王宮らしい豪華なものだ。

 それなのに、何となく懐かしさを覚えた。


「さすがにこの部屋で食事をとって読書というわけにはいきませんが、二人だけで話をするにはちょうどいいでしょう?」


 ジョシュア様の言葉で気がついた。隠し扉の先にあったこの部屋は、学園の裏庭を思い出させるのだ。

 きっと彼も同じに違いない。


 ジョシュア様は一方の壁に近づいて私を手招きした。


「ここ、覗いてみてください」


 ジョシュア様の指さしたところを見ると、装飾に紛れるようにごく小さな穴が空いていた。

 言われたとおりにその穴を覗けば、この部屋の何倍も大きな部屋が見えた。おそらくジョシュア様が先ほどその前で足を止めた会議室だろう。


「会議をこっそり覗き見するための部屋、なのだそうです。壁に貼り付いていると隣の部屋の声もよく聞こえるらしいですが、残念ながら私は向こうに人がいる時には来たことがなくて」


「こんな部屋があるなんて、初めて知りました」


「知っているのは王族と一部の官吏だけのようです。私は宮廷に入って少したった頃、兄に教えてもらいました」


「私が知ってしまってよかったのでしょうか?」


 ジョシュア様はこてりと首を傾げた。


「さあ?」


「さあって……」


「私が同じことを訊いたら、兄がそう言ったんです。そもそも秘密の部屋だから、知っていいのは誰と誰までなんて明確な規定はないのでしょう。それに、ウィレミナ様は秘密を簡単に漏らすような人ではありません」


 自分はいとも簡単に私に教えてしまったくせに狡い。

 だいたい、彼がそれほどの信頼を私に寄せる根拠は何なのだろう。


「それで、ウィレミナ様が話したいことというのは?」  


 いけない。驚きのあまり中庭から移動してきた目的を忘れるところだった。

 でも、いざとなると何をどう切り出すべきかわからない。


「とりあえず座りましょうか」


 ジョシュア様に促されて私が椅子の一つに座ると、彼はその隣にあった椅子の位置を変えてそれに腰を下ろした。

 私のほぼ真正面。ジョシュア様の膝が、今にも私の膝に触れそうな距離。

 私は、彼の膝とその上に置かれた両手を見つめた。


 アレックスに言われなくても自覚はあった。

 私はこの半年あまりずっと、ジョシュア様のことをきちんと見ていなかった。

 家族や先輩方には見えていたものが私に見えていなかったのだとしたら、そのせいだ。


 ただ一度だけジョシュア様をまともに見たと言えるのは、マクニール家の馬車の中で彼に求婚された時だろう。

 だけど、あの時の私は様々な思い込みに囚われて、視界を曇らせていた。

 それらをすべて取り払ってしまえば、私に求婚したジョシュア様は誠実そのものだったのではないか。

 そう、不誠実なのは、そんなジョシュア様から目を逸らしておきながら彼の気持ちを疑う私のほうだ。


 私は覚悟を決めて、ゆっくりと顔を上げた。ジョシュア様と視線が真っ直ぐにぶつかる。

 そこには期待と不安が浮かんでいた。


「ジョシュア様は私に求婚してくださる前に、初対面での言葉を取り消したいと言いましたよね」


「はい」


 初対面の相手に対して言うべき言葉ではなかったから彼は取り消したのだと思っていたけれど。


「あれはつまり、私がジョシュア様を好きになっても構わないという意味なのでしょうか?」


 ジョシュア様は私の言葉に被せぎみにきっぱり「違います」と否定した。


「ウィレミナ様に私を好きになってほしいという意味です」


 その言葉以上に真っ直ぐに向けられた視線のせいで、私の胸は痛いくらいに高鳴っていた。

 ジョシュア様は私をいつもこんな目で見ていたのだろうか。


「私もあの時の言葉を取り消していいでしょうか?」


「どの言葉ですか?」


「『ごめんなさい。無理です』」


 ジョシュア様の期待の色が濃くなった。


「私と結婚してもらえるということですか?」


「前向きに考えたいという意味です」


 ジョシュア様からすれば結婚前提の恋人になっておいて何を今さらという感じだろうに、彼の表情ははっきりと明るくなった。


「はい、お願いします」


「ただ、結婚するとしても当分先になってしまうのですが。その、弟たちの学費を稼がないとならないので、あと二年は官吏を続けたくて」


 結婚相手が変わっても官吏を辞めるのはやはり惜しくて、ブラウン伯爵に対して使っていた口実を口にした。

 ジョシュア様が相手の場合、二年もあれば心の準備ができるだろうという考えもあるけれど。


「それはつまり、私が弟さんたちの学費を出せばウィレミナ様はすぐに官吏を辞めるということですか?」


 心なしか、ジョシュア様の表情が曇ったように見えた。


「ジョシュア様にそんなご迷惑はかけられません」


「それなら理由は何でもいいですけど、とにかく学費をすべて賄えるだけのお金が手に入ったら、あなたは明日にでも官吏を辞めるんですか?」


 ジョシュア様が眉を顰めた。以前のように皺までは寄っていないけれど、不機嫌なのは間違いない。

 彼にこんな嘘を吐くべきではなかったと後悔する。


「申し訳ありません。学費を稼いでいるというのは嘘で、本当は官吏を辞めたくないだけです」


 途端にジョシュア様は安堵した様子で表情を緩めた。


「よかった。私もウィレミナ様は官吏を続けるべきだと思います」


「……え?」


「だって、もったいないです。皆があなたの仕事振りを褒めているのに。それに、あなたは仕事中、とても活き活きしています」


 思わぬ言葉に私はポカンとしてしまった。でも、気を抜くのは早かった。


「私はウィレミナ様のことが好きですが、官吏としては尊敬しています」


 私への気持ちを訊きたいとは思っていたけれど、ここでサラリと言われるなんて。

 しかも、私にとってはもっとも嬉しい言葉とともに。


「ありがとうございます」


 とりあえずお礼を言ったものの恥ずかしくてたまらず、もうジョシュア様の顔を見ていられなかった。

 でも、彼との距離が近いので視線を逸らしてもその綺麗な顔が視界から消えてくれない。

 他に思いつかなくて目を閉じると、ジョシュア様の困惑したような声が聞こえた。


「ウィレミナ様、私を試しているのですか?」


「試す?」


 何のことかと目を開けると、ジョシュア様の顔が赤くなって視線がウロウロしている。


「そんな無防備に目を閉じられたら、口づけをしたくなります」


 顔が一気に熱くなった。

 ジョシュア様がそんなことを考えるなんて、私の想像の範囲外だ。


 ジョシュア様が慌てたように口を開いた。


「もちろん無理矢理するつもりはありません。必ずウィレミナ様の許可を得ますから」


 それはそれで恥ずかしい気がして応えられずにいると、ジョシュア様がパッと立ち上がった。


「そろそろ中庭に戻りましょう」


「そうですね」


 私たちは秘密の部屋を出て、並んで歩き出した。

 会議室の周囲にまだ人影はなかった。


「あの、ウィレミナ様」


「はい」


「帰りにお屋敷まで送らせてください。今日は仕事もそれほど遅くならないと思うので」


 ここで断れないと頷きかけて、はたと気づいた。

 ジョシュア様を我が家に近づけては駄目だ。ターナー嬢に出会しかねないのだから。


 何となく、ロドニーの婚約者がターナー嬢であることをジョシュア様は知らないような気がする。

 それなのに彼女に会ってしまったら、絶対にジョシュア様にとって楽しい状況にはならないだろう。


「今日は、私のほうが遅くなりそうなので」


「終わるまで待ちますよ」


「いえ、何時になるかわからないので」


「そうですか」


 ジョシュア様の声がシュンとしていて、また嘘を吐いてしまったことに罪悪感を覚えた。

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