7 相手は姉上ってこと
ジョシュア様にとっての私という存在の利用価値についてあれこれ考えているうち、気づけば私は屋敷の門の前にいた。
考えごとに気をとられていても王宮から屋敷まできちんと帰れるのだから、私もこの生活にすっかり慣れたものだ。
お父様が知ったら叱られそうだけど。
門を入ろうとした時、通りをやって来た馬車が私の真横で停まった。
窓を開けて顔を出したのは、いつかブラウン家の玄関前で見かけた令嬢だった。
「あなたがウィレミナ・ハウエル子爵令嬢でしょうか?」
「ええ、そうです」
「私はターナー伯爵家のコーデリアと申します。ロドニー様の婚約者です」
「お話は聞いております。ハウエル家のウィレミナです。どうぞよろしくお願いいたします」
こうして近くで見ると、ロドニーにはもったいないほど可愛いらしい方だ。
だけど、その可愛い顔と声には私への敵意がありありと滲んでいた。私は淑女らしく礼をとったのに、彼女は馬車の中からじっとりと私を見下ろしたまま。
まあ、隣家に元婚約者がいるのだから彼女が心穏やかでないのも当然かもしれない。
私が感謝を口にしたところで、彼女には嫌味にしか聞こえないだろう。
それに、ジョシュア様のことを思えば私の気持ちも複雑だった。
とりあえず当たり障りのなさそうな祝福の言葉を伝えておこうとしたが、先に彼女が口を開いた。
「今まで勿体ぶっていたあげくに婚約を解消されたのに、よく宮廷で働きつづけられますね。普通なら恥ずかしくて屋敷に引きこもると思いますが」
ああ、普通は婚約解消は恥ずかしいことなのだっけ。私には官吏を辞めなくて済んだ喜びしかなかったけれど。
それに、そもそも婚約解消くらいで仕事ができなくなる程度の覚悟で働けるほど宮廷は甘くない。
というか、婚約者のいる男性と関係を持ったことは恥ずかしくないの?
「それとも、宮廷に通っているのは新しいお相手を探すためかしら? どうせ女性が官吏になる目的なんてそんなことなのでしょうし」
私が知るかぎり、女性が官吏を目指す理由はおおむね二つ。男性同様に働きたいからか、家計を助けるためだ。
先輩女性官吏の中にはたまたま宮廷で出会いがあって結婚し、官吏を辞めた方もいるにはいるけれど、それだけが目的で働き続けられるほど官吏の仕事は楽ではない。
それにしても、私個人に対してだけならまだしも、他の女性官吏まで貶すなんて。
だけど、相手は伯爵令嬢だ。子爵家の娘である私はグッと堪えた。
「もっとも、いくら傍にいたところでそんなドレスでは、男性の目にとまることなんてありえませんね。それに、その髪。ロドニー様が愛想を尽かすはずだわ」
華やかなドレスを着ている彼女からすれば、私のドレスは地味そのものに違いない。
そして、私の髪は肩のあたりで切り揃えてあった。それこそ普通の令嬢ならありえぬ短さだが、別に男性を真似たわけではない。
官吏として働けることが決まった喜びのあまり、学園の卒業式から帰宅してすぐに二本のおさげに結っていた髪を自分で切り落としたのだ。
これには両親や弟たちも唖然としていたし、ブラウン伯爵は渋い顔をしたけれど、ロドニーには大笑いされた記憶がある。
宮廷に入ってから出会った先輩女性官吏たちは皆、長い髪を仕事の邪魔にならぬよう結い上げていて、私のように短くしている方はいなかった。
さすがにやりすぎたかと後悔したのは最初だけ。慣れてしまえば短いほうが何かと楽でまた伸ばす気にはなれず、夜会などに出る時だけ付け毛を使うことにした。
ドレスも髪も、マクニール侯爵夫人は「ウィレミナ嬢に似合っていて素敵」と褒めてくださったのだけど。
「では、せいぜい励んでくださいませ」
そう言い捨てて、ようやく彼女は去っていった。
私は改めて門を潜り、屋敷の玄関に向かう。
ひどくガッカリした気分だった。
ジョシュア様が恋慕う令嬢は、見た目以上に心が清らかで美しい方であってほしかった。
あの令嬢なら、ジョシュア様はむしろ失恋してよかったとさえ思えてしまう。
もちろんジョシュア様は彼女にあんな面があることを知らないのだろうし、私の口から告げるつもりもないけれど。
自室まで戻ってソファに腰を下ろし深い溜息を吐いていると、ふいに扉がノックされた。アレックスだった。
アレックスは私の部屋に入ってくるなり勢いよく言った。
「さっき、ブラウン家にコーデリア・ターナー嬢がいるのを見たんだけど」
「私も会ったわよ」
「まさか、彼女がロドニーの新しい婚約者なの?」
「そうみたいね」
「だとしたら、偶然とは思えないんだけど」
アレックスがものすごく怪訝そうな顔をした。
もしかしたらアレックスも彼女がジョシュア様の想い人だと知っているのかもしれないと思いつつ、私はとりあえず「何のこと?」ととぼけた。
「彼女は学園にいた頃、ずっとジョシュア様に付き纏っていたんだよ」
「……え? ターナー嬢が、ジョシュア様に?」
「そうだよ。ほら、去年、学園で起きた事件のこと覚えてない?」
「覚えているわ」
この流れでアレックスの口から出たのなら、ジョシュア様を巡って女子生徒同士が喧嘩をしたという件だろう。
私はそれを、ジョシュア様より一年後輩のアレックスから聞いたのだ。
「あの時の当事者の一人がターナー嬢なんだ」
「それなら、王宮の夜会で二人が一緒にいたのも、ターナー嬢が一方的にジョシュア様に付き纏っていたってこと?」
「絶対にそうだよ。事件の後にマクニール家から近づくなって警告されたらしいけど、諦めてなかったんだな」
私は思わず頭を抱えた。
あの令嬢がジョシュア様の想い人でなく、彼に付き纏っていた人だったなんて、私は何という勘違いを。
ジョシュア様に謝りたいけど、こんなこと絶対に話せない。
でも、それならジョシュア様が失恋した相手は誰なのだろう。
「ジョシュア様が失恋? それこそ姉上の勘違いじゃないの」
「いいえ、ヴィンセント様に聞いたのだからこれは間違いないわ。だから私は求婚は受けられないけど他にできることはないかとジョシュア様に尋ねて、気づいたら結婚前提の恋人になっていたんだもの」
「それって、姉上が一度はジョシュア様の求婚を断ったってこと?」
アレックスにそう訊かれて、私はようやく気がついた。
心の中で考えていたつもりが、声に出していたことに。
「姉上?」
今さら聞かなかったことにしてもらうのは無理なようだ。
「……そういうことです」
「ちなみに、ジョシュア様に求婚されたのとマクニール次期侯爵に失恋を聞いたのと、どっちが先?」
「求婚です」
「なんだ、それならジョシュア様が失恋した相手は姉上ってことじゃないか」
アレックスの口にした言葉が理解できなかった。
「アレックス、あなた何を言っているの?」
「姉上こそ何で気づかない振りするのさ。そう考えるのが自然だろ」
「だって、あのジョシュア様よ」
アレックスは呆れたという様子で顔を顰めた。
「あのさ、ジョシュア様と姉上が恋人になったって聞いて僕たちが喜んだのは、ジョシュア様がマクニール侯爵のご子息だからとか顔が良いからとかではなくて、あの人が姉上のことを大事に想ってくれてることがすぐにわかったからだよ。それなのに、姉上が全然わかっていないなんて、ジョシュア様に申し訳なくなるよ」
アレックスが「ジョシュア様ときちんと向き合ったほうがいいよ」と言い置いて部屋を出て行ってからも、私はソファに座ったまま呆然としていた。
ジョシュア様が私を想っているなんて、とても信じられない。
だけど、最近のジョシュア様の表情や言動を思い出すと、確かにそう考えるのが自然かもしれないと思えてくる。
でも、やっぱり信じられない……。