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5 本を読んでもいいですか

「昨日はすみませんでした。結局、夕食までご馳走になってしまって」


「こちらこそ父が無理に引き留めて申し訳ありませんでした」


「いえ、早めにきちんとご挨拶できてよかったです。ご両親にお付き合いを反対されませんでしたし」


 私の両親も弟たちも反対どころか大喜びで、今朝の食卓も彼の話題で持ちきりだった。

 緊張して少し硬くなっていたことがむしろ好感度を上げたようだ。

 マクニール様の本当の想い人は他にいるなんて、誰も想像もしていない。


「ところで、どうして父に結婚前提だなんて言ったのですか?」


 私は昨夜訊きそびれたことを、声を潜めて尋ねた。


「違うのですか?」


 彼に心底驚いたような声でそう返され、昨日の話の流れではそうなるのかもしれないと思い直した。


「申し訳ありません。すぐに結婚を前提としない恋人だとお父上に訂正させていただきます」


 マクニール様は今からでもお父様を探しに行きそうな様子だった。


「いえ、訂正しなくて構いません」


 そもそもこの関係はマクニール様のために始めたことなのだから、彼が結婚前提でと言うならそれでいいのだろう。


「それでは、私の両親にも会っていただけますか?」


「ご両親に私のことをどのように紹介するのですか?」


「結婚前提の恋人、では駄目ですか?」


 すべての事情を知っているのはヴィンセント様だけらしい。


「構いませんが、マクニール様のご両親のほうが反対なさるのではありませんか?」


「二人とも喜んでいましたよ」


「もうお話しされたんですか?」


「はい。それで、早く連れて来いと言われました」


 逃げられない。


「少しだけ心の準備をする時間をください」


「私はいいのですが、あまりのんびりしていると紹介の場に両親だけでなく祖父母や叔父叔母たちまで揃いかねないので」


「は?」


「うちの親戚の間では、こういう話題はすぐに回るんです」


 とんでもない脅しだと思いたい。

 さっき外交官室に書類を届けた時、やけに視線を感じたのは気のせいのはず。


「私はいつでも大丈夫なので、そちらのご都合の良い日でお願いします」


「伝えておきます」


 まあ、視線なら今も感じているのだが。


 王宮の中庭には中央の噴水を囲むようにいくつもベンチが置かれていて、ここで昼食をとる人も少なくない。

 私もお決まりのベンチで本を読みながらサンドウィッチなどを食べるのが、いつもの昼休みの過ごし方。

 でも、今日は隣にマクニール様がいる。


 朝、宮廷に来て法務官室に向かっていたところを彼に捕まってーー偶然会ったのではなく待ち構えられていたーー、昼食を一緒にと誘われたのだ。

 私は食堂を利用しないので断ろうとすると、マクニール様も今日はサンドウィッチ持参だと言う。

 いつもは秘書官室の方々と食堂で昼食をとっていたはずなのに。


 そんなわけでこうなって、他のベンチに座る方々からチラチラと見られているのだ。

 私たちの背後にある回廊を通る方々のことは、もう考えないようにしている。


 まあ、始業前に誘って、私的な話は昼休みにというのはマクニール様らしいとは思う。

 仕事中に廊下で会った時は、いつもどおり仕事に関わる話しかしなかった。

 ただし、彼の表情は今までになく柔らかいもので、あなたはやっぱりコーウェン公爵の甥である前にマクニール侯爵夫妻のご子息なんですねと私は心の内で呟いてしまったのだけど。


 隣を窺うと、どうやらサンドウィッチを食べ終えたらしいマクニール様は両手を軽く払っているところだった。そんな姿にさえ品がある。

 それにしても、マクニール様は昼食が済んでもまだここにいるつもりなのだろうか。

 昨夜もそうだったが、彼が自分の隣に座っている状況は決して嫌ではないのだが、どうにも落ち着かない。

 私が食べ終えたら何か適当な用事をでっちあげて一人でどこかに移動し、本を読もうか。そうでもしないと、午後の仕事に支障をきたしかねない。


 あれこれ考えているとふいに彼がこちらを向いたので、慌てて視線を自分の手の中のサンドウィッチに戻した。


「すみません、ここで本を読んでもいいですか?」


 まるで私の考えを読まれたような言葉にドキリとしつつ頷いた。


「もちろんです。私もこれを食べたらそうします」


「ありがとうございます」


 マクニール様が本を開いてその頁に視線を落とすのを確認してそっと胸を撫で下ろした。

 それから急いで残りのサンドウィッチを口に入れ、私も携えてきた本を開く。

 初めこそ隣にいるマクニール様の気配が気になったものの、文章を追っているうち意識がそちらに集中していった。


「そろそろ昼休みが終わりますよ」


 そんな声が聞こえて視線を上げると、噴水の向こう側のベンチから人が消えていた。

 それからハッとして隣を見れば、こちらを見ていたマクニール様と目が合ってしまった。


「申し訳ありません。すっかり本に夢中になっていました」


 あれほど落ち着かない気分だったのに、本を読みはじめた途端、隣に彼がいることを忘れてしまったとはさすがに言えない。


「いえ、私も同じです」


「それならよかったです」


 私たちは立ち上がり、回廊のほうへと歩き出した。


「明日も来ていいですか?」


 昼休みの半分以上は言葉も交わさず、それぞれ好きな本を読んでいるだけだった。

 マクニール様がそれで構わないというなら、私に断る理由はなかった。




 その日の午後、別の部署との打ち合わせを終えて法務官室に戻ると、先輩方のニヤニヤ顔に迎えられた。


「ウィレミナ、ジョシュアと結婚するんだってな」


「しませんけど」


「結婚前提で付き合ってるなら、遠からずそうなるってことだろ」


 中庭のベンチで二人並んで昼休みを過ごせば何らかの噂になるだろうと覚悟はしていたけれど、噂にしてはやけに詳しい。


「そんな話、誰から聞いたんですか?」


「ジョシュア本人から、ついさっき」


「なんだ、あいつの妄想か?」


「事実です」


 私ならともかく、なぜマクニール様がそんな妄想をすると思うのか。




 その週の金曜日、仕事を終えた私はまたまたマクニール様と一緒に馬車に乗り込んだ。


 彼から「明日でどうか」と訊かれ、了承したのは前日の始業前こと。

 その後でドレスはどうすべきかとか、手土産は何がいいかなど色々な問題に気づいて、昼休みにマクニール様に相談した。


「私は手ぶらで宮廷服のまま、ご両親に挨拶しましたが」


「あの時は本当に突然だったから仕方なかったですが、私は一日猶予があるんですよ」


「両親の性格からして、私たちと同じように宮廷で働いていることをわかっていて平日の夜に招くのは、そういう気遣いは無用という意味だと思います。そのままのあなたを紹介させてください」


 マクニール様にそう言われて頷いた。諦めて開き直ることにしたという感じだけど。


 そうして、一日普通に仕事をしたままの格好でマクニール侯爵家へと向かっている。

 ほぼ形の決まった宮廷服がある男性官吏と異なり、女性官吏は仕事用の衣装というものがはっきりと定まってはいない。

 ただ何となく、色も形も落ち着いた動きやすいドレスを選んでいる方が多いとは思う。私もそんな感じ。


 もちろん毎朝、屋敷を出る前に鏡の前で、宮廷で働く官吏として胸を張れる姿をしているかの確認は怠らないけれど、夕方までそれを保てている自信はなかった。

 同じように一日働いたはずのマクニール様は朝と変わらず綺麗な顔をしているから、余計に不安だ。


 手土産のほうも、昼休みに本を読まずに王宮近くのお店にお菓子を買いに行こうと思っていたところ、マクニール様に必要ないと止められてしまった。


 もしかして、これがマクニール様流の私に対する嫌がらせなのだろうか。


「あの、マクニール様、お屋敷に着くまで何か話していてもらえませんか」


「え?」


「このままでは緊張のあまり、何も喉を通らなくなりそうです」


「緊張しているんですか?」


「それはしますよ。これからマクニール様のご両親にお会いするんですから」


「すみません、そうですよね。私も緊張しました。その……」


 マクニール様はそこで言い淀んた。何だか今も緊張しているかのようだ。


「ウィレミナ様のご両親に会った時」


 彼の顔がみるみるうちに赤く染まっていった。


 官吏の中にはマクニール様や私のように親子や兄弟で宮廷に出仕している方が多いこともあって、同じ部屋の同僚や歳が近い者同士だと家名でなく個人名で呼び合うのが普通になっている。

 だから、それほど気負う必要はないはずだ。


「ジョシュア様のご両親はどんな方々なのですか? もちろんお父様は宮廷でお会いすることもありますし、お母様も夜会でご挨拶したことくらいはありますが」


 マクニール様、もといジョシュア様の口元が綻んだ。


「父は宮廷にいる時と屋敷とであまり変わらないと思います。母は少し違うかもしれませんが」


 花のように微笑んでいらっしゃったマクニール侯爵夫人も、実は弟のごとく厳しい方なのだろうか。

 私は背筋を伸ばして馬車がマクニール家に到着する時を待った。

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