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3 好きにならないでください

 宮廷に入ったばかりのマクニール様が先輩秘書官に連れられて初めて法務官室にやって来たのは、半年前のこと。

 その硬い表情に緊張しているのかな、初々しいな、なんて考えていた私に向かって、彼が言った。


「何があっても絶対に私のことを好きにならないでください。色恋で騒ぎたいなら宮廷の外でお願いします」


 周囲が気色ばむのを感じ、私はとりわけ明るい声で応えた。


「ええ、もちろんです。私は官吏として仕事をするためにここにいるのでご安心ください」


 マクニール様がやや顔を引き攣らせた先輩秘書官とともに法務官室を去ると、どこからともなく「やれやれ」と声があがった。


「ずいぶん失礼だな。ウィレミナのことなんかよく知りもしないだろうに」


「あれが本当にマクニール侯爵の次男なのか?」


「父や兄とは全然違うな」


 マクニール侯爵とそのご嫡男はお二人とも内務官。穏やかで人当たりの良い方々だ。


「母方の血筋か」


 マクニール様のあの美貌がお母様譲りなのは間違いない。

 でも、夜会などでお見かけするマクニール侯爵夫人はいつも花のような微笑みを浮かべている。

 だから、「母方の血筋」と聞いて皆が頭に浮かべたのはマクニール侯爵夫人ではなくその弟、マクニール様からすると叔父様にあたるコーウェン公爵の常に不機嫌そうなお顔だろう。


 国王陛下の信頼厚い有能な外交官であるコーウェン公爵は、私のような若手官吏なら遠くに姿が見えただけで背筋が伸びる存在だった。

 皆がマクニール様の前では黙っていたのも、彼がコーウェン公爵の甥だからだ。




 とにかく、最初がそんな風だったものだから、それからしばらくはマクニール様が現れるたびに法務官室は微妙な空気に包まれた。

 内心で苦笑しつつ、私はマクニール様にも他の方たちに対するのと同じ態度を心がけて接した。


 だけど、いつしか先輩方はマクニール様を「ジョシュア」と呼んで積極的に構うようになっていた。

 私が知るかぎりあの言葉についてマクニール様が謝罪や弁明をしたことは昨日までなかったし、表情のほうはますます叔父様に寄っていくようだったのに。

 彼の真面目で仕事熱心なところを皆が認めたということなのだろうか。


 何にせよ、私は安堵した。

 私自身はマクニール様のあの言葉を大して気にしていなかったから。


 実を言えば、お互いに名乗って挨拶をしたという意味では法務官室でのあれが初めてだったのだけど、私はマクニール様のことをもっと以前から知っていた。

 私が学園の三年生の時、ものすごく綺麗な新入生がいると話題になった。それがマクニール様だったのだ。


 私は物見高い一部の同級生のように一年生の教室を覗きに行ったりはしなかったけれど、ある時たまたま彼を裏庭で見かけたことがあって、「なるほど」と思ったものだった。

 それから一年間、学園で何度もマクニール様が令嬢たちに囲まれているのを見かけた。

 さらにマクニール様が三年生の時には、彼を慕っていた女子生徒同士が言い争いから互いに怪我をさせるという出来事が起きたらしい。当事者の一方の男爵令嬢は官吏志望だったとか。


 そんなことから、マクニール様が初対面の私を牽制した心情もおおよそ理解できた。

 だけど、唐突な求婚は理解できない。

 自分が叶わぬ恋をしているから、婚約解消された私に同情したのだろうか。




 乗合馬車に揺られながら考え、最寄りの停留所で降りて歩きながら考えているうちに、我が家の隣にあるブラウン家の屋敷の前に差し掛かっていた。


 見るともなしに視線を向けると、ちょうど玄関前で令嬢がブラウン家の執事たちに見送られているところだった。

 きっとロドニーの新しい婚約者だろう。

 次の瞬間、令嬢が馬車のほうへと体の向きを変えたので、その顔がはっきりと窺えた。

 私は思わず足を止めそうになり、慌てて早めて我が家の門に駆け込んだ。


 彼女の顔に見覚えがあった。

 王宮の夜会でマクニール様と一緒にいた令嬢に間違いない。


 他人の好みをどうこう言うつもりはないけれど、マクニール様を振って、よりによってロドニーを選ぶなんて……。

 ロドニーがマクニール様に勝るところが、私には見つけられない。

 もしや、ロドニーが夫なら将来、伯爵夫人としてブラウン家を牛耳ることができそうだから、だろうか。


 だけど、これでマクニール様の唐突な求婚の理由はわかった。

 恋慕っていた令嬢が他の男と婚約してしまい、自棄になったのだ。


 いや、自棄になっただけなら相手は私でなくてもよかったはず。

 マクニール様と結婚したい人などいくらでもいる中で彼がわざわざ私を選んだのは、ブラウン伯爵と同じように考えているからかもしれない。

 私が官吏にならずにさっさとロドニーと結婚していればこんなことにはならなかった、と。


 だとすれば、マクニール様の目的は私への恨みを晴らすことか。

 私が求婚に頷いていたら何をするつもりだったのだろう。


 ……駄目だ。少し考えてみたけれど、マクニール様が暴力を振るうとか、奴隷のように働かせるとかする絵が浮かばない。

 せいぜい朝から晩まで眉間に皺の寄った顔で嫌味を言うくらいか。

 まあ、ロドニーと婚約していた時以上に私の平穏が脅かされそうではある。


 それでマクニール様の気が晴れるなら私の平穏など二の次で構わない。

 でも、多分違う。

 失恋から立ち直って次に進むためには、もっと前向きな選択をしないと。

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