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2 無理です

 ロドニーとの婚約解消から一か月ほどはおおむね穏やかな日々が続いた。


 なぜおおむねかといえば、何度かロドニーと宮廷の廊下で出会し、以前とまったく変わらぬ調子で話しかけられたからだ。

 内容はロドニーの新しい婚約者に関することがほとんどで、彼女がコーデリアという名前だということもわかった。

 ロドニーから惚気話を聞かされたところで腹が立ったり胸が痛んだりすることはまったくないものの、もうお守り役は返上したはずなのにと溜息が漏れた。




 それはともかく、私は朝はお父様と同じ馬車で王宮に上がるけれど、帰りは時間が合わないことが多いので乗合馬車を使っている。

 その日も仕事を終えてから乗合馬車の停留所に向かうため、徒歩で門を出ようとしていた。


「ハウエル様」


 後ろから私を呼びとめた聞き覚えのある声に振り返ると、やはりマクニール様だった。

 急いで追いかけてきたのか少し息が乱れていた。


「お話があります」


「何でしょう?」


「ここでは話しづらいことなので、一緒に来ていただけますか」


 てっきり話は仕事に関することで王宮に戻るのかと思ったが、マクニール様が向かったのは各家から迎えに来た馬車が並ぶ場所だった。

 そこに停まっていたマクニール家の家紋が描かれた馬車に、促されるまま乗り込んだ。

 マクニール様が私の向かいに座ると、馬車が動き出した。


 いったい何の話をするつもりなのかと訝しむ間もなく、マクニール様が口を開いた。


「どうしてあなたの婚約者が他の相手と婚約するのですか?」


 どうやらロドニーの新しい婚約が宮廷に届けられたらしい。


 婚約や婚姻など様々な届は、陛下に近しい高位貴族なら直接サインをいただく場合もあるようだが、原則としては内務官室の戸籍担当に提出し、そこから秘書官室を経て陛下のお手元に渡る。

 つまり、秘書官であるマクニール様はそういう情報をいち早く知ることのできる位置にいるのだ。


 正式なものではなかったとはいえ、私とロドニーの婚約はわりと知られていた。

 私はあまり社交の場に顔を出さないけれど、行く時には必ずロドニーにエスコートされていたし、ブラウン伯爵が私を息子の婚約者として扱っていたからだ。

 だけど、理由が理由だからか伯爵は私との婚約解消については公言しないまま、新しい婚約を結んだようだ。


「ロドニーとの婚約は解消しました」


「そんな雰囲気はなかったのに、いつの間に……」


「一か月ほど前です。ああ、ロドニーから別の方と結婚すると言われたのは、確かマクニール様に逢引をしていたのかと訊かれた日でした」


「あの時のあなたは鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌が良く見えましたけど」


「ええ? 隠していたつもりだったのに、隠せていなかったんですね」


「ブラウン次期伯爵を好きなのではないのですか?」


「それはまったくないです。歳上なのに頼りなくて、弟たちより手がかかるんですよ。婚約者というよりお守り役でしたね」


「では、不満は何もないと?」


「はい」


 正直なところ、これまでかなりの時間を奪われたのに慰謝料をもらえなかったことや、私が悪いように言われたことは不満といえば不満だし、ロドニーの態度が相変わらずなのもあれだけど、マクニール様に愚痴ることではない。


「そうですか」


 そこで会話が途切れた。


 私は窓の外を流れる景色を横目で眺めながら首を傾げた。

 マクニール様がわざわざ追いかけて来て話したかったのは私の婚約解消についてだったのだろうか。彼はこんな話題は嫌いだったはずなのに。

 それとも、仕事中は駄目でも仕事が終わってからなら構わないってことなのか。

 でも、チラリと窺ったマクニール様の表情は仕事中と変わらず硬い。


 本題はこれからかもしれないと考えた時、馬車の速度が緩んだ。

 窓の外に見えてきたのは我がハウエル家の屋敷だ。


 馬車は門を潜って停まった。

 お礼を言おうと正面に向き直ると、マクニール様とまともに視線がぶつかってしまった。逸らしたいけど、何となく逸らせない。


「ハウエル様、初めて会った時の言葉を取り消させてください」


 どの言葉のことかは考える必要もなかったけれど、今になってそんなことを言われるのは意外だった。


「不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」


「いえ、私は気にしていませんでしたので、マクニール様こそどうかもう忘れてください」


「本当にそれで構わないのですか?」


「はい、もちろん」


「では、私と結婚してくれますか?」


 一瞬、呼吸を忘れ、「冗談でしょう」という言葉は喉元でつっかえた。

 マクニール様はこんな冗談を言う人ではない、と思う。


 彼は真面目そのものの表情で私を見つめて、応えを待っていた。




 翌日にはロドニーの婚約が、つまり私が彼と婚約解消していたことも、宮廷中に広まった。

 情報の発信源が内務官室か秘書官室かは知らないけれど、覚悟はしていたことだ。


 もちろん、法務官室にもそれは届いた。


「いつの間にロドニー・ブラウンと婚約解消してたんだ?」


「一か月ほど前です」


「それでもう新しい婚約か。ずいぶん慌しいな」


 きっと結婚もすぐだから、近いうちに慌しかった理由は誰もが察するだろうけれど、私の口から明らかにするべきことでもない。

 もはや私はブラウン家とは無関係な人間。そう思い、曖昧に笑って誤魔化した。


「しかし、ウィレミナはいつもどおりだな」


「そうでもありませんが」


「やっぱり落ち込んでるのか?」


「いえ、この仕事を続けられることになって喜んでいます」


「そうか。それはよかった」


 法務官室の同僚方は気を遣ってくれたらしく、その日は書類を運んだりなど部屋の外に出る仕事を割り振られなかった。

 それでも、法務官室を訪れる別の部屋の方々からは意味ありげな視線を向けられたりもした。


 そんな中で、一人だけ様子が異なっていたのはマクニール様だ。


 法務官室に入ってきたマクニール様は眉間に皺が寄っていて、いかにも虫の居所が悪そうだった。

 それなのに、書類を置いてすぐ部屋を出て行こうとした彼に、私の隣の席の先輩が声をかけた。


「ジョシュア、聞いたか? ウィレミナが婚約を解消したぞ」


 なぜわざわざあんな顔をしているマクニール様にその話題を振るのか。

 案の定、彼は足を止めて振り向くと、睨みつけた。先輩ではなく私を。

 急いで視線を逸らすと、マクニール様がピリピリした声で応えた。


「ええ、聞きました。失礼します」


 法務官室を出ていくマクニール様がこんな時でも大きな音を立てて扉を閉めたり、足音を煩く響かせたりしないのはさすがだなと感心した。半分くらいは現実逃避だ。


「何でジョシュアは不機嫌なんだ?」


 その言葉に皆が首を傾げた。


 昨日、彼が私に求婚して、「ごめんなさい。無理です」と断られたためだとは誰も思わないだろう。

 そういえば、言い逃げして馬車を飛び降りてしまったから、屋敷まで送ってもらったお礼を言いそびれてしまった。


「仕事中に私の婚約解消なんてどうでもいい話題を振られたからではありませんか」


「いや、どうでもいい話題ではないだろ」


 馬車での会話を思い返せば、確かにマクニール様にとっても興味ある話題のようではあったけれど。けれど……。


「なあ、ウィレミナは次の婚約は考えてるのか?」


 昨夕のことを考えていたところにそんな問いが来たので、ドキリとしてしまった。


「ないです」


 お父様の考えが変わらないかぎり、仕事に邁進したい。


「まあ、そうだよな。でも、ウィレミナがその気になれば相手はすぐ見つかるぞ」


「そうそう。ほら、ジョシュアなんかどうだ?」


 今度は大きく心臓が跳ねた。


「どうしてここで真っ先にマクニール様の名前が出てくるんですか? さっきの顔、見ましたか?」


「条件的には何も問題ないだろう? ウィレミナは爵位を継がないとか気にしないよな」


「爵位よりも、マクニール様には恋人がいると仰ってましたよね?」


 私にそれを教えてくれたのもこの先輩方だったはずなのに、彼らは眉を顰めた。


「そんなこと言ったか?」


「大事な存在、とかじゃなかったか?」


 改めて言われてみれば、そうだったかもしれない。

 それを聞いた直後に王宮の夜会でマクニール様と令嬢が一緒にいるのを見かけて、二人は恋人同士なのだと私が勝手に判断したのだ。


「恋人ではなかったのですか……」


 なぜか先輩方はニヤニヤと笑いあった。


「恋人というか、恋慕う人だな」


「ジョシュアの完全なる片想いだ」


 マクニール様。片想い。

 絶対に並び立たなそうな言葉に、目を見開いてしまった。


 先輩方が「完全なる」と言い切るからには、相手には親が決めた婚約者がいてマクニール様とは結婚できないとかではなく、彼女自身にまったくその気持ちがないということだ。

 あの夜会で一緒だった令嬢はマクニール様に微笑みかけ、自ら彼に触れているように見えたのに。

 もしやマクニール様の気持ちを知っていて、弄んでいたのか。


 もちろん、いくらマクニール様が美人とはいえ、誰もが彼に惹かれるわけではないだろう。

 でも、彼に想われて心が動かない人なんているのだろうか。

 夜会の時、マクニール様はこちらに背中を向けていたので顔は見えなかったけれど、恋慕う相手の前で眉間に皺を寄せたりはしていなかったに違いない。

 あるいは、私には決して向けない笑顔を浮かべていたかもしれない。


「どちらにせよ、マクニール様となんて絶対にありえません」


「そこまで言うのは、やっぱり初対面の時のあれのせいか?」


 そう訊かれ、一瞬迷ったものの頷いた。

 マクニール様はあの言葉を取り消してくれたし、本当の理由は違うのだけれど、ここではそういうことにしておくのが一番簡単だから。


「そうですよ。あちらにとって、私がないんです」


「自業自得だな。仕方ない」


 隣の席の先輩が吐息混じりに呟いた。

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