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エピローグ 好きだとか

 学園生だった頃、昼休みを裏庭で過ごせるおかげで心折れずに通学できているのだと思っていた。

 だけど、私が本当に支えにしていたのは図書室で見た女子生徒の後ろ姿だったことに後になって気づいた。


 実際のところ、私が図書室へ行く目的は、わりと早いうちに彼女にお礼を伝えることから本を読む彼女の後ろ姿を見ることに変わっていた。

 見ると何となく安心できたから。


 何度も図書室を訪れる中で、いつも読書に集中している彼女が本の頁から顔を上げるのを一度だけ見たことがあった。

 彼女が覗いたのは、窓の外。

 私はその日、教室を出たところでクラスメイトの女子たちに捕まってしまい、いつもどこにいるのかと訊かれ、一緒に学食まで行ってからどうにか撒いて図書室へと来ていた。


 自分が裏庭にいないことが彼女の読書を妨げている。

 それに気づいて、私は急いで裏庭に向かった。

 裏庭は私にとって人目を避けるための場所なのに、彼女が私を気にかけてくれていることにはなぜか胸が温かくなった。


 私が顔も名前も知らぬまま、図書室の彼女は学園を卒業してしまった。

 お礼を伝えなかったことを悔やんだ。もし彼女の顔だけでも確かめていればまだ機会があったかもしれないのに、と。


 本当は、名前も顔も知らないのだから自分が初対面だと信じた相手が彼女の可能性もあるのだと、気づくべきだった。  




 宮廷に入って間もなくのある昼休み、私は他の人たちより少し遅れて食堂に向かっていた。

 中庭に面した回廊に出ると、噴水を囲むベンチで昼食をとっている人々が見えた。


 私も今度からはこちらで食べようかと考えていた時、そこに一人だけ女性がいることに気がついた。

 ちょうど回廊に背中を向ける位置にあるベンチで、サンドウィッチを食べながら本を読んでいる。


 足が止まった。しばらくは呼吸も。

 女性官吏の後ろ姿が図書室の女子生徒のそれと重なったのだ。

 服装はもちろん、髪型もすっかり変わっていたけれど、間違いないと確信した。

 そして、その肩の上で切り揃えられた髪のおかげで、彼女が誰なのかもすぐにわかってしまった。


 法務官のウィレミナ・ハウエル子爵令嬢。

 私が宮廷に入って最初に先輩秘書官に引き合わされた女性官吏。


「何があっても絶対に私のことを好きにならないでください。色恋で騒ぎたいなら宮廷の外でお願いします」


 ずっとお礼を伝えたいと思っていた人に投げつけてしまった言葉が、自分自身に重くのしかかった。




 私が法務官室に行くと、いつも室内はよそよそしい空気になった。

 その中で、ハウエル様だけが何事もなかったかのような顔で私に接した。

 彼女のそんな態度さえ、私は何か裏があるのではと不信感を抱いていた。


 ハウエル様が図書室の女子生徒だったとわかってから、彼女の態度は私に対するのと他の人とで異なると気づいた。

 ハウエル様は必ず私の顔から視線を逸らすのだ。

 当然だ。こんな恩知らずな人間の顔を見るのは不快に違いない。


 だけど、私の視線は勝手にハウエル様を追った。

 ハウエル様が秘書官室を訪れた時、廊下ですれ違う時、そして昼休みの中庭。

 法務官室に行ったのにハウエル様の姿がないとガッカリした。会えたところでまた視線を逸らされて、彼女に嫌われていることを確認するだけなのに。


「おい、ジョシュア・マクニール、まさかウィレミナを好きだとか言い出さないだろうな?」


 ある日、ハウエル様が不在の法務官室で、彼女の隣の席の先輩にそう言われた。

 その場では否定したものの、廊下に出てからそうなのかと腑に落ちた気分になった。




 一度自覚してしまえば、ハウエル様への恋心は大きくなる一方だった。

 もう彼女のすべてが好もしく思えた。

 凛とした表情も、少し低めの声も、颯爽とした歩き方も、肩の上で揺れる髪も、美しい書き文字も、もちろん本を読む後ろ姿も、私を映してくれない瞳さえ。

 ハウエル様が誰かと親しげに話し、気軽に「ウィレミナ」と呼ばれているのを見ると胸がザワザワした。


 私の気持ちは間もなく秘書官室の先輩方や兄上にも知られた。

 法務官室では初めに否定したにも関わらず、もはや当の本人以外の皆に私の片想いが認識され、愚かな私が哀れになったのか揶揄い混じりに応援までしてくれた。


 ハウエル様に正式ではないが婚約者がいることを教えてくれたのも法務官方だった。

 幼馴染の衛兵だと聞いて、すぐに思い当たった。

 何度か宮廷の廊下でハウエル様と親密そうに話しているところを見たことがあった。


 ハウエル様はああいう誰とでも仲良くなれそうな砕けた感じが好みなのだろうか。

 それとも、騎士らしい体格の良さだろうか。

 どちらも私にはないものだ。

 せめて父上や兄上のように人当たりのいい性格で、背も高ければよかったのに。


 その後、王宮の夜会で婚約者にエスコートされているハウエル様を見かけた。

 いつもとは別人のようで、彼女との距離がとても遠く感じられて、だけどやっぱり目が離せなかった。




 お礼も謝罪も告白もできず、ただハウエル様を見つめるだけの日々が流れていった。

 いつか宮廷を辞すまで、こんな日が続くのだろうと思っていた。




 ◇◇◇◇◇




 昼休みに回廊に出ると、いつものベンチに彼女の後ろ姿が見えた。

 もう開いた本に集中しているのかと思ったが、ふいと顔を上げて左右に視線を送っている。

 私は胸が温かくなるのを感じながら、急いでそちらに向かった。


「ウィレミナ」


 私が呼ぶと、ウィレミナは一瞬だけ私を見上げ、すぐに視線を逸らした。


「遅かったですね」


「申し訳ありません。書類が終わらなかったもので」


 私も彼女の隣に腰を下ろす。


「別に謝ることではないでしょう」


「待たせてしまったかと思いまして」


 学園にいた頃のウィレミナが裏庭に私がいないと読書に集中できなかったように、今の彼女は隣に私がいないと読書をはじめられない、なんて思い上がりだろうか。

 でも、サンドウィッチもまだ手付かずだったみたいだし、やはり私を待っていてくれたのだ。


 持ってきたパンを食べながらウィレミナの横顔を見つめる。


 ウィレミナと恋人になれたばかりの頃、以前と変わらず私を見てくれない彼女に、やはり同情か何かで付き合ってくれたのだと思った。学園で裏庭を譲ってくれたように。

 それでも、絶対に彼女から離れるものかと決意していたけれど。


 だけど、ウィレミナの説明によれば、彼女が私から目を逸らすのは私が想像していたのとは逆の理由らしい。

 それを知った今では、ウィレミナに視線を逸らされるたび、「ジョシュア好き」と言われているような気がする。


 法務官室の先輩方などは恋人になっても婚約しても私に対するウィレミナの態度があまり変わらないことを気にしてくれている。

 確かに、官吏として働いている時のウィレミナは相変わらず格好良い。


 でも、二人きりになれば、ウィレミナは私を真っ直ぐ見つめてくるようになった。

 何かを堪えるように微かに眉を寄せ、唇をキュッと結び、頬を赤らめ、時には目を潤ませてプルプルと震え……。


 いくら色々とお世話になっている法務官方だろうと、ウィレミナのそんな顔を見せられるわけがない。

「ウィレミナ様を可愛いと思ったことは一度もない」なんて言ってた自分に呆れる。

 おまえはウィレミナがどれほど可愛い人かをまだ知らないだけだ、って。

 長い付き合いのロドニーが知らないようだから、きっと知っているのは私だけなのだろう。できれば、これからもそうであってほしい。


 ウィレミナがサンドウィッチを食べながら横目でチラリとこちらを見た。

 目が合うと、次の瞬間にはサッと視線が逃げていく。


 私もウィレミナが好きです。

 心の中でそう呟いて、パンと一緒に幸せを噛み締めた。

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