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16 見惚れていたのは時々です

「私が見ていたことに気づいていたのですか?」


 ジョシュアはユルユルと首を振った。


「多分そうなのだろうと想像していただけです。それに、ウィレミナだとわかったのは宮廷に入ってしばらくしてからで、だから初対面であんなことを言えたのです。本当は、お礼を伝えなければならない相手だったのに」


「お礼を言われるようなことは何も……」


「私に裏庭を譲ってくれたのですよね?」


「校庭は学園の生徒なら誰でも使えます」


「そのとおりですが、あの裏庭には庭師の手が入っていませんでした。ベンチを拭いたり雑草を抜いたりしていたのはウィレミナでしょう? それなのに、あなたは私がいる時には一度として姿を見せなかった」


 確かに、私は昼休みには裏庭に行かないと決めたけれど、放課後には時々行ってベンチ周りをきれいにしていた。


「裏庭で昼休みを過ごすようになって少したってから、庭師以外の誰かがここを整えているのだと気づきました。だけど、それが誰なのかはまったくわからなくて、ふと気になったのがあそこから唯一見える校舎最上階の窓でした。数日迷ってから思いきってその中を確かめに行きました」


 そこに何があったかなんて、わざわざ聞く必要もなかった。

 まさか、ジョシュアが図書室に来ていたなんて。


「お礼を言うつもりだったのです。昼休みを裏庭で過ごせるようになって、私がどれほど助かったかと。それなのに、そこで本を読んでいた女子生徒に声をかけることができませんでした。女性にお礼を言ったりしたら何か要求されるのではないか、付き纏われるのではないかなどと色々考えてしまって。結局、彼女の後ろ姿を見ただけで裏庭に戻りました」


 ジョシュアの顔には自嘲の笑みが浮かんでいた。


「その後も何度か図書室まで行きましたが、やはり声はかけられませんでした。女子生徒のほうから接触してくることは相変わらずなかったので彼女を疑う気持ちは少しずつ薄れていたのですが、今度は彼女が読書にとても集中しているのに気づいて、その邪魔をしてはいけないと思ったのです。だから、彼女に何か伝わればと、私も裏庭で本を読むことにしました」


 ジョシュアが昼休みに読書をはじめたのは私の影響だったのか。


「そのまま一年が終わって、長期休暇明けに裏庭に行くとベンチには埃が溜まっていて、雑草も生え放題でした。図書室に行ってみると、やはり彼女はいませんでした。彼女は卒業してしまったのだとわかって、お礼を言わなかったことを後悔しました。私は彼女の顔も名前も知らなかったから、もうその機会は来ないだろうと。それからは、自分で裏庭を整えて、雨の日は図書室のあの席で過ごしたりもしました」


「裏庭が他の誰かに見つかったことは?」


「卒業までありませんでした」


「それはよかったです」


「昼休みを裏庭で過ごせたおかげで、私はどうにか無事に学園を卒業できました。本当にウィレミナには感謝しています」


 ジョシュアは握ったままだった私の手を押し抱くように胸に引き寄せた。

 私にとってはあの時の行動は自己満足に近かったので、これほど感謝されると落ち着かない。


「あの、あれが私だったとわかったのはどうしてですか?」


「昼休みに中庭で本を読んでいるウィレミナを見たからです。服装や髪型は変わっていたけれど、あの後ろ姿だけはまったく変わっていませんでした。だけど、最初にあんなことを言っておいて、どんな顔をしてお礼を言えばいいのかわからなくて、あれこれ考えているうちに気づけば頭の中がウィレミナのことでいっぱいになっていました」


 ジョシュアがポッと頬を染めた。私も同じかもしれない。


「私がこんな想いをウィレミナに抱くなんてそれこそ許されないと思いましたが、婚約者がいることを知っても気持ちは大きくなるばかりで、皆に気づかれてしまって」


「皆というのは法務官室の先輩方ですね?」


「はい。それから、兄や秘書官室の先輩たちも。おそらく両親も兄から聞いていたと思いますし、そうなると当然、父から叔……」


「そういえば、昼休みを一緒に過ごすようになってジョシュアが先に本を開いたのは、もしかして私に気を遣ってくれたのでしょうか?」


「気を遣ったつもりはありません。私はただ少しでもウィレミナの傍にいたくて、そのためにはあなたの読書の邪魔にならないことだと思っただけです。もちろん、あなたに嘘は吐きたくないので、本はきちんと読んでいましたよ。ウィレミナの横顔に見惚れていたのは時々です」


 ジョシュアの気持ちが彼のご親戚のどなたにまで広まっているかなど知りたくなくて話題を変えたのに、私の心がさらに荒れることになってしまった。


「時々、見惚れてた……?」


「ウィレミナの真剣な表情はとても綺麗なので、つい」


 そう言って目を細めて笑うジョシュアの顔こそ眩いほどに綺麗で、私は少しだけ視線を逸らした。


 どうしよう。

 もはや「やはりお昼休みは別々に」なんて私から言い出せる段階とも思えない。

 ここは私自身の読書欲と集中力を信じるしかないだろうか。


 とりあえず、今は一旦逃げよう。


「そろそろ応接間に戻りましょう」


 そう言って立ち上がったものの、私の片手をしっかり取ったままのジョシュアがソファから腰を上げてくれなかった。


「もう少しだけ二人でいたいです」


 だから、上目遣いはやめてください。


「そうですね」


 私はジョシュアの隣に座り直し、大きな溜息を吐き出しながら彼の肩に顔を埋めた。

 逃げられないなら、ここで心が静まるまで待つしかない。


「ウィレミナ?」


 ジョシュアが驚いたように私の名前を呼んだけれど、声には喜色が滲んでいた。

 繋いでいなかったほうの手で遠慮がちに私の髪に触れ、そっと頭を撫でてくる。

 人が必死に耐えている時に、追い討ちをかけないで。


 あれ、でも、今は耐える必要なんてあるのだろうか?

 仕事はとっくに終えて帰宅し、もうすぐ婚約者になるジョシュアと二人きりでいるのに。

 私の心に荒波を立てているのは他でもないジョシュアなのに。


 私は先ほどのターナー嬢のごとくジョシュアの腕にしがみつくと、心の声を絞り出した。


「ああ、もう、ジョシュア好き」


「ふぇっ?」


 ジョシュアの声が裏返っている。


「今さらそれほど驚きますか?」


「だって、初めて聞きました」


「伝えたはずですが」


「記憶にありません」


「初対面の言葉を取り消したのはジョシュアを好きになって構わないという意味かと尋ねたでしょう」


「あれは、これから好きになってくれるということかと……。あの時には私を好きだったということですか? いったい、いつから?」


 学園にいた頃は、そこまでの気持ちはなかったと思うから……。


「多分、初めて法務官室で会った時です。でも、ジョシュアのあの言葉のおかげで私は官吏としての道を踏み外さずに済みました。心から感謝しています」


「そこでお礼を言われるのは複雑なのですが……。あの、とりあえず顔を上げてもらえませんか?」


「嫌です。応接間に戻るまではジョシュアの顔を見ないと決めたので」


 しかも、そのために彼の肩に顔を埋めるなんて間違った方法を選んでしまったから、ますます顔を上げられない。


「これでは、私もウィレミナの顔を見られないのですが」


「お互い様ということですね」


「何か違いませんか?」


 結局、私たちは執事が呼びに来るまでそんなやり取りを続けていた。

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