表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

14 嬉しそうな顔してた

 ターナー嬢はハウエル家の使用人たちが用意した戸板に乗せられ、ブラウン家の使用人たちの手でそちらの屋敷に運ばれていった。

 ついさっきまでオロオロしていたターナー嬢の侍女がピタリと付き添っていた。


 お父様は「我が家に」と言ったのだが、「これ以上、迷惑はかけられない」とらしくないことを言って使用人たちに指示を出したのはロドニーだった。

 ブラウン伯爵はいつの間にか姿を消していた。


 しばらくして、「興奮しすぎたためだろう。とりあえず母子ともに問題はないが、当分は安静にしていること」との医師の診断結果が我が家にまで伝えられた。




「本当にコーデリアが言ったんだ。俺のことがずっと好きだったって」


「それはもうわかったわよ。私が訊いてるのは、その後のこと。あなたは彼女と関係を持つ前に、きちんと合意を得たの?」


 ロドニーの視線が泳いだ。


「……多分」  


「多分て何よ? そんな無責任なことで父親になれると思っているの?」


「でも、二人きりの部屋で抱きついてきたのは向こうだし、口づけしても抵抗しなかったし、胸を……」


「そこまで言わなくていい」


 ここで具体的な話をされても困る。


「だいたい、嫌だったら、その後また俺に会いに来たりしないだろ」


「それはそうかもしれないわね」


「しかも、俺のこと優しいとか言ってたし、子どもができたって言った時も嬉しそうな顔してたし……」


 先ほど毅然と見えた姿はどこへやら、夜になってターナー嬢は両親とともに実家に帰ったと知らせに我が家にやって来たロドニーは、そのまま居間に居座りグチグチと溢しはじめた。


 何でも、ブラウン家に運び込まれたターナー嬢は医師を待つ間、お腹の痛みを堪えながら本当はロドニーと結婚するつもりも子どもを作るつもりもなかったと口走ったらしい。

 それでロドニーは、騙されていたのは自分だったと悄気ているのだ。




 ターナー嬢自身が口にしていたことに、ジョシュアやロドニーたちから聞いたことも合わせて推測するに、女性官吏は皆ジョシュアに付き纏っているという強い思い込みがあったターナー嬢は、たまたま昔からの知り合いだったロドニーの婚約者ーーつまり私がその一人だと知って、ロドニーを奪うことにしたようだ。

 そうすればジョシュアの傍から女性官吏を一人減らせると信じて。

 まさかロドニーに婚約を解消された私が仕事を続けられるとつい鼻歌を歌うほど喜び、さらにジョシュアが私に求婚するなど予想もできずに。


 そもそもターナー嬢がそんな思い込みをするきっかけになったのは、学園での例の事件で彼女とやり合った男爵令嬢だった。


 いくらしつこく追いかけてもジョシュアに振り向いてもらえなかったターナー嬢は、卒業が近くなると焦りはじめた。

 同じ頃、彼女はクラスメイトの男爵令嬢が官吏志望だと知った。


 自分は学園を卒業してしまえば次にいつジョシュアに会えるかもままならないのに、男爵令嬢は宮廷でいつでも彼に会うことができる。

 そのことに我慢ならなかったターナー嬢は、男爵令嬢に向かって誹謗の言葉を浴びせるようになった。

「官吏になるのはジョシュア様に近づくためでしょう」とか、「ジョシュア様があなたなんか相手にするはずがない」とか、私も言われたようなことを。

 おそらく相手がクラスメイトで男爵家の娘となれば、ターナー嬢の言葉は私に対するよりずっと鋭く尖ったものだったのだろう。それも、毎日毎日だ。


 ある日、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった男爵令嬢は、ターナー嬢に言い返した。

「あなたも官吏になればいいじゃない」とか、「あなたみたいに頭の中空っぽの人をマクニール侯爵子息がいつ相手にしたの」とか。

 カッとなったターナー嬢が男爵令嬢を突き飛ばして掴みかかり、その後は床の上での取っ組み合いになった。

 周囲にいた生徒たちは呆気にとられて動けず、駆けつけた先生方にようやく引き離された時には二人ともあちこちに傷と痣を作っていた。


 以前に私がアレックスから聞いたのは「言い争いから互いに怪我をさせた」ということだったので、せいぜい引っ掻きあったくらいかと想像していた。まさか、貴族令嬢同士でそこまでやっていたとは。

 もちろん、ジョシュアはその場にはいなかったそうだけど。


 この件で、ターナー嬢と男爵令嬢はともに停学処分を受けた。

 口も手も先に出したのはターナー嬢だったし、怪我も男爵令嬢のほうが酷かったが、男爵家の娘が伯爵家の娘にやり返した事実は貴族社会において看過されるべきことではなかったのだ。

 学園で大きな問題を起こした生徒を宮廷が官吏として受け入れることもなく、男爵令嬢は官吏になる道を閉ざされた。


 停学期間が明けても、男爵令嬢は学園に現れなかった。

 一方、ターナー嬢は以前にも増してジョシュアに付き纏った。

 彼女からすれば、ジョシュアのために邪魔な虫を排除できたという気持ちだったのかもしれない。


 そんな状況にジョシュアが精神的に参ってしまった。

 それに気づいたマクニール侯爵は、まずターナー伯爵に対して今後はターナー嬢をジョシュアに近づけるなと警告を出してくださった。

 さらに男爵とも会って、令嬢に学園の卒業試験だけは受けさせるよう話した。その時点で出席日数は足りていたので、あとは試験を通れば卒業資格を得られるからと。


 男爵令嬢は父親の説得に応じて卒業試験だけは受けた。その結果は入学以来最低の順位だったらしいが。

 学園を卒業した彼女は、現在、都の下町地区にある学校で子どもたちに勉強を教えているそうだ。

 ちなみに、平民向けの学校は女性官吏と同じくらいに歴史が浅いのだが、その設立に中心となって尽力したのがマクニール侯爵だった。


 ここで残る疑問が、はたしてターナー嬢の言うように男爵令嬢はジョシュアのことを好きだったのかということだ。

 彼女がそのような素振りを見せることはいっさいなかったらしい。


 でも、おそらく男爵令嬢もジョシュアが好きだったのだと私は思う。

 彼女がジョシュアを遠くから見ていたことにジョシュア本人は気づかなくても、ターナー嬢は気づいていた。

 男爵令嬢はジョシュアが好きだったからこそ、ターナー嬢の口撃に我慢できなくなって言い返したのだ。

 ジョシュアに付き纏っていたターナー嬢に対する鬱憤も溜まっていただろう。


 ただ、私は男爵令嬢の行動を仕方なかったと擁護するつもりはない。

 冷たい言い方をすれば、官吏になる道を断ったのは彼女自身だ。

 その場で言い返すのではなく、優秀な官吏になることでターナー嬢を見返すべきだった。


 もともと多くの令嬢に囲まれ騒がれることに拒否感のあったジョシュアは、ターナー嬢のせいでさらにそれを悪化させて学園を卒業し、宮廷で働きはじめた。

 彼が秘書官室に配属されたのは、そこに女性がいなかったためだろう。

 すでに宮廷のほとんどの部署に女性官吏が一人は所属しているけれど、まだ女性が秘書官になった例はない。

 おそらく国王陛下直属の部署だから他の部署の女性官吏たちの様子を見てからということで、ジョシュアに女性の後輩ができる日もそう遠くないはず。


 しかし、同じ部屋に女性がいなくても宮廷で働く以上まったく女性と関わらないというわけにはいかない。

 そうして、先輩秘書官により法務官室で最初に引き合わされた女性官吏ーーつまり私に対し、ジョシュアはあの言葉を口にした。

 法務官室を出てから先輩に叱られたので、彼があんなことを言った相手が私だけだったのは幸いだ。


 学園での事件がそんな形で多少の影響を及ぼしつつも、ジョシュアに付き纏うような女性官吏はもちろん一人もおらず、彼は何に煩わされることなく官吏としての道を歩みはじめた。

 いや、私が気づいていなかっただけで、実際にはジョシュアの中でも色々あったらしいけれど、それは彼にとって官吏として働くための原動力ともなったというから割愛。


 そうこうするうちに王宮で夜会が開かれ、ジョシュアはターナー嬢に再会してしまう。

 おそらくターナー嬢は、その時も久しぶりに会えたジョシュアを前に彼しか見えなくなってしまったのだろう。

 マクニール侯爵からの警告も忘れて彼女はジョシュアに纏わりついた。


 ジョシュアはといえば、咄嗟に考えたのは、自覚したばかりの恋心を気づかれたらターナー嬢が彼女ーーつまり、これまた私に対して何をするかわからないという怖れだった。

 ジョシュアも私があの夜会に参加していたことは知っていたから。

 その場で彼はターナー嬢に「二度と私に関わるな」と告げ、さらにマクニール侯爵に頼んでターナー伯爵から例の約束を取り付けてもらった。


 結果としてジョシュアのその行動がターナー嬢の女性官吏に対する思い込みを強め、ロドニーを誘惑させるに至ったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ