13 私の婚約者です
やがて、馬車が屋敷に到着した。
私がジョシュアの手を借りて馬車を降りた時には、玄関から執事が姿を見せていた。
きっと屋敷の中でお母様と弟たちが待ちかねているのだろう。
そう考え、ジョシュアを促して玄関のほうへ歩き出そうとした時、背後から叫び声のようなものが聞こえた。
何事かと振り返ると、門の前に横付けされた馬車と、そこから飛び降りたらしき令嬢が門を潜ってこちらに駆けてくる姿が見えた。
私は己を呪いたくなった。ジョシュアの笑顔のためなら何でもするなんて決意しておきながら、よりによって彼女のことをすっかり忘れ去っていたなんて。
可愛らしい微笑みを浮かべて近づいてくるターナー嬢を見て、ジョシュアの顔色がさっと変わった。
「早く屋敷の中へ」
私は玄関に向かってジョシュアの背中を押したけれど、間に合わなかった。
「ジョシュア様、私を迎えに来てくださったのですね」
ターナー嬢は躊躇うことなくジョシュアの腕にしがみついた。
「どうしてあなたがここに……」
「こうしてまたジョシュア様に会えると信じていましたわ」
ジョシュアが身を竦ませるのも当然だ。今の彼女とはまともに会話できる気がしない。
彼女の連れていた侍女や馬車の御者が止めてくれないかと視線を向けるが、門のあたりでオロオロするばかりだ。
我が家の執事やマクニール家の御者に、下手に伯爵令嬢に触れさせるわけにはいかないだろう。
「離れてください。マクニール様が困っていらっしゃるのがわからないのですか」
咄嗟にジョシュアを家名で呼んだのは、ロドニーの時とは逆にターナー嬢を刺激しないため。
でも、効果はほとんどなかった。
「あなたこそジョシュア様にベタベタくっつかないで」
鬼の形相で私を振り向いたターナー嬢は、そこで初めてジョシュアと一緒にいたのが私だと気づいたようだった。
「何よ、あなた。やっぱりそういうことだったのね。ロドニー様との結婚を引き延ばしていたのは、宮廷でジョシュア様に纏わりつくためだったんでしょう。私の想像していたとおり、官吏になろうなんて女は皆同じだわ」
「ウィレミナにおかしな言いがかりをつけるのはやめてください」
ジョシュアが私の前に出た。
「言いがかりではありませんわ、ジョシュア様。この女も学園では私がジョシュア様の傍にいて、自分は遠くから見ているしかなかったものだから、官吏になって近づく機会を狙っていたのに決まっています」
一瞬、息を呑んだ。
彼女は学園にいた頃の私をどれだけ知っているのだろう。
少なくとも、彼女と何かしらの交流があった記憶は私にはまったくない。
ターナー嬢が嘲笑を浮かべた。
「ほら、何か後ろめたいことがある顔ですわ。ジョシュア様に謝りなさいよ」
私のほうに手を伸ばし掴みかかってきたターナー嬢を、ジョシュアが押しのけようとした。
私は「ジョシュア、駄目です」と声をあげ、その手を掴んだ。
「彼女のお腹にはロドニーの子がいるんです。乱暴なことはしないでください」
ジョシュアが耳を疑っているのがわかった。
私だって、目の前の彼女は本当に身籠っているのかと思わないでもないけれど、そう聞いている以上は黙っているわけにいかない。
が、私の言葉に激昂したのは当のターナー嬢だった。
彼女はジョシュアの腕を解放して、私に今度こそ掴みかからんばかりに迫ってきた。
「ジョシュア様の前でありえないことを言わないでちょうだい。私がジョシュア様以外の人の子なんか身籠るはずないでしょう」
え、やっぱり妊娠してないの? でも、ロドニーと関係は持ったのよね?
「それよりあなた、どういうつもり? 偉そうにジョシュア様のことを呼び捨てて、命令までするなんて」
「ウィレミナは私の婚約者です」
ジョシュアがターナー嬢より大きな声で叫んだ。
彼女がビクリと肩を揺らしたのを見て、ジョシュアは声を抑えて続けた。
「だから、ウィレミナは私に何をしてもいいのです」
「まさか、ご冗談でしょう? この女がジョシュア様の婚約者だなんて」
ターナー嬢はなおも笑おうとしたようだが、その顔はかなり引き攣っていた。
「事実です」
そう言って、ジョシュアは私を抱き寄せた。
ターナー嬢が「嘘よ」と悲鳴をあげてくれたおかげで、突然ジョシュアの腕の中に収められてしまった私の悲鳴はかき消された。
馬車の中とは比較にならないほど激しいドキドキが私を襲う。
でも、そんな動揺をターナー嬢に気づかれるわけにはいかないと、私はジョシュアに体を預けて彼女に対し余裕の笑みを浮かべてみせた。
動きがギクシャクしていたことに気づかれていませんように。
「その人は、私が少しお願いしただけでロドニー様があっさり捨てたような女なんですよ。それをジョシュア様が相手にするなんて、もしかしてその人に何か脅されているのですか?」
「あなたの言ったことが本当なら人として軽蔑すべき最低な行いです。が、私はお礼を言わねばなりません。ブラウン次期伯爵がウィレミナをあっさり解放してくださったおかげで、私は彼女に結婚を申し込むことができたのですから」
ジョシュアは腕の力を強めた。
その胸が私と同じくらいドキドキしているのが聞こえて、少しだけ落ち着く。
「そんな、ジョシュア様……」
「あなたにはその呼び方も私に触れることも許していません。それから、以前、ターナー伯爵が私の父に約束してくださったことはあなたも覚えているはずです。あなたがまた私に近づいて騒ぎを起こしたら修道院に送ると」
ジョシュアとターナー嬢ではなく、それぞれの家の当主同士で交わした約束なら、きちんとお二人のサインが入った文書にしてあるはずで、ターナー伯爵が違えることはできないだろう。
ターナー嬢の顔が強張った。
しかし、その時、少し離れた場所で「ちょっと待ってくれ」と声が上がった。
驚いてそちらを見れば、誰かが呼んできてくれたのか、いつの間にかロドニーがいた。
ロドニーはターナー嬢のもとへ駆けてきた。
彼女もそれに気づいて、「ロドニー様」と目を見張った。
ロドニーの後ろにはブラウン伯爵と、数人のブラウン家の使用人たちの姿もあった。
おそらく表門より近道になる両家の庭を繋ぐ木戸から来たのだろう。
いったいどこから聞いていたのか、皆が困惑の表情をしていた。
目撃者は彼らだけではなかった。
玄関前にはお母様とアレックスとエリック、それに我が家の使用人たち。
門のほうからはお父様が歩いてくる。ターナー家の馬車が門の前に停まっているせいで、我が家の馬車が門を潜れなかったらしい。
ターナー家の侍女と御者は先ほどよりは近くにいたものの、相変わらずオロオロしている。
門の向こうに立ち止まってこちらを見ているどこかのお屋敷の使用人たちは、たまたま我が家の前を通りかかったのか、騒ぎに気づいて野次馬に来たのか。
「コーデリアのことは俺が責任を持つから、今回だけは見逃してもらえないか?」
ロドニーは真剣な面持ちでジョシュアを見つめた。
「……ウィレミナにも近づけないでください。絶対に」
「ああ、約束する」
「それなら、今回だけは目を瞑ります」
「ありがとう。……行こう、コーデリア」
ロドニーはターナー嬢の震える肩を抱いて歩き出した。
しかし、数歩進んだところでターナー嬢がお腹を抱えて蹲った。




