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1 これほど喜ばしいことはない

久しぶりの投稿です。

よろしくお願いします。

 書類を抱えて廊下を歩いていると、幼馴染のロドニーに会った。

 やけに緩んだ表情をしているなと思っていたら、いきなり「結婚する」と報告された。


「実は子どもが出来てさ」


 私は唖然としてしまった。


「おじ様はご承知なの?」


「当然だろ」


「それならいいけど」


「おまえさ、こういう時は他に言うことがあるだろ」


 ロドニーは不満なようだけど、彼はブラウン伯爵家の嫡男なのだから手放しで祝福できることではないはずだ。

 婚約者がいるのに別の相手と婚前交渉したこと、それを仕事中に王宮の廊下で報告したことも咎めるべきかもしれない。

 だけど、ロドニーの様子からして私と婚約していたことなど忘れているようだ。

 まあ、ブラウン伯爵が認めたなら私は一向に構わないが。


「ウィレミナは昔からそうだよな。自分は何でも出来ますって顔で俺に説教ばかりして」


 そんな風に自惚れているつもりはなかったけれど、歳上なのに頼りないロドニーの面倒をみていたのは事実だ。

 だからこそ、ブラウン伯爵に「息子の嫁に」と望まれてしまった。


 そもそも、ブラウン伯爵は息子に甘い。

 伯爵にとってロドニーはようやくできた一人息子。しかも夫人が早くに亡くなってしまったことが拍車をかけたのだろう。

 それはお気の毒だけれど、だからといって私に母親の代わりを押しつけないでほしいと常々思っていた。

 でも、本当にその役割を返上できることになるなんて。


「もうロドニーに叱言を言わずに済むならこれほど喜ばしいことはないわ。おめでとう、お幸せに」


「最後まで本当に可愛い気がないな。じゃあ、そういうことだから」


 ロドニーはそう言い捨てて踵を返した。

 心の内を表して近づいてきた時よりも足音が荒いけれど、そんな振る舞いももう私の知ったことではない。

 私もさっさとロドニーに背を向けて歩き出した。心なしか、足取りが軽い。

 何が嬉しいと言えば、仕事を辞める必要がなくなったことだ。


 私は宮廷で働いている。所属は法務官室。

 女性が官吏になることが認められたのは八年ほど前で、まだまだ少ない。

 だから嫌なことや大変なことも多いけれど、やりがいも大きく、できるかぎり続けたいと思っていた。


 一方、ロドニーは学園の成績が芳しくなかったため官吏にはなれず、騎士団に入った。

 あのロドニーが厳しい訓練や地方勤務に耐えられるのかと心配したけれど、意外と性に合っていたらしく今は王宮の衛兵隊に所属している。

 だけど、机に向かうのは相変わらず苦手なようで、次期伯爵としての教育は放棄していた。

 ブラウン伯爵も諦めていて、代わりに私がたびたびブラウン家に呼び出された。


 伯爵には早くロドニーと結婚して領地経営や屋敷の女主人としての仕事に専念してほしいと言われていたけれど、弟たちの学費を稼ぐことを名目に、下の弟が学園を卒業するまでは宮廷で働くつもりだった。

 実際のところ、我がハウエル子爵家は高位貴族のように余裕があるわけではなくても、私が稼がなければ弟たちが学園に行けないほど困ってもいないのだけれど。




「仕事中に逢引ですか」


 ふいに背後から苛立ったような声が聞こえた。

 振り向くと、秘書官のジョシュア・マクニール様が声の印象のままの表情でこちらを見つめていた。私の何倍もの書類の束を抱えている。

 まだ一年目ながら誰よりも仕事熱心な彼にロドニーと一緒にいたのを見られてしまったのはまずかった。

 私は反射的にマクニール様から視線を逸らしつつ応えた。


「少し立ち話をしていただけです」


 さすがにここで話の内容を明かすのは躊躇した。


「マクニール様は恋人に会いに行ったりしないのですか? 明日はお休みですよ」


 そう口にしてから、しまったと思った。マクニール様はますます機嫌を損ねたに違いない。

 が、彼は私の問いかけを聞かなかったことにしたようで、こちらに片手を差し出してきた。


「秘書官室の分があればいただきます」


 声がやはり刺々しいけど。


「はい。お願いいたします」


 私が抱えていた書類の中から該当するものをマクニール様に手渡すと、彼からも書類を渡された。


「法務官室の分です」


「お預かりします」


 法務官室では私を含めた若手数人が交代で他の部屋に書類を届けているが、秘書官室では新人のマクニール様の担当だ。


「では、失礼します」


 足早に去っていくマクニール様の背中を見て、彼に恋人の話題を振ってしまったことを反省した。


 マクニール様はとても美人だ。多くの方々の目を惹くほどに。

 しかし、眩いばかりの見た目と異なり中身はいたって真面目なマクニール様にとって、人にチヤホヤされるのはただただ煩わしいことらしく、近づいてくる令嬢たちに素っ気ない態度を取っていた。

 もっとも彼は宮廷でも硬い表情ばかりで、愛想笑いを浮かべているところさえ私は見たことがない。


 そんなマクニール様は侯爵家の次男なのに婚約していないものの、大切な恋人がいるのだとか。私も一度だけ、王宮の夜会で彼が可愛いらしい令嬢と親しげに身を寄せているのを目撃した。

 でも、マクニール様は職場に色恋沙汰を持ち込まれるのを何より厭うと知っていたから、私が彼に恋人について尋ねたりしたことは今まで一度もなかった。

 やはり婚約解消で気持ちが緩んでいたようだ。




 翌日、ブラウン伯爵が我が家にやって来た。


 伯爵はロドニーの軽率な行動を恥じ、婚約解消に至ったことを申し訳ないと仰った。

 でも、言葉や態度の端々から私に非があると考えているのが伝わってきた。

 私が学園を卒業後に宮廷に入ったりせず、すぐにロドニーと結婚していればこんなことにはならなかったのだ、と。


 ロドニーのお相手は昔から家族ぐるみでお付き合いのある伯爵家の令嬢だというから、やはり幼馴染なのだろう。

 だったら、はじめからそちらを選んでくれればよかったのに。


「まったく、是が非でもウィレミナをロドニーの嫁にしたいとゴリ押ししたのは向こうなのに、ずいぶんあっさり乗り換えたものだな」


 ブラウン伯爵が帰宅すると、普段は温厚なお父様が怒りを滲ませた声で言った。

 弟のアレックスとエリオットもそれぞれに腹を立てていた。


「そもそも、ブラウン伯爵が婚約を宮廷に届けなかったのはこういう事態を想定してではないですか?」


「それなのに、まるで姉上が悪いかのように言うなんて」


 ブラウン伯爵とお父様との口約束での婚約だったため、慰謝料などもなしということにされた。

 婚約が決まったら宮廷に届を提出することは貴族の義務であり、国王陛下に認められて初めて正式なものとなる。

 だけどブラウン伯爵は婚約届を出すのは結婚の日取りを決めてからと先延ばしにしていたのだ。


 三人を宥めるように、お母様が微笑んだ。


「苦労するのが目に見えていたのだから、こうなってよかったじゃない。もうウィレミナは好きなだけ宮廷で働いたらいいわ」


「ああ、そうだな。良い相手がいなければ無理に結婚する必要ないぞ」


 女性も官吏になることが認められたと知って「私もなる」と宣言した時、両親は応援してくれた。

 でも本当は心配もしていて、だからブラウン家からの縁談を受けたのだと思う。


「ありがとうございます、お父様、お母様。アレックスとエリオットも」


 ブラウン家からの呼び出しに備える必要がなくなったため、その週末は家族とお茶を飲んだり、好きな本を読んだりとのんびり過ごすことができた。

お読みいただきありがとうございます。

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