2-6:闇に消える少女
どれだけ走り続けていたのだろうか。国防省の外的宇宙侵略者対策チーム主任を名乗る男が現れてからの記憶が断片的だった。
あの人は、亜衣の友人が侵略民族:イルノリアの一員だったなんて馬鹿げた話をしてきて、紅さんと過ごしたこの数週間の事を洗いざらい聞き出そうとしてきた。
最初が嫌ですって断っていたけど、しびれを切らせたあの人が力強くテーブルを叩いて亜衣のことを脅してくるから、怖くなって途中からは、ほぼ正直に答えてしまったと思う。
男達が帰った後、部屋に独りぼっち残された亜衣は、いても立ってもいられず雨が降る中、部屋を飛び出していた。
櫻木紅は侵略民族:イルノリアであるはずがない。
だって、あの人はずっと亜衣のそばにいてくれた。
独りぼっちだった亜衣のそばにいて、亜衣の夢を笑わずに見守ってくれた。
そんな人が、パパやママ………いや、世界中で数え切れないほどの命を奪ってきたイルノリアな訳がない。
「そんなの違うよね……紅さん」
日が落ち世界は闇に包まれている。
雨は既に止んでいるが、昨日、ライブ帰りに彼女とみた星空は綺麗に輝いていたというのに、今日は雲に覆われ、月明かりさえ届いていない。
櫻木紅はイルノリアじゃない。
自分の友達は、人殺しなんかじゃない。
そう信じてやまないのに、亜衣は自分の心に芽生えた懸念を振り払うことが出来なかった。
『なに、実にシンプルな物だよ、オレの夢は、この地球の侵略さ』
それはきっと、昨夜聞いた彼女の夢のせいだろう。
昨日は、赤髪の友人特有の冗談かと思い笑い飛ばしていたが、もしその夢が本気だとしたら………。
もし、彼女がイルノリアだというのなら、地球の侵略なんて夢を抱いていたも不思議は何処にもない。
真実を確かめたくて、紅に会いたくて、亜衣はがむしゃらに赤髪の少女を捜し回った。
初めて出会ったオーディション会場、彼女に勇気づけてもらった住宅地の中にある人気のない公園、何度も彼女に練習を見てもらったダンススタジオ、二人で遊びに行ったライブ会場、思い出の場所をたどってみたが、何処にも赤髪の少女はいなかった。
友達だと思っていたが、彼女の住んでいる住所も、連絡先も亜衣は全く知らなかった。
赤髪の彼女は、変わらずずっと亜衣を見守ってくれていた。
でも、言い方を変えれば、見守ってくれているだけだった。
「紅さん………」
走り疲れて、壁に身を寄せる。
ここはどこかも分からない。
線路の下にくりぬかれた数mの短いトンネル。照明も設置されていない暗闇の中、涙混じりの声で、会えない友の名前を呟く。
「お前はそんな所にいたのか」
「ひゃんっ!」
返ってくるはずのない声に亜衣は驚きの声を上げた。さらに驚きのあまり前のめりとなってしまい、そのまま転んでしまう。
「あいたた」
頭をさすりながら顔を上げると、月明かりも辺りに街灯もない暗闇の中にあっても確かな存在感を示す赤髪が飛び込んできた。
「紅さん……どうして、ここに?」
「お前もオレを探したのだろう。知り合いのお節介な奴から、国防が独断でオレの知人にコンタクトしたと聞いてな、どうせお前の事だろうと気になって様子を見に来た」
起き上がり、少女は赤髪の彼女に歩み寄っていく。
この全ては夢じゃない。
友人が目の前にいることも、自分の家に国防省の人がやってきたことも、大好きだったパパとママがイルノリアとの戦争でなくなったことも、全部夢じゃない。
だから、きっとこれも夢じゃない。
「その顔、一通り聞いたのだろう、国防の奴らからオレのこと」
「うん、聞いたよ。ねえ、紅さんは………イルノリアなの?」
「ああ、オレは二年前にこの星を侵略しにやってきた宇宙人だ」
実にあっけらかんと赤髪の少女は侵略者である事を認めた。
そんなにあっさりと認められると困る。
こんなの頭の整理が追いつかない。
亜衣の頭の中で、パパとママの声が聞こえる。
亜衣を呼ぶ優しい声、ときには厳しく叱咤する声、そして、イルノリアからの侵略から逃げ惑う悲鳴、いろいろなパパとママの声が聞こえてくる。
トンネルから出てゆっくりと赤髪の彼女に近づく。
人通りのなく、灯りのない道において目印のごとくその赤髪が確かな存在感を示し、射貫くような深紅の瞳が今日も亜衣を見てくれている。
友人の前まで歩み寄って、その胸ぐらを掴み、精一杯顔を近づけた。
その手が震えているのは、肉親の敵を目の前にした憎しみか、あるいはかつて地球の大半を制していた侵略者に対する恐怖か、亜衣自身にも分からない。
「あなたが、この星にこなければ亜衣は、パパとママと幸せに暮らせていた。亜衣だけじゃない、あなたがこの星にきたせいで、何億の人が苦しんだんだよ……」
心に渦巻く感情を整理できない。
湧き上がる涙が自然と頬を伝っていく。
だが、目の前に立つ友人が教えてくれた。
目を背けてはならないことを。
だから、少女は侵略者と向かい合う。
「ねえ、どうして亜衣と仲良くしてくたの?」
「最初に話掛けてきたのはそっちだ。その後は、ただお前を見守り、観察していただけだ」
冷徹に感情なんて感じさせない声が亜衣の心をさらに穿つ。
「そっか……」
掴んでいた胸ぐらを離して、二歩三歩と距離を取る。
少し離れてみた彼女は、暗闇の中で獣のように赤い眼光が輝いていた。
そんなこと考えたくないのに、このまま櫻木紅に自分が食べられてしまうのでないかとさえ、かってに想像してしまう。
亜衣の知っている櫻木紅は絶対にそんなことをしない。
でも、亜衣の知っている侵略民族:イルノリアは人を虐殺する。
「ねえ、あなたは誰? 櫻木紅。それとも、イルノリア?」
「オレはイルノリアの一人だ。お前が呼んでいる名前は少し前にお節介なお人好しからもらった戸籍上の名前でしかない」
また一歩、生存本能から彼女から遠ざかろうとする。
イルノリアを前にしているのだ。逃げ出さなくてはならない。
分かっている。
なのに、亜衣は例え赤髪の彼女自身が否定したとしても、真実を受け入れなかった。
「でも、亜衣にとって、あなたは櫻木紅だったんだよ!!」
赤髪の悪魔から逃げだそうとする自分を震いだたせるかのように、少女は気持ちを叫んだ。
「亜衣には、分からないよ。イルノリアである紅さんが、この地球に厄災をもたらしたのは間違えない。亜衣のパパとママもあなたのせいで死んだんだよ。でも、でも、でも!!」
それだけじゃない。
彼女は確かにイルノリアだったかもしれない。
だけど、櫻木 紅でもあったんだ。
「紅さんは、独りぼっちだった亜衣を救ってくれた。見守ってくたからアイドルの練習頑張れた。まだ、ステップ上手に出来ないけど、きっと紅さんが見ている前で上手に出来るようになってみせる。昨日行ったライブだって、亜衣は凄く楽しかった。だから、イルノリアじゃない、紅さんとまた一緒に行きたいんだよ!!」
深紅の瞳が何を考えているか、分からない。
イルノリアの考えていることなんて、地球人には分からないかもしれない。
でも、それでも良い。
彼女の事は亜衣は最初から分かっていなかった。
あのオーディション会場で凛とした姿に惹かれた時から何も分かっていなかった。
「亜衣達が出会った日のオーディション。勝ち上がったのは紅さんじゃなくて、亜衣の前にいたあの人だったけど、あの人なんてただのアイドル。歌は上手かったけど、ただそれだけだった。将来性なんて何もなくて、亜衣を引きつける魅力なんて一切感じなかったよ! あんな個性のない下手な人はきっと数年で消えてしまう。でも、紅さんは違うって感じたの!」
だから、これから先も彼女の事は分からないだろう。
自分の気持ちの気持ちも整理もつかないかもしれない。
「ねえ、紅さん。実はね、今朝ね、亜衣は新しい夢を考えたんだ。昨日、紅さん、夢はなくなったって言っていたから、一緒に夢を見れたら良いなって思って、考えたんだよ」
自分に嘘はつけない。
芽生えていたこの気持ちは、真実を知った今も消えることがないから。
亜衣の夢はアイドルになることだった。
でも、その夢はいつの間には少し変わっていた。
「亜衣はさ、紅さんと一緒に、アイドルなって、復興祭のステージに立ちたいな」
その夢を語った瞬間、依田亜衣という少女が、暗闇に喰われた。
依田亜衣が赤髪の少女に自らの新たな夢を語った瞬間、暗闇が彼女を飲み込んだ。
そして、静寂がやってきた。
月明かりさえも遮られた暗闇の中で更なる暗闇が蠢き、そして闇へ消えていく。
暗闇が消え去った後、そこには何もなかった。
真実を知り、それでもなお、友を信じて新たな夢を語った少女は、暗闇に切り取られてしまったかのように忽然と姿を消していた。
まるで最初から、依田亜衣という少女は存在していなかったかのように、そこには虚無だけがあった。
赤髪の少女は、深紅の眼光を研ぎ澄ませ、あたりを探るが何も感じない。
獲物を仕留めた狩人は欲張ることをせず、素直に撤退したのだろうか。
赤髪の少女は暗闇の中、自分の影を見下ろした。
あるいは、もう既に次の獲物に狙いを定めて、この影の中に寄生をしているのかもしれない。
「多少なりとも知性もありそうだし、確かにこれは荷が重たい相手だな」
赤髪の少女は、彼女が立っていた空間を見つめていた。
そこにはもう何もない。誰もいない。
夢を語っていた少女は、夢を叶える前に闇に喰われ、この世からいなくなった。
死体さえ残らずに、忽然と世界から消し去られてしまったのだ。
赤髪の少女は、依田亜衣が最後に立っていた場所に向かう。
辺りを見渡すが、最後まで自分を友人だと言っていた少女はもう何処にもいない。
櫻木紅と依田亜衣との間に友情なんて何処にも存在していなかったというのに。あの馬鹿な娘は最後まで友情を信じていた。
ポケットに入れていた小箱を取り出す。それはイルノリアが使用していた記憶デバイスであった。
赤髪の少女は、依田亜衣をずっと見守り、観察していた。
それは、彼女がアイドルを夢見る少女であったからではない。彼女が、シャドーイーターに狙われていたからだ。
最初はオーディション会場での停電だ。
依田亜衣は最後まで自分がシャドーイーターに感染していることに気づいていなかったが、あの停電の暗闇の中で赤髪の少女は依田亜衣に取り付いているシャドーイーターを感じ取っていた。
すぐに食べられるかと思ったが、シャドーイーターは何故か依田亜衣を生かしていた。
その理由を探るために彼女は依田亜衣に近づいていたに過ぎない。
とある少女が、シャドーイーターに狙われ、そして喰われるまでの記録がこのデバイスに収められている。
これをあのお人好しな魔法戦士へ渡せば、対シャドーイーターの戦術を作成する上で、参考になるデータもあるだろう。
赤髪の少女はもはや用件は済んだとばかりに踵を返して、依田亜衣が消失した現場から立ち去っていく。
二人の間に友情があったかは、誰にも分からない。
だが、仮にそこにあったのが友情だとしても、もう二人の友情が進むことはない。
よほど急いでいたのだろう。もはや住民が帰ってくることのないその部屋は鍵が掛けられていなかった。
赤髪の少女は、何も言わずドアを開け部屋の中に入っていく。
壁に備え付けられたスイッチに触れ光を灯せば、シャドーイーターに喰われた彼女の部屋はまだ生活の匂いがした。
何かを見たい番組があったのだろう。テレビの下に設置されたレコーダーが赤く灯り、小さな起動音を奏でている。
依田亜衣がシャドーイーターの被害者であると分かれば、ここにもすぐに警察や国防の奴らがやってくることだろう。
その前に何かシャドーイーターに関わる情報があるか確認しなければ、ここにやってきた意味がない。
ごくありふれた1Kの部屋だ。
目を引くとすれば、タンスの横に設置されている仏壇だろうか。亜衣と面影が似ている夫婦の遺影が飾られている。
イルノリアの侵略によって、命を落とした夫婦であるが、彼らに祈りを捧げる者はもうこの世にはいない。
ざっと見渡してみたが、シャドーイーターの気配は感じないし、闇の捕食者に関わりそうな手がかりも見当たらない。
無駄足だったかと、警察や国防に見つかる前に引き返そうとした赤髪の少女であるが、テーブルの上に置かれている茶封筒を見つけてしまった。
それにはピンクの付箋がつけられており、丸っこい文字で、『紅さんと一緒に』と書かれていた。
亜衣が部屋を出る前に書き残していたものだろう。
茶封筒に入っているのはいつの日か彼女が語っていた合同ライブである復興祭へのへの応募用紙だった。
『亜衣はさ、紅さんと一緒に、アイドルなって、復興祭のステージに立ちたいな』
シャドーイーターに喰われる瞬間に少女が語った夢が思い出される。
茶封筒を持ち上げればその下には1枚の写真が隠されていた。
それは昨夜、亜衣に付き合った時の写真。
ライブ会場まで赤髪の少女と茶髪の小柄な少女が並び立って自撮りしている写真だった。
赤髪の少女は無愛想だし、茶髪の小柄な少女はぎこちない笑顔を浮かべている。
お世辞にも褒められた写真ではないが、櫻木紅と依田亜衣の想い出が記録されている1枚だ。
二人の確かに友情は存在しなかったかもしれない。
だが、二人は確かに同じ時を過ごしていた。
依田亜衣の存在は赤髪の少女の記憶の中に確かに残っていて、彼女が語った夢は未来を変える礎となる。
「お前には少しは世話になったからな。もう少しだけ、お前の夢には付き合ってやる」
その声は依田亜衣にもう届くことはない
。主を無くした部屋にただ響き渡るだけである。
依田亜衣が残した応募用紙と写真を握りしめ、赤髪の少女は、自分を友人だと語っていた彼女に別れを告げるのだった。