2-4:二人の友情?
あの日から、依田亜衣の世界は変わった。
独りぼっちだった世界に友達が出来たのだ。
その友の名前は、櫻木紅。
血のように赤い瞳に見つめられると「ひゃんっ!」と背筋が伸びるし、優しい言葉を掛けてくれることなんてほとんど無いけど、その瞳で真っ直ぐに亜衣のことを見てくれる。
あわてんぼうな亜衣がどれだけミスしても笑わずに、亜衣がミスを挽回するまで待ってくれる。
見ほれるぐらいの素敵な素敵な赤髪の持ち主だけど、赤髪が湿るのが大っ嫌いみたいで雨の日は外出をとても嫌がる。
元気よく開けたカーテンの先には、晴天とは行かなかったが、曇り空で雨も降っていない。
「この天気なら、今日も紅さん来てくれるよね」
雨が降っていない。
それだけで、亜衣の心は晴れやかに澄み渡っていく。
小躍りを始めそうな弾む気持ちでレッスンの支度を終え、
「パパ、ママ、行ってきますね」
両親が眠る仏壇に手を合わせ、今日一日の平和を祈願すれば、準備は完了だ。
レッスンウェアの入った鞄を背負い、亜衣は友達の待つレッスンスタジオに出発した。
「ひゃんっ」
ステップ途中に自分の足と足が絡み合い、亜衣は冷たいレッスンスタジオの床に思いっきり顔を打ち付けた。
ひりひりと痛むおでこをさすりながら、起き上がる。
今日は新しいステップを覚えようとトライしているがどうしても上手くいかない箇所があり、何度もレッスンスタジオの床に転んでいる。
「あいたたた」
鏡に映ったおでこを見る。
赤く腫れているが、怪我はしていないようだ。「よっし」と気合いを入れ直してもう一度立ち上がる。
鏡に映っているのは練習に励む亜衣と、離れた場所で壁に寄り添う形で立っている櫻木紅の二人だった。
亜衣はレッスンウェアに着替えているが、紅は私服のままである。
二人が一緒に練習することはない。
あの日の約束通り、紅は亜衣の姿をただ見届けているだけだ。
でも、一人じゃないことがどれだけ心強いことか。
「見ててよ、紅さん。亜衣は今度こそ、成功してみせるからね」
勝利の約束とばかりに赤髪の少女へVサインを見せる亜衣。対する紅は、早くやれとばかりに指で鏡の方を指さすだけであったが、これはちゃんと亜衣を見てくれている事の証拠だった。
「うん、亜衣。かんばるよ」
意気揚々と再度ステップにチャレンジする亜衣であったが、
「ひゃんっ」
そうそう簡単に上達するわけもなく、またしても冷たい床に頭を打ち付けるのであった。
雲の切れ間から夕日が差し込み、復興が続く世界を赤く彩っていた。
「はあぁ。結局、ステップ1回も上手くいかなかったよ……」
練習の度に打ち付けたため、赤くはれ上がったおでこをさすりながら、亜衣はため息をついた。
折角一日中、紅が一緒にいてくれと言うのに成果らしい成果は何も上げることが出来ずじまいだった。
「ねえ紅さん、この後、何か予定あります?」
紅との練習は、朝に始り夕方には終わる。
普段ならはこのまま駅まで一緒に歩きそこでお別れだった。
でも、まだ日は落ちて無く、一日はまだまだ長い。
この後に何かをする時間は充分に残っている。
「特はない」
「だったら、亜衣おすすめのアイドルコンサートが近くでやっているの。よかったら、一緒に見に行かない?」
一週間前からずっと肌身離さず持ち歩いていたチケットを赤髪の少女に差し出した。
ずっと前から誘いたかったけど、赤髪の彼女は雨が大嫌いだと分かってからは言い出す勇気が出せなかった。
コンサート当日に雨が降ったら、きっと彼女はコンサート会場に来てくれない。
そんな確信があったが、当日までずっと言い出せずにいたのだ。
血のように紅い瞳が、夕日に染まる空を見た。
きっとこれからの天気を確認している。
でも、大丈夫。今夜の降水確率は10%だから、きっと雨は降らないはずだ。
「そのコンサートにオレが行かなかったら、お前はどうする?」
「え?………多分、寂しいけど、一人で見に行くかな………」
ひゃんっと萎れた犬のように俯く亜衣。
一方、紅い瞳は空から、亜衣に視線を移して、何かを見定めるように亜衣の全身を這っていく。
「そのチケット。出演者に、七星 球菜とあるが、あいつも出るのか?」
「紅さん、球菜ちゃん知っているの? このライブが発表された時は出演メンバーだったんだよ。でも残念だけど、球菜ちゃん。少し前にアイドル休業宣言しちゃったから、急遽不参加になちゃったんだ。亜衣の推しアイドルだったんだけどね」
「あいつを推すとか、お前趣味悪いな。だが、あいつが出るはずだったステージとなれば、少し興味がわいた。いいぜ、一緒に行ってやる」
「ひゃんっ! 本当、紅さん、ありがと~~!」
了承を頂いた亜衣は喜びの余り、紅に抱きつこうと飛びついたが、
「ひゃんっ!?」
赤髪の彼女はさらりと身を翻して、亜衣を避けた。
結果、一人硬いアルファルトの上に倒れ込む事になったのだ。
「何をしている、行くぞ。開演時間とやらには、もうあまり時間が無いんだろう」
「ひゃんっ。ちょっと、紅さん、待ってよ~~」
慌てて起き上がり、紅を追いかける亜衣。
その顔は、笑っており、友達と一緒にライブへいけるこの瞬間の幸せをかみしめていた。
空に籠もっていた雲は消え去り、見上げれば満開の星空が煌めいていた。
終演を迎えたライブの帰り道は月明かりに照らされ、いつも以上に上機嫌な亜衣が赤髪の少女の隣を歩いている。
「今日のライブ、楽しかったね、紅さん。あ~~、亜衣も何時の日か、あんな風に光輝くステージに立って、みんなに笑顔を届けたいな~~」
会場に揺らめくコンサートライトにも似た星空に手を伸ばしながら、アイドルの卵である少女は未来を夢見る。
「お前らは、本当に酔狂だよな。誰かに笑顔に届けたいなんて、オレには理解出来ない」
「困っている人の力になりたいって当たり前の感情じゃないかな? それに、そんなこと言っているけどあの煌めくステージに一番近いのは、紅さんじゃないかなと亜衣は思うよ」
よほど今日のライブが楽しかったのだろうか、亜衣はいつになく饒舌であった。
「亜衣は、ほらおっちょこちょいでダメダメなアイドルじゃん。でも、紅さんは違う。亜衣なんかとは運動神経は比べものにならないし、何より芯がある。真っ直ぐにその強い姿に、あのオーディションの日に亜衣は心引かれちゃったんだ。だから、きっと紅さんを見た別の誰かも、その姿に勇気をもらうんだと思うんだ」
月明かりに照らされた世界で、染まることのない存在感を持つ赤髪の少女。
そんな少女の過去を何も知らずに褒め称える亜衣。
静寂な夜の中、亜衣はもう一度勇気を振り絞った。
「ねえ、紅さん。今度さ、またオーディションがあるんだ。今度は、復興祭って言って、イルノリアの侵略からの復興を遂げる世界全体でお祝いする一大イベントのオーディションなの。さっきみたいな大規模ホールで歌うんだけど、亜衣達みたいな無名アイドルを出演出来るパートも用意されているみたいだし、良かったら、亜衣と一緒に出てみない?」
少女の切なる願いはしかし、届くことはなく、元イルノリアの少女は静かに首を横に振った。
「どうして? 紅さんは亜衣とじゃ嫌なの?」
「お前はオレを買いかぶりすぎだ。オレがイルノリアの侵略からの復興をとげる世界をお祝いする? くだらないことを言うのも大概にしろ。オレはただ、お前の行く末を見守っているだけだ。やりたいことがあるのなら、誰かに頼らず自分の力でやってのけろ」
立ち止まる亜衣を残して、赤髪の少女は一人で前に進んでいく。
「でも、亜衣は……紅さんとは違うよ……今日だって、ステップ全然出来なかったし……」
「ああ、そうだな。お前はオレとは違う。まだ、夢を追いかけている。なあ、今日のライブのお礼に一つだけ教えてやる。オレはお前が偶像を抱いているほどの存在じゃない。夢を叶えることが出来なかった、ただの敗者さ」
しかし燃えるような紅い髪をたなびかせるその背中は振り返ることなく進み続けていく。
立ち止まっていたらずっと追いつくことは出来きやしない。
亜衣は自分の足で歩き出して、大切な友人の背中に追いついていく。
その先に叶う夢はきっとあるはずだから。
「ねえ、紅さんの夢ってなんだったの?」
「なに、実にシンプルな物だよ、オレの夢は、この地球の侵略さ」