2-3:上から落ちて地面を濡らしていれば、それは雨だ
開けたカーテンの先に拡がる空は曇り空だった。
「よっし、雨は降ってないな」
赤髪の少女にとって最重要事項である天気問題が解決されたので、これで後は出かけるだけだ。
鏡に向かい、自慢の赤髪をセット。
湿気に悩まされることのなく、思い通りに髪型が決まるのがなんとも心地よい。
近くで電車が通るだけで振動するボロ屋を出て、赤髪の少女は駅に向かって歩いて行く。
ついに戸籍を手に入れたのだから、こんなアングラな方法で借りた部屋ではなく正規のルートで借りれるまともな部屋に越すことも出来るのだが、まだ引っ越しを考えていない。
住めば都。電車で部屋が振動することなど、宇宙船生活での振動に比べたらたいした物ではない。
宇宙船生活時代と比較して部屋は、かなり質素になってしまったが、宇宙船生活と同じ生活環境を望んでいたら、切りがない。
侵略民族:イルノリアにによる被害からの復興を進める商店街を今日も通り抜け、駅にたどり着く。
電車を乗り継ぎ、おてんばな彼女との待ち合わせ場所に向かっていく。
電車の窓から見える景色は、殆ど変わらない。
何処もかしこも戦いによる傷跡が残っている。数週間で劇的に復興が進むわけがない。
しかし、復興は着実に進み、同じように見える景色でも傷跡が癒えた場所が確かに存在している。
ぼんやりと窓の外を眺めていると電車がトンネルに入った。暗闇の中を突き進む電車の中で赤髪の少女はそっと目を閉じた。
おてんばなあの娘と出会った日、あの暗闇の中で感じた存在を思い出しながら、赤髪の少女は目的地へ進んでいく。
「あ、櫻木さん。こっちですよ~~」
人混みの中においても埋もれることのない赤髪を早速見つけた亜衣は小柄な体格を補うべく小さくジャンプしながら両手を大きく振っていた。が、
「ひゃんっ?」
着地の際に足を滑らしてしまい、人通りの多い駅の出入り口で、それはもう見事に転んでしまったのだ。
「あいたたた」
「お前は一体、何をしているんだか……」
尻餅をついたおしりを優しくさすりながら起き上がる亜衣。
そんな彼女の元に迷うことなくやってきた赤髪の少女はあきれ顔で呟くのだった。
「あはは。すみませんね、情けない所を見せちゃいましたね」
「気にしてない。お前がオレに一度でも格好いい所を見せた事はないだろう」
「ひゃんっ! 確かにそうかもしれませんけど、櫻木さんは辛辣すぎますよ~~」
涙になりながら亜衣が訴えてくるが、赤髪の少女は何処吹く風でそそくさと隣を通り抜け一人レッスンスタジオに向かって歩いて行く。
「ちょ、ちょっと待ってよ、櫻木さん。亜衣を置いていかないでよ~~」
目的のスタジオは駅から10分ほど歩いた所にある。
駅を出ると長い坂があり、これを下った先にレッスンスタジオがあるようだ。
空を見ればどんよりとした雲がかかっており、今日も青空を拝めることが出来なそうだ。
隣に並び立った亜衣が色々と話かけてくるが、オーディションの日と違って今日は雨が降っていない。
雨音を誤魔化す必要がないため、今亜衣の話に付き合う義理は赤髪の少女にはない。
「ちょっと、櫻木さん、亜衣の話聞いてます?」
「いいや、全く聞いていない」
「ひゃんっ! 酷いよ……って聞こえているじゃないですか、だったらもう少し相づち打ってくれるとかしてくれても良いじゃないですか」
ただ、このおてんば娘の声色は悪くないと感じていた。
侵略民族:イルノリアにはない彼女の柔和な声色は、不思議と耳朶に気持ちよかった。
そんな風な事を思いつつも、適当にあしらいながら歩くこと10数分やっと目的のレッスンスタジオにたどり着いた。
亜衣が水を得た魚のよう受付カウンターに向かうが、しかし、問題が発生した。
ブランコと砂場があるだけの質素な公園。
亜衣が予約したはずのスタジオからほど近くにあったこの公園には、子供達はいない。
侵略民族:イルノリアとの戦いは終戦したが、戦いが人々に負わせた傷口は深い。
安全なはずだが、親たちは子供を外に出すのを戦いが終わった今も躊躇い、かつてのような賑わいを見せる公園は世界で見ても少なくなっていた。
子供達のいない公園にいるのは鮮やかな赤髪を持つ少女と、ブランコに座りながら肩を小刻みに振るわせている小柄な少女だった。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい、櫻木さん。折角、こんな所まで来てくれたのに、本当……亜衣のせいで……ごめんなさい………」
両手で顔を覆いながらあふれ出してくる涙をせき止めようとするが、乾いた地面に水滴が落ちていくのを止めることは出来ない。
本当なら、今頃二人はレッスンスタジオで、アイドルとしての自主練を行っているはずだった。
それなのにどうしてこんな所にいるかと言えば、理由は簡単だった。
亜衣が事務所の先輩からもらった無料券が、偽物だったのだ。
「オレは特段気にしてない」
「でも、本当ごめんなさい。亜衣が先輩の言葉鵜呑みにしちゃったからぁぁ、亜衣が事務所のぉ嫌われ者だからぁ………。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
駅で会ったときの子犬のような笑顔は消え、悲痛な声だけが二人だけの公園に木霊していく。
偽物の無料券ではレッスンスタジオに入る事は出来ない。
それどころか、知らずのこととはいえ偽装券でスタジオに入ろうとした行為に、オーナーが怒りの剣幕でやってきて二人に出入禁止を言い渡したのだ。
行く場を失った二人は近場の公園にまずは避難してきたが、涙が止まることはなく、涙が地面を濡らしていく。
「お前は、アイドルの中で仲間はずれなのか?」
「………ぐっす……。うん、仲間はずれ…なのかな? 亜衣ってほらこんなんで、ダメダメアイドルだからぁ……。先輩達から、よくぅ、遊ばれるんだぁ……」
視線を上げることなく、小柄な少女が世界から逃げ出したいと願いながらも語っていく。
「今までも、こういうぃの、ときどきぃ、あったの。ひゃんっ、一人だけ違うぅ、レッスン会場教えぇられたり、レッスン着が破かれたりぃとか………でも、亜衣ぃ、アイドルやりたいからぁ、必死に耐えてきたのぉ………でも、今回もぉ駄目だったぁ。ごめんなさいぃ、亜衣ぃが、亜衣がぁ、全部悪いのぉ………」
自責の声が響き渡る。
依田亜衣は、ただアイドルに憧れた少女であった。
でも、ただちょっとおっちょこちょいというだけで、彼女は他人にもその夢をもてあそばれ続けてきた。
これこそが魔法戦士アーススター・エースがその身をかけて、侵略集団:イルノリアから守り抜いた世界の一部である。
同族同士で忌み嫌いあい、同族同士で足を引っ張り合う。
なんとも醜いことだろう。
これならイルノリアに侵略され、彼らが同胞の植民地となった方が、この星も幸せだったのではないかとさえ思う。
しかし、あの史上最強のお人好しは、こんな世界を目にしても、それでもまだ命がけでこの世界を守ることを選択するのだろう。
人間の可能性とやらを信じて。
「くだらねえな」
そんな世界を赤髪の少女は一言で吐き捨てた。
彼女は正義の魔法戦士ではない。
その逆で、この星を侵略しようとやってきたイルノリアが三幹部の一人である。
目の前で泣いている少女がいて手をさしのべるのは、あの魔法戦士の役目であって、自分ではない。
この星の住民がどうなろうと、異星人である自分には知ったことでない。
だが、赤髪の少女は雨が大嫌いだった。
大なり小なり、上から落ちて地面を濡らしていれば、それは雨だ。
「おい、お前はこのまま泣き続けるのか?」
肩を振るわせ続ける小柄な少女は、涙を止めることが出来ない。
涙を止められない弱い自分だと分かりながら、それでも彼女は首を横に振った。
諦めたくない夢があるから。
誰かに邪魔されても、どんなに苦しくてもかなえたい夢があるから。
だから、最後の抵抗とばかりに首を横に振った。
何をすべきかも分からないけど、泣き続けているだけじゃなりたい未来の自分になれないって分かっているから。
「まずは、合格だな。じゃあ、次の質問だ。お前は何になりたい? お前さえ望むなら、その他人を簡単にひねり潰す位の力を与えることも出来るぞ」
「亜衣はぁ、力なんていらないぃ! 亜衣ぃは、ただ、誰かを幸せに出来るアイドルになりたいのぉ!!」
望めは、侵略民族:イルノリアの科学力をもって、彼女から人間としての枷を外し、超人にする事も出来た。
力があれば、先輩とやらに馬鹿にされることもない。
主従関係で、上に立てば馬鹿にされることもないだろうに。
しかし、この娘は力を選ばなかった。
力ではなく、夢を選んだ。
侵略民族:イルノリアからしてみたら、全くもって不可解な選択である。
だが、あの地上最強のお人好しと良い、この娘といい、この選択をするのが地球人という奴なのだろう。
赤髪の少女は、泣きじゃくる少女に近寄り、三度頭をなでた。赤く腫れた少女が顔を上げ、目にしたは、真の紅。
血のように深紅の瞳が力強く見下ろしていた。
「いいぜ。なら、その夢とやら、オレが見届けてやる」