1-2:アイドル始めませんか?
ほんの数十分前まで満員だったのがまるで夢であったかのように空っぽになった観客席に赤髪の少女はゆっくりと降り立った。
そこから見上げるは、光のないステージ。
本来なら、あいつがステージに立ち、歌でここにいるはずだった観客達に笑顔と元気を与えていたのだろう。
「くだらねえな」
そんな自分が見るはずだった未来を思い描いてみたが、それは自分がこれまで生きていた来た世界とはまるで違った。
あいつが立つはずだったステージはかけ離れた異世界の出来事のようで現実味など何もなく、妄想にも等しい想像を吐き捨てるように赤髪の少女は呟いた。
空っぽのステージを後にして、楽屋に戻ってくれば彼女も少しは回復したのだろう。
顔はまだ少し憔悴しているが、椅子に腰掛けゆっくりと水を飲んでいる。
向こうも赤髪の少女が楽屋に戻ってきたことに気づき、寄り添っていたマネージャーらしき人間に何かを囁いている。
何を伝えたかは赤髪の少女の知るところではないが、あからさまに怪訝な瞳を向けられたから、良い話ではないようだ。
だが、彼女の意思は変わらずマネージャーらしき人間は渋々引き下がり、楽屋を出て行った。
彼女が倒れたときには十数人にた楽屋も今は、赤髪の少女と日本人形を思わせる流麗な黒髪を持つ彼女だけになった。
「すみません、折角来ていただいたのに、こんなお恥ずかしい姿をお見せしてしまい」
「気にするな。雨がたまたま止んだから来ただけだ」
赤髪の少女はゆっくりと彼女の元へと寄り添っていく。こんな他愛もない話をするためにわざわざ人払いをしたわけではなかろう。
彼女が持つ他人に聞かれてならない話をするとなればアレしかない。
「それで、魔法戦士であるお前が、オレをわざわざライブに呼びつけてまで話したかった内容はなんだ?」
化粧台前にあった椅子をたぐり寄せ、イルノリアの侵攻からこの地球を守り抜いた魔法戦士と向き合う形で赤髪の少女は腰を降ろした。
彼女と同じ視線に立ち、真っ直ぐに見つめあい、さらにはお悩み相談まで受けるなんて、目の敵にしていた二年前から考えれば、まるで悪夢のような出来事だろう。
しかし、正義の魔法戦士アーススター・エースと、侵略民族:イルノリアの三幹部の一人であった自分が腹を割って話し合えるこんな状況は悪くないと赤髪の少女が思っているのもまた事実だ。
「………シャドーイーターと称される存在をあなた様はご存じですか?」
「それの件か。オレ達とは別の何者かが最近、最近人々を襲い始めた噂は聞いているが、残念ながらオレ達も初めて聞く民族だ。いや、姿が見えないのだから、民族であるかもわからないか」
シャドーイーター。
それは漆黒の狩人である。
赤髪の少女が語る通りその姿を見た者はまだ誰もいない。
しかし、彼らは確かにそこに存在している。
暗闇の中に現れ、暗闇の中で活動する存在である。
闇の中に彼らは確かに存在しているが、闇に隠れその姿を認識できたものはまだ地球上では存在していない。
シャドーイーターの存在する暗闇に入った生命は、再び光を浴びることは許されない。
シャドーイーターにより闇の中に引き込まれ、その存在を抹消されてしまうのだ。
侵略民族:イルノリアのように軍隊で攻めて、数週間で地球の大半を侵略したような大々的な行動をシャドーイーターは取っていない。
彼らは闇に紛れて静かに活動している。
だが、この一ヶ月において全世界の行方不明者数は実に3倍に跳ね上がっており新たな敵の進撃は着実に進行していた。
「じゃあ、今度はオレから質問だ。お前、また地球を救うために我が身を削って戦っているのか?」
「はい。だって、わたくしは魔法戦士アーススター・エース。この星に危機が迫っているのに見過ごすことなんて出来ませんよ。それはわたくしと戦ったあなた様もよくご存じですよね」
「ああ、お前との一年に及ぶ戦争で嫌なぐらいに教え込まれたよ。だが、そんなお前も姿の見えない今回の侵略者に関しては、手を焼いているようだな」
「………その通りです。シャドーイーターに対してもわたくしの魔法は有効打として機能しているかも分かっておりません……いえ、より正しく言えば、現時点でシャドーイーターに傷を負わせることが出来る方法は確認されておりません」
目の前に座る少女はそこで一度言葉を区切り、ゆっくりと水を口に運んだ。
憔悴しきったその身体では、一度にしゃべり続けることも困難なのだろう。
「お恥ずかしながら正直に申し上げまして、目に見えない敵との戦いはイルノリアとの戦い以上に神経を研ぎ澄ます必要があります。軍勢の数で言えば、イルノリアの方が明らかに上でしたのに、精神的心労はシャドーイーターと戦う方が圧倒的に大きいです」
「その結果、無理がたかり正義の味方と二足わらじのアイドル活動中にぶっ倒れてしまったと。端的に言って、お前は馬鹿だろう。他人よりもまずは自分を大事にしろよな」
「あのようなお姿を見られては、もはや返す言葉はありません。ですが、これで決心がついたのも事実ですわ。悔しいですが、今のわたくしでは正義の魔法戦士とアイドルは両立できない。ですから、また平和な世界が来るその日まで、アイドル活動は休業しようと思います」
馬鹿だと罵っておきながら赤髪の少女は宿敵のしおらしい反応に目を丸くした。
あきらめの悪いこの娘は、誰かのためだと言って自分を何処までも犠牲にする馬鹿だと思っていたが、まさかきっぱりとアイドル活動を休業すると言い出すとは………。
それほどまでに、魔法戦士アーススター・エースとシャドーイーターの戦いは熾烈を極めているというのだろうか?
「いや、違うか。お前がオレをここに呼んだ理由は、これなのか?」
「ご明察の通りです」
魔法戦士兼アイドルの彼女は、問いかけに対して朗らかに笑った。
見る者に元気を与えるその笑顔が赤髪の少女は昔から大嫌いだった。
今だって、この娘は人を信じて疑わない純真無垢の笑顔を侵略者であった自分に、迷い無く向けてくるのだ。
「最初の提案ですが、わたくしと一緒にこの星を守ってはくださいませんか? イルノリアの三幹部であったあなた様が加勢してくれるのでしたら、まさに百人力ですわ」
「馬鹿か、お前は。どうしてオレが生まれ育った訳でもない、この星を守らなくちゃならないんだ。確かにオレ達はお前に負けて、この星への侵略を諦めざるを得なかったが、だからと言ってこの星を守る義理なんて、何処にもねえぞ」
この星は侵略民族:イルノリアの標的の一つに過ぎなかった。
赤髪の少女に対する地球への価値はそれ以上でもそれ以下でもない。
別の存在に侵略されることは正直言って面白くないが、シャドーイーターの行為を止めたところで赤髪の少女が得るものは何もない。
そんな回答は正義の魔法戦士も重々承知だったのだろう。
共闘の提案を否定されたというのに、その顔には全くの憂いはなかった。
むしろ、この回答を既に予想していたのだろう。彼女は鞄から一枚の茶封筒を取り出した。
「では、次の提案です。わたくしはこれから魔法戦士アーススター・エースとしての活動に専念します。その間、わたくしの代わりにアイドル活動をしてくださいませんか?」
「はっ?」
魔法戦士から差し出された茶封筒は、とある音楽番組へのオーディション応募のスタンプが押されている。
予想の斜め上を行く提案に赤髪の少女は、一瞬惚けたような顔を浮かべてしまうが、次の瞬間には、椅子から飛び上がりかつてこの地球をかけて争った宿敵に詰め寄った。
かつての部下達が恐れ戦いた燃える紅の眼光が鋭く魔法戦士を射貫くが、彼女は何処吹く風で話を進めていく。
「こちらが、わたくしが今度受けるはずでしたオーディションの案内書となりますわ。先方には既に話を通しており、エントリー変更は既に完了しておりますので、ご安心ください」
「話を勝手に進めるな。元侵略者のオレがアイドル活動だと? お前何を考えている。過労で頭本当におかしくなったんじゃ………既にエントリー変更を完了しただと?」
浮かび上がった疑問に怒りで燃え上がっていた赤髪の少女の思考が一気に冷やされていく。
魔法戦士から距離を取り、再び向き合うように椅子に腰掛ける。
よく見れば、魔法戦士が赤髪の少女へ差し出している茶封筒は応募用紙の下にもう1枚あった。
「なあ、お前どうやって、エントリーを変えた? 知っての通り宇宙からの侵略者であるオレに、この地球での戸籍なんて存在しない。存在していない奴をどうやって、エントリーしたんだ?」
困った人を見過ごすことなんて出来ない魔法戦士はなぜか目元に涙を浮かべていた。
それは悲しいからではない、きっと他人の幸せを祝ってのうれし涙なのだろう。
本当に、この馬鹿は、何処までもお人好しなんだ。
かつてこの星を絶望に陥れた自分の存在さえも見過ごすことが出来ない、天性の馬鹿だ。
「ですから、国防省を通じて政府にお願いしたら作ってもらえましたよ。わたくしがシャドーイーターとの戦いに専念出来るよう、わたくしの代わりにアイドル活動してくださる方の戸籍をね」
差し出されていた茶封筒を受け取った赤髪の少女。
中に入っていたのは、オーディションの参加用紙、そして、かつての侵略者に与えられた地球上での戸籍である。
まごう事なき、日本国の戸籍謄本である。そこに記されていた名前は、
「櫻木、紅……」
「はい。それがあなた様の地球でのお名前となります。イルノリアの皆さんは個別を識別する名前を持たないと聞いておりましたので、わたくしのほうで、櫻木 紅さんと命名させていただきました。あなた様のその髪はまさに紅と呼ばずにはいられませんでしたから。いかがでしょうか、お気に召していただけましたでしょうか?」
「名前なんて概念がオレ達には理解出来ないが、なんであれ、オレの赤髪に目をつけた呼称である所だけは褒めてやるぜ」
「お気に召していただいたようで、嬉しい限りですわ」
赤髪の少女……櫻木紅の正直じゃない反応も、正義の魔法戦士、七星球菜にしてみれば、なれたものである。
言葉の裏に秘めていた想いを読み取られた赤髪の少女は、少しばつの悪そうに舌打ちをしながら、しかし、しっかりと自分の戸籍を握りしめている。
「まあ、国防や政府からしてみたら、この戸籍はこれからオレが何をしたか足取りを追うための首輪なのかも知れないがな。だが、せっかく頂いたものだ、ありがたく使わせてもらうよ」
「はい。これからは、地球人、櫻木 紅として生活して、是非にこの星を大好きになってくださいね」
誰からの幸せを心から喜んでいるその微笑みはまさにアイドルとしての輝きを放っていた。
元侵略者である自分がこんな偶像的存在になれるとは到底思えなかったが、この日を境に櫻木 紅のアイドルとしての日々が始まっていくのだった。