エピローグ:第二の人生としてアイドル活動をする事になりました
窓から外を見上げれば、朝から降り続いていた雨が止みわずかな雲の切れ間から青い空が見えていた。
「まったく、止みやがったか。あいつ、魔法で気象操作までできるようになったんじゃないよな」
何処か嬉しそうに憎まれ口を叩きながらも、外出に向けた最大の懸念事項がなくなった少女は、洗面所に向かい自慢の赤髪をセットしていく。
まだ昨夜から降り続いた雨の影響で湿気が多いため、心から完璧と自負できる出来にはならなかったが、まあ今日ステージに立つのは自分ではないのでこれぐらいで良いだろう。
雨のせいで出発時間が遅れている、そろそろ家を出ないと約束の時間に間に合わないし、そろそろ呼んでもいないあの騒がしいのが家に押しかけてくる頃だ。
リビングに戻り、髪色に負けない血のように真っ赤なコートを羽織った少女は、勢いよく玄関の扉を開けた。
「お前はそこで何をしている?」
「あれ、紅っち、さっきまでも雨降っていたのにもう準備出来ている?」
「お前は行動がワンパターンだからな。呼びに来る時間など想像がつく」
「それってつまりは、それだけうちと紅っちのつきあいが長いってことっしょ」
玄関の前に立っていた篠宮瑞希は、一切へこたれたる事無く、嬉しそうに笑っている。
むしろ、逆手を取って金髪小麦肌の少女を驚かせようとしていた赤髪の少女の方が、苦虫をかみつぶしたように顔をしかめている。
「お前と一緒にいる苦行に少し慣れてきた自分が嫌だな」
「あはは。もう、そんなこと言って。影がうちを襲ってこないって事は、紅っちも内心は悪くないって思っているんでしょう。もう、素直じゃないんだからさ」
「黙れ。無駄話をしている暇があるならさっさと行くぞ」
勝ち誇ったようににやついている金髪小麦肌の少女を押しのけ、赤髪の少女はそそくさと歩を進めていく。
復興祭から早半年が経っていた。
櫻木紅がイルノリアである事を全世界に公表しステージに立ったあの日から、世界は変わった。
なじみの商店街を赤髪の少女は歩いて行く。
イルノリアの襲撃によって損害を受けたこの街も少しづつ、だが着実に復興を続けている。
見れば、半年前は施工途中だったビルも完成し、様々なテナントが入り人々で賑わっている。
そんな人類が自らの手で復興している様を眺めながら、イルノリアの少女は歩を進めていく。
全世界中の人類が、彼女がイルノリアだという事を知っている。
だが、人々はそのことを口に出せずにいた。なぜなら、全人類には今、シャドーイーターに感染しているからだ。
赤髪の少女の不利益になることを画策すれば、アイドル櫻木紅のファンであるシャドーイーターによって闇に喰われてしまうのだ。
だから、人々は赤髪の少女には何も言えず、過ごすしか出来ない。
復興祭で櫻木紅は、全世界に向けて、世界中の人間がシャドーイーターに感染していることを宣言した。
もっともシャドーイーターは統べる者である赤髪の少女に対して不利益となる行動を起こさない限りは基本的に無害な存在である。
最初こそ世界中が混乱に陥ったが、国防省 外的宇宙侵略者対策チームを通じての対処方法、”櫻木紅に対して必要以上に騒ぐことはしない”が浸透して以降は落ち着きを取り戻してる。
とっとも、それで人類とのイルノリアに対する憎しみが薄れていくわけではない。
「相変わらず、遠巻きの視線が痛いね。紅っちだって、影さんを使って人類抹殺計画を考えている訳でもないのにね」
「お前は、何をお気楽なことを言っているんだ?」
「だって、紅っちは影さんを使って、地球侵略なんてしないんでしょう?」
「確かにシャドーイーターは闇の住民ってだけで兵隊でもなんでもない。こいつらはオレに害をなす存在は殺してくれるが、オレが命じた存在を殺すわけじゃない。地球侵略は諦めてないが、こいつらじゃ役不足だ。侵略する時は、正々堂々とイルノリアの軍隊で、お前達魔法戦士に勝って、夢を成し遂げてやる。お前達に奪われていた宇宙船の機材も、この影のおかげで自由に回収でき、シャドーイーターを従えたこの状況は本国に連絡した。後はこれでオレの戦力増員要請に本国から許可が降りればまた地球侵略を再開できる算段だ」
「本当、影さんのおかげで外的宇宙侵略者対策チームも、紅っちには下手に手出し出来なくなったしね。出来ることはせいぜいうちの監視役が継続させること位だし、紅っちがイルノリアとして、動きやすくなった世界になったよね」
「まったく、とても侵略される側の原住民とは思えない発言だな」
「だって、紅っちには影さんの絶対的守護があるかもしれないけど、その他のイルノリアは影さんに守られていない。だったら、もしイルノリアがまた攻めてきたら、そん時はうちと球菜先輩の魔法戦士コンビで地球を守れば良いだけっしょ」
話しながら歩いているうちに駅に着いた。
ICカードを翳して目的地の最寄り駅までの電車に乗り込む。
嫌でも目立つ赤髪で乗客達はすぐに彼女が何者であるか察したようで、わずかに緊張が走るが悲鳴を上げることはしない。
何もしなければシャドーイーターが襲ってくることはないのだ。
吊革につかまり、車窓の先に流れる復興を続ける町並みをイルノリアの少女はぼんやりと眺めていく。
「そういえば、外的宇宙侵略者対策チームの情報網によると、あの眼帯つけたイルノリアが特殊牢獄の中で脱走を図ったみたいっすよ。まあ、球菜先輩がすぐに対処したから未遂に終わったみたいだけど」
イルノリアの情報など最重要機密だろうに、こんな電車内で世間話をするかのノリで瑞希は話しかけてきた。
ただ、赤髪の少女に取っては有益な情報だし、情報流出して困るのは国防の奴らだから、特段金髪小麦肌の少女をたしなめる事無く、話を続けていく。
「あいつか。シャドーイーターの事件以降会ってないが、一応は元気にやっているみたいだな」
「あの日、紅っちがステージに出ているのとほぼ同時刻に、球菜先輩とは一戦交えたらしいすからね。結果は先輩の勝利で、外的宇宙侵略者対策チームの方で拘束している状況だけど、お仲間さん無事で良かったっすね」
やはり国防側の人間とは思えない言葉を、まるでクラスメートと雑談する位の気軽さで金髪小麦肌の少女があっけらかんと口にしている。
その後は、事務所を移籍してアイドルとして再始動した山来梨恋の近況や次の雑誌グラビア活動の撮影テーマなど他愛のない話だったので、その殆どを聞き流していく。
「ちょっと、紅っち、うちの話聞いているっすか?」
「いいや、聞いてない」
「っちょ、その速答は酷いっしょ!」
などいうやりとりをしているうちに最寄り駅に着いたようだ。
改札を抜け、瑞希の案内の元目的への道のりを歩いて行く。緩急のある坂道を登る事、約10分。
目的地であるライブ会場がその姿を現した。
開場時間には早いが既に物販販売は開始されており、各々のグッズを持つ観客達が久々に表舞台に戻ってくることになった彼女との再会の瞬間を、浮き足出しながら待っていた。
ライブハウスのボードに掲げられた本日の公演名は『七星球菜 活動復帰記念ライブ』。
シャドーイーターとの戦いのためにアイドル活動を休止していたお人好し魔法戦士であるが、赤髪の少女がシャドーイーターを一心に引き受けることになり、これ以上の被害拡大はないと判断し、再びスポットライトの下に立つことになったのだ。
関係者専用入場口から、早々に入場を済ませた赤髪の少女と金髪小麦肌の少女は、楽屋へと進んでいく。
途中すれ違うスタッフ達に瑞希はいつものように元気よく挨拶を送り、スタッフ達も挨拶を返してくる。
「櫻木さんも、おはようございます」
「ああ、今日も世話になるぞ」
スタッフの中には、イルノリアである赤髪の少女に対して挨拶をしてくる者もいた。
今だにこの星の住民は赤髪の少女がイルノリアであるというだけで忌み嫌う者が大多数である。
しかし、復興祭での赤髪の少女の姿は、彼女はイルノリアである事実を抜きにしてもシャドーイーターだけではなく人間の心を突き動かすものでもあった。
今はまだ少ないが、世界には少しづつ櫻木紅をイルノリアではなく一人のアイドルとして見るようになってきたものがいるのも事実だった。
「そういえば、紅っちは、自主ライブでもこの会場使っているんだっけ?」
「ああ、この会場の反響音がこいつらもお気に入りらしいし。この影は存在するだけで抑止力として役に立つからな、歌を聞かせるぐらいは丁度良い対価だろう」
言いながら、自分の影を指さす。
シャドーイーターは、アイドル櫻木紅のファンである。ファンならば、アイドルのステージをみたいと思うのは当然の思考である。
それにあまりにアイドル櫻木紅の姿を魅せないとファンである闇の住民達によるブーイングが実力行使で示されてしまえば地球侵略どころではない。
そのため、シャドーイーターへの披露のため赤髪の少女はアイドルを続け、2ヶ月に1回はステージに立つようにしている。
基本は無観客で、シャドーイーターにだけ向けたステージであるのだが、この事実を口軽な魔法戦士見習いから、あのお人好しに伝達されたのが運の尽きだった。
そんな話をしていると、目的地であった七星球菜の楽屋にたどり着いていた。
瑞希がノックをして、楽屋のドアを開ける。
開かれた扉の先にいるのは日本人形のような黒髪をさらに際立たせる天使の羽のように純白の衣装を身に纏い、女神のように崇高に佇むアイドルだった。
「紅さん、今日は一緒のステージ楽しみましょうね」
開演前の会場に注意事項を述べるアナウンスが響いている。
満員の会場からはこれから始まるステージへの期待感が抑えられることなく湧き上がっており、その熱気は舞台袖に控える赤髪の少女の肌にも伝播してくる。
「うふふ、サプライズゲストである、あなた様を見たら皆さんきっと驚かれますよね」
純白の衣装に身を包む七星球菜は、イタズラを隠せない子供のように口元を緩めている。
「ああ、驚くだろうよ。しかし、オレは良いが。お前は耐えられるのか?」
「何がでしょうか?」
「オレがステージ出たときに浴びせられるのは、きっと歓声ではなく罵倒だ。オレはこの星への侵略者だぞ。恨まれはされるが歓迎などされるわけないだろう」
「あなた様にとっては罵声も一つの声援のですよね。それにこの罵倒はきっといつか歓声へと変わっていきますわ。だって、あなた様は世界を救ってくださったのですからね」
「その先でオレはこの星を侵略するのだとしてもか?」
「はい。だって未来は変えられますから。あなた様はきっと地球を救った英雄として名を残すことになりますわ」
臆面も無く正義の魔法戦士は言い切った。
赤髪の少女はもはや絶句するしかない。
このお人好しが心のそこから本気でそう思っているのは、この二年で嫌になるほど思い知らせられたからだ。
「それに、ご安心下さい。どのような環境でありましても、わたくしは必ず、応援して下さるファンの皆さんを笑顔にしてみせますから。それがアイドルです」
会場アナウンスが来場者は告げられていない今日は特別ゲストがいることを述べ、観客席のステージはより一層ボルテージが上がっていく。
「あらあら、瑞希ちゃんは盛り上げ上手ですわね」
「相変わらず、あいつは余計なことをする奴だな」
会場アナウンスを担当しているのは篠宮瑞希である。
紅と球菜とは反対側の舞台袖で、原稿を読んでいる金髪小麦肌の少女は、アドリブを入れて大好きな二人が上がるステージをこれ以上なく最高の状態へ暖めていく。
刻一刻と新たな幕があがるその瞬間が近づいてくる。薄暗いステージに僅かな光が灯っていく。
「おい、これが終わったら、お前に渡した記憶デバイスを返してもらうぞ。もうシャドーイーターに対応するための研究をお前達がする必要もないだろう」
その記憶メモリーに残されているのは、一人のアイドルを目指す少女が夢を叶えることなくシャドーイーターに喰われるまでの姿だ。
赤髪の少女自身がシャドーイーターを統べる者になった今、もはや無意味といえるものである。
しかし、僅かではあるが、そこには彼女が夢を叶えるために生きていた姿が残されている。
過去への哀愁に浸る趣味は赤髪の少女にはない。
記憶デバイスが戻ってきたところで、少女との記憶を見返すことすらしないだろう。ただ、少女が最後に綴っていた復興祭に出るという願いを叶えた今、あのデバイスの中に、復興祭の映像を加えたいと思ったからだ。
「いいえ。申し訳ありませんが、あの記憶デバイスをお返しするのはもう少し先とさせていただきます」
純白の衣装に身を包むアイドルは、赤髪の少女に向かって小さく頭を下げた。拒絶の言葉が来るとは予想だにしなかった。
だが、湧き上がってきたのは拒絶された怒りではなく、疑問。
向かい合う少女が手のおえないお人好しであることは、誰よりも知っている。
意味も無く断ることはない。
薄暗い舞台袖の中、七星球菜の瞳が僅かに憂いを帯びているのは、既に故人となっている彼女の事を思い出しているからだろう。
「お前は、何を企んでいる?」
「企んでいるとは言葉が悪いですわ。わたくしはただ、あのデバイスの中に、あなた様がステージで歌う今日の姿を記憶したいだけですわ。そうすれば、少しはアイドル櫻木紅の姿があの方にも届くかもしれませんから」
瑞希がまるでプロレスラーの入場を紹介するようなハイテンションで、七星球菜の名前を呼び上げた。
ステージの幕が上がった合図だ。
あっけにとられる赤髪の少女にもう一度笑いかけ、正義の魔法戦士兼アイドルである七星球菜は光り輝くステージへ飛び出していった。
会場が地響きのような歓喜の声に包まれる。この声もアイドルを目指した少女の姿が残されたあのデバイスに記憶されていく。
「オレをこの復帰ライブによんだ、本当の理由はそこかよ」
天を仰がずにはいられなかった。
暗闇の舞台袖の中、闇に紛れ込む無数の影達が櫻木紅の姿を期待に満ちた目で見つめている。
赤髪の少女がステージで歌うのはこの影達を自分の元につなぎ止めておくための作業でしかなかった。
でも、今日のステージはどうやら違うようだ。
七星球菜の復帰に沸く会場に、本日のシークレットゲストである櫻木紅の名前が告げられた。
会場の歓喜は一転、困惑へと変わっていく。
この先に進みステージに立てば、また地球人に受け入れられる事無く、罵声に満ちた空間が生まれることだろう。
だが、赤髪の少女は恐れることなく、光に照らされたステージへと歩み出す。
地球侵略の夢に敗れてもなお、彼女は夢を捨てきれずに地球侵略を追い続けている。
しかし、夢は叶わずとも世界は進み続け、たった今、舞台に立ち、スポットライトを浴びる新たな理由が出来てしまったのだ。
どんな罵倒を浴び、不要だと罵られても、彼女はこのステージで歌いきるだろう。
そして、届くことのないその歌は、しかし、世界を変える小さな一歩になった彼女への賛美歌となっていく。




