5-4:赤髪の彼女は歌わず、世界を変える
山来梨恋の声は誰にも届いていない。
ステージでスポットライトを全身に浴びて歌っているというのにその声は、観客席の誰にも届いていない。復興祭という最高のステージ立っているというのに、梨恋の歌が何処にも届かない。
観客の視線は、耳は、想いは、全て梨恋ではない別のアイドルに向けられている。
焦燥の思いで隣を見れば、絶え間なく動き続けつける赤と蒼の螺旋状の模様を持つ漆黒の衣装に身を包んだ赤髪の女性が、歌うこともなく佇んでいる。
彼女は彼と同じイルノリアである。
地球人として見過ごすわけが行かない罪人であるというその事実を利用して、ステージが始まる前に、観客、さらには配信の向こうにいる人々の視線を一身に集めていた。
だが、彼女は憎まれるべき存在であり、罵倒を浴びせることはあれど、その声に耳を傾ける人間がいるとは思っていなかった。
歌が始まれば、観客達の視線は同じ人間である自分に戻り、これまでと同じように梨恋の歌に耳を傾けてくれる。そう信じて疑わなかった。
しかし、赤髪の彼女は、歌が始まった後も人々の視線を引き続けたままであった。
ただスポットライトを浴びて立っているだけだというのにその姿を見るとまるで、名刀を喉元に突きつけら得ているかのような緊張感が背中を突きつける。
アイドルとして誰かを元気づけるのなら梨恋の方が勝っていたかも知れない。
しかし、彼女が見せるステージは恐怖。
復興祭のコンセプトとは真逆の舞台に、ある者は己を恐怖を覆い隠すようにアイドルを罵倒している。
どれだけ想いを込めて、スポットライトに照らされて、歌い続けても声が観客に届くことはない。
誰もが、櫻木紅だけを見て、梨恋の事を見てくれない。
梨恋の声だって、聞こえてるはずなのに、誰も、何も反応してくれない。
いつものように歌っているはずなのに、気がつけば声が震えていた。
それでも誰も気づいてくれない。
みんな、イルノリアである赤髪の少女の存在から目を離せないでいる。
「いやだよ……こんなの………」
思わずこぼれてしまった本心。
そんな彼女の気持ちに応えるように、彼らがまた見えた。
黒く塗りつぶしたてるてる坊主のような彼らが観客席の至る所に浮かんできた。
彼らのことをイルノリアの彼は、シャドーイーターと呼称していたけど、名前なんてどうでも良い。
大切なことは彼らはいつも、どんな時でも、梨恋の歌を聞いてくれるって言うことだ。
スポットライトが当たらない一人きりのステージで歌っていた事から、彼らはずっとそこにいて梨恋の歌を聞いてくれていた。
今だって、彼らだけは、櫻木紅の姿を見ずに、梨恋の歌だけを聞いてくれる。
聞いてくれるはずだった。
「さあ、シャドーイーター。お前達も見ているんだろう、このステージを。なら分かるよな、本当に推すべき存在が誰なのかをな!」
赤髪の彼女が、見えないはずの彼らに向かって語り出すまでは。
赤髪の少女は全世界に向けて己が侵略民族イルノリアである事を誇示していく。
しかし、まだ足りなかった。
昨日のゲネプロでは、あの見習い魔法戦士がステージ上でシャドーイーターを見たと言っていたが、赤髪の少女はまだステージ上から彼らの姿を認識出来ないでいた。
山来梨恋と一緒のステージ立てばシャドーイーターを認識出来るかと予測していたが、見当違いだったのか、いくら待っても闇に潜む彼らの姿を見ることが出来ない。
折角魔法戦士達が最高のステージを用意してくれたというのに、シャドーイーターに自分の声を聞かせることが出来なければ、この作戦は失敗である。
だが、焦りはミスを産む。侵略者時代に嫌なぐらいに経験してきた事だ。まだ、ステージは終わらない。
乱れそうになる心を落ち着かせ、そして、思い出す。
そうだ。自分は侵略者としてこの星にやってきたのだ。
ならば、侵略してみせようではないか、この山来梨恋のステージも。
落ち着いた事で、未だにシャドーイーターが現れない観客席以外にも注意を払う余裕が出来たのだろうか。
同じステージで孤独に歌う彼女の歌声にわずかな変化があった。不安で染め上がっていた歌声にかすかに安堵の音色が混じっていたのだ。
燃え上がる深紅の瞳で、もう一度観客席を一瞥する。
見えるのはやはり、数多の色に光り輝くペンライトを振っている観客だけで、シャドーイーターを見ることはやはり出来ない。
しかし、彼らはきっとそこにいる。
いるのなら、こちらから見えずとも、向こうからは見えているはずだ。
「さあ、シャドーイーター。お前達も見ているんだろう、このステージを。なら分かるよな、本当に推すべき存在が誰なのかをな!」
間奏に入った瞬間、見えない彼らを煽った。
深紅の瞳がより一層、その輝きを増していき、暗闇を射貫く。
世界中から浴びせかけられる罵倒の感情と視線と真っ向から対峙できるその力強さに、人々と暗闇は魅了させていく。
”やっと姿を見せやがったな”
観客席を見ればそこには人間ではない者の姿を見ることが出来た。
薄暗い観客席に浮かぶ、黒く塗りつぶしたてるてる坊主のような存在いる、ある者は観客の隣に立ち、ある者は宙に浮かび、ある者は人間の影に入り、思い思いの場所でステージを見ている。
これがシャドーイーター。
闇に潜み、その姿を人には見せることのない闇の住民だ。
観客席にいる小柄なシャドーイーターと視線が合ったような気がした。
小柄なシャドーイーターの方を指さして、誘うように指先で手招く。
視線を感じたのは錯覚ではなかったのだろう。
小柄なシャドーイーターは赤髪の少女のダンスにひゃんと飛び上がるような仕草を魅せていた。
もうまもなく間奏が終わり、ラスサビが始まろうとしている。
もう一度同じステージに立つアイドルに視線を送ると、彼女は間奏でのダンスも忘れて、今にも泣き出しそうな顔で首を小さく振っていた。
「やめて、リコのステージを取らないで。彼らまでリコから取らないで………」
呟かれた懇願は、マイクに乗り赤髪の少女のイヤモニにも届いてきた。
だが、その願いを聞き入れる優しさなど、赤髪の少女は持ち合わせていない。
彼女は侵略者である。徹底的に、全てを蹂躙するのだ。
世界中に届く歌が最終局面に入った。
ここから先は、人間も、宇宙人も、シャドーイーターも、魔法戦士も、アイドルも関係ない。全てが赤髪の少女に魅了される刻だ。
世界中の視線と一人で対峙する少女が秘めているのは、優しさでも、地球の復興を祝する喜びでもない、そこにに込められた想いは、炎のように燃え上がる情熱。
かつて地球侵略の夢をたたれた少女は、確かに一度情熱を失っていた。
はじめて受けたアイドルオーディションでは、歌から何も感じることが出来ず、前に進んでいないから歌にも力がないとさえ評された。
しかし、場所は違えど、再び侵略を行えている今、この瞬間に、夢を取り戻した少女の心は彼女の髪ように、赤く、紅く、朱く染まっていく。
そして、その心は幾億ものと臆することなくステージに立つ姿を通じて、観客である人間やシャドーイーターにも感染していく。
人間のイルノリアに対する憎悪も、無言なる闇の住民達の視線も、孤独なアイドルの悲痛な願いも、全てが赤髪の少女の存在に飲まれ、燃やされていく。
歌が終わり、紅きアイドルの瞳がゆっくりと閉じられる。
観客も、配信を通じてこのステージを見ているう世界中の人々も、闇の住民も、皆、動き出すことを忘れてしまったかのように、全ての動きを止めてしまった赤髪の少女に見入っている。
「ああ、お前達の罵倒は最高の歓声だよ。なあ、お前ら、これで分かっただろう、本当に推すべき存在が誰であるか」
イルノリアの衣装に身を包んだ赤髪の少女は、深紅の瞳を輝かせながら世界中に問いかけた。
その答えは、世界中からの非難と罵倒と悲鳴で返ってきた。
世界は今、たった一人の少女しか見ていない。
全人類の視線を釘付けにするその存在に、闇の住民達が無関心を貫くことなど出来るはずがなかった。




