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事故死の陰で何かが起こる

作者: 小野口英男

事故死の陰で何かが起こる                     小野口英男

         一         

 BBN株式会社は東京に本社の部品会社である。その技術課長である田辺誠一は今、羽田から大阪空港に向かっている。彼は私学の一方の雄である某大学を小学校からエスカレーター式に大学まで進む。大学は工学部で、部活はテニス部の選手として、全日本でも良い線まで行った事もある。大学四年の就職活動の際、未だ中小企業だったBBNの社長から懇願されて入社する事を決めたのである。

 現在の会社に入った事を内心では良かったと思っている。平成二十九年の今年、勤続二十年に成る。来年上司の金田部長が定年退職する為、勤続二十一年目の来年にはその後継者に成る事が確実視されている。三十歳の時に大学時代テニス部に所属していた女性と付き合い、後に結婚するのが現在の妻である。彼女は大手重電メーカーに勤め、最近課長に昇格したばかりのキャリアウーマンである。彼女も同じ課長である為に、彼は妻に頭が上がらない。               

 家庭には一姫二太郎の十歳の女の子と八歳の男の子がいる。二人の子は両親が通った同じ大学の付属の小学校に通っている。妻は夫には冷ややかな視線を送る一方で、子供の事になると輝いている。子供こそ今の彼女にとって生き甲斐そのものである。彼は身長180センチ、すらっとした長身と細面の顔に、濃紺の背広と赤紺の斜めの縞模様のネクタイが凛々しい。それに大型の旅行鞄である。 

 BBN株式会社はネジ、と云っても特殊なネジを製造している。ネジの頭部分に特許を持つ特殊なネジである。その為に航空機、自動車、家電メーカーに採用されているのである。現在取引先は可成りの広がりを見せている。                  

 但し取引は社長の方針で、現金を建前としている。これは会社創業して数年経った頃、売掛金の手形で不渡りを食らってしまう。金額が大きい事もあって、会社創業から数年しか経ってない時で、足腰がまだ弱い事もあり会社倒産の危機に直面する。この時の経験から現金取引を行う様になる。会社の製品の他に類似品が無い事も会社の方針を強いものにしている。               

 今日は取引先一社の支払い日である。通常は取引先に振り込みで支払って貰う。只取引先によっては現金支払いの場合は、現金の授受を直接行う処もあって此処もその一社である。金額は二億四千五百六十万円である。支払額は三億円が一単位で、三億円未満だと一人、それ以上は複数の集金人と成る。それで彼一人大阪の自動車メーカーの本社に向かっているのである。            

 往復の航空券とも会社が用意する。帰りはキャンセルして新幹線で帰る。新幹線の方が安いので僅かではあってもお金が浮く。浮いたお金は自分の物になる。        

 コバルトブルーの空の下、目映いばかりの新緑に花は咲き乱れる。ウグイスは美しい鳴き声で歌う、5月は一年を通じ最も爽快な時期である。その上、彼にとって大阪への出張はルンルン気分である。         

 女、要するに愛人がいるのである。彼より十七歳も年下の二十五歳のバーに勤める女である。彼が以前大阪に出張した際、その帰りに立ち寄ったバーで知り合ったのである。以来懇ろになっているが、彼女の身長は165センチのほっそりした面長の美人である。但し冷たい感じがするのが唯一欠点である。 

 幸運にも明日は日曜である。大阪への出張であれば、新幹線も利用出来るけれども、時間に余裕がない。彼女と遊ぶ時間の余裕が。

「今夜は彼女の家に泊まって明日帰ろう」出発前からそう決めていた。今の彼には女の事しか頭にない。             

 大阪空港に着くと、歩いても行ける距離ではあるがタクシーに乗る事にする。10分程で自動車メーカーの本社に着き、集金を早々に済ませる。集金した現金二億四千五百六十万円を持参の大型の旅行鞄に慎重に入れる。一気に可成り重くなる旅行鞄をゆっくり引いて行く。                

 そして空港に再び戻った。会社が買った航空券を、キャンセルし払い戻して貰う為である。その為に列に並んでいると、彼より4~5人前の男性が騒いでいる。身長体重は彼とほぼ変わらない、但し歳は彼より十歳位上である。その男性が受付の女性と激しくやり合っている。               

 「15時大阪空港発羽田空港行きは満席です。もう航空券は完売で販売出来ません。キャンセル待ちですが、時間も無いのでキャンセルも出るか出ないかは分かりません」受付嬢の話にも関わらず、しかし男客は必死に懇願している。              

「15時、羽田行きに乗らなきゃならない。これに乗らないと非常に困る。頼むよ、お願いだよ」                

「航空券はありません」空港の受付嬢は突っぱねた。                

 彼はがっかりした様子で列から離れた。田辺は直ぐ彼を追いかけ肩に手を懸けた。  

「15時羽田行きを私は持っていますから、お譲りしましょう」           

「本当ですか。それは有り難い」男性は小躍りせんばかりに喜んだ。         

 男性に航空券を渡し、引き替えに現金を受け取った。               

         二          

 彼は早速、彼女に電話しようと思った。携帯を探したが見つからない。持って来るのを忘れてしまったのである。そこで空港の公衆電話を探し、電話をする事にする。    

「昼だし、彼女は夜遅いけど、もう起きているだろう」彼女に電話する。       

「はい、大岩です」彼女の弾んだ声が響いて来た。                 

「僕だよ。これから行くよ」       

「まあうれしい。店は休むわ。上手い物を作って待っているわよ」          

 彼女の住まいは空港から電車で約1時間半位であり、2DKのアパートである。彼女の家に着くと、彼は旅行鞄を家の中に入れ、彼女がそれをリビングに置いた。彼女はオレンジのティーシャツとチョコレートのスカートをはいた気の強そうな女性である。彼が靴下を脱ぐと、上着にズボンは彼女がハンガーに懸けた。                

 そしていつも通り、和室の座敷に引きっぱなしの布団の上に寝転がった。後はお決まりのセックスとなる。30分程のセックスも終わり、後の虚脱状態を過ぎると彼が口火を切る。                  

「神様はセックスというすばらしいものを、人間に与えて下さった。金持ち、貧乏人、権力者、権力のない人、有名人、無名人、学者一般人も、全て区別無く与えて下さった。セックスはすばらしい。気障な言い方だけどセックスは人間を官能の世界、エロスの世界に導いてくれる。この喜びと云うか快楽は何て云えば良いのか」            

 一瞬前、彼は喜びと快楽のまっただ中にいたのである。更に言葉を続ける。     

「本当に気持ち良いよな。この気持ち良さは何と表現すれば良いのか。どんな言葉をもってしても、言葉では表現できない」セックスの余韻が彼の脳裏を駆け巡った。     

 暫くして彼女も口を開いた。      

「あんたが、大阪に住んでいる人だったら、良かったのにね。そうしたら月一回じゃなくて、月に何回も出来たのにね、本と残念よ。いっその事大阪に引っ越したら、出来ない事ないわね」彼女は如何にも残念そうである。

「そんなの無理だよ、無理、無理」    

 彼女の唐突な話に彼は戸惑い、更に話し続ける。                 

「いやぁ愛し合っていれぱ、月一回でも十分さ。その証拠に妻となんて愛が無いから、始終やったって楽しくもなんともないよ」  

「そうかしら。奥さんは喜んでいるわよ」 

「私の方は楽しくも何とも無いよ」彼は必死に防戦するも彼女の話にタジタジである。 

「しょうがないわね。明日は休みだから、昼頃迄は居られるわよね」         

「勿論だよ」             

三        

リビングに移った彼女は布巾でテーブルを拭き終わると再度台所へ。ウィスキーとグラス二個を持って来てテーブルに置く。彼女はリビングの椅子に座った彼に嬉しそうに話し始める。               

「季節のせいかしら。今日は凄く飲みたいのよ」                  

「凄いボトルじゃん」          

「奮発したのよ。たまには良いでしょ」  

「俺はストレートだよ」         

「私は炭酸と氷でいくわ」        

 彼女が二個のグラスのうちの一つに、ウィスキーを一杯に注ぐ。残りのグラスに炭酸水と氷を入れ、それを自身の処に置く。他方を彼の処に置く。続いて彼と共に乾杯をする。二人共飲み始める。           

「美味い。流石ボトルだな」       

「良くストレートで飲めるわね。あんた強いのね」                 

「嫌逆だよ。私から観ればこんなに美味いのに何故薄めてしまうのか」        

「私なんかストレートじゃ強すぎて飲めないわよ」                 

「多いと飲めないから少しにすれば良いじゃないかな」               

「多い少ないは関係無いわよ」      

「そうかなあ」             

「ウィスキーは一番弱いのでもアルコール度数は多分三十五度以上あるわよ」     

「ボトルは四十度だったかな」      

「四十三度よ。あら私ったらツマミを出すのを忘れちゃったわ。御免ね」彼女は立ち上がると直ぐ台所へ。暫くして二皿持って戻る。

「鮭の刺身よ。それとイカの薫製」    

「鮭か、美味そうな色だよ」       

「この店の鮭は有名で、わざわざ遠方から買いに来る程なのよ」           

「鮭の寿司はよく食べるけど、刺身は余り食わないな」               

「それだけ難しいのよ。本当に鮭の刺身の味の分かる人が少ないのよ」        

「これは美味い。本当に美味い鮭だ」   

「そうでしょ。気に入って貰って良かった」

「寿司店でも鮭は微妙に味が違うよな」  

「この辺の魚屋でも、マグロは味に違いは無いのよ。しかし鮭は美味しいお店は少ないのよ」                  

「イカの薫製も美味しいよ」       

「鮭よりイカの薫製の方がウィスキーには合うかもしれないわね」          

「この薫製は柔らかいし直ぐ無くなっちゃいそうだよ」               

「大丈夫さ沢山買ってあるから。只食べ過ぎないでね。夕食は沢山の食材が出るからね」

「夕食の為に薫製を食い過ぎ無い様にしなくちゃ。酒って一口に言うけど、日本酒とウィスキーは大違いだよな」         

「何が違うのさ」            

「酔い方さ。酔い方」          

「そんなに違う」            

「違うよ。日本酒はゆっくり少しずつ酔いが回ってくる。それに対してウィスキーは急に回ってくる」              

「そうかしら」             

「そうだよ。日本酒は普通の旅客機。ウィスキーはジャンボジェット旅客機」     

「意味が分からないわよ」        

「日本酒は坂を上がる様に少しずつ酔いが回る。ウィスキーは低空飛行が続いた後で、急に上昇するジャンボジェット旅客機の様に酔いが回る」               

「そうかしら。そんなに違う」      

「違うんだよ。この違いを認識しておかないと、とんでもない事になるんだよ」    

「とんでもない事って」         

「分からないかなあ」          

「分かんないわよ」           

「いいかい日本酒は少しずつ酔いが回るからさ、自分で酔った事が自分で分かる。そろそろ限界かなと。ウィスキーは酔わない状態が続いた後、急に酔いが回って来る。気が付いた時には限界を超えていると云う事に成るんだよ」                 

「そう初めて知ったわよ」        

「ウィスキーは酔いを楽しむよりも、美味さを楽しむ物かもしれないな」       

「そう言われるとウィスキーは美味いわよ」

「だから飲み過ぎが怖いから、俺は最初にコップ一杯って決めているんだよ」     

          四         

 ウィスキーを飲み終えて、やる事の無い彼がテレビを見ようとテレビのスイッチを入れる。テレビは報道番組を放送している。釜山の日本総領事前に新たに設置の慰安婦像と、ソウルの日本大使館前の慰安婦像を韓国政府が何時までも移動しない問題についての報道をしている。何時もながらの従軍慰安婦の問題かと、彼は不満そうにテレビのスイッチを切る。そして話出す。          

 「平成二十七年十二月の日韓合意で、最終的に不可逆的に解決したのではないのか。長い間日韓で擦った揉だした挙げ句、やっと合意したのにもう合意破りか」彼は不満げである。                  

「従軍慰安婦問題が最初に取り上げられたのは何時か知っていますか」        

 彼女がいきなり聞いてきた。彼は戸惑いながら応える。              

「知らないよ。韓国の新聞なんか読んでないもん」彼は困惑している。        

「韓国の新聞じゃないのよ」       

「エッ。本当に」彼は少し驚いた様子。  

「朝日新聞よ」             

「朝日新聞がね」            

「1982年2月、軍人の吉田という男の記事が切掛けなのよ」           

「三十年以上も前の話か」        

「元動員指揮者の吉田が証言、暴行加え無理やり連行したという内容なのよ」     

「君は頭が良いね。古い話をよく覚えているね」                  

「私の国籍は日本だけれども韓国系よ、民族の関わる問題には敏感よ」更に続く。   

「日本人の中には慰安婦問題は韓国人が作った、と思っている人がいるのよ。でも実際は日本の新聞が発端なのよ」        

「そう言われると、そうだね」      

「吉田の証言はその後度々、朝日新聞で紹介されるのよ」              

「そうそんなに」詳しい彼女に辟易する。 

「その後慰安婦を名乗る女性が次々現れて証言するのよ。従軍慰安婦の実態をね」   

「なるほどよく分かったよ。戦争では弱い者が犠牲になるよ。只さ朝日新聞も平成二十七年だったかな。確か吉田の証言は真実では無いって発表したよね。謝罪までしたよ」  

「散々報道しておいて、今更真実では無いも無いものよ。慰安婦がどれ位いたか知っている」                  

「現在居る人は数十人だから。二、三百人かな」                  

「二、三十万人なのよ」         

「まさか。そんなにいる分け無いジャン」 

「1987年8月読売新聞に、二十万人とも三十万人とも言われているという記事が載ったのよ」                

「なんだ。これも日本の新聞かよ。只し二、三十万人なんてありえないよ」      

       五          

「重要な事は、日本の新聞が報じている事なのよ。韓国の新聞では、被害者だから信用されないでしょ。しかし日本の新聞なら、加害者だから信用出来るでしょ」       

「朝日にしても、読売にしても、ちゃんと裏付けをとっているのかね」彼は不満そうに話す。                  

「読売新聞はともかく、朝日新聞はその後も度々似た様な記事は書いているのよ」   

「日本政府は、当時の軍がその様な事をした記録はない。そう言っているよな」    

「軍が公式に言って無くても、裏で黙認すれば結果は同じでしょ」          

「そうかなあ。慰安婦の様な問題は過去の戦争では必ずあった筈なのに、何で日本だけが問題になるんだよ」           

「こんな行為を公に認めた国なんてないでしょ。だから分からず終いなのよ。今回は偶々日本の新聞が報道したせいで世界中に広がったのよ」                

「何年なのか忘れたけど、日韓条約で一切の賠償は請求しない。その代わりとして、何億ドルかの経済協力をしただろう。これなんか体の言い賠償ジャン」          

「経済協力金として十一億ドルよ。当時の韓国の年間予算が三億五千万ドルだから三倍。大きい金額よね」            

「しかし君は詳しいな。負けるよ」    

「貴男が私の立場だったら詳しくなるわよ」

「そうかな。君は特別だろう。しかし何れにしても解決した問題だろう。なんでこう簡単に蒸し返すんだよ。謝罪もして、金銭的にも解決済みだろう」            

「韓国からすると、情報の発生は日本なの。だから日本人全体が納得する様にして欲しいのよ」                 

「ややこしいな。日本人は全ての人が、皆解決済みと思っているさ」         

「そうでもないのよ。だから朝日新聞の様な記事が出るのよ」            

「朝日新聞は本当に日本の新聞なのか」  

「勿論日本の新聞よ。朝日みたいな新聞がある事が日本の良さなのよ。韓国では無理よ」

「なんか上げたり下げたりだよな」    

「上げも下げもしてないわ。これは真実よ」

「慰安婦の問題に関して日本政府は何度謝罪して来たか。それを補償だの、謝罪だのと言いがかりを付ける」           

「韓国民は言いがかりだとは思ってないわ」

「韓国政府も政権当初は未来志向とか何とか言ってさ。政権末期になると人気が落ちる。すると挽回の為に、必ず慰安婦の問題を持ち出す。政権の人気取りの道具になってしまっているよ」               

「朴前大統領は政権当初から、慰安婦問題を取り上げていたわよ」          

「朴前大統領は女性初の大統領だから、慰安婦問題を取り上げない訳にはいかなかったと思うよ。しかし政権末期に日韓合意したのは意外だよね。歴代の政権と逆だからね」  

「さっきあんた、日本政府は何度も謝罪して来たって言ったでしょ。そもそもそれが間違いなのよ」               

「謝罪する事が何で悪い事何だよ」    

「朝鮮人相手に謝罪したら絶対駄目なのよ」

「何故駄目何だよ」           

「日本人は謝罪すれば、それでお終。相手もそれを受け入れて。それ以上追求しないでしょ。朝鮮人はこうはいかないわよ。朝鮮人相手に謝罪したら、それで終わりとはいかないわよ。悪いと認めるならそれを形で示せとなるのよ。私だって休む時には謝罪はしないわよ」                  

「謝罪しないで何て言うんだよ」     

「今日は風邪で休みます」        

「それだけかよ」            

「謝罪なんかしないわよ。風邪引いてれば、休むのは当然よ」            

「謝罪した方が良いと思うけど」     

「謝罪なんかしたら、給料引かせて貰う。そう言う話になるのよ」          

「おいおい。謝罪したら何で給料引かれるん

だよ」                   

「謝罪する程悪い事をしたと思うなら、形でそれを示せと云う事になるのよ」     

「その形というのが給料の天引きなのかい」

「そうよ。だから絶対謝罪なんかしないの」

          六         

「中国人なんかもっと酷いわよ。自分が悪いと分かっている事でも謝らない。此方が根負けするほど口角泡を飛ばす位とことん議論して、最後は相手を屈服させちゃうのよ」  

「何だって。中国人は自分が悪いと分かっている事でも、最後は相手を謝罪させてしまうのか」                 

「相手を謝罪させてしまうとは言ってないわよ。相手を屈服させちゃうと言っているの」

「何だよ。相手を屈服させちゃう、と云うのはどうゆう意味だよ」          

「相手は謝罪を要求している訳でしょ。中国人は謝罪したくない。相手を自分の考えに引きずり込むのよ。相手に納得させるのよ。納得すれば、謝罪の話も当然無くなるでしょ。

中国は長い歴史があって、その間大国として君臨してきたでしょ。何でも噛んでも人を従わせようとする訳よ。私が小話を作ったの。聞いてくれる」             

「ああいいよ」             

「日本人、韓国人、中国人の三人が一緒に食事をしました。いざ金を払う段になる。請求書を持ってレジに行き、請求書を出して、後から来るのが払うからと偉そうに云うのは中国人。韓国人は日本人の肩を盛んに叩いて、有り難う、を連発するの。結局最後に三人の食事代金を払うのは日本人と云う事に成るのよ。面白いでしょ」           

「なんだか日本人は馬鹿みたい」     

「馬鹿じゃなくてお人好しなのよ」    

「日本人としては複雑だよな。お人好しも度が過ぎれば馬鹿だよ」          

「韓国人は日本人に文句を言えば、最後は聞いてくれると思っているのよ」      

「そんな馬鹿な」            

「本当よ。韓国人は日本人にある種の甘えがあるのよ。長い事それでやって来たから。中国人はこうはいかない事も良く分かっているのよ」                 

「冗談じゃないよ。韓国人は日本人に厳しいよ」                  

「そんなことないわよ」         

「それにしても韓国は日本に厳しいよ、これは事実だよ」              

「韓国人が日本人に抱く気持ちは複雑よ。一方で恐れ、憎しみ、その一方で畏敬、あこがれ、愛着。これらが複雑に絡み合っているのよ。特に日本人と会い対する時は表面的には日本人に好意を持っていると思われたくないのよ。だから表面的な事だけで韓国人をとらえると駄目なのよ。話しを元に戻すようだけど、日本政府は何度も謝罪して来たって言ったでしょ。そもそもそれが大間違いなのは分かったでしょ」             

「朝鮮人に謝罪したら駄目、と云う話は納得したさ。しかし日本政府が謝罪したら何故駄目なのか納得いかないよ」        

「大平内閣以後全ての日本政府は謝罪を繰り返して来たわよね」          

「その通りだよ。もううんざりする程だよ」

「一度謝罪すると個人であっても、謝罪する程悪い事をしたと思うなら、形でそれを示せと云う事に成ると話たでしょう。未だ分からないですか」              

「分かんないよ」            

「個人じゃないのよ。日本政府は悪い事をしました、すいませんといっているのよ。そうなれば韓国政府は謝罪を形で示せと要求するわよ。当然賠償か又は補償しろと云う事になるのよ」                

「それがそもそも分からないよ。日韓条約で韓国は今後一切の賠償請求はしないと成っただろう。それが何故賠償をとなるのか」  

「韓国政府にとって、もう日韓条約なんて関係無いのよ。日韓条約の後、それも最近日本政府は謝罪したばかりだから形即ち賠償を払えと云う理屈なのよ」          

「そう言うの日本では屁理屈と言うんだよ」

「日本は一年位で政権が変わるでしょ。その変わった首相が取替え引替え次々に謝罪を繰り返す。賠償金だって感覚としては凄く膨らむ訳よ」                

「成る程、そう云うことか」       

          七         

「慰安婦問題をこんなに複雑にしてしまった原因は二つあるのよ。一つは朝日新聞の吉田証人、これは十分話したから止める。 もう一つは大平内閣以後の日本の首相。韓国の大統領は日本に対して弱腰と、国民に受け取られたらお終いよ。だから当然日本には強硬姿勢で、謝罪と補償を要求するわよ。それに対して日本は一年単位で首相がくるくる替わるでしょ。その上沢山の首相が次々に謝罪を繰り返した事よ。さっきも言った様に一国の総理が謝罪するならそれ相当の補償をと云うことに成るのよ。             

 日本政府は全て日本軍が従軍慰安婦に関与したと云う証拠は無い、と言いながらそれでいて次々に謝罪しているのよ。証拠が無いのに何故謝罪するのよ。一国の総理大臣が謝罪をする事の重要性を首相自身が認識していたのかしら。どこの国であれ日本の首相程には簡単には謝罪しないわよ。一国の総理大臣が頭下げるのは個人が頭下げるのとは全く意味あいが違うのよ。            

 朝日の記事と首相の謝罪の他に本当はもう一つ加えたい事があるのよ。外務省の報道官よ。日本には外務省の報道官っているの。朴前韓国大統領は大統領就任後各国を訪問し、その都度慰安婦の事を話している。ほとんと嘘なのよ。しかし嘘も三度吐くと真実に成るのよ。何故外務省は報道官が反論しないの。外交は武器を使わない戦争なのよ。言葉の戦争なのよ。その点中国や韓国は外交戦で日本が足下に及ばないほど強力よ。日本の外務省なんて、中国や韓国に比べ外交やってるのかしら」                 

「イヤー君には本と負けるよ。擦った揉だした挙げ句に、平成二十七年の日韓合意で、最終的に不可逆的に解決したんだから、合意にそってやれば問題無いんじゃ無いのかな」 

「日本大使館前の慰安婦像もほっとけばいいのよ。騒げば騒ぐほど反日運動家の思う壺なのよ」                 

「ほっとくと言っても、韓国政府が慰安婦像を撤去してくれない事には」       

「その後日本政府が、韓国駐在の大使を日本に引き揚げさせたでしょ」        

「そうだったね」            

「いくらも経たない内に日本大使は韓国に戻るでしょ。あれなんか、像が撤去されるまで日本大使は韓国に戻るべきじゃ無かったの。例え何年掛かっても。そうすれば日本人は韓国人の思い道理には成らないと思い知る事に成るのよ。韓国人の日本人に対する甘えも無くなるのよ。折角のチャンスを日本政府は潰してしまったのよ」           

「そう言う事か。なるほどね」      

         八          

 二人は慰安婦問題を話し終わった後、堅い話の長い議論の末に、時間も六時を過ぎてお腹も減り始める。            

「普段の貴方に取っては少し早い夕食だけど食事にしましょうよ。もう出来ているから揃えるだけよ。ちょっと待ってね」彼女は立ち上がり台所へ。色んな食材を運んで来る。 

 瞬く間にテーブル一杯に食材が並ぶ。  

「わあ、すごいな。食い切れないこんなに」

「最近太り気味だって言うから、多少カロリーの少ない物にするわよ」        

「ぶりの照り焼きなんて久しぶりだよ」  

「あら、それ洒落なの」         

「イヤー、これは偶然だけどね。うちの朝食はパンだよ。子供がパンだから、俺もパンにさせられているの。妻にとって朝食は子供第一。夫はどうでもいいのさ」       

「それは気の毒ね」           

「たまには真っ白なご飯に焼き魚、それにみそ汁の付いた朝食が食べたいよ」     

「奥さんに言えば良いじゃないのよ」   

「そんな事言ったら、家中がヒックリ変える様な大騒ぎに成っちゃうよ」       

「ご飯に焼き魚、みそ汁が食べたいと言っただけなのに、何でそんな騒ぎになるのよ」 

「子供が中心だからうちは。子供の食わないご飯を子供に食べさせる気って、妻は半狂乱で怒るよ」               

「奥さんはパンとご飯を作れば良いのよ」 

「さっきも言ったように妻にとって朝食は子供第一。子供はパンだからパン以外の物は作らないの」               

「あんた奥さんによっぽど頭が上がらないのね。外に女が居ることを見透かされているのよ。女はこういう事には敏感なのよ。朝食のパンぐらい我慢するしかないわね」    

「そう言う事。ハンバーグに春巻きと麻婆豆腐とマグロの刺身の定番だな。鰺の干物に鰺の天ぷらそれに肉ジャガかよ。さっきのぶりを加えて俺の好物で此処数年食べてない物ばかりだよ」               

 彼はぶりの照り焼きを満足そうに食べ始める。                  

「ぶりの照り焼きと言うのはこれが魚なのかと思うよ。魚臭さというのが全く無い上に肉みたいだよな」             

 次に肉ジャガを食べる。肉ジャガはご飯も進む様でご飯も食べ始める。       

「君も食べないと俺が全部食べて無くなっちゃうよ」                

 彼女も続いて肉ジャガを食べ始める。次に彼は干物をみそ汁と一緒に食べる。久しぶりの庶民の味に彼は大満足の様子である。鰺の天ぷらを食べ掛けると、         

「天ぷら早く食べて、そこに鍋を置きたいのよ」彼女が彼に指示する。        

「えぇ、こんなにあって未だ出て来るの」 

「そうなの今度の鍋は極めつきよ」    

「肉ジャガはもう少しで食べ終わるとして、天ぷらはゆっくり食べたいよな」     

「いいわ。食べかけの天ぷらは一旦テーブルから降ろして、あんたの近くに於いて頂戴」彼女は台所に鍋を取りに行く。      

「今日はテーブルに載らない程食材が沢山ある。お殿様に成ったような気分だよ」   

「ハーイ蟹料理です」彼女が鍋をテーブルにのせる。                

「すげえな。本当にすげえよ。今日は数年ぶりに食べるものばかりだよ」       

「たまにはこういう事もなくちゃね」   

「イャーすまないね。有り難う」     

「喜んで貰えて良かったわ」       

「ほんと感謝、感謝だよ」        

 沢山の料理は全て食べたいけれども、一度には食べられないので取り敢えず蟹を食べる事に。彼ばかり食べては悪いと思いつつも武者ぶり付くように食べる。蟹ばかりではなく他の料理も驚く程のスピードで食べまくる。

「俺ばっかり食べてしまって悪いね」   

「そんな事無いわよ。貴男の為に作ったんだから」                 

「久しぶりに食べる物ばかりだしさ。美味い本当に美味い。有り難う」        

「気に入ってもらえて良かったわ。明日の朝食は蟹の殻を出汁にしたみそ汁を出すわよ」

「蟹のみそ汁か。この歳まで蟹のみそ汁なんて飲んだ事無いんだよな」        

「蟹のみそ汁はみそ汁の中で最高よ」   

「ほんとに明日の朝食が楽しみだね。大阪って上手い物、上手い店が多いよね」    

「大阪は何と言っても一番よ」

          九         

「京都も上手い。しかし京都は高いのよ」 

「私は名古屋にも何度か仕事で行ったことはあるけど面白くない」          

「私の出身は元々名古屋なのよ」     

「あぁそう」              

「五年前に大阪に移り住む迄、住んでいたから生まれも育ちも名古屋なのよ」     

「そうなんだ」             

「大阪と名古屋の違いを一言で言うと、見栄よ。名古屋人は見栄っ張りよ。よく名古屋の女性は結婚する場合に持参するものに金を掛けると云われているでしょ。あれは真っ赤な嘘なのよ」               

「しかし名古屋人は結婚に金を掛ける、と云うのは有名な話だよ」          

「こんな商売があるのよ。結婚する女性の家の前に一台の大型トラックが薄暗い明け方から止まっている。大型トラックには立派な洋箪笥、和箪笥、鏡台を始めすばらしい家具類がびっしり詰まっている。これ全てトラックを所有する運送会社の物。そして真っ昼間、如何にも女性の家から出発したように見せかけてトラックは出発する。角を曲がるか遠くへ見えなく成るとトラックは自分の会社に戻るのよ。こんな商売が堂々と成り立っているのは多分名古屋だけだと思うわよ。名古屋人の見栄っ張りは上に超が付く位凄いわよ」 

「そんな商売が名古屋にはあるのかよ。おいそれとは信じられないけどなぁ。名古屋に二十年も住んでいた人の云う事じゃ信じない訳にはいかないよな」           

「でも、見栄と云うのは、その人に取っては良い事なのかもね。何時も良く見られたいと言う気持ちは、それに向けて人を頑張らせるんじゃないの。その証拠にこの尾張から信長秀吉家康の三傑が出ているでしょ。但し家康は尾張の隣の三河の出なのよ。でも今川義元が桶狭間で信長に殺されると岡崎城主として戻るし、関ヶ原の後名古屋城を築く等、尾張の出と云っても過言では無いのよね。現在だって日本一いや世界のトヨタが出ているでしょ」                  

「それもそうだね」           

「俺は君と知り合う前、一度心斎橋当たりをぶらついたんだよ」           

「そうなの」              

「大分前の事で記憶違いもあるかも知れないけど、大阪は心斎橋を真ん中にして、北に徒歩十五分南に徒歩十五分、合計三十分くらいの距離で表通りとそれに平行する形で裏通りがある。表通りは東京の丸の内や大手町と同じ、平行する裏通りが商店街。商店が延々と続く、これが銀座や新宿とは全く違う。他に言いようがない正に大阪だよな。南に行くと道頓堀があり最後の難波へと続く。途中横道に入ると食い倒れ横町あり、更に横道に行くと法善寺横町があったりする。大阪の商店街と云うのは人間の臭いのする街、要するに庶民の街何だよな。街は進化したけどそこに住む人は昔のまま。昭和かな、いや大正明治かな。もしかすると江戸時代のような人情味のある人々」彼の話は更に続く。      

「食い倒れ横町の表通りはお上りさん相手、その横町の裏通りに安くて本当に上手い店がある。裏通りこそ大阪の真骨頂だよ」   

「良く分かっているじゃないのよ」今度は彼女が話しを繋ぐ。            

「名古屋に比べ大阪は全てが本音よ。物を言う時も本音。行動する時も本音。何もかも着飾る必要ないのよ。本音で泣き本音で笑うそれが大阪よ。これは私みたいに開けっぴろげな人間には凄く楽なのよ。それに韓国人や韓国系の日本人も多いから友達も直ぐ出来るのよ。店に初めて来る東京の男性は直ぐ分かるわよ。小さい声で何となくおとなしいと云うか遠慮がちなのよ。大阪の男性は金払ってるとばかり態度も声も五月蠅い位でかいわよ」

「名古屋と大阪ではそんなに違うのか」  

「大阪は言葉が重要な意味を持つんじゃないの。大阪弁を使って見なさいよ。気取りが無いから楽よ。だんだんと本音で言う様になるから」                 

「ほんまかいな」            

「そうそうそれで良いのよ」       

「言葉が気持ちを表すのかい」      

「大阪弁は言葉と気持ちがピッタリなのよ」

「嗚呼上手かった、ほんと食い疲れたよ。材料だけじゃないよ、その上今日の料理人は凄腕だからね」              

「有り難う。ごっちぁんデース」     

 食の大阪の話は名古屋へと広がり、名古屋・大阪の話が佳境を迎えた処でテーブルの食材は食べ残し無く綺麗に食べきる。    

「そろそろ終わりに近づいたな」     

「私も限界みたい」           

「飲み疲れに食い疲れしちゃったよ。風呂は止めてもう寝るよ」           

「そうね、そうしましょう」       

 彼女はテーブルの食べ終わった食器類を台所に持って行く。彼は隣の和室に引きっぱなしの布団にバタンキューである。彼女がそれに掛け布団を掛け、彼女もパジャマに着替え同じ布団に寝込み眠りに入る。      

十         

 彼は夜中、就寝中に突然彼女の大声に驚かされる。                

「大変よ。貴男死んじゃったのよ」    

「馬鹿言うな」             

「貴男の乗る予定だった飛行機が墜落しちゃったのよ」               

「えぇ、飛行機が墜落」         

「そうよ。それで貴男の名前も出ているの」

「分かった、分かった。テレビを見よう」 

 二人はリビングで椅子に座りテレビを見始める。                 

 テレビでは前日の十五時大阪空港発羽田空港行き、全日航機が静岡県沖合二百キロの地点で海面に墜落の模様と報道している。海上保安庁の偵察艇や自衛隊の艦艇にヘリコプター等が激しく動きまくっている。緊迫した状況が刻々と伝えられている。事故の原因は未だ不明としながらも、目撃者も複数いて墜落直前まで爆発はなかったと報じている。  

 当日は南からの風が可成り強く、上空の強風を避ける為に低空飛行により失速の可能性と。操縦士の判断の誤りの可能性も等と報道している。乗客乗員併せて百八十六名全員行方不明と報じている。緊迫の現場同様、重苦しい雰囲気のスタジオも行方不明者の乗客名が次々に報道される。行方不明者の乗客名の中に田辺誠一の名が出ている。      

二人は飛行機事故を報道するテレビを食い入るように見ながら驚きと困惑を隠せない。 

「気の毒に私が航空券を譲って、代わりに乗ったあの人が俺の身代わりに成って亡くなったんだ。可哀想に」           

「人間なんて何が起こるか分かんないわね」

「そうだよな。あの人だってこんな事が起きるとは思わないだろうよ」        

「これからどうするのさ」        

「どうするって。今日帰るよ」      

「馬鹿ね。貴男は死んだのよ」      

「あそうか。会社に電話しなくては」   

「死んだままにしときなさいよ」     

「そうはいかないよ」          

「死んだままのほうが都合良くないの。死んだままにしときなさいよ」        

「何で俺をそうまで殺したいんだよ」   

「会社に電話してあんたに何の得があるって言うのよ」               

「私が電話して無事だと分かれば会社の人も家族もみんながホットするよ。安心するよ」

「貴男ってよくよくお目出度いわね」   

「おいおい酷い事言うな」        

「旅行鞄は何が入っているでしょうか」  

「集金のお金だよ」           

「幾ら入っているの」          

「二億四千五百六十万円だよ」      

「二億四千五百六十万円持った貴男は死んでいるのよね。この世にいないのよ」    

「おいおい君。君は何か恐ろしい事を考えているんじゃないのかい」         

「恐ろしい事なんか考えてないわよ。人間なら誰しも考える当たり前の事を言っているのよ」                  

「君の考えている事が段段分かって来たよ」

「二億四千五百六十万円あったら一生暮らせるわよ」                

「俺の金じゃないよ。会社の金だよ」   

「何でそんなに会社にこだわるのよ」   

「俺に取って会社は生き甲斐だよ」    

「会社の価値は二億四千五百六十万円でも及ばないと思っているの」         

「会社の価値は金じゃ代えないと言っているんだよ」                

「あんた本当に大馬鹿三太郎よ」     

「そんな不正な事して得た金なんて、泡の様に直ぐ消えて無くなるよ」        

「二億四千五百六十万円の金で、どっかで貴男と二人で暮らしましょうよ」      

「そんな事無理だよ、無理」       

「貴男は何を恐れているの」       

「金を取る事だよ」           

「こうなる方が良かったの。二億四千五百六十万円を持って貴男が死んでしまった方が良かったの」               

「勿論死ななくて良かったさ」      

「そうでしょ。本来は海に無くなったはずの二億四千五百六十万円は天からの授かり物と考えれば良いのよ」           

「そうはいかないよ」          

          十一        

「一生でなくてもいいから、二億四千五百六十万円で二人して楽しい思いをしましょう。

それじゃ二億四千万円あったら何が出来るの

か。夢だけでいいから語らせてよ。それなら良いでしょ」     

「それなら良いよ」           

「まず三千万で新築マンションを買うわ。75平米の2LDK」           

「うちは一戸建てだけど、家が狭くてとんがり帽子みたいな屋根だよ。一戸建てだと最低五千万必要だね」            

「次は自動車ね。セダンで三百万はするわよね」                  

「そうだね、三百万だね」        

「私は子供の頃から一つの夢を持っているのよ。どでかい夢なの分かる」       

「家は言ったし何だろう、分かんないな」 

「ヨットよ。韓国系の考える事は普通の日本人とは一寸と違うのかも知れないわね。大海原をさっそうと、考えただけでも胸がわくわくするわね。でもヨットなんて幾ら位するのかしら」                

刻々と明らかに成る悲惨な飛行機事故のテレビ報道を見ながら、彼の身代わりになり犠牲に成った気の毒な人や多くの犠牲者等。人命と云う人間の尊厳に関わる話題から、旅行鞄に集金した金と云う俗っぽい事柄が話題の中心に成る。               

「ヨット一艘の費用なんて分かんないなあ。多分一戸建てと同じくらいする、と思うよ。それより維持費が凄く掛かるんじゃない」 

「一戸建て位と云う事は五千万よね」   

「そうだね、もっと掛かるかも。維持費で年に二百万かな」             

「三つで八千三百万。それに維持費二百万で合計八千五百万よね」          

「掛かるものだね」           

「家電製品が合わせて百五十万位ね」   

「それで合わせて約一億だよ」      

「未だ残りは一億四千万もあるのよ。あと使うとしたら旅行位しか無いわよ」     

「旅行か、そうだね」          

「二人で一緒に生活したら生活費は一年に五百万位ね。ヨットの維持費が二百万ね。合わせると年に七百万ね」          

「そんなに掛からないよ」        

「多少余裕のあるレベルの生活ね」    

「相当余裕があるよ」          

「一年に七百万だと二十年で一億四千万よ」

「そう二十年だね」            

「マンションやヨットや自動車家電製品を買っても、二十年間二人で生活出来るのよ」 

「夢みたいな話だよ」          

「夢じゃ無いわよ。此処にお金があるんだから」                  

「止めてくれよ。これは会社の金何だから」

「貴男がこのまま死んだことにすれば、夢の様な生活が出来るのよ」         

「夢、夢、所詮夢だよ」         

「夢か現実か貴男の決断次第よ」     

「君は私を犯罪者にしたいのか」     

「とんでもないわよ。貴男は今死人なのよ。だからそのまま死んだ事にしたらという話なのよ。そのままにする事がなんで犯罪に成るのよ」                 

「詭弁だよ。犯罪には違いないよ」    

「貴男は死人のままで居なさいよ。すべて丸くおさまるんだから」          

「そうはいかないよ」          

 彼は会社の部長に電話をしようと、   

「私は携帯を忘れたので貸して欲しい」  

「会社に電話する前にもう一度良く考えて頂戴。私と新しい生活を始めましょうよ」  

「もう何度も言った様に無理だよ」    

「やり方次第で一生貴男は働かなくても好いのよ。毎日命令されたり怒られたりしないでも、生活も生きていく事も出来るのよ」  

「それでも会社は必要だよ」       

「もう家や車は無くてもいいわ。貴男と二人きりの生活がしたいのよ」        

「違法な事すれば何れは破綻するよ」   

「貴男の頭はどうしてそう堅いのよ。もっと柔らかく考えなさいよ。今の状態の貴男は死んでいるのよ。これは違法では無く合法なのよ」                  

「生きているのに死んだ事にするのは違法だよ」                  

「折角二人の生活が目の前にぶら下がって居るのよ。私が嫌いなの」         

「勿論大好きだよ」           

「だったら私の為に、二人の愛の巣の生活の為に、死んだ事にしておいてよ」     

「もう勘弁して。無理なものは無理だよ。会社に電話するからさ携帯貸してよ」    

「携帯は貸すからさ。もう一度考えてよ。子供に未練があるんでしょ」        

「子供は関係ないよ」          

「そんなこと無いわよ。あんたって子煩悩だから。だったら、私たちの子供を作りましょうよ」                 

「会社に電話するからさ携帯貸してよ」  

「お願い。もう一度だけ考えて。さっき君の食事は最高だって言ったでしょ。その最高の食事が毎日食べられるのよ」       

         十二         

 飛行機事故のテレビ報道を受けて、彼は会社の部長や妻に電話を掛けようとする。彼女は彼の腕を掴んで考え直してくれる様に強く懇願する。彼はそれを払いのけて、    

「くどいよ、携帯貸してくれよ」     

 思い止まらす事を諦めた彼女が携帯を探し始める。中々見つからない様子。     

「おかしいわね。どこに置いたのかしら。御免見つからないのよ」          

「しょうがない。公衆電話で掛けて来るよ」

「そう御免、御免ね」          

「公衆電話はどこにあるのかな」     

「左は駅よ。反対の右に真っ直ぐ五百メートル位行くと、左にコンビニがあるから。コンビニの店前にあるわよ」         

 パジャマの彼は上着を取り敢えずワイシャツだけで、それにズボンをはき公衆電話をめざして家を出る。駅とは反対方向なので、駅に向かう勤め人も多く成る。       

「部長に早く電話しないと」彼は独り言を言いながら、コンビニを目指す。そして独り言は続く。                

「部長は私が生きていると知ったら、さぞ驚くだろうな。なんて言って話し始めるかな。その後で妻にも電話しないと。妻は部長と違って、私が生きていると知ったらガッカリするだろうな。五百メートルだと、私の足だと十五分位掛かるかな。未だ七分か、後倍もあるな。昔は百メートルか百二、三十メートルおきに公衆電話があったのに、今は携帯の普及で少ない。ああ、あれか見えてきたぞ」彼はコンビニに着くも、あいにく若い女性が使用中。                 

「早くしてくれないかな」電話中の女性の後ろを行ったり来たりしている。七、八分後に女性の電話が終了する。         

 彼は電話を奪い取らんばかりに、電話口に口を付け数字をプッシュする。部長が電話を取ったのを確認すると、話し始める。   

「金田部長さんですか」         

「ハイ金田ですが」           

「田辺です。お早うございます。今回大変ご心配をお掛けしてすいません」      

「田辺君。田辺課長かい。君無事だったのかい」部長は驚きのあまり言葉に詰まっているのが課長にも手に取る様に分かる。課長が改めて話し始める。            

「私はあの飛行機には乗って居なかったのです。昨日は風邪気味で頭が痛い為、集金がすんだ後ホテルで一泊し、翌日帰ろうと思いました。そこで空港で十五時大阪空港発羽田空港行き全日航機を、欲しいと言っている男性が居たので譲ったのです。お気の毒にその男性は私の代わりに犠牲になりました。お金も無事ですから今日帰ります」       

「田辺君、君が無事で良かったよ。本当に良かったよ。本当、本当に良かったよ」   

 部長の声は聞き取り難く、涙声に変わっている。                 

「妻にも電話しますので一旦切らせて戴きます」                  

「君それは良いけど、ホテルの電話番号を教えといてくれたまえ」          

「ホテルの電話番号は一寸分かりません。もう直ぐホテルをチェックアウトしますので、新大阪駅から新幹線に乗る時に再度電話します」                  

 これ以上電話を続けると、ボロを出しそうなので自ら電話を切る。そして妻に電話をする。                  

「もしもし田辺さんですか。僕だよ、誠一だよ」                  

 妻は驚きのあまり声が出ないのが此方にも伝わってくる。             

「貴方無事なの。良かったわ、死んだと思って昨夜は泣き通しよ」彼女は話し終わらぬうちに大声で泣き出す。          

「御免よ。色々心配かけてしまって。僕はあの飛行機には乗って居なかった。昨日は風邪から頭が痛いので、集金がすんだ後ホテルで一泊して、翌日帰ろうと思ったんだよ。そこで空港で十五時大阪空港発羽田空港行き全日航機を、欲しいと言っている男性が居たので譲ったんだよ。お気の毒にその男性が私の代わりに犠牲に成ったんだよ。今部長にも電話したからさ。今日新幹線で帰るからね」  

「昨日から大変だったのよ。本当に良かったわ。子供達も悲しんだのよ。子供二人を出すから貴方の声を聞かせてやって。お姉ちゃんから出すからね」            

         十三         

 妻は泣き声で声はうわずっても喜びにあふれているのが分かる。          

「お姉ちゃんかい、心配かけて御免ね。お父さんは無事だよ」            

「お父さん無事で良かったね。昨夜はお父さんが死んじゃったと思って悲しくて眠れなかったよ。元気なお父さんを早く観たいよ。今どこに居るの」             

「お姉ちゃんは大阪って知っているよね。その大阪のホテルに居るんだよ」      

「そう早く帰ってね。やっぱりお父さんがいないと。今度は僕ちゃんと変わるね」   

「僕だよ、お父さん。昨夜はお母さんが一晩中、ずっと泣いているから僕も悲しく成っちゃったよ」               

「僕ちゃんだね。お父さんは無事だからね。心配かけちゃって御免ね。一寸お母さんに変わってくれるかな」           

「代わったわよ。貴方の両親に私の両親みんな夕べは一睡もしてないのよ。みんなあなたが無事だと分かって大喜びよ。声だけでも聞かせてあげて」             

 彼は自分の両親から、彼はあの飛行機には乗って居なかった事。その理由は昨日頭が痛い為、集金がすんだ後ホテルで一泊し、翌日帰ろうと思った事。そこで空港で十五時大阪空港発羽田空港行き全日航機を、欲しいと言っている男性が居たので譲った事。等を四人に話し、お気の毒にその男性は彼の代わりに犠牲になった事などを話す。四人共何にもまして彼が無事な事を喜んでくれる。最後に再び妻に電話口に出て貰う。        

「君からも私が心から申し訳なく思っていると伝えておいてよ」           

「分かりました」            

「私の身を心配して電話をくれた人には、電話番号が分かる範囲でいいから君から電話しておいてよ」              

「分かりました」            

「これで一応切るけれど、新幹線に乗る時に又電話するからね」           

「はいお願いします」          

 彼は部長と妻に電話出来た事で安堵感に浸る。コンビニの前の自動販売機で缶コーヒーを二個買い、コンビニでおにぎり四個とサンドイッチ二個を買う。コーヒーとおにぎりにサンドイッチで、未だ済んでいない朝食を彼女と二人で食べる積もりでいる。彼は帰りの道すがら、右の横町五十メートル先にコンビニがあるのに気づく。          

「こんな近くにコンビニがあるじゃないか。公衆電話もあるだろうし、時間も五分位で済んだのに何でわざわざ遠くのコンビニを教えたんだよ。随分余分な時間を費やしてしまったよな。彼女に文句を言わなくちゃ」彼はぶつぶつ言いながら不満げである。ようやく彼女の住まいに帰る。           

「只今。朝食買って来たから一緒に食べようよ。居ないの、どこに出かけたのかな」彼は疲れから和室の畳みにゴロッと横に成る。そして急に飛び上がらんばかりに起き上がる。

「しまった、旅行鞄がない」彼の顔色は見る見る内に青ざめ、彼女を部屋中探し求める。

「駅だな」               

 彼は駅へ走る。二百円の切符を買い、駅のホームを見回しても彼女は何処にも見あたらない。改札の人間に大型の旅行鞄を持った女性を見なかったかを聞いても、ラッシュアワーの大勢の乗降客を相手の駅員の答えはノーである。タクシー乗り場でタクシーの運転手にそれとなく聞いて回っても、誰も心当たりがないと言う。彼は谷底に真っ逆さまに落ちた様な感覚になる。事の重大さに心臓を締め付けられる思いである。         

 彼は何の当てもなく彼女の住まいに戻ってくる。部屋に入るや否や部屋をぐるぐる回り出す。そうかと思えば一方向を行ったり来たりする。それは動物が檻の中をうろうろするのと同じ様である。心の動揺を抑えきれないでいる。動き回りながら独り言をつぶやく。

「彼女が私を裏切るなんて、信じられない。戻ってくれ頼むよ」           

「どうしよう、部長に金は安全だと電話してしまったし、どうしよう」        

「彼女の行きそうな処なんて分からないな。彼女の勤め先に聞いてもしょうがないだろうし」                  

「あぁこまった、よわったな。どうしたら良いかな。頭が混乱してきた」       

「警察に行って全部話すか。話せば女の処に泊まった事がばれてしまうし」      

         十四         

 彼にとって選択肢はいくつも無いはずである。警察に行き全て事実を話す事である。その場合会社は当然クビになる。こういう時は彼の実直さは彼にとって大いにマイナスである。大金を集金した足で女の家に泊まった事が分かる事は、彼にとって死よりも辛い。彼は観念したのかへたへたと畳に座り込み、柱に背を持たれながら呆然とする。そして心の中で大きな変化でも起きたのであろうか、日頃の彼には似合わぬ愚痴を口走り始める。 

「こんな事なら彼女の言う通りにしとけば良かった」更に独り言は続く。       

 「サラリーマンなんて哀れだな。二十年間こつこつ努力して来た。二十年間で得た物は課長職だ。一年は三百六十五日その二十倍で七千三百日をかけて得た物が課長職。朝六時に家を出て夜十時帰宅。一日に通勤時間も含めて十六時間も働いて課長職。毎日毎日本当にこつこつ努力して課長職。上司に怒られペコペコ頭下げて課長職。生意気な部下にも我慢、我慢で課長職。妻も大手重電の課長職但し給料は僅かだが妻が上。妻に頭が上がらずの課長職。血を吐く思いで得た課長職。しかし失う時は正に一瞬の課長職。車が崖を転げ落ちる様だ。嫌もっと早い、ジェット機が落ちるようなスピードだ。先人は築城三年落城一日と云う。私は築城二十年落城一瞬」  

 彼は十時頃帰り支度をして彼女の家を後にする。前日の凛々しい姿は何処やら、ヨレヨレになった侭のシャツのボタンは互い違いであり、七三に分けて居た髪はボサボサで綺麗な串の痕が無い。髭も剃らず如何にも不潔そのものである。ネクタイは上着の上ポケットに突っ込んだ侭。前日引いていた旅行鞄は無く手ぶらで、ズボンに両手を入れている。その歩く姿は正に、競馬競輪で大金をすってしまった哀れな初老の男を連想させる。顔は青ざめ憔悴仕切っており足取りも侭に成らず、視線の定まらない夢遊病者の様である。  

 それから三時間後に大阪湾の埠頭に独りの男の変死体が上がる。埠頭に警察宛の遺書が置かれている。遺書に添えられた名刺にBBN株式会社技術課長田辺誠一とある。偽の田辺誠一の死を頑なに認めなかった男、田辺誠一の正真正銘の死である。        

          終章  

 何と何と驚いた事に目の前に大金を持ち逃げした女が何事も無かったかの様に居るでは無いか。                

「この野郎、俺の大事な金を持ち逃げしやがって、金を返せ。あの金は会社の大事な金だって何回も言ったのに分からないのか、この馬鹿野郎」彼は彼女の胸ぐらを掴んで、その怒りを爆発させ激しく責め立てる。    

「痛い痛いわよ。何やってんのよ馬鹿ね。目を覚ましなさいよ」           

 余りの事に何が何だか分からない彼女も狼狽している。怒り狂う彼を尻目に彼女も声を荒げ乍ら話続ける。           

「さっきから貴方を起こしてるけど中々起きないのよ。夢を見たんでしょう。怒ったり泣いたりしてたから。金って旅行鞄でしょ、旅行鞄ならリビングにそのままよ。ほら目を良く開けて御覧なさいよ。もうお昼よソロソロ起きないと」              

 話終わるや彼女が襖を開けると隣の部屋のリビングに旅行鞄がちゃんと置いてある。 

 いやはやこの物語冒頭の彼女の大声は彼の夢だったのである。その後の事、航空機の遭難も彼の死でさえも、当然の事ながら彼の夢である。                

「ええ夢、本当に夢か。そうか私は夢を見てたのか、本当に夢で良かった。嗚呼本当に助かったよ」               

 彼は立つた侭の彼女の腰に抱きつきワァワァ声を上げて泣き出す。彼女は彼がどんな夢を見たのかその内容迄は分からない。大声で怒鳴り散らしたかと思うと、今度は大声で泣き出す彼に只唖然とするだけである。   

 それから数時間後の新大阪駅。東京行き新幹線ひかりに大型の旅行鞄を引き、濃紺の背広と赤紺の斜めの縞模様のネクタイが凛々しい田辺課長の姿があった。       

              <了>


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