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第五章

あたりには、とても豊かな花の香りが満ちていた。

ボクは家の庭先で遊ぶ小さな子供だった。

父が投げてくれる手毬を、ボクは走って追いかけた。

その様子を母が笑顔で見守っていてくれる。

そこには、不安のカケラもない若々しく、幸せそうな二人の姿があった。

ボクは忘れてしまっていたけど、本当は父も母も、こんな風に笑える人たちなのだ。


 ボクは嬉しくて嬉しくて、どこまででも走れるような気がした。

春の花々が、駆け抜けるボクの足元をくすぐっていった。

あたりには、とても豊かな花の香りが満ちていた。


『起きて。起きるんダ』


身体を揺すられ、ボクは目を覚ました。

星空の下で、心配そうにボクを見つめる二人の宇宙人の顔があった。


「肉を持ってきてくれてヨカッタ。

 すぐに作業に入るからね。」


ボクは、自分のいる状況を知って驚いた。

いつもどおりの惑星の上には違いなかったが、

ボクは今、銀色に輝く浴槽のようなもののなかにいた。

金属のような質感をもった透明な液体が、無数の星明かりを照り返しつつ、

その浴槽に満ちていた。

そしてそれは常に、フツフツと沸きあがっているのだった。


ボクはその液体の中からなんとか立ち上がろうとして、違和感に気づいた。

ボクのカラダが見当たらない。

首から下を目で追ってみるのだが、そこにはあるべきカラダはなく、

透明な液体越しに銀色の底が覗くだけ。


ボクはその透明な液体の上に首だけが浮いているような、奇妙な姿に成り果てていたのだ。

 何が起きたのかわからない。

だが、不思議と気味悪く思わなかった。

むしろ心地よささえ感じた。


浴槽に張られた液体と接する首筋は、甘美とすらいえる触感の波に洗われている。

今、ボクはまさにこの液体と一体化しているのだろう。


ああ、それにしても。

液体から漂う花のように艶やかな香りが、なんと濃厚なこと!


ボクは、恍惚として、トロンとした目で二人の宇宙人の姿を眺めていた。

 二人の宇宙人は今、大きな肉の塊を紐で縛り、

釣瓶のような構造の銀色の機械に、その紐の端をくくりつけているところだった。

紐をつなぎ終わったその姿は、まるで巨大な銀色の釣竿だった。


あの紅色の肉はなんだろう。

多分ボクのカラダより二周りも大きい。

あの肉をボクが持ってきたというのだろうか。ボクには全く身に覚えがないのだけど、

これは夢だから、そういうこともあるのかもしれない。

ボクは一人納得した。


そして彼らは、その釣竿の先をボクのほうに向け、

ゆっくりと、その巨大な肉をボクの入った浴槽に沈めていった。

ブルブルブルと、ボクは水面が振動するのを感じた。

それにあわせてボクの視界は激しく揺れ、気持ち悪くなるどころか、

心地よさは増していった。


ああ、今までの苦しみも。悲しみも。これなら忘れてしまえる。


浴槽の前までやってきた二人の宇宙人が、

それぞれの手に銀色に輝く、鋭くとがった槍のようなものを掲げ、

浴槽の中に向かって突き刺したその瞬間、

ボクは恍惚のあまり、目を閉じてしまった。


ああ、

果たして、目の前で起きていることは夢なのだろうか現実なのだろうか。

ボクの意識は、自分の部屋の寝室の中に戻ってきていた。

まだ外は暗く、月の明かりがわずかに部屋の陰影を残してくれる。


また、静かで、おぼろげな世界だった。

そのはずだった。

しかし、その時、ボクの目にははっきりと、

ボクに向かって銀の槍を振り降ろそうとする二人の宇宙人の姿が見えていた。

次の瞬間、ボクに覆いかぶさる影があった。

影はたちどころに、そのカラダを銀の槍の雨にうたれた。

影は何度も何度も痙攣し、静かな肉の感触を残して僕に滴った。

青白い月の光が、一瞬そこにある藍い瞳をボクに見せた。


それはボクの父だった。父だったんだ。


オトウサン!


ボクは悲鳴をあげたかった。しかしかなわない。

ボクはもう、声を出すことができなくなっていたのだ。

そして、その事実が、目の前で起きていることが、夢でないと証明するようだった。

どういうことなんだ。

この二人の宇宙人は、ボクの夢の中だけでの存在じゃなかったの?

確かに、最近では現実の出来事よりも夢の中の出来事の方が真実のような感覚を持ってはいた。

でも、それはあくまでも感覚の話で。夢と現実の区別はつけていたつもりだ。


じゃあ、目の前で起きているコレはナンナンダ?


意味がわからないまま、僕は呆然と、目の前で細切れになっていく父を見た。

夜の闇と、ぼやけた視界のなかで影としか認識のできない父の残骸と対照的に、

二人の宇宙人の姿は、夢の中とまったく一緒。

輪郭も、その不自然な色合いもハッキリとした姿でボクの目に映っていた。


ボクの夢のなかの彼らが、実体を持ってしまったんだ。

ボクはぞっとした。そうとしか考えられなかった。


オトウサン、オトウサン!


恐怖のあまり、涙も出なかった。

不意に、緑頭の宇宙人が動きを止め、その視線を動かした。

視線の先には、寝室の扉。

扉が開いたのだろうか。ボクははっとした。

オカアサン!

父が悲鳴をあげたのかもしれない。そうでなくても、この部屋からは

相当な騒ぎの気配がしたに違いない。

母が心配で見に来たのだ。


ボクは動かないカラダに鞭打って、扉のほうに首を向けた。

手遅れだった。

人肌色の塊に、馬乗りになって槍を突き刺さす、緑頭の宇宙人の姿があった。

扉の横に飾ってある二枚の白い画用紙。

そこにあったはずの両親の顔の絵は、綺麗に消えてしまっていた。

飾られているのはただの真っ白な画用紙に過ぎなかった。

ボクはもう何も考えられなくなった。ただ機械的に、目の前で起きている出来事を処理した。


一通り粉々になった父の身体は、宇宙人たちが用意したのであろう、

銀色の桶の中に収められ、

それを「E」のつく宇宙人が団子状にこねはじめた。

ボクは掛け布団に染み渡る、しっとりと暖かい液体を感じていた。

不思議と血の匂いを感じない。

それどころか、ボクの鼻は相変わらず濃い花の匂いをかいでいた。


「苦しいね。苦しかったね。

 もう大丈夫だからね。」


「E」のつく宇宙人は、ボクの掛け布団を剥がし、服を脱がせると、そういった。

黄色い髪に紫色の丸い顔。

夢の中で聞いたのとは違う、穏やかで、静かな声だった。

懐かしい母の声にそっくりで、ボクは今まで感じていた恐怖をすっかり忘れてしまった。

月明かりに、裸のボクの白い肌が浮かび上がっていた。

母を粉々にし終わったのか、緑頭の宇宙人がボクの前に戻ってきた。


「ふふ。何も心配いらぬぞ。」

低く、優しい声は父の声そのものだった。

緑頭の宇宙人と交代に、「E」のつく宇宙人は扉のほうへ移動した。

きっと、母の肉も同じようにこねてしまうのだろう。


 父と母の死が、この部屋全体を包む濃い花の香りになって、ボクにその現実を

受け止めさせてくれた。


 『神様、代わりにワタシにこのコの苦しみを与えてください!

 このコにもう一度、窓の外の日を浴びさせてください!

 ワタシはこのコを生かすためなら、なんでも捧げます!』


ボクは思い出していた。父が言っていたあの言葉を。

父はボクが生きるための大切な肉になったのだ。

そして、父はそうなることを望んでいたに違いない。母もきっとそう。

その望みはボクがチキュウ人であろうがそうでなかろうが変わらないのだろう。

だから、これは何も悪いことではないように思えてきた。

 緑頭の宇宙人が、その優しい手つきでボクのカラダに触れた。

良くこねられた父の肉が、ボクの体に練りこまれていく。

それがとても心地よい。

父の肉とボクの肉が違和感なく混ざり合っていく。

ボクは自分がどんどん健康になっていくのを感じた。


途中で母の肉も追加され、ボクの病に蝕まれやせ細ったからだはたちどころに

もとのふくよかさを取り戻した。


それだけでなく、緑頭の宇宙人はボクにチキュウ人らしい足をとりもどさせてくれた。


「ふふん。お前のために、ワレはチキュウ人の足を研究したのだぞ。」

誇らしそうにそう言う姿に、ボクは抱きつきたいほど愛しさを感じた。


どんなものでも一つにまとめてしまう緑頭の宇宙人の能力は本物で、

気が付けばボクは、自分の体が完全に健康な、チキュウ人の少年のものになっていることに気づいた。

しかし、所詮その姿は肉人形で、特に新しく付け足された足先ともなると、ほとんど触覚がなかった。

これではどこにどう力を入れて動けばいいのかわからない。


「これで、完成なのかい?」


作業を終えたらしい二人の宇宙人に、ボクはそう問いかけた。

二人の宇宙人は、少し不安そうに互いの顔を見つめてから、答えた。


あとは、テオデオドロ星人であるボクの力を信じるしかないと。


 ふと、視界の端で何かがきらめくのを感じた。見間違いかと思うほど一瞬の出来事。

しかし、気のせいではなかったのだろう。

ボクと二人の宇宙人は同時に輝きのあった場所、窓の向こうに目を向けた。

瞬間、朝日のような鋭い光線がボクたちに向かって差し込んできた。

ボクは思わずとても短い悲鳴を上げた。目が焼けるかと思ったのだ。

しかし、不思議なことにその光は、ボクの目に苦痛を与えることはなかった。

それどころか、ボクの目の中にあった擦りガラスを取り除いてくれたのだった。

一気に、ボクは鮮やかな視界を取り戻した。

久しぶりに見るボクの寝室。

不思議と、どこにも血の跡は残っていなかった。

扉も、床も、ベッドのどこにも、父と母が絶えた痕跡は見当たらなかった。


ボクのカラダは光に暖められていた。


ああ、ソウダッタノカ。


光はボクを癒し、そして光はボクの失っていたテオデオドロ星の記憶を取り戻してくれた。

そうとも、ボクはチキュウ人ではない。

惑星侵略型の宇宙人、テオデオドロ星人なのだ。


ボクは自分の指先に命令して、肉人形となった自らの指を動かす。

チキュウ人の神経の使い方とは異なる、テオデオドロ星人ならではの肉体の操作。

そうとも、ボクたちテオデオドロ星人は何世代にもわたって、

こうやって惑星の原住民に扮装し、原住民の気づかぬ間に惑星を支配してきた。


ボクはこのチキュウを支配するために、ここに使わされたのだ。

このチキュウの開拓者となるために!


二人の宇宙人が固唾を呑んで見守るなか、

ボクはゆっくりと自分の足でベッドを降り、立った。

二人の宇宙人よりも頭二つは高くなった視線で、ボクは二人の顔を捉える。


「親愛なる二人の友よ。ありがとう。キミたちのおかげでボクは

 自分の本来の目的を果たすことができる。」

ボクは言った。自分の声にこんなに張りがあるなんて信じられなかった。


「友よ。ワタシは嬉しい。

 キミのおかげで喉から手がでるほど欲しかった『顔』

 を手に入れることができたのだから。

 そしてなにより、ワタシが友の役に立てたのだから。」

「E」のつく宇宙人は嬉しそうにそう言った。

心なしか顔の色も赤紫色に変わっているようだった。


「ふふん。ワレワレはいつまでも友でありつづけるのだろう。

 一言でまとめるなら『一心同体』だ。」


「もちろんさ!」

ボクは彼らの前に膝をつき、彼らと初めて握手をした。

懐かしい宇宙の匂いのする、ボクの大好きな人たちだった。


窓の外の光線はどんどん明るさを増すようだった。

ボクたちは並んでその光景を眺めていた。


 時はまだ夜だった。

天から真っ白な大粒の雪のようなものが降り注いでいた。

その一粒一粒が淡い光を放っていて、ボクにはとても愛しかった。

ボクにはもう、その光の正体がわかっていたのだ。

「ほら、見えるかい。これがテオデオドロ星人の種さ。」

ボクは二人の宇宙人に教えてあげた。

ボクは窓を開け、身を乗り出すと落ちてくる一つの欠片を手に取った。

小指の先ほどしかないその塊の中には、

幼い寝顔を湛えた胎児のような姿が見えた。

ボクはそれを二人の宇宙人に見せ、再び窓の外に放してやる。

「ボクたちテオデオドロ星人はこうやって宇宙中を旅してる。

 そして無事に種が芽を出せる場所を探すんだ。

 ボクはこの星にこうやって花を咲かせることができた。

 きっと、直にこのチキュウもテオデオドロ星人でいっぱいになる。」

ボクは窓の外から二人の宇宙人に視線を移した。

「ボクはこの星で一番最初に花を咲かせた。

 ボクはこの星の王になるだろう。

 ボクには、新しくこの星で芽吹く同胞に、ボクと同じ苦しみを与えないための

 使命がある。

 ボクは彼らにチキュウで生きるための肉を提供していかなければならない。

 そしてそのためにはキミたち二人の協力が必要なんだ。

 二人には、いつまでもボクのそばにいてほしい。」


ボクのその言葉に、二人の宇宙人は一旦顔を見合わせると、

嬉しそうな笑顔でボクを見た。


「友よ。ワタシたちの力が必要なのだな。」

「ふふ。ワレワレが探していた「顔」を与えてくれたお前には恩がある。

 そして、ワレワレはもう旅をする必要はなくなったのだ。

 一言でまとめると『喜んで引き受けよう』」

「ワタシたちは嬉しいのだ。友よ。あなたと出会えて。」


ボクは思わず二人を抱きしめていた。

モチロン自分の腕でだ。

もう涙がでることはなかった。

ボクには役目があるのだから、泣いてなどいられない。


空に夜明けの色が広がりつつあった。

直にあちこちに散らばった種がチキュウ人に良く似た芽を出すことだろう。

そしてチキュウ人は、愚かにも彼らの正体に気づくことなく、自らの家庭に招き入れる。

最終的に、チキュウ人はテオデオドロ星人のためにその肉を提供し、

この星はテオデオドロ星人で満たされることになるだろう。


晴れ晴れとしたキモチに包まれて、ボクとボクの友人は幸せだった。


 ボクは父と母の愛を受けていて、病気の苦しみのない、健康な体を手に入れた。

ボクには友がいて、愛すべき子供たちがいる。

愛すべき子供たちを守るために、ボクは自分の足で外に出るのだろう。

窓から縄梯子を下げ、空を仰ぎながら外へ下っていくのもいい。

このチキュウがボクの同胞で埋め尽くされたら、

ボクはこの星をもっと平和な世界にできるだろう。

あらゆる苦しみのない、平和な世界に。


窓の外の景色から、だんだんと暗がりが身を潜めていく。

 ボクは低く日を飛ばした朝焼けの美しさに、ため息をついた。


今、「楽園」の夜が明けたのだ。



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