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Sweet Blood  作者: 黄葉紫雲
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序章  ありのまま、それは神様からの試練 ~It`s My Life~

この物語はフィクションであり、作品内に登場する人物、団体名、名称等は架空であり、実在するものと関係もありません。また、登場する障碍に関しましても、実在するものとの関係性はなく、誹謗中傷するものでもありません。

また、残酷な表現がありますが、作品の題材として「生と死」や「社会の偏った固定観念」、「障碍をもつこと、生きることの葛藤」を描くための物語となっています。

 あなたはいつ自分の『性別』を認識しましたか?

 一般的には、男女の性差を意識するのは二歳頃と言われ、文化や価値観の植え付けによって、四歳の頃には自身が男または女と自覚するそうです。

 しかしながら、果たしてそれは正解と言えるのでしょうか?

 

 男は男らしく弱音を吐いたりするものじゃない。


 女は女らしくお(しと)やかに振る舞いなさい。


 と、今のご時世となっては古い考えだと揶揄されるだろうが、実際のところ人間は本能として無意識に自身の性別に相応しい振る舞いを取っているのが、正直でいて至極当然とも捉えられます。


 ならば一体、()はどちらの方が正しいのでしょうか?

 

 一三歳という多感な時期を迎える中学生・魅藤凛(みふじりん)は、そんなことを考えると吐き出すことの出来ない胸の(つか)えを覚えてしまう。


 ()という一人称だから男?


 華奢な体躯で、()()()()()()()()()()()()()()姿だから女?


 そもそも容姿や立ち振る舞いを見るのではなく、戸籍や保険証などを見れば一目瞭然だろうが、そんなもので決められるほど単純明快なものでもない。

 近年になって、性差別の問題が大きく取り沙汰されるようになり、(せき)を切ったように様々な人が声を挙げ始めたことに伴い、少しずつ認知はされてきている。とはいえ、いくら周囲の人間が寛容であっても赤裸々に曝け出せる者は多くない。


 理解されることの方が少ない。知られれば関係性が崩れてしまう。そんな見えない恐怖を前に立ち向かえる者など一握りで、多くの人が勇気を出せず不恰好に丸めた両手を胸に当てて身体を震わせながら生活しているのが、現実だ。

 一方の曝け出している人でさえ、常に不安と隣り合わせに日々を過ごしているのが、人間の(さか)であり、避けられない現実ではないだろうか。

 

 答えなどあれば悩むことも苦しむこともないだろうし、()()ならば考えすらも及ばないのかもしれない。


 けれど、誰もが悩みの一つや二つを持っていて、それぞれが自らの()()と向かい合い、抱え込み、悩み苦しみながら正解へと辿り着くため、日々努力をしていくことが、人が生きるということなのだろう。


 神様は乗り越えられない試練を人間に与えないということを耳にしたことがある。また、必ず逃げ道も用意していると聞いたこともある。

 別に宗教を否定する訳ではないが、現実では努力や苦労で解決できない悩みだってある。

 

 先天的に障碍(しようがい)があって自立が困難な人もいれば、事故や災害によって後天的に一生癒えることのない傷を負ってしまった人達もいる。

 努力することも希望を抱くことも一切叩き落とされて、絶壁を眼前に立ち尽くすしか選択肢のない人生を過ごす人は世の中にたくさんいる。

 そんな、冷たいことばかりの世界だけれども、裏の反対は表であるように温かな一面だってある。

 

『逃げ道』


 誰かの手を借りて生きていく術。不自由なことに代わりはないが、博愛に満ちた人も世の中にはいて誰かの助けになりたいという思いを抱き、お互いの尊厳を守りながら関わり合う生き方もある。自分のことばかりのこのご時世からすれば尊く、とても美しいものだ。

 そうやって、世界は歯車のように回っている。冷酷さという錆を優しさという潤滑油を注しながら、ぎこちなくもゆっくりと、関わりという歯を噛み合わせつつ正確に止まることなく動き続けている。

 

 この広い世界のことを考えてしまえば、()の悩みなんて些細でちっぽけなものだ。

 全てが曖昧で中途半端。向かうべき方向も目指すべき目標も分からずに歩き続けている。今までも、これからも、ずっと...。


 けれども、ひたすら続く安寧に不満を漏らすほど贅沢なものないだろう。

 それこそ、人生の活路を大きく歪められ、狂った道筋を引き返すことも出来ずに一心不乱に突き進むことしか許されない者からすれば、もったいないくらいの甘美な響きだ。

 理不尽は誰にでも起こり得るものであり、それは明日、いや、今この瞬間にも唐突に自分や周りの大切な人達にその牙が向けられないとも言い切れないのだ。

 

 そんな時、()という人間はどれだけその人の手助けが出来るのだろうか。

 況してや、自分自身に理不尽な現実が突きつけられた時、どうやって困難に立ち向かえるのだろうか。

 別に、博愛主義者でもなければ聖人君子という訳でもない。でも、優しい人間でありたいと魅藤凛(みふじりん)は胸の内に秘めている。利己も打算も一切なく、誰かの気持ちに寄り添えるそんな人間になれればどんなに素敵なことか。やはり理想は結局のところ地に足が着くことはなく、痛いくらいに肌身で感じている。

 

 人生とは常に葛藤の連続であり、あらゆる障壁が幾度となく現れ、立ち塞がってくる。そして、その障壁をどのように乗り越え、また上手く潜り抜けることが出来るかが神様から与えられた試練であり、人間として築き上げてきた技量や経験、人格を求められる大きな局面である。

 

 ならば、ただでさえ現在置かれている試練に抗っている真っ只中にも拘わらず、これから起こり得るそれこそ人生の根幹を揺るがしかねない強烈な試練が訪れた時、神様は一体どうのように抗い乗り越えろというのだろうか。

 それとも、深い森の如く見えていないだけで救いの道が用意されているとでも言うのだろうか。


―――彼、否、彼女、魅藤凛(みふじりん)は、まだそんな未来のことを知る由もない。

はじめまして、黄葉紫雲と申します。

長年に渡って趣味で小説を書いています。

長年と言ってもただ筆が遅く、文章作成が他人の三倍は苦手というのが理由です。

今回、このウェブに投稿するためにこの作品を作りました。

文章・作品ともに構成が下手ですが、楽しんでいただけたら嬉しく思います。

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