98.奥様の目覚め
翌朝。
まだ陽も登らないうちから目が覚める。
目は覚めたもののベッドから出る気が起きず、このまま二度寝しちゃえと、再び目を閉じた矢先、ヒビキが飛び起きる気配がした。
ベッドの上で上体をおこし、はぁはぁと荒い息をはいている。
瞳には、うっすらと涙がにじんでいた。
「にゃう?」
そっとヒビキの膝に両手を乗せて尋ねてみたけれど……。
「あ、ごめんね、オカン。起こしちゃったね」
誤魔化すように、そっと頭を撫でてくれた手が震えている。
「にゃう?」
通じないのは判っているけれど、もう一度訪ねてみる。……どうしたの?
「すごく怖い夢を見たんだけど……。思い出せないや」
意味は通じてないのだろうけど、心配されている事を察したらしく、答えてくれた。
「あるよなー。そういう事ー」
ヒビキの気配で目が覚めたらしきカイ君が、相槌を打つ。
ピーちゃんは、ベッドサイドのテーブルに設置した、豪華な天蓋付ベッドの中でまだ寝ている様子。
……一人で夜更かしさせちゃったのかな?
絡まれる前に寝たふりをしようと思ったものの、寝落ちしちゃってたらしく、ピーちゃんがむくれながら部屋に戻ってきた後の記憶があいまいだ。
「カイ君も起こしちゃってごめんね」
「いいよー。なンか、すンごい寝た気がするし。すっきりしてるから」
未だに早鐘を打つ動悸を鎮めるかのように、長く息を吐いたヒビキが、窓の方を見ながら呟く。
「……もうちょっとしたら、夜が明けそうだね」
「だなー。今日は何するンだー?」
「教会行くのは昨日で最後にしてもらったしなぁ。お昼からはアベルさんと特訓だけど」
「うげ。あの兄ちゃンの特訓、容赦ないからきついよな!」
この町を出るまでの間、カイ君もアベルさんの特訓に参加する事にはなったけれど。
昨日まで、ルフェさんの所で小間使いのお仕事をしていた為、薪を作ったあの日しか参加できていなかったのだ。
「アベルさんの特訓、きついけど、身を守る力は必要だからね」
「確かになぁ。俺一人なら、エルフの森の端っこを移動できるから、魔物に襲われる事もないけど」
「端っこならいいの?」
「ん。だって、エルフの里って、森の真ン中にあるからさ。端っこをちょこっと通ったぐらいだったら、アイツにばれずに通れるよ」
にしししし、と笑うカイ君。
アイツってのは、あれだね。 妖精の王様の角を切り取った共犯のお友達だね?
「そういえば、ここから『賭博の街』って遠いの?」
「人間の足だと、毎日5時間あるいて、13~15日ぐらいって聞いたよ」
「えええええ! 結構遠いね?!」
「うン。大陸の真ん中にあるエルフの森を通れたら、もうちょっと速いけどね」
「そっかー。歩くか、飛ぶか……あとは馬車……かな?」
「馬車は、標的になるからやめといた方がいいぞ?」
「……ひょう……てき……?」
「うン。盗賊とか、魔物とか?」
「魔物はこないだ見たけど。……盗賊もいるんだ?」
「いるぞー。ある意味魔物よりタチ悪いぞ」
「じゃぁ、空飛んで行こうかな」
「ンー。それもおすすめしないかな」
「なんで?」
「目立つし、飛べる魔物が寄ってくるらしーぞ?」
「まじかー」
仰向けにベッドに倒れこむヒビキ。
「印の星が出ると、魔物が凶暴になるのよ」
いつのまにか起きてきたピーちゃんが、解説を初めてくれた。
魔力の弱い魔物は、さほどの変化はないけれど、強い魔物は、無意識下で取り込んでしまう魔素の量が多い。吐き出せず溜まっていく魔素は、体を腐らせてゆく。
知能が高ければ強制的に放出する事も可能だが、先日私を捕食したような、ただ魔力が強いだけの魔物は、苦しさからか凶暴さだけが増加して、住処を離れて獲物を探す個体も出てくるらしい。
「え。それじゃあこの町とかも危ないんじゃないの?」
「小さい村なら危ないかもだけど、城壁で守られてるような町にはまだ来ないわよ」
「……そっか……まだって事はこの先はあるかもなんだね?」
「たぶんね……。これも2番目の勇者の時の話だから、どこまで信じていいかは判らないらしいけどねぇ」
「行商の人たちが来る朝市が出てるし、どの辺までウロツイてるかは謎なのかな」
「行商人たちは、冒険者が護衛に付いてるだろうから、返り討ちにしてるんじゃない?」
「なるほどー」
「東の山脈の麓にある村は、何年か前に襲われたらしいぞー」
「そうなの? 私が外に出る前だから知らなかったわ」
「ンー。でも、それからは勇者様が退治してるから、うろついてる魔物の数も大分減ってるらしいぜ」
「それって……」
「アベルさんの事だろうね……」
ダンジョンの梯子をする傍ら、道中の魔物の退治も兼ねているのだろう。
カイ君がこの噂を知ってるぐらいだから、もしかしたらニセ勇者の耳にもはいってるかも知れないなぁ。
となると、勇者の鎧を手に入れたのに、カインさんの元に戻らないのも、感づかれてるかも……。
話し込んでいたら、すっかり陽が昇っていたらしい。
トントンと軽く戸を叩く音がしたので、ヒビキが返事をすると、ロマンスグレーの執事さんが入室してきた。
「おはようございます。『動物使い』様。早朝より申し訳ありません」
「執事さん! 何かあったんですか?」
慌てて駆け寄るヒビキに、いえいえ、と両手を振って否定する執事さん。
「昨夜遅くに、奥様がお目覚めになられたのですよ」
「そうですか! よかった! ……具合は?」
「大丈夫。すごくお元気ですよ」
「よかったー」
「ご尽力頂きありがとうございました。付きましては、奥様の快気祝いを本日夕方から行いますので、お誘いに参りました」
「是非、参加させて頂きます」
「ありがとうございます。では、こちらが皆様への招待状でございます。ドレスコードなどございませんので、楽な服装で起こし下さいね」
「はい。楽しみにしています」
「それから、ルフェ様からの伝言で、指輪とお嬢様方の鎧が出来たとの事です」
「ありがとうございます! さっそく取りに伺いますね!」
にこりと笑った後、「それでは」と優雅に礼をした執事さんが、部屋を出て行くと。
招待状を渡されたヒビキが、宛先を確認し始めた。
「ピーちゃんに、アベルさんとミアちゃんとソラちゃん……。カイのもあるよ!」
「ホントか?! やったぜ!!」
今日も慌ただしい一日になりそうだ。




