62.オカン、捕食される
ビックリした! びっくりした!
いきなりすぎてびっくりした!
「ふむ。どうやら違うようですね」
アベルさんが呑気に分析しているけど!
落ち着いた雰囲気の人だから、油断してた!
なんっちゅう、ぶっとんだ思考回路してるんだ!
「ソラ、お願い」
ダクダクと血が流れている左腕を差し出されたソラちゃんが、『回復の腕輪』を嵌めている右手を傷口にかざす。
ソラちゃんの掌から、エメラルド色の優しい光が発生して、ゆっくりと傷口を塞いだ。
「ありがとう、ソラ」
お礼を云いながら、はにかんで笑うソラちゃんの頭をひと撫でして。
『世界樹の種』に付いた血と、足元に溜まった血だまりを水魔法で洗浄し、風魔法で床の外へ追いやった。
この人、息を吸う様に魔法使うなぁ。
「アベルさん!! なんてことするんだ!」
「え?」
「万が一、その方法が正しかったとしても、こんな場所で世界樹が芽吹いたら大変でしょう!」
「……!」
「第一! 治るからって、自分で自分を傷つけるような方法で、芽吹くとは到底思えない!」
「……すみま――」
「ダンジョンに籠りっ放しだった事といい、貴方はもっと自分を大切にするべきだ!」
「――せん……」
ヒビキのスイッチが入っちゃったかぁ。
体調悪いのを内緒にして仕事に行ってた事がバレた時も、こんな感じで怒られたな。
こうなると、矛先がいつ誰に向くのか判らない。
怒れるヒビキさんからは、距離を取るのが吉なのだー。
ヒビキの肩からソロリと降りて、岩風呂の方へ避難する。
風呂のふちに寝そべり、前足を浸けて足湯もどきを堪能しながら、壁際で進行する”アベルさんの叱られタイム”を眺める事にした。
「焦る気持ちは、わかります。でも、きちんと食べて、きちんと寝て、計画立てて動かないと駄目です!」
「すみません……」
「もっと云ってやってー」と云わんばかりに、俯いてニヤニヤしている猫耳娘たち。
「こんな小さな子達に、あんなに心配かけて!」
「「えっ」」
猫耳娘たちが、そろって顔を上げる。
「ヒビキさん、アタシ達」
「小さい子じゃないよ~」
「え?」
猫耳娘達は、150センチには届か無さそうな身長で。
ヒビキがかろうじて170センチ。
アベルさんは180センチは余裕でありそうなので、並ぶとかなり小さく見える。
くりくりとした大きな瞳も相まって、幼い印象を受けていたけれど。
「えと、何歳か聞いてもいい?」
「「16歳!!」」
「ごめん、まさかの同じ年……」
「「……うん……」」
気まずい雰囲気が流れ始めたので、もふもふ癒しな私が参戦してあげよう、と岩風呂から手を出そうとしたら……。
嗅ぎ覚えのある、嫌な臭いが鼻孔を掠めた。
……これって、王様が腐ってた時の臭いだ……。
異変を知らせようと皆の方を向いた矢先。
「みんな、こっちへ! 僕の後ろへ固まって!」
アベルさんの叫び声と、ほぼ同時に。
簡易露天風呂の囲いの一部――皆がいる壁とは反対側――が爆音とともに大破した!
「「「きゃああああ!」」」
飛び散る木の壁の破片。
グルゥルルルル……
肉食獣が放つ、低音の呻り声。
四肢以外がウロコに覆われた、キリンのようなシルエットの魔獣が、私のすぐ目の前にいた。
大きく開いた口が……
涎を垂らして近付いてくる……
魔獣の動きが、いやにスローモーションに見える。
右の前脚と後ろ足にある、斑に黒く変色した皮膚。
間近に迫る、金色に光る瞳は……
縦に瞳孔が開いていて……
「「オカン!!」」
――ヒビキとアベルさんの声が聞こえたような気がした……。
返事をしたいけど、右肩から胴にかけて襲ってきた激痛に、頭が真っ白になる。
目に真っ赤な飛沫が飛んできて、痛くて開けられない。
喰われた?!
私喰われてるの?!
魔物の牙が肺まで達しているのか、「かひゅ、かひゅ」と、途切れた声しか出てこない。
ゴキゴキと肩の骨に食い込む嫌な音が骨伝いに響いてくる。
魔物が、私を咥えたまま跳躍した、その刹那――
ゴウッ!!
――分厚い風が空気を切り裂く音がして……。
どさりと、魔物の頭部ごと地面に叩きつけられた。
◆
ダンダンダンダン、と、複数の足音……が……近づいてくる……ような……気が……。
気のせいかな……遠のく意識の片隅で、だんだん冷たくなっていく自分を感じていると……。
口の中に、何かが流し込まれた。
口腔から、温かい何かが瞬く間に全身に広がっていく……。
あ、これ『世界樹のしずく』だ。
すごいな、もう息が出来るようになった。
肩……の激痛も嘘のように感じない。
ぼたぼたと降ってくる大粒の水滴が、私の顔に当たっている。
目を開けると、抱きかかえた私を泣きながら見下ろすヒビキの顔があった。
「にゃ~ぅ」
ヒビキの頬を撫でようと、まだ少しだけ震えが残っている腕を上げる。
「オカン! オカン! よかった!」
私の手を握り、自分の頬に当てながら、嗚咽交じりに云うヒビキ。
「オカン、大丈夫?」
ヒビキの肩に立っているピーちゃんが、心配そうに覗きこんでいる。
猫耳娘達も、両手を握り合いながら覗き込んでくれていた。
「すみません。僕の血の臭いが、魔物を引き寄せてしまったのかもしれない」
アベルさんが、『風魔法が付与された短剣』をヒビキに渡しながら云ってきた。
さっきの、風が切れるような音はこの剣の音だったのだろう。
くるりと振り向いたアベルさんが、両手を肩よりも少し上にあげると、キリンのような首を切り落とされた魔物が空中に浮かび上がる。
「すごい……」
巨大な火の玉が空中の魔物の死体を中心に発生し、だんだん小さくなっていくと、魔物の姿は跡形も無く消えていた。




