56.魔素と人間と印の星
少しだけお腐れ表現がはいります。
苦手な方はご注意下さい。
食いしばってる歯をこじ開けようと、ヒビキが手を伸ばすよりも早く。
猫耳の少女が両手の人差し指を口の両端からこじ入れた。
「――ッ!」
噛み千切らんばかりにギリギリと締めつめられる痛みに、顔を歪めながらも懇願してくる。
「お願いします。今の内に飲ませて下さい」
短く頷いたヒビキが、こじ開けられた前歯の隙間から『世界樹のしずく』を垂らす。
あわい金色の光が発生し、腐り落ちていた皮膚と、全身に負っていた全ての傷が、瞬く間に癒された。
男性の顔から力みが消え、呼吸も落ち着きを取り戻す。
じきに意識も戻るだろう。
「お兄ちゃん……。よかった……」
ボロボロと大粒の涙を流しながら、男性の口から指を抜いた猫耳の少女が、再び土下座する。
「ありがとうございました。これで思い残す事はありませン。どンなお咎めも受けます」
「ミアちゃん、何したの?!」
男性のそばにいたもう一人の少女が叫ぶ。
ミアちゃんと呼ばれた――私を攫った――猫耳の少女と、同じ顔立ちをしたその少女の頭にも、トラ縞の耳がピンと立っていた。
ミアちゃんは、肩上まであるオレンジ色のふわふわとした髪の上に、茶虎の縞模様の耳と尻尾。
もう一人の子は、おかっぱストレートの白銀の髪の上に、白と鼠色の縞模様の耳と尻尾。
どこかカイ君に似た雰囲気の活発そうなミアちゃんに比べて、こちらの子は世話好きで真面目そうな印象を受ける。
毛並みは違うけど、双子かな?
くりくりとした二重、少し低めの鼻。
つんと上を向いたさくらんぼ色の唇が、二人とも大層可愛らしい。
「この方の仲間を攫った……」
「このおバカ! 早まった行動はするなっていつも――ッ!」
捲し立てながら立ち上がった少女が、立ちくらみを起こしてその場に崩れ落ちる。
「ソラちゃん!」
慌てて駆け寄るミアちゃん。
「このパーティ、全員ボロボロすぎ。一体どんな無茶してきたのよ……」
ピーちゃんが、呆れたようにつぶやいた。
◆
ポール爺さんに作ってもらったテントを張り、角鯨の胃袋で作られたエアベッドの上に”お兄ちゃん”を寝かせている。
猫耳娘二人組にも、”お兄ちゃん”が起きたら知らせるからと、一緒にテントで寝るように伝えた。
渋っていた猫耳娘達に、”妖精のキノコ・王様の粉スペシャル”を食べさせたら、張っていた気が緩んだのだろう。
あっという間に眠りに落ちていた。
……相当疲労が溜まってたんだろうな……。
手を握り合って眠っている猫耳娘達を見ていると、先ほどまでの怒りは、もぅ湧き出て来ない。
どんな理由があっても、許されない事をされたのは判っているけど……。
「男の人、なかなか起きないね」
眠っている3人をぼんやり眺めていたヒビキが云った。
「それだけ無理してたって事じゃない? この時期に、人間があそこまで腐るなんてありえないもの」
「この時期?」
「あー……。まだこれは説明した事なかったわね」
「ん?」
「魔力が強い生き物は、普段から”無意識の浄化”をしてるのね」
「うん」
「魔素が濃くなってくると、その分の魔素が体内に残っちゃう事も話したわよね」
「残った魔素を、無理やり浄化させて、身長が縮んだって言ってたやつだよね?」
「そー、それそれ。でも、人間とワタシ達みたいな生き物では、魔力の質とか強さが全然違うからさ」
「うん」
「魔力の強い人間は、過剰に取り込んでしまった魔素を、無理やり排出する事はできないのよ」
「えっ」
「ただし、その分魔素に侵される進行も緩やかなのよ」
「どんなふうに進行するの?」
「最初は動悸。次に手足の震えかな。15年ぐらいでベッドから起き上がれなくなるらしいけど、ここまでの段階なら、”妖精のキノコ・王様の粉スペシャル”で治せるらしいわ。その後は、だんだん内臓から侵されて、皮膚表面に出てくるみたい」
「じゃぁ、この人って……」
「とんでもなく無理をしてたって事かな。と言っても、2番目の『勇者』の時代の情報だからね」
「とんでもなくって、たとえば?」
「んー……。特別魔素の濃い場所……。たとえば、何年間もダンジョンに籠りっ放し、ぐらいの無茶はしてないと、今の時期の人間がここまで侵されてる筈ないのよ」
「3番目の『勇者』の時代の情報は無いの?」
「……3番目の『勇者』様は、『印の星』が出た5年後には竜王を倒してくれたから、女王様達も左腕1本程度ですんだって言ってたわ」
「二人で浄化して5年で左腕……。今回女王様1人で8年……って事は」
「うん。……だいぶ、ね。危なかったわよ」
「ちなみに、2番目の『勇者』はどのくらいの期間かかったの?」
「……20年だそうよ」
諸国巡って贅沢三昧しつつ、のらりくらりと旅をして。
人間の体が目に見えて腐り始めてから、慌てて竜王を倒しに行った、ってところかな。
ほんと最低。『勇者様』なのに、てんで人気が無いのもうなずけるわ。
……ん?
沢山の足音が聞こえる。
「なんか沢山の人がこっちに向かってくるよ」
「え、ホント? ヒビキ、沢山の人がこっちに来るって」
「え」
急いでテントを出る。
キプロスの町の方向から、沢山の人影がこちらに向かっているようだ。
遠目にも、武装している事がわかる。
「『動物使い』様ー! ご無事ですかー!」
人影の先頭に居るのは領主様のようだ。
「うわ。やばい。だいぶ派手に飛んだし、町の近くで爆炎あげちゃったからだよね」
「オカンが攫われるのも、かなりの人に見られてたわよ」
「窃盗ってどんな罪になる?」
「捕まった翌日には……」
ピーちゃんが、立てた親指を首に向けて、左から右へ動かした。
う、う、う、打首ーー?!




