50.お母さんのシチュー
「『動物使い』様! タロー! 待ってたよ~」
宿屋『妖精の森』のドアを開けると、料理を運んでいたハナコさんが、すぐに気づいて声を掛けてくれた。
お客さんのテーブルにお料理を置くと、すぐにそばまで来てくれて、受付らしきカウンターに案内してくれる。
「宿帳に、『動物使い』様って書いちゃってたから、来てくれなかったらどうしようと思ってたの」
ヒビキが返事していた言葉は、やはり届いてなかったようだ。
最初の予定通り、今日中に次の街へ旅立ってたら、怒られたんだろうなぁ。……タローさんが。
「もう、お部屋の用意できてるから。2階の一番奥のお部屋よ。タロー、案内してくれる?」
「まかせとけー」
ハナコさんから部屋の鍵を受け取ったタローさんが、2階に案内してくれる。
木でできている階段なのに、あまりギシギシと音を立てる事もなく、よく手入れされている事が窺えた。
階段を上がってすぐにある二部屋は、ハナコさん一家のお部屋だそうだ。
一家の部屋を3部屋を通りすぎて突き当りにあるのが、今回ハナコさんが準備してくれていた部屋になる。
部屋の中は、2方向にある窓を開けて換気されていて、あまり使われる事がない客室らしいのに、まったくカビやほこりの臭さもない。
干したての乾草を入れてくれたらしきベッドは、こんもりと盛り上がっていて、良い香りもしている。
「ハナコさんてば、とっておきのポプリを仕込んでくれてるみたいだね」
「素敵な”おもてなし”だね」
「だろ! ハナコさんは素晴らしい女性なんだ! こないだもさ、俺が――」
タローさんの、のろけ話が続いているが、ヒビキに任せてお部屋観察の続きをする。
入口から一番遠い部屋の隅にベッドがあって。
ベッドサイドテーブルの上には、持ち歩けるタイプのランプが置いてある。
あとは、丸テーブルと椅子が2脚。
縦型のクローゼットも付いていて、なかなか過ごしやすそうだ。
こんもりベッドの一番乗りは、きまぐれにゃんこの特権だよね!
ヒビキの肩からダイレクトにベッドにダイブして、ぼよんと跳ねた惰性のまま仰向きになり、背中からボフッとベッドに着地する。
ん? ベッドの真上の天井に、正方形の小さなドアのようなものが付いてる。……なんだろ?
「あのドア何ー?」
「タローさん、オカンが天井のドア何って言ってる~」
素敵ガイドのピーちゃんが、お願いしなくても通訳をしてくれた。
「あそこから、天井裏に行けるんだ。部屋と同じ鍵で開けられるから、貴重品を隠したり、ねずみ避けの罠を置いたりするのにも使うんだ」
「「へぇ~」」
飲食店の宿命みたいなもので、何も対策をしていないと、屋根裏や天井裏で害獣が走り回るらしい。
ネズミも苦手なんだよなぁ……。会わない事を祈ろう。
「オカン! 君に決めた!」とか言って、けし掛けられる気しかしないし。
ふざけたヒビキが、買ってきた毛布を私を巻き込みながらベッドの上に広げていると、ドアをノックする音がした。
「はい、どうぞー」
ドアを開けたのはハナコさんだった。
「『動物使い』様、夕食はどうしますか? 1階で食べます? それとも、お部屋に運びましょうか?」
「1階で頂きます」
「はーい! では、夕方の鐘が鳴ったら降りてきて下さいね」
「判りました」
「タローも食べてくでしょ?」
「うん!」
「楽しみにしててね!」
「うん」
心なしか、タローさんの笑顔が曇った気がする。
……気のせいかな?
「じゃ、『動物使い』様、タロー、また後でね!」
ハナコさんが出て行ったドアを、凝視していたタローさんが、「ヒビキ、ごめんな」と云った。
「どうしたの? 急に」
「いや、うーん。ハナコさんのあの様子だと、夕飯には”母さんのシチュー”が出てくると思うんだ」
「おぉ! タローのお母さんのシチューだよね? ハナコさんが”完璧にマスター”した、って言ってたやつでしょ? 楽しみだ!」
「うーん。それがなぁ……。 母さんのレシピを見つけたハナコさんが、作ってくれるようになったんだけど、その、うん。なんだろ。複雑な愛情の味? っていうのかな……」
「だんだん聞くの怖くなってきた。……つまり?」
「いや、他の料理はすごい美味いんだ。なのに、”母さんのレシピ”で作った”シチュー”だけ、なぜかやばい」
「バッカよねー。どうせ、初めて作ってもらった時に、『これじゃない』って言い出せなくて、そのまんまになっちゃたんでしょ?」
「ピーちゃん大正解……」
タローさん曰く”お母さんのシチュー”は、くず野菜を丁寧に下処理をして作られていたらしい。
ただ、レシピには下処理の方法までは細かく載ってなくて。
おおざっぱな所があるハナコさんは、その下処理の仕方がかなりアマイらしく、土の味がするシチューが出来あがるそうな。
さらに、香りづけに使っているハーブと、土臭さが混ざって、複雑な愛情の味を醸し出すらしい。
「……沢山、お腹すかせなきゃだね」
「そのへん走りに行こうか」
いいかも! と言ってケタケタ笑う男子2人組。
……気合いと根性で頑張れ。
「ワタシはキノコ食べてるわ」
ピーちゃんがさらっと酷い事を宣言した。
◆
「さー、やってまいりました! 楽しいご飯の時間でーす」
夕方の鐘の音を聞いたピーちゃんが、嬉しそうに宣言している。
男子2人組は、肩を抱き合いながら廊下を歩いて、1階の食堂へ向かう。
あの後、ハナコさんのご両親がかわるがわる挨拶に来ては、雑談という名のサボリをして行ったので、結局走り込みに行けていない。
食堂には、すでに仕事帰りの人たちがいて、そこそこ埋まっていた。
お酒を飲み始めている人もいて、がやがやと賑わっている。
無言で、空いていた席に座るヒビキとタローさん。
ここだけ空気が暗い。
私とピーちゃんは、ヒビキの膝の上でにやにやしながら見守っている。
動き回らなければ猫も同伴可能と許可がおりたので、お部屋で留守番にならずにすんだ。
野次馬ならぬ、野次猫です、ハイ。
「あっ。来た来た! タロー、久しぶりに作ったわよ”お母様のシチュー”」
ハナコさんが笑顔で云った瞬間、食堂内の賑わいがピタリと止まり、一斉に注目された。
お客さんたちは即座に視線を戻し、何事もなかったかのように雑談に戻っているが、不自然なまでにこちらを見ないようにしているのが判る。
ハナコさんの食堂で、”お母さんのシチュー”を食べるタローさんを初めて見た人は、大抵興味本位で『俺も食べる』と注文してしまうらしい。
なので、”お母さんのシチュー”の味は、この食堂に来る常連さん達は皆知っているそうな。
「はーい! お待ちどうさま! 沢山食べてね」
「「アリガトウ」」
お礼を云う二人の視線が、宙を泳いでいる事に気が付かないハナコさん。
ニコリと笑うと、他のお客さんに呼ばれて注文を取りに行った。
恐る恐る口に入れたヒビキ。
「……どうしようタローさん」
「ん?」
「喉が、呑み込むのを拒否してる」
「気合いで、頑張れ。ほんと、ゴメン」
ヒビキとタローさんが、”できるだけ味わわずに飲み込む”作業を繰り返していると。
「どう? タロー、久ぶりでしょ」
手が空いたらしきハナコさんが、空いている椅子を持ってきて、ヒビキ達のテーブルに座った。
「ぅん、美味しいよ。母さんの味だ」
「『動物使い』様は? どおかしら?」
「……う、その……。体によさそうな味だね」
「そっかー。喜んでもらえてよかった! まだ沢山あるから、おかわりしてね」
「えと、その、お昼! お昼食べた後に、ホットドック食べちゃったんです」
「そ、そーそー。 2本も食べちゃったから、あんまりお腹空いてないんだ。ハナコさんごめん」
しどろもどろになりながら、なんとかハナコさんを傷つけまいと、言葉を探す二人。
「そっかー。『妖精の専門店』の前のホットドック屋さんのかな? あれはお腹に溜まるもんねぇ」
なんとか断れたと安堵したタローさんに。
「んじゃ、タロー! 鍋ごと持って帰って良いよ。明日お鍋だけ返しにきてね」
ハナコさんの愛が炸裂する。
「アリガトウ。トテモウレシイヨ」
「結婚式のパーティにも、このシチュー出そうかなぁ」
「「「「「「それは辞めて!」」」」」」
ハナコさんの呟きに、お店にいた全てのお客さんがハモった。
◆
「まだ、口の中で土の味がしてる気がするー」
ハナコさんからお鍋を渡されたタローさんが、肩を落として帰って行くのを見送った後、部屋に戻ってきたヒビキが、乾草のベッドにうつ伏せになって唸っている。
ピーちゃんはベッドサイドのテーブルに、買ってもらったばかりの天蓋付のベッドを出して、優雅に寝ころびながら妖精のキノコを食べていた。
「オカン、ごめん、またお水ちょうだい」
むくりと起き上がったヒビキが、コップを差し出してくるので、夕食後3回目のお水を出していると。
【痛っっ!!】
悲鳴のような鳴き声を上げ、タタタと走り去る足音が聞こえた。
――天井裏から。
ネズミ出たあああぁぁぁあ!!
お読み頂きありがとうございます。
二つ目の目標の、10万字達成しました~!
これからも、少しでもほっこりして頂けるよう頑張りますので、よろしくお願い致します。




