29.そうだ猫道を究めよう
瞼が重い。
体がだるい。動かない。
生暖かい何かが、私の周りをぐるりと締め付けているようだ。
ため息をついてみる。
「にゃふ~」
子猫と成猫の中間あたり。
あどけなさの中に大人の知性を覗かせたような、「みゃ~」でも「ニャー」でもない高さの猫の声。
……良かった。私はまたここにいる。
動かない体に少しだけびくつきながら、重い瞼をこじ開ける。
目の前に『麻のシャツ』の胸元があった。
頭を上に向けると、見慣れたヒビキの寝顔。
よかった。そばにいられた。
どうやら私を抱きかかえたまま寝ているらしい。
眠っているヒビキの頬に、流れた涙の跡を見つけて、そっと撫でる。
「うぅ……ん」
少しずつ体をずらして、起こさないように、慎重に……そうっと抜け出す。
歩く度に少しだけ沈み込む感触は、高級ホテルのマットレスみたいだ。
ふかふかのマットレスなのに、寝てた覚えがないのは少しだけ残念だな。
天井と四面を遮光の布に覆われているらしく、ほぼ真っ暗な中をそろりそろりと移動して、マットレスの際まで行く。
遮光の布の裾から外側へ抜け出して、昨夜見た金草と、咲き乱れる花々とを確認してほっとする。
ランタンハウスの光は今は消えている。小さい妖精たちはまだ眠っているらしい。
王様の背に揺られて抜けてきた森の、さらに遥か彼方には、明けそめの陽の光が差しこみ始めていて。
菩提樹の葉に集まる朝露が、キラキラと反射している光を見つめながら、昨夜の事を思い返して……。
自分がどうしようもなく生まれ変わったのだと理解する。
そして、温情として与えられた前世の記憶は、誰に伝える事も許されない。
やってやろうではないか。
絶対にヒビキに気付かれるような失態は犯すまい。
愛玩動物として、癒しを振りまいてみせよう。
女は女優っていうもの。
母ちゃん、完璧な猫になってみせるわ!
んーと、まずは、仕草だな。
うん、猫的朝の仕草といえば、顔洗いでしょう。
右手の甲をぺろぺろと舐め……うぇ、毛が口に入った。ぐあ。ぺっぺっ。
んで、この手で顔をくしくし……するの?! え?ばっちいよね?
「起きたのですね」
私が早くも新たな決意に挫折しそうになっていると、背後から女王様の声がした。
「女王様、おはようございます」
「……よかった。貴方の言葉が判るわ」
「ご心配をおかけしました」
「ふふふ。大丈夫」
ゆっくりと私を抱き上げてくれた女王様が、昨夜私が意識を失った後の出来事を教えてくれた。
ボロボロと涙をこぼしながら、何かを必死に訴えていた私が、突然意識を失った後。
取り乱したヒビキが『世界樹のしずく』を瓶ごと飲まそうとしたので、慌てて止めた事。
「意識はありませんでしたが、生命活動に異常は感じなかったので、大丈夫だと判断しました」
とりあえず朝まで様子見をしよう、ヒビキにも一旦寝るように伝えたけれど、一晩中起きて私の様子を見ていそうだと思った事。
「貴方が……。オカンが何かを伝えたがっていたのは判りましたからね。”カランコエ”と”スイカズラ”の花の蜜を、菩提樹の朝露に溶かしたものを、ヒビキに飲ませました」
私の背中を優しく撫でながら、女王様が続ける。
「飲むと、そばで眠っている者が伝えたいと強く願った想いを、夢の中で伝える事ができます」
「ありがとうございます」
「気にする事は無いわ。オカンは、私を助けてくれたヒビキの従魔ですか--」
「オカン! どこ!?」
慌てたように飛び起きて来たヒビキの声に、女王様の話が途切れる。
「--……良く眠れたようですね、ヒビキ」
「はい! すごく良い夢を見ました」
「そう。それは良かったこと」
「はい! 夢の中で--」
どんな夢を見たのか話そうとしていたヒビキが、「え?」と呟いて足元を凝視する。
地平線のはるか彼方……完全に顔を出した太陽の最後の一刺しが妖精の国を照らした瞬間。
ヒビキの足元に出現した妖精キノコが、瞬く間に辺り一面に増えていく。
金色の芝生の上だけではなく、菩提樹の幹、枝も葉も、樹の根元から池のほとりに至るまで。
まさに辺り一面を覆う、見た目はマッシュルームな妖精キノコのせいで、一瞬で雪が積もったかのようにも見える。
「あらあら。これはすごいわね。あの子達、だいぶ長く歌っていたものねぇ」
フェアリーリング--妖精が歌い踊った翌朝に、サークル状にキノコが生える--と云う……アレかぁ……。
サークル状どころか辺り一面、見える範囲のすべてを覆ってるけどね!
まさに足の踏み場もない状態。白いブツブツが密集して生えてるのは、ちょっと気持ち悪い。
しっかし、異世界来てから、元いた世界で知ったファンタジー知識と被る部分が多くて、ほっとするような、腑に落ちないような……。
こちらに駆け寄ろうと、大きく歩幅を取っていたヒビキ。
中途半端に上げていた後ろの足元にも、密集している妖精キノコ。
かなり不安定な体勢のヒビキ。
押すなよ~、押すなよ~にしか見えなくて、下が食べ物じゃなかったら絶対押しに行ってたのに。
懸命にバランスを取って、あわあわしているヒビキの姿に、くすくすと笑う女王様。
「ヒビキ、空間収納を出して?」
今にもドサッと転びそうなヒビキが、ぷるぷるしながら空間収納を出したのを確認して、右腕を左から右へ、大きく水平に動かす。
一面を覆っていた妖精キノコがふわりと浮かび上がり、一直線にヒビキの空間収納に飛び込んで行った。
「うふふ。これでいつでも食べ放題ができるわよ」




