158.願い事
ちゃぶ台セットや畳まれた洋服。
キプロスの町で買い込んだ食料品などが乱雑に浮かぶ、真っ白な空間収納の真ん中で。
ぺっかりと頭頂部を光らせて佇んでいた神様が、柔和な笑顔でふわりふわりと滑りながら近付いてくる。
「神様!! その節は、息子を救って下さって、ありがとうございました。主人も大層お世話になったようで、ありがとうございました。ところで、なぜ晃音さんは戻ってきてないのですか? あと、なぜ私は猫なの! それから、なぜ私の言葉はピーちゃんと妖精女王以外には伝わらないのでしょうか!! そのうえ、どうして私が母親だと云っちゃだめなのですか?!」
矢継ぎ早に質問を投げかける私に驚いたのか、ふっさりとした白い眉毛の下の目を、ぱちくりさせている神様。
再会して早々に質問責めにするなんて、我ながら失礼だとは思うけれど。
知りたいことが多すぎて、どうにもとまらない。
「それから、この世界の話を聞いてから、ずっと思っていたのですけれど、『世界樹のしずく』は、もっと沢山の人に渡した方が良いと思います。 大勢に渡すのが難しいのなら、渡せる人には小瓶サイズなんていわず、一升瓶サイズでどかーんと渡せないのですか? そういえば、貴方はなぜヒビキの空間収納の中に居るのですか?」
一気にまくしたてて肩で息をする私の質問に、答えて貰いたい口はポカンと開いたままだ。
「神様? ちょっと、聞いてます?」
訝しみ始めた私の問いかけにも、あっけにとられて置物の様になっている神様が、答えてくれそうな気配はない。
活を入れた方が良いのかしらと思った矢先、近くに浮かんでいる『灼熱のフライパン』が視界に入り、思わず凝視してしまうと。
私の視線の先を追った神様が、びくっと肩を上げた。
「まて! まて。 熱したフライパン攻撃はやめい。 アレはかなり痛いのじゃぞ!」
本気で叩こうなんて思ってないのに、ちょっとフライパンを見てただけで、暴力魔みたいな扱いは酷いと思うの。
そりゃ、最初に会った時は、混乱してた上にヒビキに痴漢行為をしている風に見えたから、思わず持っていたフライパンで叩いてしまったけれど。
頭頂部を守るように押さえながら、数歩後ずさった神様が、わずかに聞き取れる声量で続ける。
「”運命のぶりかえし”で、土砂崩れが起きる事は判っておったのでの。ヒビキの代わりに、こちらから行く魂の持ち主は、予め見つけておったのじゃがな……」
異世界に渡らせるには、同じ重さの魂じゃないと駄目って事だったよね。
もしかしなくても、私をこちらに渡らせたのって、神様すごく大変だったのでは……と、今更ながらに冷や汗が流れる。
「私の代わりはどなたが……?」
恐る恐る尋ねた私に、ゆっくりと首を振った神様が、「おらぬよ」と云う。
「お前さんまでこちらの世界に来させる事は、”生命の理”から外れすぎておってな……。代わりの魂なんぞ、そうそう見つかるものでもないしの。元の姿のまま連れて来るのは、無理じゃった」
じっと私を見つめてきた神様が、ふんわりとほほ笑むと、「じゃから、色々と制約が付くのは、仕方なかろう」と、おどけた様に云って、肩をすくめる。
「そんな訳で、お前さんの体はワシが創ったんじゃが――ぶふっ」
突然、なにかを思い出したかのように噴き出す神様。
「ぶ、ふふ、まさか魔物に食材認定されるとはっ。ぶふふっ」
魔物たちは、より強くなる為に、”強い魔物”や”珍しい生き物”を食べるという。
この体が神様じきじきに創られたのなら、珍しいどころの騒ぎではないだろう。
出会い頭に食べられた事もあるし!
あれ以来、ヒビキの過保護も加速の一途だし!!
人魚の姫のエーレからなんて、すごく遠くからおいしい匂いがしてるとか言われてたらしいし!
色々知った今となっては、この世界に連れてきて頂いた事に感謝してるけれど、笑うなんて酷い!
「ご覧になっていたのですか……」
じっとりと目を細めた私に、慌てた様にしゃんとした顔になった神様が。
「そりゃの。ワシが連れてきた者たちの行く末は、見守っておるよ」
さも、できる神様のような顔をして胸を張った。
「それじゃあ、晃音さんが竜王を屠竜した後、どうなったかもご存じなのですよね? それから――」
食い気味に言葉をかぶせた私に、右の手の平を見せて制してくる。
そのまま、ゆっくりと四本の指を折ると、残った人差し指を軽く左右に振った。
「ひとつじゃ。ワシが創った体のせいで、何度も危険なメにあったお詫びも兼ねての。なにより、妖精の国のみならず、キプロスの町や、砂漠の王。海の王達を救ったお主たちの功績を認めて、ひとつだけ願いをかなえてやろう」
ひとつの願いを使って、沢山の願いをかなえて欲しいって言うのは――駄目なんだろうな……。
「願い事ひとつ使って、答えて頂ける質問も、ひとつだけですか?」
「そうじゃ」
小瓶サイズの『世界樹のしずく』にしてもそうだけど、神様ってこういうところ懐が狭いよねぇ。
ご褒美っていうなら、気前よく質問全部に答えてくれても良いのに……なんて思うのは強欲すぎるのかしら……。
「質問への返答以外でも良いぞ。お主が欲しておった、空を飛ぶ力が良いか? もしくは、魔物を一撃で屠る力でも――」
「ヒビキに、”私もこちらの世界に来られていて、元気で生活している”と伝えて下さい」
間髪入れずに答えた私に、再びぽかんと口を開けた神様が、しぱしぱと目を瞬かせた。
「無理ですか?」
「……可能じゃが、そんな事で良いのか?」
「はい」
晃音さんが元の世界に戻れていたとしても、私達が戻れる事はないだろうから、知れば余計に辛くなるかもしれない。
言葉だって、多少不自由だけど、ピーちゃんもいるのでなんとかやってこられた。
――私を元の姿にしてと願うのは、さすがに無理だろうし。
万が一かなったとしても、そうすると今度はヒビキの旅に同行できなくなるに決まっている。
心配性のヒビキのことだから、「母さんは、安全なこの家で待ってて」と、お留守番させられてる未来しか想像できない。
無理矢理ついて行っても、自力で空も飛べない、戦闘能力もたいしてない私では、役に立つどころか、足を引っ張るだけなのが、目に見えているもの。
それなら、ヒビキの憂いが少しでも晴れる方がいい。
「しかと、聞き遂げた」
コックリと頷いた私の頭を、優しくなでてきた神様の輪郭が、ぼんやりと崩れはじめた。
「……そろそろ時間切れのようじゃな。……達者での。お主たちの事はずっと見守っておるよ」
「またお会いできますか?」
「本来は、こうやって会いに来た事も”生命の理”からは外れておるのじゃよ」
どんどん霞んでまばゆい光に包まれていく神様の姿の、あまりの眩しさに目をつむってしまう。
「――じゃから、もう空間収納に飛び込むでないぞ? 生身の生き物が飛び込んだら、命を落とすからの」
「誘いこんだのは神様でしょう!」
おもわず悪態をついた私の耳に、くつくつと笑う神様の声が、優しく響いた。
やっと戻ってこられました。
メッセージで心配して下さった方。
突然止まった連載にも、見捨てずお待ち下さった方。本当にありがとうございます。
暗いお話はいったん区切りがつき、あと数話を挟んで巨人の国編に突入します。
ほっこり物語を目指して綴ってまいりますので、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。




