157.光る頭頂部
元居た世界の自宅と、まったく同じ外観に作りこまれた家。
森の中に建っていなければ、戻ってこられたのだと、あやうく勘違いしてしまう所だった。
私ですら勘違いしそうだったのだ。
ヒビキは大丈夫かと、慌てて見上げる。
ふらふらとドアをくぐったヒビキが、「母さん!」と叫んだかと思うと、駆けだした。
「ちょっと! ヒビキ、落ち着いて!」
一目散へ玄関へ向かうヒビキは、ピーちゃんの声にも気が付いていない様子。
「母さん! ただいま!」
勢いよく玄関ドアを開けたヒビキが、もどかしそうに靴を脱ぎ、リビングへと駆け込んで……硬直した。
晃音さんが居なくなった当時のまま再現されている家具は、テレビまであるけれど……。
あれから12年。日々の生活のなかで、配置を変えたモノもある。
なにより、飾っている写真の数が……違う。
「にゃぅ~……」
チュニックから身を乗り出して、頬をそっと撫でる私に気付くと、ぎゅっと抱きしめてきた。
「ヒビキ!」
「大丈夫か?!」
後を追ってきてくれたカイ君とピーちゃんの声に、振り向いたヒビキは、
「はは……。勘違いしちゃった……」
抱きしめた私で顔を隠すようにうつむくと、自嘲するように吐き出した。
小刻みに震えるヒビキの背中に、カイ君がそっと手を添えてくれている。
静寂ハカイダーのピーちゃんですら、ヒビキになんと声をかけてよいのか考えあぐねている様子だ。
精神安定剤的な効果もある妖精の王様の粉を、飲ませた方が良いのだろうけれど。
今の、一生懸命堪えているヒビキに『ちょっと空間収納開けて、粉だして』とお願いする事も、酷な気がする……。
情けない事に、私のお腹に顔をうずめているヒビキの頭を、なでる事しかできないでいると。
カイ君の頭に止まって、ヒビキの様子をじっと見つめていた鳥さんが、つぶらな瞳を閉じて何か考える様子を見せた後、ぴょんと飛び上がった。
【皆様、もう遅い時間ですし、お話は明日にして、ひとまずお休みになられては如何でしょうか!】
「そ、そうね! ひとまず寝ましょう!」
頭の上を旋回しながら提案してくれる鳥さんに、すぐさまピーちゃんが賛同する。
「だな! ヒビキ、歩けるか?」
「大丈夫だよ」
【客室も二階にあります! ご案内します~!】
見知った家の中を、鳥さんの後に続いて階段を登っていく。
二階には、廊下の両脇に二つずつ部屋があり、ドアの形まで忠実に再現されていた。
離れた自宅を偲んで作ってくれたのだろうけれど、元居た世界への郷愁にかられるこの家は、今のヒビキにはいささか酷が過ぎる……。
【お客様のお部屋はこちらですっ】
向かって右側に並ぶ部屋へ案内された二人は、ヒビキと一緒の部屋で寝ると申し出てくれたけれど、「大丈夫」と言い張るヒビキに根負けして、手前の客室へ一緒に入っていった。
【ヒビキ様のお部屋はこちらです!】
『ヒビキが大きくなったら、個室として与えようね』と話していた左側の手前の部屋のドアには、『ひびき』とひらがなで書かれた、飛行機の形をした木のプレートが、かけられていた。
「さすがに、中は違うか……」
そっとドアを開けたヒビキが呟いている。
ヒビキに使っていたベビーベッドが置いてあったら、どうしようと不安だったけれど、さすがにそんな事はなく。
ベッドや勉強机、本棚にローテーブルといった家具が、思春期の男の子が好みそうな、深い青色で統一されて、設置されていた。
◆
三番目の勇者として晃音さんが居たのは、500年ほど前になる。
ってことは、この家も相当前から無人の筈。
なのに、チリ一つ積もる事なく綺麗に保たれていた。
さっきの鳥さんがお掃除してくれてたのかしら。
それとも、自動でお掃除してくれる魔法の道具があるのかしら。
便利だなぁ……なんて思いながら部屋の中を見回していると。
私をベッドの上に降ろして、隣に腰かけていたヒビキが、ふいに仰向けに寝転がった。
「な~ぅ?」
仰向けになったヒビキのおでこを、肉球でなでながら話しかける。
「ふふ。オカン、慰めてくれてるの?」
「にゃぅ」
神様に喧嘩を売ってまで無理やりついてきたのに、こんな時に撫でる事しか出来なくて……ごめんね。
少しでも元気がでますようにと祈りながら、おでこをなでていると。
「あの後、土砂崩れが起きたのだとしたら……母さんはどうなったんだろう」
ぽつりと呟いたヒビキの言葉に、思わず手が止まってしまう。
「父さんが神様と約束してくれたから、俺がここに来れたんだから、きっと無事なんだろうとは思うけど……。母さん……大丈夫かな……」
「にゃ、にゃぅ~にゃ」
母ちゃん、元気だよ。大丈夫なのよ。
伝わらないのは解っているけれど、話しかけずにはいられない。
再びおでこを撫で始めた私に、ころりと向き直ったヒビキが、そっとしっぽを握ってきた。
「……父さんが……俺の代わりに来る事を選択してなかったら、どうなってたのかな……」
「俺のせいで――あいたっ!!」
静電気をほっぺたに当てられたヒビキが、ビックリ眼で私を凝視している。
「にゃ~う、にゃうな! うな!」
ちょっと、ここ座んなさい!
ベッドをぼふぼふと叩くと、なんとなく気づいてくれたヒビキが、私の正面で正座してくれた。
「にゃんにゃ? にゃうな~にゃ? にゃうにゃが!!」
弱音を吐きたくなる気持ちは、わかる。
おいてきた母親を心配してくれる気持ちもわかる。
だけどっ。
親が子供を助けられる術があると知っていて、それを放置する選択肢なんてないわよっ。
「にゃうにゃん、にゃにゃうにゃな。んな?! んが?」
ちょっと、ヒビキ、聞いてるの?
うつむいて、肩を震わせたヒビキが、ぶはっ! と噴き出すと、けたけたと笑い始めた。
「オカン、怒り方が母さんそっくりだっ」
ひとしきり笑い転げたヒビキが、ふ~っと息を吐くと。
「ありがとう、オカン。なんとなくだけど、弱気になるなって云ってくれてたんだよね?」
「……にゃぅ」
ちょーっと違うけれど……。大まかには合ってるので、こくりと頷く。
あ、そうだ。ヒビキ、ちょっと空間収納あけて。王様の粉だして飲みなさい。
右手でくるりと円をかき、なかから取り出し、出したものを上下にふる動作をして見せる。
「ん? 王様の粉だせって事?」
「にゃう、にゃう」
大・正・解!
両手をポフポフと叩いて正解をお伝えする。
ふむ。ジェスチャーでもなかなか意思の疎通ってできるものなのね。……大変だけど。
「確かに、俺今普通じゃなくなってるもんな……。飲んどけって事だよね?」
「にゃう、にゃう」
「わかった」
ヒビキが空間収納を開けて王様の粉を取り出し、同じく取り出したコップに、オレンジジュースを注いている間。
開いたままになっていた、空間のゆがみがふと気になってちらりと見ると。
空間収納の向こう側。
私達をこの世界に誘った神様の姿が。一瞬だけ見えた。
忘れもしない、あの光る頭頂部!
「うわっ! オカン?」
思わず飛び込んだ空間収納の中。
「お久しぶりじゃのう~。お前さんなら、来るかな~と思っておったが。まさか本当に飛びこんでくるとはのぅ」
長い白髪の、頭頂部のみを光らせた老人――神様が、立っていた。




