151.お姉ちゃん妖精との再会
「……父さん……?」
赤子を抱き、嬉しそうに頬をほころばせている銅像を見ながら、ヒビキがぽつりと呟く。
「え? ヒビキのお父様?」
色んな記念日の写真と一緒に、リビングの壁に飾ってあった、”『パパ』と言って貰えた記念日”の写真と……同じ笑顔、同じ立ち姿。
『ぷわぱ』とか『ぱぁ~』ではなく、『パパ』と初めて呼ばれて、大騒ぎしながら――いつでも撮れるようにと出しっぱなしにしていた――カメラを手渡されたっけ。
晃音さんの頬に触れる、ヒビキの小さな手のひらまで、細かく再現されていて、あの日のお祭り騒ぎが鮮明に蘇り、視界が滲む。
「……ぅん……。リビングに飾ってあった写真と、同じなんだ……」
呆然と返事したヒビキが、わなわなと震えだした唇を、右腕で覆った途端。
――制御を失った絨毯が、一気に落下した。
「おバカ!」
「ンわっ!」
素早く立ち上がったカイ君が、ヒビキを抱きかかえるようにして着地してくれたので、地面へ直撃する事はまぬがれたけれど。
カイ君の腕の中のヒビキの様子がおかしい。
「ヒビキ? 大丈夫か?」
カイ君の問いかけに答える事もなく、焦点の合わない瞳で、銅像を見上げている。
「ヒビキ? 降ろすぞ? 立てるか?」
色を失った瞳で、力なく頷いたヒビキをそっと立たせると、ぐしゃりと地面に広がる絨毯を、手早く巻き始めてくれた。
「にゃ~ぅ?」
チュニックから腕を伸ばして、頬にぽふりと当てたけれど、ヒビキの視線は晃音さんの銅像を見上げたままだ。
「まさかヒビキのお父様まで、こっちに来てたとはねぇ」
ちゃっかり絨毯墜落から避難していたピーちゃんが、焦点の定まらないヒビキの目の前で、腕を上下に振りながら話しかけるけれど。
「完全に呆けてるわね。……まぁ……びっくりもするかぁ……」
困り顔で私を見てきたピーちゃんの背後から、大粒の水滴がぽたぽたと落ちてきた。
「父さん……。俺にがっかりして出て行ったんじゃ……なかっ……。……よかっ……」
――父さんが出て行ったのも、俺がちっとも似てないからだろう、って――
幼い頃に聞かされた、隣の家のおばさんの心無い言葉が、ずっと楔となっていたのだろう。
しゃくりあげながら、吐露するヒビキ。
密かに悩んで居た事に……気づけなかった自分にも……腹が立つ。
スッと伸びた鼻筋とか、耳の形とか、爪の形とか、晃音さんそっくりなのに。
言葉に出して伝えてあげたいのに、それをすると……私はこの猫の体からはじき出されてしまう。
涙を流すヒビキの頬を、ただ撫でる事しかできない無力さに、打ちのめされそうになっていると。
「やっホ~! お待たセ!」
待ち合わせをしていたお姉ちゃん妖精が、手を振りながら飛んできた。
◆
ヒビキの肩に止まったお姉ちゃん妖精は、元気な掛け声とは裏腹に、ぜぇはぁと荒い息を整えている。
「大丈夫かぁ~?」
「大……じょうぶゥ……」
カイ君の問いかけに、まったく大丈夫じゃない声で返事をした後、肩の上でべしゃりと腹ばいになってしまった。
「久しぶりに長距離飛んだから……疲れただケ……」
「どこから飛ンで来たんだ?」
「ま……街の中央……の、館ァ……」
妖精の飛距離ってそんなに短いのかと思いかけたが、お姉ちゃん妖精のしなびれた様子からして、そうとう体力が落ちているのだろう。
ピーちゃんよりも、五センチはゆうに低い身長は、十センチにも満たない。
オレンジ色のストレートの髪は、艶もなく、ぱさぱさと広がっていて。
背中の羽に至っては、今にもボロボロと風化しそうなほどに劣化している。
「なにやってるのよ! そんなに魔素に侵されてるのに、なんで結界張って眠らないの?! いつも一緒にいたお姉ちゃん達は何してるの?」
体に溜まった魔素を、魔力を使って強制的にかき出すと、その弊害で身長が縮んでしまう筈だ。
一体どのくらいの年月、魔素にさらされて生活していたのだろう……。
「……下の子が捕まったのヨ……」
「誰に?!」
荒い息を吐きながら答えるお姉ちゃん妖精の姿に、涙がひっこんだらしいヒビキが、眉根を寄せて尋ねると。
「ニセ勇者ァ~……」
憎々し気に、めいっぱいの皺を顔の真ん中に寄せながら云った。
◆
ニセ勇者のカインは、十五歳になった夜、神様から職業を授けられる時に、『勇者の職業が欲しい』と懇願したらしい。
……当然、そんな願いを受け入れて貰える筈もなく。
土属性の魔法しか使えないニセ勇者は、それならば、ほかの魔力も使える職業にしてくれと願ったら、『妖精使い』の職業を与えられたのだと云う。
『名付け』だけで従属させられるヒビキの『生き物使い』と違って、他の『~使い』の職業って、確か弱らせてから使役スキルを発動させるんだったっけ。
「『各属性の妖精の粉を集めて、全ての魔法を使えるようになれば良い』って納得したみたいなんだけどネ……」
やっと呼吸が整ってきたお姉ちゃん妖精が、早口で説明を続けてくれる。
「『印の星』が出るまでの間に、火と水の粉だけは貰えたらしいんだけどサ」
ため息を吐いたお姉ちゃん妖精と、目が合ったピーちゃんも、ふーっと長い息を吐き。
「「あんな奴に適応する訳ないよねえええええ」」
二人同時に叫んだ。
「えっ。どういうこと?」
「私達が粉を振りかける時にはね。相手に好意を持ってないと、絶対適応しないのよ」
あぁ! だから、初対面のお姉ちゃん妖精から粉を貰った時に、アベルさんへ脱ぐように指示してたのか!!
単に、お姉ちゃん妖精の性癖に合わせただけかと思っていたけれど、ちゃんと理由があったのねと、今更ながら感心した。
いや、脱いで好感度があがる妖精って、それはそれでどぅなのよと、思わなくもないけれど。
「ま、好意まみれで振りかけても、適応しない時もあるけどネ~」
好意を持ってふりかけて貰った妖精の粉でも、受け取る側の魔力の量とか、その時のメンタルとか、体力とか、色々な要素で適応しない事もあるらしい。
ヒビキの肩の上で、片腕を枕にしてくつろぎ始めたお姉ちゃん妖精が、心底呆れたように呟いた。
「網で捕まえられて、魔法で痛めつけられて、無理やり使役されて。……好意もつ妖精なんていないわヨ」




