148.カイ君のターン
「最初の壁はね。一人じゃ絶対無理よ」
意地悪く顔を歪めたお嬢様が、ふふんと鼻をならしたので。
「なぜ?」
ヒビキの肩に移動したピーちゃんが、足を組み、イラついた声を隠そうともせずに、聞き返した。
「お前、バカなの? 最初の壁は五メートル。跳躍を得意とするウサギのコボルト族ですら、四メートルの壁が限界なのよ」
「エーソウナノー? ドウシヨー」
わざとらしく両の拳を顎に当てて、慌てた風を装うピーちゃん。
……演技下手すぎ。
ヒビキも笑いを堪えているらしく、頬がもにゅもにゅと動いている。
「猫の名前、なににしようかしら。うふふふふ。楽しみだわ」
勝利を確信しているお嬢様が、にんまりと笑ったのと同時に、カイ君のチャレンジ開始を知らせる太鼓の音が鳴りだした。
タン! タン!
開幕の音と共に、その場で軽く跳躍したカイ君に――
「カイー! 全力で行くのよー!」
――ピーちゃんの檄が飛ぶ。
一瞬だけこちらを見たカイ君は、ニッカリと元気な笑みを返して……。
びよーんと飛び上がった。
五メートルある壁よりも高く飛び上がって、華麗に着地。
「なっ!! なっ……!!」
お嬢様の瞳が、これでもかと見開かれ、カイ君を凝視している。
「キャ~!! カイ、スゴイ~!」
観客から一斉にあがった、どよめきと声援に混ざって、ピーちゃんの棒読む声が響く。
滑り台の端でジャンプし、ロープネットに飛び移ると、するすると移動して、反対側へと着地した。
””すごい! すごい! ゼッケン六十番! たった一人で壁を越えました~!!””
鳴りやまぬ拍手の中、横倒しで浮かぶ丸太も、太鼓のリズムに合わせて難なく移動していく。
丸太の重心部分に、うまくつま先を乗せているらしく、まったく回転する様子もない。
余裕でクリアできると豪語していただけあって、危なげなく進んでいくカイ君を見ながら、お嬢様が、眉根を寄せて、ギリギリと歯を食いしばっている。
歯ぎしりする音が、ここまで聞こえてきそうだ。
ピーちゃんが、悔しがるお嬢様の様子を、すっごく楽しそうに眺めている。
徐々に高くなっていく丸太の階段も、片足で着地しては次の丸太へと飛び移ってゆくカイ君。
着地した瞬間、五十センチほど沈む丸太にも、まったくバランスを崩されていない。
「すごい! すごい! カイー! がんばれ~!」
キラキラした瞳で、心底嬉しそうにヒビキが叫ぶ。
丸太階段の最上段に着地すると、すぐさま真上にジャンプして、天井からぶら下がるロープにつかまった。
直後に、足元の丸太が水面へと消える。
””とんでもない猛者が現れました~! 消える丸太が! 今まで、数多のチャレンジャーが涙を飲んだ消える丸太が! 始めて攻略されました~!””
沸き上がる歓声。
かっこいいー! なんて、黄色い悲鳴まで上がり始めている。
いつも柔らかい笑顔のカイ君が、少し真剣な顔つきをして、仕掛けが作動するよりも素早く動くのは、確かにすっごい格好いい!
カイ君が掴んだロープは、二メートルほどの間隔で五本、垂らされている。
両足を前後に大きくしならせて、ロープに振り子の反動をつけると、ターザンのように次のロープへと移ってゆく。
「そんな! 嘘よ! こんな事っ!!」
お嬢様が、青ざめた顔でぶるぶると震えながら、カイ君を見つめている。
最後のロープを腕の力だけでガシガシと登り、二階に居る私達よりもさらに上まで辿り着くと、畳一畳ほどの台座に降り立った。
台座の上には、小さめの盾が用意されている。
「これ、何に使うンだ~?」
盾を持ちながら問いかけたカイ君に、実況席からの解説が入る。
””次の台座に行くまでの間に、落石がありま~す! その盾を使って防いで下さ~い! では、落石スタート!””
アナウンスのお兄さんの声を合図に、いつの間にか四階に待機していたスタッフの方達が、大玉をほうり投げた始めた。
『賭博の街』の入り口で見たのと同じ大玉のようだ。
本物の岩ではないので、当たっても怪我はしないだろうけれど……。
カイ君が今いる台座から、次の台座までは、ピンと張られた一本のロープがあるだけだ。
綱渡りって、それだけで難易度高いと思うの。
渡っている間に、大玉が当たったら、ひとたまりもないよね?!
ぼちゃーん、どぼーんと、大きな水しぶきを上げて落下する大玉群を見ながら、一抹の不安がよぎる。
まさか、最後にあんな極悪な仕掛けが来ると思わなかったよ……。
大玉がプールに落下する水しぶきは、観客も飲み込んで、その度に笑いと悲鳴が沸き上がっている。
ロープに片足を乗せたカイ君が、しなり具合を確認するように、数回踏み込むと。
うんうんと頷きながら、盾をもとの場所に戻してしまった。
「ちょっと! カイ! それは持っていきなさーい!」
慌てたピーちゃんが声を上げる。
「だーいじょーぶだって!」
ひらひらとこちらへ手を振ったカイ君が、ひっきりなしに大玉が降ってくるロープに足をかけて――
――いっきに駆け抜けた!
おおおおおお!!!
沸き上がる歓声と大きな拍手。
まったく速度を緩める事なく、二十メートルはありそうなロープを渡り切ったカイ君が、ゴールの台座にたどり着いた。
””すごい! 攻略です!! 実に二年ぶり! おめでとうございます””
「やったぞーーー!!!」
カイ君が両手を挙げて、私達に向かって振っている。
すごい! やった! と喜びながら、手を振り返す、ヒビキとピーちゃんの向こう側で。
への字に口を結んだお嬢様が、真っ赤な顔でカイ君を睨んでいた。




