135.カイ君の進化
ドボーン!
カイ君が、派手な水音と共に落下した音がした。
目を瞑っていたからか……降ってくるカイ君を受け止めようとしてたからなのか……ヒビキの結界は発動していない。
ばしゃーっとかかる水しぶきに、今日は水難の相でも出てたんじゃないかしらと思いつつ。
そっと目を開けると、ヒビキが苦笑いで私を見ていた。
「結局、またぬれちゃったね」
「にゃ~う」
カイ君から発せられた光が、水面をボウッと瞬かせている。
すり鉢状に垂れ下がる天井の、一際高い所から飛び込んだのだ。
マンションの五階ぐらいはゆうにある。
どこか痛めたりしてないと良いけど……。
心配しながら見つめていると、程なくして光が治まり、ポコポコとした気泡と共に、ザバっと勢いよく顔を出してくれた……けど。
え……?……か、カイ君だよね?!
褐色の肌に、やんちゃそうな太い眉。大きな口から見える歯は、ギザギザと尖った物ではなくなっている。
白銀の髪と、頭頂部にある毛皮のついた耳や、くりくりとした瞳は、変わってないけれど……。
「カイ?」
驚きつつ尋ねたヒビキに、満面の笑顔で返してくる。
「受け止められなくてごめんね。怪我してない?」
「大丈夫ー!!」
戸惑いながら差し出したヒビキの手を、人と同じソレになったカイ君の手が握り返した。
「毛が無いって不思議な感じだな~!」
ヒビキと繋いでいない方の右手を、握ったり開いたりして、自分の体に起きた変化を確認している様子。
獣よりだった骨格も、人と同じになっているようだ。
ヒビキよりも頭一つ分ほど低かった身長も、背筋が伸びたからなのか、並んで大差なくなっている。
こんなにも変わってしまうと、適応するまでしばらく不自由するんじゃないかな……と心配になる。
あ、でも、エーレもゾウの上半身から人に変わった後も、すぐに適応していたみたいだし、大丈夫なの……かな?
あれこれと心配している間に、ピーちゃんがあんぐりと口を開けて待つ、ゲル状のマットが乗った貝ベッドに戻ってきた。
ヒビキの手を離して、陸地部分に降り立ったカイ君が、『吸着のブーツ』を脱ぐ。
数回足踏みをした後、真上にジャンプした。
「すっげぇ!」
びよーん、びよんと繰り返し飛び上がる跳躍力は、むっちゃんのソレを大幅にしのいでいる。
何度目かの跳躍の後、満足したのか戻ってきて。
「すげぇぞ、ヒビキ。俺、むっちゃんより跳べるようになってる!!」
濡れそぼったままの尻尾を、ぶんぶん振りながら報告してくれた。
「ちょっと! カイ! 濡れた尻尾を振り回さないで! こっちまで飛んでくるじゃない!」
「いしししし。怒られちゃった!」
望みが叶って、なにを言われても嬉しい様子。
「むっちゃんより跳べるようになりたかったの?」
「おう! 『吸着のブーツ』がないと、女の子に負けるなんて、男の股間に関わるかンな!」
カイさんや、それを言うなら、沽券だ。
どうやら一番の願いであった、『賢くなる』は……。
「いししし。俺、賢くなったかな~?」
難しい言葉をさらっと言えた! と、言わんばかりに胸を張るカイ君。
苦笑いを返した後、カイ君からそっと視線をそらして、私の毛皮乾燥の続きをするヒビキ。
「おバカ! それを言うなら沽券よ、こ、け、ん!」
「コケンってなンだ?」
「……賢く……は、なってないみたいね……」
きょとんとしているカイ君に向かって、ピーちゃんが額に手を当てて呟いた。
「え~。そうか? 賢くなってると思うンだけど……ぶへっきし!!」
盛大なくしゃみをするカイ君に、ヒビキが空間収納から出して準備していた着替えを渡す。
「カイ、濡れたままだと風邪ひくよ。そろそろ着替えた方がいいよ」
「うン!」
濡れた服を脱ぐカイ君が、「うううう、寒い~~」と繰り返しブツブツ言っている。
毛皮で覆われていた皮膚が、直に空気に触れるようになったんだもんねぇ。
そりゃ寒かろう……。
「カイ、もう一枚着とく?」
「…………ン~~。ン? ンン?」
曖昧な返事をしたカイ君が、両手を握りしめて踏ん張り始めた。
「ン~~! ンン、ン~!!」
踏ん張るカイ君の手足から、ざわざわと深い青色の毛が生えてゆく。
肩から首、顔面へと毛が生えるのに伴って、マズル――鼻先――部分がせり出して、見慣れたカイ君の姿になった。
「「変身……した……」」
「いしししし! もう寒くない~」
豆鉄砲を食らったような顔をしている二人に、ウキウキとした様子のカイ君が続ける。
「俺さ、俺さ。『賭博の町』で行ってみたい所があるンだ!」
驚きの余韻を振り払うかのように、なんども目を瞬かせたピーちゃんが、「どこなの?」と聞いた。
「なンて名前だったかな~。あったかいお湯の、でっかいお風呂があってな? ”ぐるぐる流れて”たり、”滑り台”とかあるらしいンだ!」
「……もしかして、”温水プール”?」
「そう! ソレ! 俺、ずーっと行ってみたかったンだけど、『毛が生えてる奴は駄目だ』って入れて貰えなかったンだよ!」
抜け毛……嫌がる人はいそうだもんねぇ……。
「そっかぁ。じゃあ、一緒に行こうね」
にこりと笑って云うヒビキに向かって、何度も頭を上下に動かしながら、ちぎれんばかりに尻尾を振ったカイ君に、ピーちゃんの怒声が飛んだ。
「だぁから! 濡れた尻尾をふりまわすんじゃないっ!!」
◆
「ン、ンン~」のかけ声からの、獣型から人型への変身を見る事三回目。
「疲れた~」と云ったカイ君が、ばったりと倒れ込んだ。
「一日に何度も変身できないみたいだね」
ヒビキが、王様の粉を振りかけた妖精のキノコを、そっとカイ君の口に放り込む。
もぐもぐと咀嚼しながら、「そうだな~。四回ぐらいが限界かな?」と返事をするカイ君が、まどろみ始める。
そういえば、カイ君の名付け騒動で忘れかけてたけど、徹夜明けだった!
思い出したら、私もすごく眠たくなって来た……。
「そんな、ポコポコ変身しなきゃならない事も起きないだろうし、四回もできれば充分でしょ」
あ~ふ、と欠伸をしたピーちゃんが、面倒くさそうに云った後、ベッドに寝転んだ。
「俺も今ならすぐ寝られそう……。細かいことは起きてから話そう……」
そう云って、ヒビキが横たわろうとした矢先。
【まだお休みになっておられなかったのですか?!】
水面から顔を出したエーレが、驚いた声を掛けてから、私たちのいる貝ベッドへと泳ぎよる。
「えっ。もうお昼?!」
慌てて起き上がったヒビキが、ゲルな貝ベッドの端まで四つん這いで進んだ。
【ええ。お昼を少し過ぎた所です。今からお休みになられますか?】
「いいかな?」
【もちろんです! お急ぎで無ければ、もう一泊して下さい】
「ありがとう。助かるよ」
【先ほど、父様がコボルト族達の第二便を連れてきましたよ。今回は20名ほどでした。明日以降も順次連れてこられそうです】
「そうか! 王都の人達がすんなり手放してくれてよかったよ」
喜ぶヒビキに優しく微笑んだエーレが、ハンドボールほどの大きさの、球体を差し出した。
【お休み前に申し訳ないのですが、ヒビキ様、これを受け取って下さい】
「……これは、何?」
受け取ったヒビキの手の中にある球体を、肩越しに手を伸ばして触ってみると。
ゲルベッドと似た、むにむにしつつ……ヒンヤリとした感触。
……熱を出した時に、おでこに乗せたら気持ちよさそうだ。
【地図です。人魚族全員の魔力を練って作りました】
「そんなすごいモノを貰っていいの?」
【ええ! もちろんです! 詳しい使い方は、起きられてからお伝え致しますので、早くお休みになって下さい】
「ありがとう」
【その地図に水の魔力を通して下されば、ワタクシの水晶と通話ができます。お起きになったら、試してみて下さいね】
「ありがとう」
とぷん、と静かに水中に戻っていたエーレを見送ってから、「すごいモノ貰っちゃったなぁ……」と呟きながら横になったヒビキが、速攻で眠りに落ちた。




