133.名前を下さい
「ちょうどひと段落した所だよ。エーレはよく眠れた?」
【はい! すごく良く眠れました。ヒビキ様は、今からお休みになられますか?】
私たちが徹夜で作業をすると言ったので、久しぶりに女王様や人魚達と一緒に、地底湖で寝たのだという。
かなりよく眠れたらしく、溌剌とした笑顔で受け答えをしてくれる。
「良かった! 俺たちもそろそろ寝ようと思ってたんだ。館に連れて行ってくれるかな?」
【かしこまりました】
コップの中のジュースを飲み干したピーちゃんが、空間収納に片付けながら、
「やっと寝れるわね! 疲れたわ~!」
と呟くと。
ホットドッグの最後のひと口を、ばくりと頬張ったカイ君が、
「オカンの通訳しかしてなかったのに、疲れたンか?」
もぐもぐと咀嚼しながら、呑気に聞いてしまう。
肉体労働してなくても、徹夜に付き合ってくれたのだ。
チョコマカ動いて、どんな小物が欲しいか聞いて回ってた、私の通訳をしてくれたんだもの。
そりゃ疲れたと思うよ〜と、言ってあげたいけど、言葉が通じないので、なりゆきを見守るしかない。
案の定、ヒビキの肩からゆらりと立ち上がって、無言で飛び上がったピーちゃんが、カイ君の頭に止まると……。
おもむろに耳毛をひっぱった。
「痛い痛いいたい! なンで怒るンだよぅ!」
逃げ回るカイ君と、耳毛を手綱のように掴んで引っ張るピーちゃんの攻防を、眠たくて回らなくなった頭で眺めていると。
「あのぅ……」
コボルト族の皆さんが、申し訳なさそうにヒビキに話しかけてきた。
「どうしたの?」
言いにくそうに、仲間内で目配せをしあっているなか、うさ耳さんが意を決したように口を開いた。
「私達にも、名前を付けて頂けませンか?」
「えっ」
半開きだった目を見開いて驚くヒビキ。
「むっちゃんから聞きました。名前をつけて頂いた後、脚力があがったって」
「お願いします!」
「俺たちも、強くなりたいンです」
名づけかぁ……。
作業中のむっちゃんってば、階段を使わずにジャンプ力だけで洞窟に出入りしてもんなぁ。
あの姿見てたら、羨ましくもなるよねぇ……。
ヒビキを見上げると、すごく困った顔をしていた。
「えっと……。その……。強くなりたいって気持ちはすごく……。よくわかるんだけど……」
固唾を飲んでヒビキの返事を待つ皆さんに、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい! できません!」
しょんぼりと、しっぽが垂れさがってしまった皆さんの姿に、ぎゅっと拳を握りしめたヒビキが続ける。
「『名付け』には、制約があるんです。もし、破ったら命を落とすぐらい強力なんだそうです。だから、あまり使っちゃダメで……。むっちゃんの時は、『名付け』をしようとしたんじゃなくて、愛称をつけたつもりで……」
再び、ごめんなさいと云って頭を下げるヒビキの肩に、ピーちゃんが飛んで来て、
「強敵と戦う訳でもないんだから、必要ないでしょ」
と、助け船を出してくれた。
「でも……」
「大丈夫です! 制約があっても平気です! 破りませんから!」
「お願いします」
なおも懇願してくるコボルト族の皆さんに。
「『名付け』はね! 疲れるのよ! すっごく!! アンタ達助けてくれたヒビキをこれ以上疲れさせたいの?」
と、ピーちゃんが早口で説明しているけれど……。
名付けって疲れるの? ……気が付かなかった……。
息子の異変に気づけなかった事に、すごく申し訳ない気持ちになる。
痛い所をつかれたらしいコボルト族の皆さんも、一様に諦めてくれたようだ。
「……わかりました」
「無理を言って……すみませんでした……」
「とりあえず、アンタ達も一旦寝なさい。お仲間が増えたら、また沢山作らなきゃなんだから」
ぺこりとお辞儀してから、とぼとぼと洞窟へと歩いていく皆さんを見ながら、
【ヒビキ様、館に参りましょう。結界を張っていただけますか?】
と、エーレが声をかけてくれた。
◆
「ヒビキぃ~。寝たか~?」
エーレの館の中。
差し込む薄明かりの中、ゲル状の貝ベッドの上で、ヒビキと並んで横になっていたカイ君が、ふいに問いかけた。
「……起きてるよ」
お昼ごろに迎えに来ると云ってエーレが戻ってから、結構な時間が経っているけれど、二人ともまだ眠れていなかったらしい。
かくいう私も、かなり疲れている筈なのに、いっこうにまどろむ事ができないでいた。
「ごめンな~」
「ん? なんで?」
「俺さ、初めてエーレ見た時に『名付け』してって、頼ンじゃっただろ?」
「うん」
「『名付け』したら、ヒビキが疲れるって知らなかったンだ。ごめンな~」
カイ君の言葉に、しばらく無言で天井を見つめていたヒビキが、「…………疲れないよ」と、ポツリとつぶやいた。
「えっ。だってピーちゃんが……」
ガバっと起き上がったカイ君が、天蓋付きベッドの中で、二人の様子を窺っていたピーちゃんを見つめる。
「精神的に、疲れるだろうなって意味よ! ああでも言わないと、あの人たち諦めそうになかったんだもん」
「え~~~」
不服そうに頬を膨らましているカイ君に。
「あの場に居た全員に『名付け』したとしても、新らしく来る人達はどうするのよ? 何人いるかもわからないのに」
ベッドの上で片肘をついたピーちゃんが、呆れたように云った。
『名付け』した時に、ヒビキに異変が起きていなかった事に安堵しながら、なるほどなと思う。
私達は、今日にはここを立つのだ。
名前のあるなしで能力に優劣があると、後から来た方達から不満が起きかねないだろう。
むっちゃんにも、能力アップしている事をあまり知られないように、気を付けて貰った方が良いかも知れな…………。
そこまで考えて、ふと疑問が沸き上がる。
あれ? むっちゃんって……。
「じゃあさ、俺に名前を付けてくれよぅ」
突然のカイ君のお願いに、ビョンと跳ね起きたヒビキが、後ずさって距離をとった。
「無理!」
「なンでさ!」
じりじりと、四つん這いでヒビキににじり寄るカイ君。
「……かっ。カイはっ。すでに名前がついてるから!」
「むっちゃんだって、68番って名前ついてたじゃンかー!」
うすうす何かを感じているらしいヒビキが、どもりながら言い訳するけれど。
そう……だよね。
あの時は、番号だから、ヒビキの『名付け』が発動できたんだと思ってたけれど。
作業中のコボルト族達は、それぞれ番号で呼び合っていた。
つまり、”番号”が”名前”として認識されているって訳で。
って事は……”すでに名を持つ者には適用されない”って名付けの発動条件に、該当……しない……?
(ピーちゃん? もしかして、『名付け』って上書きできるの?)
「気づいちゃったかぁ~」
むくりと起き上がったピーちゃんが、長いため息を付いたあと、「私も知らなかったんだけどね」と前置きをして、教えてくれた。
「キプロスの町にいたお姉ちゃんが、教えてくれたのよ。上書きできるって」
「やっぱりかぁ……。 だから『使いどころはよくよく見極めて』って教えてくれてたんだね」
「ヒビキは何時気が付いたの?」
「むっちゃんに『名付け』が発動したからかな」
「じゃあ、イイじゃンか! 俺にもつけてくれよぉ!」
「いやだ」
即答したヒビキに、「なンでだよぅ」と食い下がるカイ君。
疲れる訳でも無いし、上書きもできるんなら、付けてあげてもいいんじゃない? と思いつつ見上げたら。
ヒビキの耳が、真っ赤になっている。 なぜ?!
「だって! 名付けって、制約が頭にっ。 だから嫌だ!」
「俺、ヒビキの命令ならなンだって聞くぜ?」
さらに頬まで真っ赤になったヒビキ。
「ちっ、違う! 命令なんかしたくないっ」
「じゃあ、イイじゃンか~!」
カイ君が、ヒビキの肩をつかもうと腕を伸ばした途端、びゅわっと飛び上がって逃げた。
「うっわ! 飛ンで逃げるのはズルイぞヒビキ!」
むんずと私を掴んだカイ君が、ダダダと壁を駆け上がる。
なんで私を連れて行くのよ?!
そのまま天井を駆けて、館の中央。 海と面している水ゾーンの中心まで来ると……。
そっと手を放しおった!
「ぎにゃああああ~~~!!」
なぜ私を落とすのカイ君!!!
「オカン!」
ヒビキが慌てて飛んで来て、空中でキャッチしてくれた直後、ドスンと衝撃が伝わってきて……。
「へっへっへー。捕まえたぁ!」
ブーツの吸着を解除して、落下してきたらしきカイ君が、ヒビキの背中にしがみ付いていた。




