129.エーレの館
ワニ兵衛の姿が完全に砂浜から見えなくなってから、再びエーレに運んでもらって、砂浜から二キロほど沖にある岩島にたどり着く。
エーレが、普段閉じ籠もっていると云っていた館のある島だ。
「「すごい……」」
絶壁に叩きつける波しぶきと、東京タワーぐらいはありそうな高さの断崖絶壁を見あげながら、ヒビキとピーちゃんが、ぽかんと口をあけながら呟いている。
「これ、『吸着のブーツ』で登れそうだな~」
「おバカ! どこでもすぐに登ろうとするの、そろそろ止めなさいよ?!」
今にも岩壁に飛びつきそうな雰囲気のカイ君に、保護者モードになったピーちゃんが、慌てて待ったをかけている。
不服そうに「えー」と舌を出したカイ君から、同意を求めるような視線を送られたヒビキが、困ったように頭をかきながら、エーレに話しかけた。
「エーレ、この絶壁って島を囲んでるの?」
【そうです。館は島の内部にあるのですが、海中を通ってまいります】
「壁を登って内っかわには行けないンか~?」
【申し訳ありません。島自体が岩でできておりますので……。光を通すための穴はいくつか開けていますが、カイ様が通れるほどのサイズのものは……】
「じゃ、仕方ないか~」
あっさりと諦めてくれたカイ君に、【では、ご案内いたしますね】と云ったエーレが、海中に潜った。
◆
光が射さない、ほぼ真っ暗な水中トンネルの中を移動していく。
「エーレってこんなに真っ暗なのに道が見えるの?」
【見える……というより、感じるのです】
「「いいなー!」」
水中の移動時、カイ君はヒビキと手を繋ぎ、むっちゃんはヒビキの背中につかまっている。
結界の中に入るだけなら、ヒビキの体のどこかに触れていれば良いらしい。
そっとヒビキのチュニックから上半身だけを出して、肩越しにむっちゃんを見る。
やっぱり、うつむいて何か考え事をしている様子。
人魚の国を出る頃から、ずっと元気がないので、気になっているのだ。
ピーちゃんに、体調でも悪いのかと伝言してもらう。
「オカンが、『しんどいの? 大丈夫?』って聞いてるよ」
「大丈夫です」
明らかに大丈夫ではない笑顔で答えてくれたけど……。
「何かあるなら、遠慮せずに言いなさいよ?」
「ありがとうございます」
ピーちゃんが補足してくれたので、今はそっとしておこう。
早めに教えてくれるといいな……。
◆
海中のトンネルを抜けて出た先は、ドーナツ状にくり抜かれたような部屋になっていた。
光沢のある岸壁の反射光をうまく使って、外の光を取り入れているらしく、ほんのりと夕焼け色に染まる岩の部屋。
水魔法で人魚達が岩肌を削って作ったという壁には、蔦草が伸びたような浮き彫りが施されてていて、一風変わった高級ホテルといった感じだ。
ドーナツの中心にあたる、海中トンネルと繋がっている海水ゾーンの奥には、苔が生えた陸地ゾーンがぐるりと囲んでいる。
海水と陸地との境目に、口が開いた状態の――波打つような貝殻を持つ大シャコガイのような――大きな貝が設置されていた。
「大っきな貝だなー?!」
「中身は……無いみたいだね」
【おいしかったですよ】
食べたのか……。
エーレとほぼ同じぐらいのサイズの貝だから、かなり食べ応えがあったんだろうなぁ。
大きな貝は、正面と左右の3か所に配置されている。
【正面にあるのが母様のベッドで、左側がワタクシのものです】
「右側は王様のンなンか~?」
【いいえ。父様は水中でお休みになるので、ベッドは不要なのですよ】
私達を手のひらに抱えたまま、右側のベッドに移動したエーレが降りるように促してきた。
【こちらは、お客様用のベッドです】
得意げな顔をしたエーレが、貝殻の端にかざした掌から、トロトロと粘り気のあるゲル状の何かが垂れ始める。
「な、ななな、なに?!」
プチパニックを起こしたピーちゃんが叫ぶ。
【ベッドを作っています。ひんやりしてて気持ちが良いですよ】
瞬く間に貝の下部分に満たされたゲル状の液体。
躊躇することなくその上にダイブしたカイ君が、ぷるるんと揺れる液体の上で、寝返りを打ちながら叫ぶ。
「すげええええ! これすンごい気持ちイイ!」
「ほんと?!」
仰向けにダイブしたヒビキのお腹ごしに、ぷるんとした揺れが伝わってきた。
ウォーターベッドならぬ、ゲルベッド?
そっとチュニックから抜け出して、じかに寝そべってみる。
プルンとしているけれど、弾みすぎる事もなく……初めての寝心地……っっ。
毛皮で覆われている身としては、ひんやりぷるんなベッドは癖になりそうなぐらい心地いい~!
「これ、ヒビキの空間収納に入れて持ち運べたらイイのに~!」
【この貝の形状でないと、うまくベッドになりませんので、是非、貝ごとお持ちください】
ふさふさのしっぽを振りながら呟いたカイ君に、すぐさま了承してくれるエーレ。
「ありがとう、エーレ。申し訳ないんだけど、このサイズだとテントに入りきらないんだ」
「うわ! そっか!!」
「野宿中に、こんな貝がらで並んで寝てたら、魔物の格好の餌になれそうだわね」
くつくつと笑いながら、ゲルベッドで弾んでいるピーちゃんに、いーっと眉間の間にしわを寄せて舌をだしたカイ君のしっぽが、しょんぼりと垂れ下がった。
【では……こちらのベッドはヒビキ様達の専用にいたしますから、いつでも泊りに来てくださいね】
「「ありがとう」」
ゲルな貝ベッドで、ゴロゴロ転がって堪能している男子二人とは対照的に、隅っこのほうで腰かけていたむっちゃんが、おずおずと声をあげた。
「あの……。姫様……」
【どうしました?】
「私……。橋に戻った方が良いのでは……」
甲冑ジジイの居る橋になんか戻りたくないだろうに。
残されたコボルト族の仲間の事が気になっているのかな……。
確かに、あのジジイの事だ。
一人戻らないから、連帯責任とか言い出して、残っている子達に無理難題云いつけかねないよね。
元気がなかったのは、戻りたくないけど戻った方が……と悩んでいたのだろう。
【大丈夫ですよ。ほかの子達も、今父様が迎えに行ってます】
今にも泣きだしそうな顔をかしげるむっちゃんに、エーレが説明をし始めてくれた。
シャチな王様は、私達が砂浜に降りていた時には、すでに橋に向かってくれていたらしい。
【さきほど、母様に教えてもらいました。橋にいた人間達の、コボルト族への仕打ちは、非道すぎると】
人魚達の宴の間、ずっと女王人魚にくっついていたエーレだが、ただ単に甘えていただけではなく、色々と報告や相談をしていたと云う。
【私が幼い頃には……すでに母様達と話す事もままならなくなっていたので……人間の世界の事は、あの者たちから学んでいたのですが……】
「貴族の都合にだけ良いように、いろいろ丸め込まれてたって訳ね?」
云い淀むエーレに、ピーちゃんがズバリと指摘する。
残念そうに頷いたエーレの後ろから、一人の女性人魚が顔を出した。
【姫様ー! 持ってきました~! あと、王様が外で困ってましたよー】




