124.大穴の向こう側
【人魚の国の存亡がかかっちょったから~。そりゃ焦りもしも~すよ~】
突然の穏やかでない情報に、みんなの視線がモグラどんに集まる。
「存亡って、どういう事?」
眉根を寄せて尋ねるヒビキに、エーレが寝ている姿を鼻先で指し示し、
【ま、もう大丈夫そうでごわすがな】
と、きゅっきゅっと喉を鳴らして付け加えてきた。
「エーレが進化したから大丈夫ってわけ?」
【そういう事で……ごわすなっ】
モグラどん用に平皿に入れているミルクを、ちびりと舐めて返事をしてから、夢中で飲み始めた。
【ふぁ~! こげん美味かモンは初めてばい~~】
あっという間に空になった平皿に、カイ君が追加でミルクを入れる。
【あんがとなー】
カイ君にお礼を云ったモグラどんが、二杯目のミルクを舐め始めたのを見ながら、ヒビキが続きを促す。
「エーレが焦ってたのって、進化する為だったって事?」
むっちゃんが返事をしようと口を開けた時、背後からエーレの声が聞こえた。
【そうです。跡継ぎとして生まれながら、いつまでも進化できずにいたので……焦っていたのです】
「姫様!」
むっちゃんが、ゆっくりと体を起こして湖岸に腰掛けようとするエーレに、駆け寄っていく。
【68番……ごめんなさいね。苦しい思いをさせました】
人型になった腕で、うさ耳の生えたむっちゃんの頭を、優しく撫でている。
ふるふると首を振りながら、目を細めているむっちゃんの顔からは――あんな事されたのに――恨んでいる節がまったく見受けられない。
むしろ、本気で主として慕っている様に見える。
むっちゃんの耳の先が、ほんのり薄桃色になっている事に気づいたエーレが、名前をつけてもらった事を報告されて、深々とこちらに向けて頭を下げてきた。
【数々の非礼……。お詫びのしようもありません……】
「……もういいよ。それより『世界樹のしずく』が必要な人がいるなら教えてくれるかな?」
カイ君から、新しいホットミルクを受け取ったヒビキが、小皿に”妖精のきのこ・王様の粉スペシャル”を乗せたものを添えて、エーレに差し出した。
妖精のきのこを口にしたエーレの瞳から、ほろほろと流れ落ちた涙が、丸い形を取りながら滑らかな頬を滑り落ちてくる。
に、人魚の涙だ!!
真珠になるってホントだったんだ!!
きのこを飲み込むと、手のひらで受け止めていた『人魚の涙』をヒビキに差し出した。
【お詫びの一端にもならぬと思いますが、お受け取り下さい】
「……ありがとう」
【人魚の涙は、汚れた水を浄化します】
「「「えええ!!!」」」
三人が驚きの声を上げる。
むっちゃんとモグラどんは驚いていないので、おそらく知っていたのだろう。
【人魚の涙によって浄化された水は、青い光を放つ結晶になります】
エーレの補足に、目を丸くしたヒビキが問う。
「えっ。じゃあこの地底湖が青いのって……」
【そうです。アチラ側で浄化された結晶が、結界の隙間から漏れてきてしまった物です】
「結界の内側から漏れる……って、壊れかけてるじゃない!」
慌てたように叫ぶピーちゃんに、ゆっくりと首を振って【大丈夫です】と返事をしてから、ヒビキに願い出た。
【ご案内します。水中の移動になるので、先ほどと同じ結界を張って頂けますか】
◆
ヒビキが張った球体の結界を、エーレの掌から発生した水が包み込んでゆく。
結界の外側をぐるりと水に包まれると、エーレの手に引き寄せられて、そのまま水中へと潜った。
壁に空いていた大きな穴の丁度真下に、水中のトンネルが空いていて。
ヒビキの結界を両手で優しく持ったエーレが、そのトンネルの中をアチラ側へ向かって泳いでいく。
アチラ側に行くにつれて、岩肌にびっしりと密集して存在する青い光の道。
人魚の国の結界が穴の下まで伸びているのだとすれば、すでに通り過ぎている筈なんだけど……。
妖精の国の時のような、うにょーんと粘つく感じも、砂の国の時のような、さらりと撫でられるような感じもないままに、ゆっくりと進みながらエーレの説明は続く。
【人魚の国を継ぐ者は、ワタクシのように異形の姿で生まれます】
黙り込んでしまったピーちゃんの代わりに、カイ君とヒビキがエーレと話をしている。
「他の人はどンな姿なンだ~?」
【王以外はワタクシと同じ姿ですよ。大きさは貴方がたと同じぐらいです】
「向こう側に、王様達がいるの?」
【人魚たちもいますよ】
「海と繋がっているのは、来た時の穴だけ?」
【いいえ。向こう側には、海流の穏やかな道が沢山あるのですが……今は結界で塞がれています】
「なンで塞いでるンだ~?」
【…………】
きゅっと下唇を噛んで黙ってしまったエーレに、ヒビキとカイ君が目を見合わせる。
【人魚は……魔力が強いのです……】
絞り出すように出されたエーレの言葉に、ヒビキが息を呑んだ。
「もしかして、王様達だけじゃなくて、人魚たちも魔素に……?」
【……人魚達の……体内に残ってしまった魔素は……王達が吸い取ります……】
「そんな事をしたら……」
ヒビキのつぶやきを聞いて、初めて会った時の妖精の国の王様の――過剰に魔素を取り込んで、体の大半が腐り落ちていた姿――を思い出す。
【結界の外に出れば、その分魔素を取り込んでしまう為、人魚達は皆……『印の星』が消えるまで外に出ようとはしません】
重苦しい沈黙が続く中……エーレが上昇を始め…………程なくして水面に出た。




