120.海底へ
「ヒビキ、なんっとかっしてええええ!!」
「ンな、むちゃだよ!」
ピーちゃんの泣き言に、ヒビキを代弁するかのようにカイ君が返事している。
水流”強”で回る洗濯機の中のような状態なのだ。
結界が壊れていないだけでも上々だろう。
「ごっ。ごめん。どっちが上かももぅ判らないんだ!」
「俺は大丈夫ー!」
むっちゃんを肩に担いだカイ君も、そうとう大変だろうに、気丈に振る舞ってくれている。
私も、すでに吐きそうなんだけど、お子様達がこんなに頑張っているのだ、母ちゃんがへこたれている場合ではないだろう。
けど、だいぶキツイ~~!!
「きゃあああ!」
不意に回転が収まると、今度はミシミシと結界を締め付ける音がした。
慌てて結界の外を確認すると、ゾウ姫がヒビキの結界を両前足で挟み込むようにして掴んでいる。
川に飛び込んで来たように見えたのは見間違いじゃなかったのね!
「姫さン、泳いで追いついたンかな? すげえな」
「このおバカ! 感心してる場合?!」
カイ君とピーちゃんのプチコントが繰り広げられている間にも、ミシミシと結界を圧迫する音が続いている。
電撃入れたら離れてくれるかな。
姫様の皮膚って、電気通さなさそうなんだよな……。
結界に攻撃したら、それなりのダメージが返っていくはずなのに、素手でつかむゾウ姫が怯む気配は一向に無い。
痛みを我慢しているのか、それとも見るからに分厚そうな皮膚が阻んでいるのか……。
ダメ元でやってみるかと考えた矢先、ゾウ姫が下降し始めた。
ヒビキの肩越しに見える、遠ざかる水面の向こう側に、大陸を取り囲む山脈が見える。
「ちょっと! 山脈超えちゃってる!」
私と同じく、チュニックの中から肩越しの景色を確認していたピーちゃんが叫ぶ。
「そンなに流されたンかー!」
振り向いたカイ君も、ゆらゆらときらめく水面の向こう側、どんどんと遠ざかる山脈を見ながら慌てた声をあげた。
「やばいじゃない! 河口は人魚の巣よ!」
「「人魚おぉおおぉおぉ~~?」」
妖精の女王様から色々うんちくを習っていたピーちゃんが、慌てている声につられるように慌てだす男子たち。
どうしようどうしようと慌てている合間にも、下降を続けていたゾウ姫が、急旋回でくの字に方向転換すると、大陸棚に空いている大穴を進み始めた。
迷路のようになっているのか、右、左、下と進む方向が次々と変わってゆく。
うまく開放されたとしても、どう進めば水面に戻れるか判らないこの状態では、迂闊に電撃も放てなくなってしまった。
「やばいかも……」
つぶやいたヒビキの額から、大粒の汗が流れている。
「なに、破られそうなの?」
「うん。長くは持たないと思う」
「ピーちゃんは、結界張れないンか~?」
「張れるけどね! アンタ達全員を入れるような、大きいのは無理よ!」
ピシリ
「「ぎゃあああああ!!」」
ヒビキの結界に3センチ程の小さい亀裂が入ったのを見て、どもりながらピーちゃんが叫ぶ。
「ヒ、ヒヒ、ヒビキ、頑張るのよ!」
必死に歯を食いしばっている為、慌てふためくピーちゃんに、返事すらできなくなっているヒビキ。
「だ、大丈夫だぞ、ヒビキ。結界なンか、壊れた瞬間また張ればいいンだ!」
壊れた瞬間、とんでもない量の水に襲われるんだけどね!
おそらくすんごい水圧もかかってくると思うけどね!
心の中でカイ君にツッコんでいると、外の景色に点々と光が混ざり始めた事に気づく。
「ねぇ、水が光ってる」
「え? ほんとだ! ヒビキ、カイ! 水が光ってる!」
みんなで、ぽかんと口を開けながら眺めている間にも、小さくて丸い海蛍のような青白の光が、段々と増えて来た。
「なンか……上昇してないか?」
「……してるわね」
ゾウ姫が、ぐんぐんと上昇するのに従って、青白い光の密度が増えて、天の川の中を泳いでいるような錯覚にとらわれる。
「こんな時になんだけど……。すごく綺麗ね……」
「俺も思った~。怒られそうだから言わなかったけど~」
イシシと笑うカイ君に、張り詰めていた神経が少し和んだのか、ヒビキの目が優しく弧を描く。
青白い光のおかげで、ゆらゆらと揺らめく水面が見えた。
あと少しで水面だ。出た瞬間、電撃を入れられるように、ヒビキのチュニックから前足を出して準備をする。
ドパァン!
ゾウ姫が、勢いよく水面から飛び上がった瞬間!
結界を解いて、腕の拘束から逃れたヒビキが素早く上昇し、姫様から距離を取ってくれた。
【なっ!】
驚きの声を上げたゾウ姫の口に、ゴルフボール大に作った電球を投げ込む!
バチバチバチ!
怒りでひん剥かれていた姫様の瞳が、ぐるりと上に向いて白目になると、水しぶきを上げて水面に落下した。
反撃に備えるように、ヒビキが結界を張り直してくれる。
ぷくぷくと気泡が水面にあらわれて……。
ゾウ姫が、ぷかりと浮き上がってきた。
「気絶してるわ……」
「ふぅ……。助かった……」
力なく水面を漂っているゾウ姫を見ながら、みんなで安堵の息を吐く。
「ヒビキ、今のうちに魔力回復しときなさいよ?」
「うん」
妖精のキノコに王様の粉をかけて、口に入れたヒビキが、同じものをカイ君にも渡そうとすると。
口を開けてダイレクトに受け取って、にんまりしながら咀嚼し始めた。
「横着者~」
ニマっと笑うヒビキに、イシシシと笑って返している。
仲いいなぁ。
「ピーちゃんとオカンもいる?」
「私はいらない……」
水中のぐるぐる移動が尾を引いていて、今なにか食べたら吐きそうだ。
私もいらないと首を振る。
「さて……。ここからどうやって脱出しようか……」
水中の青白い光に照らされて浮かび上がる、地底湖のような場所をぐるりと見回しながら、頭の中に浮かんできた”絶望”の文字を強引に追いやった。




