118.橋の袂にて
「空からしか見たことなかったけど……そばで見ると大っきな川ねぇ~」
「……そうだね」
川幅は、ゆうに50メートルはあるように見える。
いくら人間が魔法を使えるといっても、これだけ幅が広くて流れも急な川に、橋をかける事は困難らしい。
そこで、定期的に食べものを提供するという約束で、川を統べる魔物に橋を掛けたり上流まで船を運んで貰ったりしているのだそうな。
「あれが……姫様……?」
「はい。そうです」
甲冑を装備した衛兵が、橋を封鎖するかのように、ずらりと並んでいて。
衛兵から少し離れた場所に、ピンク色のレースをあしらった天幕が設置されていた。
風が吹く度に薄いレースが揺れて、隙間から見える……長い鼻。
うん、あの鼻は……動物園で人気のゾウさんだねぇ……。
薄桃色の体表に、腰から下が……トド? のような……アザラシ……?のような……? でっぷりとした魚っぽい形をした下半身が付いている。
見るからに重量があり、陸上では動きづらそうな体躯を、四角いお神輿のような台座にどっかりと横たえていた。
洋服は着ていないのだが、頭や首、太い前足などに、金色の装飾がついた飾りをこれでもかと飾り立てたケバケバしい姿に、第一印象は最悪。
6人のコボルト族の奴隷たちが、プルプルと震えながらお神輿を支えている姿にも、怒りがふつふつとこみ上げてくる。
「いくら、橋と船のためとはいえ……。あの扱いは酷すぎる……」
台座代わりにさせられているコボルト族の姿に、歯ぎしりするヒビキ。
「なぁ」
「ん?」
カイ君が、小声でヒビキにささやく。
「ヒビキのアレで、ワニ兵衛みたいに命令できないンか?」
「俺も考えたんだけどね。問答無用でソレを使うのは良くないと思うんだ。でも……いざとなったら使うよ」
名付けによって強制的に命令することはできるけれど、つける制約によってはとんでもないことになりそうな気がする。
妖精のお姉ちゃんからも、”使い所はよくよく見極めて”と釘を刺されているし、乱用するのは良くないだろう。
「そっか~」
「カイ、ごめんね。お仲間のあんな姿をみたら、すぐに開放してあげたいよね……」
「ン~……。仕方ないよな~」
しょんぼりと下を向く男子二人。
数歩あるいてから、ぐわっと顔を上げたカイ君が、ヒビキの背中に飛び乗ってしがみついた。
「ごめン! 俺、無茶言った! ヒビキはなンも気にすンな!」
ヒビキの背中にしがみついたまま、もふもふの頬をヒビキの後頭部にぐりぐりと押し付けている。
「わ! カイ、重いよ」
苦笑いしつつも、カイ君の膝下に手を回して、おんぶの体勢になるヒビキ。
「いひひひ。楽ちん、楽ちん~」
おぶわれた体勢で伸ばしてきたカイ君の手を、ぼふぼふと撫でていると、ヒビキがむっちゃんに質問し始めた。
「むっちゃん、姫様の名前って何かな?」
「え? 姫様は……姫様ですよ?」
いざという事態が起きて、名付けする事になったとしても、姫様がすでに名前持ちであれば、ヒビキの『生き物使い』の能力は発揮できない。
名を持っているかの情報は貴重だ。
「……そっか。ありがとう」
ヒビキがつぶやくようにお礼を云った矢先。
パオオオオオオオオオオオオオ!!!!
不意に、ゾウの雄叫びが聞こえた。
「大変! 姫様の急げの合図です」
「わかった。急ごう」
おぶさっていたカイ君を降ろして、少し小走りで橋のたもとへと駆けた。
◆
「68番! 何をノロノロしておったのだッ!」
ゾウ姫様の手前で、青い甲冑を着た60代後半ぐらいの人間の男性が叫んでいる。
男性のそばには、むっちゃんと同じウサギ耳のコボルト族の女性が、身を固くして立っていた。
「申し訳ありませン!」
男性のもとへ駆け寄ったむっちゃんが、跪いて食料を分ける許可を貰ったと報告する。
ふんと鼻をならした男性が、ヒビキに一瞥をくれて振り返ると、うやうやしく姫様へ頭を垂れた。
それが人になにか分けてもらう側の態度?!
ゾウ姫といい、この甲冑ジジイといい、感じ悪すぎる!
「姫様……。おっしゃっていた食料が到着しました」
甲冑ジジイの言葉を、そばにいたウサギ耳のコボルト族の女性が、姫様に伝えているようだ。
あの女性は通訳係なのかな。
天幕の中のゾウの鼻が、すいっと上を向いた後、ちょいちょいと鼻先を曲げた。
どうやら、よこせという意味らしい。
むっちゃんが持ってきてくれた金色のお盆の上に、カイ君のかばんからホットドックを取り出して乗せていくヒビキ。
3つ並べたところで、「何個ぐらいあれば良いかな?」と尋ねると。
「姫様は一度にたくさン召し上がらないので、これだけあれば充分だと思います」
ペコリとお辞儀したむっちゃんが、姫様の天幕へと向き直り、姫様の鼻先に差し出した――途端!
ぐわっと前足を立てた姫様が、その長い鼻でお盆を持つむっちゃんの胴を横薙ぎに払った。
骨の砕ける音とともに、ふっ飛ばされたむっちゃんが、橋の柱に打ち付けられる――寸前、飛び出したカイ君が受け止める――が、受け止めた勢いのまま、橋の柱に衝突した。
むっちゃんを抱きかかえていた為に、受け身もとれず柱に後頭部をぶつけて意識を失うカイ君。
むっちゃんも、ピクリとも動かない。
「なんて事をっ!」
慌ててカイ君たちのもとへ駆け寄るヒビキの、チュニックの中から飛び出して、回復魔法を発動させる。
「何が気に入らないんだ!!」
私達を背に守りながら、抗議するヒビキに向かって、天幕からお神輿を出した姫様が近づいてくる。
【何が……とな? ワタクシを謀っておいて! 何がとッ?!】
ダン、ダン、と前足をお神輿に打ち付けながら、ヒステリックに叫ぶ姫様。
お神輿が揺れるたびに、支えているコボルト族たちの顔が苦痛にゆがむ。
「謀るってどういう意味?」
【ワタクシが所望したのは、そこな魔物ですわ!】
「「えっ」」
……またこのパターンか……。
私ってば、あーんな遠くから、美味しそうな匂いしてたって事なのかしら? と、げんなりする。
「てっきりホットドックの事だと思ってたわ……」
呆れたような顔をして、私を見てくるピーちゃんに、視線だけで頷いて返す。
【今なら許しますから、はやく渡しなさい】
「断るっ!」
威圧的に命令してくる姫様に、ヒビキがきっぱりと断りを入れた。
通訳係のウサ耳女性から、姫様の怒りの原因を聞いたらしき甲冑ジジイが、
「そこの旅人! 金なら言い値で払ってやるから、すぐに姫様に差し出せ!」
と叫ぶ言葉にも、被せるように「断るッ!」と叫び返すヒビキ。
一瞬驚いた顔を見せた甲冑ジジイの顔が、みるみる怒りで真赤になる。
ジジイが顎をくいっと上げたのを合図に、橋の入り口で待機していた衛兵たちが、武器を構えて取り囲んできた。
「こちらが下手に出ている間に、おとなしく渡したほうが良いぞ」
居丈高に言い放つジジイの顔が、憎たらしい笑顔を作って歪んだ。




