名付け
「ビキニ見たいなぁ。」
「誰か矢田にスポーツドリンクを。頭やられたらしい。熱中症かもしんない。」
彼の唐突な呟きに、僕は即座に反応する。確かにまだ辛うじてシーズンと言えばシーズンだが、真面目な会議中に出てくる台詞じゃない。いや、会議と言っても学生のサークル運営についての所詮『なんちゃって会議』ではあるし、というか今終わったばかりだった。ただ問題はここにいるのが男だけでは無いという事だ。同期全員揃っているから当然女もいる。
…あぁ、別に良いのか。同期の女相手に今更だったと思い直した僕は、いつも通り彼に付き合う事にした。
「いや、ふとな。今年ビキニ見てねぇなぁと思っていたから、サークルで何か提案しようかなと考えていたんだが。」
「おい待ってくれ幹事長。自分の欲求に素直なそんな所を同期の男はみんな尊敬しているが、同時に今の発言でサークルの未来が真っ暗だ。話し合いが終わったばかりなのに、緊急議題として幹部の役職変更を提案しなきゃならなくなる。」
思い直した僕だったが、彼の発言に瞬時に掌を返す。腕が捩じ切れんばかりの高速でだ。うん、彼はいつもと変わらず馬鹿だった。隣からソンナアホダトオレガヤンゾなんて突っ込みも聞こえた。お前が、大前がやる事は無い。そんな事になれば異口同音で『オーマィガッ』の合唱だ。面白くない?大丈夫、言いたいだけ。
「まぁまぁ、その件はちゃんと形にして改めて提案するからしばし待て。その時は男共の支持率で幹事長の座は揺るがない物になると思うがな。」
そう口にした彼はニヒルに口元を歪めて笑う。その如何にもデキる男と言わんばかりの姿に、男連中は思わず声を上げる。なんだかんだ言っても、やはり僕等の代の幹事長は彼しかいない。そんな風に思うくらい、僕等の代の男共は馬鹿ばかりなのも今更な話だ。
だが盛り上がりかけた空気に水を差す声が響く。まぁそれは仕方無い。だって女子いるもん。冷水が如く冷たくそれでいて清水のように透き通った声で、呆れ顔の真奈が女性陣を代表するように吐き捨てた。
「あんたら馬鹿?ほんとに馬鹿ね。」
「ア○カの真似をするお前に言われたくない。どれ、鏡を貸してやろうか。」
しかし彼女の発言は図らずも往年の名セリフと被ってしまった。そんな彼女に彼がニヤニヤと意地悪気に返す。彼女も全く意識したものでは無かったのだろう、微かに怯んだように見えた。が、そこで終わらないのが彼女の凄まじい所。声色を変えて彼に反撃する。
「どうしてそういう事を言うの?」
「今度はレ○か。自分の失敗が恥ずかしくてポカポカするってかぁ?」
「くんくん、君、モテナイ男の匂いがするね。」
「てめぇ、マ○様の名言ディスってんじゃねーぞっ!名前が似てても一部分がまるで足りてねぇ事を自覚しやがれ貧○がっ!!」
「よーし表出ろ。今の発言で女性陣全員敵に回した事を教えてやる。」
ガルルルルと向き合った二人が威嚇し合っているのを僕はのんびりと眺める。彼女の名誉のために言えば、真奈は美人だ。黒髪ショートで少年っぽさを併せ持つ事も鑑みれば、先程のどのセリフよりも何よりも、『不潔っ。』と吐き捨てる姿が一番様になると思う。
クールビューティーな見た目の彼女の特技は、幅広い知識と言葉選びのセンスで相手を的確に煽れる事だ。メガネフェチで綺麗なお姉様がタイプという矢田の好みにドンピシャなキャラクター。それを使った瞬時の切り返しで彼から失言を引き出した。惚れぼれするほどに無駄な才能だ。
周囲の連中は「さすまな。あの状況から五分まで持ち込みやがった。」だの「まなカッチョイー!」だの、格闘技の試合を見るかのようなギャラリーと成り果てていた。そんな中、ミトメタクナイモノダナワカサユエノなんて呟きが聞こえる。真奈の失言についてだろうか?さすまえ。大前君、それガン○ムや。
「まぁ冗談はこれくらいにしてだ。なぁ千堂。」
「お、やっと本題か?随分長い前座だったな。」
まるで何事も無かったかのように着席した彼は、再び僕へと向き直った。いや、真奈率いる女性陣から逃げただけなのは周囲の皆わかっている。今度の飲み会あたりできっと彼は酷い目に遭うのだろう。心の中で冥福を祈りながら、改めて彼のお話に付き合う事にした。
「ビキニで思い出したんだが、ビキニの名前の由来って凄まじいだろ。」
「あぁビキニ諸島だろ。原爆水爆実験地の。」
「小さくてインパクトがある、まるで原爆のようだって、常人の発想とは思えない。」
「その理屈でいくなら下手をすりゃ『ヒロシマ』や『ナガサキ』だったかもしれないとか、吐き気を催すレベルで考えたくもない話だな。」
「あぁ。話を振っておいてなんだが、胸糞悪い。」
矢田は広島出身だ。広島では小さな頃から毎年夏になると、原爆の事も含めた平和教育が熱心らしい。
二週間前彼の家で目覚めた僕は、朝八時前には起きてNHKにチャンネルを合わせている事に気付いた。不思議に思い尋ねると、彼は静かな口調で『クセみたいなもんだ。』とはにかんだ。
『宗教染みてるなんて思う奴もいるだろうけどな、広島で育った俺としては毎年やってて普通の事なんだ。それに決して悪い事じゃないからな。広島を離れたからじゃあやめようかとは思わなかった、それだけの事だ。』
深く歴史を知らない僕だけど、その行いは素晴らしいと感じた。普段はどうしようも無い奴だが、ふとした時に見せる彼の物事に対する真摯な面が、僕が彼と親友となれた事を誇らしく感じる所なのだろう。その日は彼と共にテレビ画面に黙祷を捧げながら、そんな事をふと考えた。
「で、な。まぁビキニほど素晴らしい水着も無いから、結局は大好きなんだが。その大好きで素晴らしい物なのに、その事実を知った時に一瞬嫌な気分を味わってな。やっぱ名付けってしっくりきてほしいもんだよなぁ。」
「あ、あぁ。」
意識を過去に向けていたせいで、僅かに反応が吃る。だがまるで気にしないで彼は急に僕を褒め囃し立てた。
「それに対して、文弥の名付けセンスは素晴らしいなと改めて感じてたわけだ。」
「お、おう。」
自慢じゃないが、サークル内では僕の付けた渾名が流行り易い。矢田につけたカメレオン俳優の呼び名しかり、最近の天使ちゃんしかり。基本的に下の名前で呼び合うサークルだが、飲みの席などで僕がふざけて呼び始めた物が、いつの間にか定着しているなんて事が度々あった。
だがそれも今更な話だ。たまたま僕の瞬間の思いつきとサークルの雰囲気が合致していただけであって、狙ってやっているわけでもない。本当にたまたまなのだ。
ところで、彼が態々僕を下の名前で呼ぶ時は碌な事が無い。主にサークルで悪ふざけをする時が多い。嫌な予感がして彼に目をやると、彼が厭らしく嗤ったのが目に入った。
「そんなお前だが、一つだけ分からないヤツがあってな。」
「そんなんあったか?」
「ほら、夏合宿での『うるせぇマイナー・ミッドウェスト』。」
その言葉に僕の頬を冷や汗が流れ落ちる。周囲も「そういえば」などとざわついている。
彼は分からないと言ってはいるが、あの嗤い方は答えに辿り着いた証拠。この野郎俺を巻き込みにきやがった。
「いやまて、あれには何も意味はね・・・」
「中西真奈。中西がミッドウェストで真奈がマイナー。たーだ、それだけじゃあ捻りが足りてねーよなぁ、文弥さんにしては。」
「そういえば私も気になってた。酔ってたしなんのこっちゃって思ってたけど。」
僕の言葉を遮るように、彼は名探偵の如く推理を披露する。そんな彼に彼女も同調した。ふざけろこの野郎。真奈まで乗ってきたら僕はもう逃げられないじゃないか。
「そこで俺は色々と調べた。文弥さんの実績を信頼してな。」
「何?嫌な予感しかしないんだけど。」
「ところで、アメリカの大リーグは本来メジャーリーグっつんだが、その傘下にマイナーリーグってのがあんのよ。日本のプロ野球でいう二軍以下な。で、上から順に『AAA』『AA』『A+』『A』って続いていくんだが。」
そこまで彼が続けた所で真奈の僕を見る目が鋭くなった。
「それらを含んだ色々なリーグの中に『ミッドウェストリーグ』ってのがあって、そのクラスは『A』クラス。Aカップの中西真奈だから『マイナー・ミッドウェスト』。文弥、お前やっぱ天才だよ、あっはははははは。」
「あはははははははは。」
「あ、あは、はは、はは。」
答えに辿り着いた彼は爆笑し、彼女が鋭い目つきのまま高らかに笑う。僕はぎこちなく声を零す事しか出来なかった。
「文弥ぁ、やっぱセンスあるわ。一緒に飲むと凄い楽しそうだから、次の飲み会隣の席予約させてもらうね。吐く程飲ませてあげるよ。」
耳元で囁かれる彼女の口調は、甘い猫なで声の様。襟首を掴まれ猫の様に扱われているのは僕の方だというのに。ギリギリと締め付けが強くなってきた首元を抑えつつ、僕は言い訳をする。
「いや、ね。納得いってはいないのよ。もし苗字が東だったら『イースタン』で『AA』だからピッタリなのにn…」
「『A』はあるわぁっっ!!!!」
僕の言葉をかき消すように、彼女の拳が僕の鳩尾を打ち抜いた。
「げほっ、ちょ、まな、痛…」
「誰が『まな板』だぁっっっ!!!」
僕の意識をかき消すように、彼女の拳が僕の頭蓋を打ち抜いた。
人を煽り返すのが得意な彼女は、何故か僕相手にはすぐに拳を振るう。痛い目に合ったのに、どーせ飲み会で酷い目にも合うんだ。しょうがない、彼女の機嫌を取るために素敵な男性を紹介しよう。東という名の知り合いが居なかったか、僕は脳内の記憶を探ることにした。