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お手洗い

どうでも良い話を大真面目なテンションでやる。そんな大学生たちのお話です。

ちょっとでもクスリとしていただけたら幸いです。

「物事の本質をちゃんと理解して行動するって、大切だと思うんだ。」

「あぁ、その通りだな。」


 唐突に呟かれた友人の言葉に投げやりに返す。授業の合間学生ラウンジで、僕は課題に励んでいる。同じ講義を取っている目の前の友人も同じ筈だ。けれど、黙々と資料に向き合いせっせと励んでいたのに、どうやらすぐに彼は飽きたらしい。まぁそれもいつもの事だ。彼の集中力が一時間と続かない事は珍しい事でも無い。


「例えばさ。大学生の本分は学業だ。でもそれは一部を除いて、知識を蓄えて賢くなる事が目的では無い。決められた課題を的確にこなす、その能力と勤勉さを成績として表す。それを元に企業へと売り込む、社会の歯車たる人間だと示すために何の武器も無い大多数に必要な事なんだ。」

「あぁ、その通りだな。」


 目線を資料から上げる事無く、僕は同じ言葉を繰り返す。そんな僕の態度を彼は気にする事も無い。この関係も変わらずいつもの事。

 でもまぁ彼の言う事も一理ある。ソースは今のこの状況だ。彼は勿論、課題に集中しているように見せかけて僕の頭の中にも、こなしている課題の内容が何一つ知識として吸収されている事は無い。ただ粛々と体裁だけを整えている最中だ。


「千堂はトイレ行った後、手ぇ洗うだろう?」

「勿論だ。洗わない奴とは殴り合いに発展しかねない。おいちょっと待ってくれ、矢田。まさかとは思うが、俺との友人関係に亀裂を入れかねない告白をするつもりじゃないだろうな?」


 唐突な話題転換に思える彼の発言に振り回される事は無かったが、その裏にあるかもしれない事柄を邪推した僕は、ついに鋭い目線を彼に突き刺した。勿論ポーズだ。そんな事で彼との人間関係が変わる事は無い。本気で殴りはするだろうが。


「ははは。勘弁してくれ。そんな人の道を踏み外すような、大前のような事を俺がする訳が無いじゃないか。」


 芝居染みた仕草で彼が不敵に笑う。オイフザケンナなんて響きのノイズが左側から聞こえる気がするが、気にする事も無く僕は手を止めて彼に向き直った。


「矢田、腹を割って話そう。何が言いたいんだ?」


 覚悟を決めた顔で僕が問う。その様子に嬉しそうに、そして悲しそうに、彼は頷いた。




「トイレに行った後、手を洗う。これは人を人たらしめる文明的行為だ。その本質は何だと思う?」

「そうだな。男に限った話かもしれないが、不浄なる物を触ったその御手を浄化する、その後に触れ合うだろう人々に対する思いやりの行為だ。」

「期待通りの答えで嬉しいよ。まぁ汚物は消毒だの精神だな。ところでここは公共の場だ。ちん○んなどと言うのも憚られるし、隠語を使って話を続けたいと思う。便宜的に『P』としよう。決して『Pe○○s』からきている訳でも『じゅんPい』から取っている訳でもない。放送禁止用語的な『ピー』からだ。それで良いか?」


 あぁ決してじゅんPいじゃないと重々しく頷いた僕だったが、左側からの雑音が大きくなった。オマエラマジデナンナノという風に聞こえるが、一体何語だろう?英語と独語と西語は履修経験あるが、そのどれとも違う事は分かる。まぁそんな事はどうでも良い。じゅんぺい君には後で謝れば良いだけの話だ。


「僕等は『P』を触って用を足す。だから手を洗う。あぁ、確かに『P』を触った手で触られたくないだろう。だから手を洗う事に異論は挟まないし、もちろんちゃんとやる。だがな、『トイレ行った後は汚いから手を洗いなさい』。どうしてもこの言葉に違和感を覚えるんだ。」

「なんでだ?さっきも言っただろう『不浄なる物』だと。」

「あぁ、『不浄』ではあるが、決して『不潔』な物では無い。だってそうだろう?前日の夜、あるいは人によっては当日の朝もしっかり念入りに丁寧に洗ってあり、さらにその後は外気に触れる事無く、下着そしてズボンで二重にカバーされているんだぜ?」


 ニヤリと笑う彼の言葉に、僕は頭を金槌で殴られたかのような感覚を味わう。言われてみればそうだ。バカダコイツラなんて雑音は耳に入らない。だが、そんな僕の衝撃を嘲笑うかのように、彼は続ける。


「おいおい驚くのは早い、ここは俺の言いたい本分じゃない。ところで、人の掌ってのは一番人体の中で汚いと聞いた事がある。今日家を出て自転車のハンドルを握り、電車に乗って吊革を握り、道中でスマホを弄り、今こうしてパソコンを打ち続けている。なぁ、今日たった数時間で触ったコイツラを、お前はちゃんと洗った事があるか?」


 ゴクリという生々しい音が脳内へと響き渡った。嫌な汗が額から流れ、頬を伝う。そんな僕の喉元へ突き付けるかのように、彼は残酷な真実の刃を解き放った。


「そうやって考えるとさぁ、俺達はトイレの度に最も清潔な場所である『P』を、最も不潔な自分の手で穢しているって事にならないか?なんで世間は、親は、『用を足した後に手を洗え』としか教えてくれなかったんだ?なんで『用を足す前にも洗え』って教えてくれなかったんだ?…もう、何も信じられねぇよ。」


 幼子のように彼は小さく項垂れる。震える肩にそっと手をやると、頼りなくもちゃんと温かさを感じる掌が重ねられた。多分、彼が言うように菌塗れなのだろう。彼を、否、こんなクソったれな世界をこそ恨むべきだ。


「良かったじゃないか。まだ、間にあう。お前は気付いたんだ、世界の不条理に。」

「千堂っ…。」


 お前なら分かってくれると信じていた、などと彼が小さく笑う。そしてプリントアウトしてあった資料に何やら書き込んだ。その内容に僕は目を見開き、そしてその目を細めた。彼は戦うつもりだ。ならそれに乗ってやるのが親友の僕の役目だ。


声を大にして発声する。声は勝手に揃う。だって僕等は親友で、全く同じ気持ちだからだ。




「「トイレの後と大前は手洗いを忘れずにっ!クソったれな世の中よっ!!」」

「クソったれはテメーらだっ!大体話の流れからして『トイレの後と前』だろうがっ!」


 大前順平君が吠えた。


ちなみに大前君は課題の過去レポートを僕等に貸してくれた。優しい奴だ、それは良い。問題は、彼がスマホで見せてくれた彼女がめちゃんこ可愛い事だ。去年からの付き合いで、今年大学生になったから僕等のサークルに遊びに来るらしい。という事は、大前君は僕等に黙ってあんな天使な女子高生と付き合っていた事になる。

だから彼を馬鹿にする矢田と僕は悪くない。ただ、それだけのこと。

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