6.駿河家
翔琉君のお家事情です。
駿河家。
駿河家は翔琉と祖父の茂三、祖母の富子の三人家族だ。
翔琉の両親と妹は交通事故によって、既に亡くなっている。
事故は翔琉の誕生日に起こった。
誕生日の準備の為に外に出ていた両親と妹。
サプライズのつもりだったのだろう。
実際、翔琉は自身の誕生日のことなど完璧に忘れていた。
いつもより派手に飾り付けられた家。
そこには誰の姿もなかった。
そのどこか釈然としない空気にさらされた翔琉は一体どんな気持ちだったのだろう。
しばらく呆けていた翔琉はすぐに病院へと呼び出される。
「ご本人かどうかを確認してください」
霊安室で医者がそう言った。
その指示に翔琉より遅れて到着した茂三と富子は従っていた。
白いシーツを取り払われ、家族は再会する。
変わり果てた三人の姿。
茂三と富子は、いつの間にか泣いていた。
泣きじゃくる祖父母。
それとは対照的に涙を見せない翔琉。
翔琉は霊安室の隅に座っており、虚空を見つめいている。
何が起こったのか。
まだ中学生になったばかりの翔琉には理解出来ていないのだろう。
変わり果てた両親と妹の姿など見られるはずもない。
茂三はそう考えていた。
「僕も見ていい?」
翔琉はおもむろに立ち上がり、茂三に聞いた。
茂三は驚いたが、家族に会うのに許可もないと思い頷く。
「冷たい……冷たいなぁ」
両親や妹の手を握りながら、翔琉はそう漏らした。
そのときからだろう。
翔琉の目には以前のような光は満ちていなかった。
諦め、諦観を宿した目で日々を淡々と生きていく。
通夜も葬式も終え、茂三に封筒が送られてきた。
どうやら翔琉の両親は生命保険に入っていたようだ。
それと多額の借金があったことも知った。
自分の息子の人の好さを知っていた茂三は騙されたことを一瞬で見抜いた。
生命保険を担保に借金返済に当てていたようだ。
それで借金は全て完済され、残金だけが手元に残った。
翔琉にそのお金を渡す時に、茂三は簡単に事のあらましを伝えた。
「こんなに簡単に借金ってなくなるんだ」
恐らく貧乏生活を強要されていたのだろう。
それが家族の死によって簡単に済まされてしまった。
翔琉の死生観は狂ってしまう。
ようやく立ち直ったかに見えた翔琉は言った。
「絶対に損はさせないので、僕を養ってください」
家族に損も得もあるはずがない。
それなのに、翔琉はその言葉でしか自分を説明出来なかった。
家族だから当然だと頭ごなしに言っても、翔琉は満足しない。
だから、茂三はその提案を受け入れることにした。
そして、その言葉は本当になる。
茂三と富子に介護施設の人がやってきたからだ。
懇切丁寧に説明をされ、料金は既に頂いていると言い放った。
翔琉だった。
翔琉がお金の工面をしていたのだ。
あのときに渡されたお金を使って、徐々に増やしていたようだ。
パソコンという機械をいつの間にか買っていたし、口座が欲しいとも言っていたから間違いないだろう。
そうして、今の翔琉が生まれた。
人と関わらないのは騙されない為か。
友人を作らないのは失う悲しみを避ける為か。
お金を稼ぐのは、それでしか幸せになれないと知っている為か。
茂三は遠くに逝った家族達に何もすることが出来なかった。
――――――
「ただいま」
「おう、おかえ…り?」
茂三は驚いていた。
今まで翔琉がこんな普通に挨拶を口にしたことがあったか。
つい反射的に返してしまったが、これは一大事であった。
好奇心から茂三は翔琉に話し掛ける。
「何か、学校で良いことでもあったのか?」
「う、うん。ちょっと面白い子がいてね」
やはりおかしい。
いつもの翔琉だったら、最初の言葉だけで終わっている。
面白い子がいたなどと無駄口を叩くはずもない。
それにどこか表情が柔らかいことにも目敏く気付く。
茂三は無理を承知で踏み込んでみることにした。
「どうじゃ、久しぶりに一局せんか?」
「あ~いいよ。飛車角落ちくらい?」
「馬鹿もん。孫にハンデを背負わせるかい」
茂三は将棋台を取り出し、駒を並べだす。
対面する翔琉も駒を並べる。
その様子を見た富子は嬉しそうな様子で二人にお茶を出した。
駿河家に穏やかな空気が流れる。
パチッ。パチッ。
軽快な音が流れる。
戦況は既に翔琉が有利。
茂三は守ることしか出来ない。
「翔琉」
「ん?」
「その子は女の子か?」
「えっと……王女様、かな」
「そうか。守ってやれよ」
「うん、そのつもり」
茂三の手が止まる。
先ほどから凌いでいるように見えるが、頃合だろう。
自陣には穴熊の堅牢な守りしかない。
茂三は頭を下げる。
「負けました」
「ありがとうございました」
多くを口にする必要はない。
故に感想戦はない。
翔琉は駒を片付けると、席を立った。
その場に茂三と富子だけが残る。
「わしらが心配せんでも翔琉は大丈夫なようだ」
「そうですね」
「……しかし、あっさり勝ちおって。これでも町内会じゃ一番の実力なのに」
「翔琉はそこには収まらないということでしょう」
「違いない! なんせ王女様と知り合いになったようじゃからな!」
がははと豪快に笑う茂三。
それを見つめる富子。
二人はずっと翔琉に寄り添うことは出来ない。
だから、もし翔琉の側にいてくれる人がいるのならば。
茂三と富子は安心して逝けるだろう。
しかし、それでは面白くない。
最後くらい翔琉に一泡吹かせてやりたかった。
「介護など必要ないと。健康体で老衰しちゃるわ!」
「そうですね……おじいさんは既に認知入ってますけど……」
「えっ、まじ?」
「……」
「沈黙はやめろ! 不安になるじゃろが!」
「大きな声を出すと血管が切れますよ」
「出させとるのは、誰じゃい!」
こうして、駿河家の時間は流れていく。
不安の種がなくなった二人はいつまでも健康で過ごせそうだ。
今日の駿河家には笑い声が響いていた。
翔琉君の諦観の目の理由になります。