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脅迫

「絶望的に暇だ」


 カズキはぽつりと呟く。散らかった部屋に寝転んで、ほう、とため息を吐く。


 ゲームに飽きてしまった。


 この生活を始めてから四六時中ゲーム三昧だったが、それがいけなかった。それが日常化してしまったために、刺激がなくなってしまったのだ。


 手慰みのように格ゲーをやってはいるものの、上達するためというよりは腕を落とさないためという意味合いが強かった。


 これからどうしよう。


 いつまでも両親に甘えている訳にもいかない。就職活動もしくは受験勉強でもやらなければならないが、あらためて進路を考えるのが億劫だった。


 大学受験の失敗がカズキに与えたのは、どうにもならない閉塞感と努力が報われない虚無感だった。


 ピンポン。


 家の呼び鈴が鳴る。

 森田家は共働きのため、日中はカズキしか家に居ない。居留守でも使おうとも思ったが、宅配便だと自分も困る。


 渋々起き上がり、玄関に向かう。


「はい、どなたですか?」


「すみません、私警察のものですが」


 警察と聞いた時、何もやましいことがないのに思わずどきりとしてしまう。カズキは慌てて鍵を開ける。

 そこにはスーツ姿の男が立っていた。まだ若い、真面目そうな男だった。


「私警察庁の三島純一と申します」


 そういって手帳を見せる。


 カズキは緊張する。なんでこの家に警察官が。なんかやったのだろうか。まさか、でも。


「森田和希君だね?」


 自分の名前を呼ばれただけだというのに、心臓が跳ねた。どっと汗が噴き出る。


「は、はい……」


 声が上ずる。その様子を見て、三島は慌てて取りなす。


「別に悪い話をしにきた訳じゃない。寧ろ君にとってメリットのある話だ」


「メ、メリットですか?」


「ああ。少し付いてきてくれないか?」


 そう言って車を指した。黒色のセダンで、いわゆる覆面車両というやつだろう。後部座席の窓にはスモーク加工が施され、外からは何も見えない。


 嫌とは言えなかった。カズキは促されるままに後部座席へ乗り込む。


「緊張しなくてもいいよ」


 そうは言うが、この状況で能天気でいる方が問題があるように思う。覆面とはいえパトカーに乗るのも初めてで、警察官と話すのも初めてなのだから。

 車は滑るように走り出した。見慣れたいつもの風景だというのに、どこかよそよそしく見える。


「いきなり訪ねて申し訳ない。驚かせてしまっただろう?」


「いえ、大丈夫です……」


「そうか、なら良かった」


 車はどこに向かっているのだろうか。ひたすら国道を走っていく。


「単刀直入に言おう、警察に入らないか?」


「え?」


 あまりのことに固まる。警察官と自分があまりにも繋がらない。


「君はゲームが好きかい?」


「え、あ、は、はい」


 話題の切り替えについていけない。頭が混乱している。正常な判断が出来ない。


「エグゾートというゲームを知っているね?」


 エグゾート。あの日、公平と再会した日にやったゲームの名前だった。やったのはあれ一度きりで、それからゲームセンターにも寄っていない。あれがどうしたというのだ。一体どんな関係が。


「0.12秒。これがあのゲームで君が叩き出した記録だ」


「0.12? 一体何のことか……」


「反応速度だよ」


 その言葉でようやくピンときた。あのゲームの最後、不意を突かれて攻撃を受けたときのことだ。


 反応速度には自信があった。これを武器にこれまでゲームで数々の勝利を収めてきたと言っても過言ではない。それは数え切れない経験と反復練習の賜物である。


「これは人間の反応速度の限界の数値のはずだ。それを君はあの状況でやってのけた。完全に、不意を突かれたはずだというのに」


 陸上選手の極限の集中状態ですらそうそう出せる数字ではなかった。待っている状態でも不可能に近い数値を、気の抜けた、完全なる不意打ちの状態で見せた。


「君の力が欲しい」


 カズキの存在は、警察にとって想定以上のものだった。エグゾートの本来の目的は、あのマシンの操作を会得した人間を即戦力としてスカウトするためのものだった。最後の攻撃はゲーム会社の仕込んだイタズラみたいなものである。避けられる者は居ない、反応するものすら殆どいるはずのない攻撃。


 だからカズキの存在は異質だった。


 操作自体はまるでダメだったが、それを補って余りある程の逸材だった。


「…………」


 カズキの反応は当然だろう。強引すぎるのは三島も承知していた。何より警察は今日本国内でも別格に危険な仕事だ。忌避されるのも致し方なかった。


「宮石公平君は、君の友人だったね」


「……!」


「彼のお祖母様は、彼が警察官になるよう随分熱心に教育されていたようだね」


 カズキの顔色が変わる。そんなことまで調べ上げているのか。


 公平の祖母はとても優しい人だった。いつだって人の役に立つよう、公平に言い聞かせていた。両親がいない彼にとって、祖母は唯一の家族で、大切な存在であった。


「お祖母様は今入院なさっている。末期のガンだ。彼はその入院費用を捻出するため、必死で働いた。高校は出なさい、と祖母の説得で通信制の学校に通いながらね」


 初耳だった。それが突然転校してしまった理由か。


「さぞ制服姿を見せたいだろうね、彼は。最愛の家族のためにも」


 何が言いたいのか分からなかった。個人のプライバシーを踏み荒らしてまでこんな話をして。

 三島はカズキの反応を見るように黙りこくっていたが、やがて口を開いた。


「これは単なる世間話だが、彼は警察官にはなれない」


「……どうしてですか?」


「彼の父親は警察では少々有名でね。そういう悪名は、彼の人生に影を落とす」


「そんなこと!」


「関係あると思う人間が上層部の大半を占めている」


 公平の父親について、カズキも噂程度には聞いたことがあった。反社会的な勢力の中心的な人物で、数年前に亡くなっているらしいが未だにその影響力は残っているという。


「いくら努力しても報われないということは往々にあることだ。本人の資質、環境も含めて」


「っ!」


「だが君ならばその現実を変えられる」


「え?」


  思わずバックミラーを盗み見る。三島の顔はしたから半分しか映されていないため、感情を推し量ることができなかった。


「これは交換条件ではあるが、君が警察に入ると約束してくれるならば、宮石君を土俵に上げてやることはできる。彼の力になりたいと思わないか?」


「……そんなこと警察がしていいんですか」


「大人の汚い部分を子供に見せるのは非常に心苦しい。だが私たちも必死なんだ」


「世間にこのことを公表する可能性は考えないんですか?」


  精一杯の脅し。しかし三島は動じた様子はない。


「考えていないとでも?」


 その言葉に寒気が走る。


 車で話をしていたのもその為か。走行中の車内は究極の密室だ。話を聞かれる心配もない。何より逃げられる心配がない。


「……せめて友人と相談させてください。一人で決められることじゃない」


「いや、君が決めるんだ」


 三島がそう言うと、車が止まった。カズキは反射的にドアを開けようとする。しかしそれは叶わない。


 チャイルドロック。単純な理由だった。


「急ぐな」


 諭すような声。こうも行動を読まれているといっそ腹も立たなかった。


 三島がおもむろに、助手席からアタッシュケースを取り出した。ジェラルミン製の、ずっしりとした銀色。中を開ける。


 札束が詰まっていた。


「ここに一千万ある。もし君がここで警察に入ってくれると一筆してくれれば、これは君のものになる」


 一千万。


 カズキが今まで生きてきて見たことのない金額。多くの人が思うだろう、大金だと。


 脅迫が通じないとみるや、今度は金の力を借りようというのか。


 警察がこんなに黒いところだとは思わなかった。

 そりゃあ、少年のように純粋に警察が清廉潔白な組織だとも思っていない。それにしても、これはいささか度が過ぎる。


 しかし、三島の言葉はそれ以上に汚く、醜いものだった。


「宮石君のお祖母様の入院費だが、かなり支払いが滞っているようでね。元々彼一人の労働力では、医療費を支払い続けるのは困難なことだ。警察の入試試験の勉強をしながら働くのは、さぞ辛いだろう」


 絶句する。


 清廉さのかけらもない、エグいやり口。良心に抉り込む、醜悪な脅迫。


 まさか、そこを突いてくるなんて。


 恨めしげに三島を睨みつける。しかし奴の無表情は崩れない。


「取り敢えず五百万。これだけあれば彼を救うことができる。親友の助けになることができるんだよ」


 五百万円。


 カズキが警察に入りさえすれば捻出できる金額。それで公平の全ての問題が解消される。


 公平を救える。


 出会ったあの日から、公平にはずっと助けられてばかりだった。カズキにとってのヒーロー。唯一無二の、親友。


 心が動く。


 助けたいという気持ちが強くなる。彼の力になれるのならば、それ以上のことはないと思えた。


 いや、本当は違うのかもしれない。


 きっとカズキは、公平と対等になりたかったのだ。彼にとってのヒーローを助け、弱い自分から脱却したかったのかもしれない。


「で、でもきっと、公平は受け取らない。素直に受け取ってくれるはずがない」


 公平がこの施しを受けるとは思えない。きっとこの事も、カズキを心配させるまいと黙っていたのだ。


 親友に、同情されたくないと思ったはずだ。


 カズキ自身そう感じた。公平がカズキに声をかけたのだって、同情なんかじゃなかった。あの言葉には、そんな安いものの介在する余地はなかった。


 もっと純粋で、だからこそカズキはその言葉に救われたのだ。


「問題ない」


 三島がきっぱりと言い切る。


「入金は慈善団体の寄付として行われる。低所得者の家族に行われる寄付金だとね」


 寄付。


 そうか、それならば。


 受け取ってくれるかもしれない。その実態が、こんなに汚れた契約の手付金だとしても。

 それならば、清廉な彼を穢すこともなく、彼を救える。


 自分さえ犠牲になれば。


 恩を返せるかもしれない。


 これまで受けてきた莫大な借りを、彼に返せるのだ。


 警察にさえ入れば。

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