僕の今までの人生について。
こんなことを読んでくれた方にいきなり伝えるのもおかしな話かもしれないが、僕は自分が嫌いだ。自分が嫌になる、殺したくなる。
まず僕の人生について話させてもらいたい。14年というとても短い間だが。
生まれてから小学生までを岩手県で過ごした。親などから何回も「かなりわがままな子だった」と言われているから、まさにその通りだろう。小学校2年生のとき、弟が生まれた。この頃、サッカーのスポーツ少年団に入った。ここから小学校5年生まではサッカーに明け暮れる日々だった。そして小学校6年生になってやっと塾に入った。首都圏の人には分かってもらえないかもしれないが、岩手などの田舎には受験をするなどという文化はない。せいぜい地元の国立大附属の中学を受けるくらいだ。
なのに僕は、地元の国立ではなく、首都圏の学校を受けることに決めた。それから毎日勉強した。塾ではあまり成績はいい方では無かったが、小学校のクラスではトップだった。同じ塾のレベルの高い友達は全員他のクラスにもかかわらず、井の中の蛙になっていた。でも僕はそれに気付かなかったのだ。
今思えば、ここが人生の分岐点だったのだろう。家では絶対に読まないのに、クラスではそれとなく参考書を読んでいるようなフリをして。いつも勉強が忙しそうなフリをして。自分を偽りつづけた。いつの間にか、「自分はできる」という謎の自信に包まれていた。自分の中でプライドが芽生えてしまっていた。
そして僕は、志望校ではない中学に合格し、そこに行くことに決めた。そのため、岩手から埼玉に引っ越した。親と一緒ではない。一人で母方の祖父母の家に住ませてもらった。かなり珍しいケースだろう。この珍しい状況にも、みんなに自慢できるような気がして、胸が踊ったのを覚えている。
しかし、岩手でつけた自信は中学で全て打ち砕かれた。
数学も、国語も、理科も、そして得意科目だった社会も。自分よりできる奴はいくらでもいた。それでも僕は一切勉強せずに学校生活を遊んで過ごし、初めての定期試験を迎えた。
結果はボロボロ。それでもまだ、プライドを捨てきれなかった。そんな状態で2年間を過ごし、今に至る。
だから僕はプライドを捨てきれない自分が嫌いだ。
捨てたいなら捨てればいい、みんなが言うかもしれない。自分でもそんなことは分かっている。でも、捨てきれないのだ。気づいたら周りの目を気にしてカッコつけている。好きでもないミント味のガムを噛んで、好きでもないロックなんかの曲を聞いて。誰も僕のことなんか見てはいないのに。
プライドを捨てること。これは人生で一番大切だ。でもそれは、人生で一番難しい。