004 聖槍
ライトが工房にこもってから二ヶ月がたった。
「ライト……」
その日、あの兵士の事件から絶えていたエレーヌの声が聞こえた。ライトは気軽に扉を開けてやった。また裏切られるのでは、などという心配は一切していない。扉を開けるとそこには、驚いた顔のエレーヌがいた。
「どうして扉を開けるのですか……!?」
「どうしてって、君が呼んだんじゃない」
ライトがエレーヌと話している間に、そばにいた兵士が扉を押さえた。前と同じ状況だった。ただし今回は前より数が多い。玉座の間いっぱいに、兵士と貴族らしい者たちが溢れかえっていたのだ。
「蛮族よ、大人しくしろ! おまえはこれより、反逆者モンフォールへの人質として扱われる」
「なんか、ワンパターンだねえ。マニュアルでもあるのかな」
ひょうひょうと辺りを眺めていたライトだったが、エレーヌを見て表情を曇らせた。金属鎧を着た兵士が、彼女を乱暴に引きずってライトから離したのだ。
「【ブレイクブレイド】」
舌打ちしたライトは、虚空から灰色の大剣を取り出した。
そして片手でその大剣を掲げる。
「歯向かうつもりか! 弓隊、矢を放て。だが足を狙え、決して殺すなよ」
『目を開けて何も見えず、耳を澄ませ何も聞こえず。ただ触れるモノのみが汝の世界にして、果てなき闇をさまよえ。石化』
兵士たちが構えた弓から、矢が放たれることはなかった。
ライトの大剣が眩い光とともに砕け散ると、その場にいた人間はみな石になってしまったからだ。動ける者は、ライトとエレーヌの二人だけだった。
さっきまで騒がしかった玉座の間は静寂に包まれた。
ライトは震えるエレーヌにつかつかと歩み寄る。そして彼女を掴んだまま石になった兵士の腕を、素手で引きちぎった。
自由になったエレーヌは、転げるようにしてライトから離れた。そのまま床に尻餅をついてへたり込む。彼女のスカートのあたりに水溜りが広がった。
「……君、お漏らししてばっかりだねえ」
「なっ、ち、違います、いつもならこんな事……!」
エレーヌはそれまで震えていたのを忘れたように、立ち上がって抗議した。
「……とりあえず着替えない? 服は出してあげるからさ」
* * * * *
「それで、なにが起きたの。王様は?」
「陛下は、戦場で雄々しく散られました……」
「あ、死んだんだ。じゃあ、あの太ったお兄さんは?」
「王太子殿下も騎士団長も、みんな死にました……」
エレーヌが恨みのこもった眼差しをライトに向ける。ライトが説得に応じてくれていればこんな事にならなかった、という思いがエレーヌにはある。けれども、にらまれた方は涼しい顔をしていた。ライトは頬に手を当てて、すこし考えるような仕草をする。
「ま、終わったことを悔やんでも仕方ないよ。それより、これからどうするの?」
悪びれないライトにエレーヌはため息をついた。たしかに悔やんでも過去が変わるわけではない。といって自分に未来があるとは、エレーヌは思っていなかった。
「モンフォール軍がもう城に迫っています。私は捕まって処刑されるでしょう。抵抗するはずだった者は、貴方が石にしてしまいましたし」
「アベルは王族に手を出したりさせないと思うよ」
「陛下と殿下の首をとったのが、そのアベルです!」
ライトは息を止めてエレーヌを見つめた。
そして腕を組んで考えこむ。
「アベルが王様を……? そんなことする性格じゃなかった。ということは──」
なにやら考えたあとで、ライトは椅子から立ち上がった。
「アベルのことはもう気にしないでいいよ。責任を持ってボクが止めるから」
「貴方一人でなにが──」
言いかけてエレーヌは口ごもった。大勢の兵士が一度に石になった光景を思い出したからだ。ライトなら魔法でなんとかしてしまうかもしれない。
「じゃあね、エレーヌ」
「ま、待って!」
立ち去ろうとしたライトを、エレーヌは呼び止めた。ライトは振り返って、問いかけるようにエレーヌを見つめた。
ライトと見つめ合う形になったエレーヌは、なぜかドギマギしてしまった。彼女自身、ライトを引き止めた理由がよくわかっていなかったのだ。
会って早々「いらない」と言われた。何度も説得しに行ったのに、まともに話を聞いてもらえなかった。言いたい恨み言はたくさんある。また、謝らなくてはいけないこともある。ライトの信頼を裏切って、二度も捕縛の手伝いをしてしまったのだから。
「私を助けてください!」
混乱したあげく、エレーヌは思ってもみないことを言ってしまった。
……あるいは、これこそが彼女の本心だったのかもしれないが。
「アベルのことはなんとかするって言ったはずだけど?」
ライトは首をかしげた。その顔に苛立ちがうかんだように見え、エレーヌはますます動揺してしまった。とにかく何か言わなくては、と早口でまくし立てる。
「あ、あの、ランツ王国軍は全滅したと聞きました。アベルがどうなろうとも、きっと王国は元には戻りません。母はもう亡くなっていますし、私には財産も領地もありません。戦争になってしまったからには、モンフォールの身寄りを頼ることも難しいでしょう。と言って、私には一人で生きられるような能力もないのです。だから、その──」
「【タナトスの首輪】」
エレーヌの話を聞いたライトは、藍色の首輪を取り出した。そして驚くエレーヌの首にそれをはめる。ひんやりとした金属の感触が、エレーヌの体を震えさせた。
「その首輪をつけていれば、ふつうの剣や矢で傷つくことはないし、食べ物も睡眠も必要なくなるんだ。すごいでしょ?」
「え、ええ……」
「それがあれば大概のことはなんとかなるでしょ。あとは好きに生きればいいよ」
「好きなように……」
「じゃあ、こんどこそお別れだ。またね、エレーヌ」
「あ……」
引き止める間もなく、ライトは行ってしまった。その小さい体のどこにそんな力が、と思うほどにその動きは早い。入り口の扉を乱暴に開け、風のように走り去るライト。そばにあった貴族の石像が、扉にぶつかって倒れた。
エレーヌはライトのあとを追おうとした。しかし彼女には扉を開けることができなかった。なにが起きたのか理解できなかったものの、エレーヌは気を取り直して他の出口にむかった。だがそこで彼女は恐ろしい体験をすることになった。
扉どころか、カーテンさえ動かすことができないのだ。
ライトの首輪のせいだとしか思えない。エレーヌは半狂乱になって首輪を外そうとした。しかしどうやっても、それを外すことは出来なかったのだった。
「ライト! 戻ってきて、ライト!」
必死に呼びかけるエレーヌ。けれど、彼女の叫びにこたえるものはいなかった。
エレーヌは不気味な石像が立ちならぶ部屋に、たった一人で閉じ込められてしまったのだった……。
* * * * *
ライトは城門の前に立ち、アベルを待ち受けることにした。
左右の塔には白旗がひるがえっている。ライトを捕まえようとした者達以外は、降伏することに決めたらしい。
ライトは目を細めた。金属音と大勢の足音が聞こえたからだ。もう間もなくアベルがあらわれるはずだった。遠くでおこる砂煙をみて、ライトはすこし笑った。
「重装歩兵とは思えない行軍速度だよねえ。うん、ボクはいい仕事したなあ」
そしてついに、アベル軍が姿をあらわした。槍を持った重装歩兵と、合成弓を背負った弓兵の隊列だ。兵士たちは城門の手前まで来ると、一糸乱れぬ動きで左右に展開した。その数四千。
アベルが一人で前に進み出た。ミスリルの鎧と盾がきらめく。
「ライト、よく無事でいてくれた! 助けに来るのが遅くなってすまなかったな」
アベルは大声でライトに呼びかけた。ゆっくりと城門に向かってくる。
その顔には満面の笑みが浮かび、再会を心から喜んでいる様子だった。
「【聖槍ロンゴミアント】」
柄から穂先まで純白の長槍を、ライトは虚空から取り出した。
それを見てアベルの歩みが止まる。
「ライト、なんだその槍は?」
「神話級武装、聖槍ロンゴミアント。世界でたった一つしかないレアアイテムだよ。アベルにはこれを使おうと、最初から決めてたんだ」
聖槍ロンゴミアントは、カインという名の槍使いに頼まれて、ライトが作った武器だった。稀少な素材の数々が使われたその槍は、ライトの自慢の逸品だ。しかしロンゴミアントが依頼主に渡されることはなかった。これを受け取る寸前にカインが【IL】を引退してしまったためだ。
「違う! なぜオレに武器をむけるのか、と言っているのだ!!」
アベルは絶叫した。彼はライトの態度に戸惑っているようだった。
その時、異変に気づいた軍勢が前進をはじめた。重装歩兵が槍を構え、弓兵は弓に矢をつがえる。
「……アベル、ずいぶんたくさん殺したみたいだね」
ライトは驚いていた。アベルが短い期間で、おそろしく強くなっていたからだ。
現在の彼のレベルは62。この国で最強と謳われる騎士でもレベル20程度しかないことを考えれば、アベルがどれほどの戦いを切り抜けたかよくわかる。
さきほどの言葉は、ライトにすれば素直な称賛のものだったのだ。
けれどアベルには、己を糾弾する言葉に聞こえたらしい。彼は痛みを覚えたように顔を歪ませた。
「たしかにオレは陛下を弑した。だが止むを得なかったのだ!」
「そう、やむをえず。でも出会ったばかりのアベルなら、どんな理由でも王様を殺したりしなかったはずだよ」
「違う! オレは──」
「もういいよ。ボクは君を止める。君はボクを殺して自分の道を行けばいい」
ライトとしては、国王が死のうが王国軍が死に絶えようがどうでもよかった。むしろ王宮での対応を思えば、アベルを褒めてやりたいほどだった。ライトが戦おうとするのは、アベルの行動への批判ではないのだ。
ライトは単純に「アベルがおかしくなったら止める」という約束を守ろうとしているだけだった。もしもアベルが領地で複数の女を囲っていたなら、その時点で彼を殺していただろう。「おかしくなった」と判断して。
「来ないのアベル? ボクは防具もつけてないし、君にも勝ち目はあるよ」
「やめてくれ、ライト……! オレたちが争うのは間違っている……」
アベルは、ライトが妹との結婚に同意したと思っている。アベルにしてみれば、ライトはすでに弟も同然だった。彼の呪いは家族への攻撃を許さない。……いや、仮に魔剣を持っていなかったとしても、攻撃できなかっただろう。もとより彼は、身内と戦える人間ではなかったのだ。
ライトは両手で純白の長槍をかまえた。
それを見ても、アベルは剣を抜きもしなかった。
『始まりの光、御子の血。此方より彼方まで、百万世界に歌え。無限絆』
詠唱とともに穂先から血が吹き出した槍を、ライトはアベルに向かって投げつけた。槍は一条の光となってアベルを貫く。彼の持つミスリルの盾ごと、正確に心臓に突き刺さったのだ。
「ら、ライト……ッ」
アベルは苦悶の表情を浮かべながら、息絶えた。
その惨状を見て、彼の騎士団が怒号を上げた。
──だが、それも一瞬で鎮まる。
空から黒い長槍が降ってきたのだ。
怒号は絶叫に変わり、すぐにそれも掻き消えた。4000本の槍が兵士を皆殺しにしたのだ。槍は、兵たちの頭から胴体を貫いて大地に突き立った。
またたくまに出来た血まみれの林を、ライトは呆然と見つめた。
「……ロンゴミアントの技って、敵への全体攻撃だったんだ」
投擲スキルによる【技】は、技名しか出ない。この世界では、詠唱の言葉も出るようになったが、やはり効果はわからない。この結果は、ライトにとっても意外なものだった。
「兵士まで殺す気はなかったんだけどな」
ライトは、アベルたちの間を通り抜けて前に進んだ。
なぜか使い捨てのはずのロンゴミアントがアベルに刺さったまま残っていたが、それを回収しようとはしない。もちろん、アニマブレイズにも手を触れなかった。それらは正当な取引で売り渡したものだからだ。
ライトが歩くうちに、後方の城塞都市から何度も悲鳴が聞こえた。
だが彼は、もうこの国に興味を失ったように振り向きもしなかった。
もしもライトが後ろを見ていたら、聖槍ロンゴミアントの真の力を悟っていたかもしれない。かの槍の能力は、敵への全体攻撃などという生ぬるいものではなかったのだ……。
* * * * *
アベルが心臓を貫かれて即死したのとほぼ同時に──
ジネットの頭上から槍が降りかかり、エルネストの頭を貫通し、メラニーの心臓を穿った。
少し遅れて、アベルの親族のほぼ全員が同じように死んだ。
次に彼の家来の大部分が、領民の五割に当たる50万人が。
最後に、ランツ王国の一割60万人が、漆黒の槍に突き刺されて死んだ。
聖槍ロンゴミアントの効果は──
攻撃対象へ一定以上の「親愛の情」を持っている者への追加攻撃。
効果範囲は「すべて」。世界のどこにいようが──それどころか、たとえ異世界にいたとしても逃れることができない絶対攻撃だった。対象も「すべて」。これは使用者であるライトでさえ例外にはならない。
……だが、どれほど時間が過ぎても、ライトの頭上に槍は現れなかった。
第一章「騎士の国」終了です。お付き合いありがとうございました。次は「聖女の国」へ。